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吐き出される者

「流れる川に焼き魚……確かに、その子が不思議がるのも分かる気がするわ。何でそんなに水があふれる場所で焦げ跡が出来たのか、というのは真っ先に疑問に上がることだもの」


 どことなく感心したような口ぶりで話しながら、白雪は扇子でトントンと畳を叩く。

 この小さな疑問を見逃さなかった玲のことを、ある種褒めているのか。

 一方その玲にとって実の姉である夏美の方は、少し不満げな顔をしていた。


「だが、玲も中途半端な奴だな。唯一の証拠であるその魚を逃がすなんて……私が玲なら、投網をしてでもその魚を捕まえて、じっくり観察するんだが。私の弟にしては不甲斐ない……」

「いえ、逃がした魚のために網を持ち出す子どもはそうそう居ないと思いますけど」


 よく分からない理由で憤慨をする夏美を前に、自然と紫苑は玲を庇うような形になる。

 確かに夏美がその場に居ればそのくらいのことはしたかもしれないが、それをあの幼い弟に求めるのは酷だろう。

 普通の人間は、「日常の謎」に対してそこまでの労力を費やさない。


「何にせよ、魚が逃げちゃったのはもう仕方が無いとして……最初に言った通り、その魚の正体を考えてみましょうか。意外と、面白い謎解きになりそうな気がする」


 ニコニコと二人のやり取りを見守った白雪は、そこでパン、と手を打つ。

 それを境に茶室の雰囲気はガラリと変わり、自然と謎を細かく検証するような空気になった。

 流れるようにして、会話が弾む。


「じゃあまず、これを最初に聞いた紫苑ちゃんの意見を……紫苑ちゃんはこの『ヤキザカナ』の正体、何だと思う?」

「何って……最初に話を聞いた時には、そういう模様の魚が居るのかなあ、と思ったんですけど」


 今一つ、二人がこの話を面白がっている理由が掴み切れないまま──正直、何でこの人たちは弟君の話を鵜呑みにしているのだろう、とすら思った──紫苑は口を開く。

 口から飛び出たのは、つまらない物ではあったが、現実的な解答だった。

 所詮は幼児の見た光景であるし、偶々それっぽい見た目の魚を釣って、何故か焦げていると勘違いしたっておかしくはない。


 だが、頷かれるだろうという予測に反して、目の前で白雪は「んー……」と困ったような笑みを浮かべた。

 それに驚いていると、隣では夏美も「それはちょっと考えにくいな」と口を挟んできた。


「え、何でですか?正直、一番妥当だと思うんですけど……」

「確かに、可能性はあるだろう。仮にそれが、玲が『一人で』見たものならな」


 一つ頷きながらも、夏美は引っかかる物言いをする。

 それに気にして首を捻った紫苑に対して、彼女は淡々と言葉を続けた。


「お前も話の中で言っていただろう?その日の玲は親戚と一緒に、川に釣りに向かったって」

「ええ、玲君がそう言っていました」

「そして、これはまあ常識的な推測だが……魚釣りなんていう危険を伴うことを、今年でやっとに六歳になる幼児に、一人でさせるはずが無い。釣り針で怪我をしたり、川に流されたりする危険があるからな。当然、『ヤキザカナ』の捕獲や釣り針の取り外しというのは、玲ではなく同行した伯父さんがやったことだ。そうだな?」


 確認されて、そうでしょうね、と紫苑は思う。

 細かく経緯を聞いた訳では無いが、確かそういう話だったはずだ。


「つまり、その『ヤキザカナ』のことは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということになるの。仮に、焦げ跡と誤認するような模様を持つ魚がその川に生息しているのなら、玲君は不思議に思わないわ。その場で伯父さんに正体を教えてもらえるもの」

「あっ、そうか。言われてみれば、そうですね。伯父さん、釣りが得意とか言っていましたし……普通に考えたら、魚にも詳しいはず」

「そういうことだ。それでも玲が魚の正体に疑問に思っているということはつまり、その場では同行していたはずの伯父さんでも十分な説明が出来なかった、ということになるだろう?何かの見間違い、と言ったのは伯母さんの方だしな」


 ──えっとつまり……その『ヤキザカナ』は、玲君と伯父さんと、それに一緒に居た従姉妹さんの、三人で目撃したんですね。そして伯母さんは釣りには同行せずに、後から話を聞いた、と。


 改めて状況を確認し、紫苑は目が覚めるような思いをする。

 玲が話の中で伯母のリアクションしか述べていなかったものだから、何となくその魚のことを不思議がっているのは玲だけ──他の大人は玲の見間違いということで済ませている──かのように思っていた。

 だが、大人の同行者も居たというのなら、話は変わってくる。


「つまり……『ヤキザカナ』は、釣りに慣れているその伯父さんでも、何故そんな状態になっているのか分からないくらいに不思議な物だった、ということですね?少なくとも、同行していた子ども相手に十分な説明は出来ないくらいには」

「その通り。だからこそ、ただ単にそういう模様だったとか、何かの魚にかかる病気だったとは考えにくい」

「勿論、その伯父さんが魚にあまり詳しくなかった可能性はあるけれど……」


 最終確認のように、そこで白雪が夏美の方を見るが、即座に夏美はふるふると首を左右に振る。


「他のレジャーならともかく、釣りは毒魚に気をつける必要がありますからね。伯父の家では、よく釣ってきた魚を捌いて食べていましたし……専門家レベルとは言いませんが、地元の川の魚くらいは知り尽くしているはずです。問題が無いと分かっているからこそ、子どもまで連れて釣りに出向いているんですし」

「それはそうね。逆に言えば、『ヤキザカナ』の正体は大人でも簡単には察せない物、ということになる」


 ふむ、と再び白雪は扇子を唇の下に押し当てる。

 あれが、彼女なりのシンキングポーズなのだろうか。

 趣味にするだけあって和風な仕草だなと紫苑は思ったが、実際に効果はあるらしく、数秒して次の論点が提供された。


「では、前提としてその魚の焦げ跡は本当にあって、確かに何らかの理由でその魚の鱗は焼けていた、と考えましょう。そうなると、夏美ちゃん」

「はい」

「これは……人為的な物だと思う?それとも、何か自然発生的な物だと思う?」

「自然発生ですね。仮に人の手が入っていたとしても、それは何かの副産物であって、意図的な物では無かったと思います」


 白雪からの問いに、夏美は即答する。

 自然、何故そう言い切れるのか分からなかった紫苑は、すぐに隣を振り返ることになった。


 悲しいかな、紫苑は思考回路を夏美と同一にはしていない。

 一人を置き去りにして、結論だけ述べないで欲しい。

 そんな声なき嘆願が届いたのか、夏美はちらっと紫苑を見て、それからすぐに補足を付け足した。


「ちょっと想像してみろ、紫苑。もしこれが人為的なものなら……その人物は魚を一度捕まえた後、鱗をライターか何かで焼いて、その後で川に戻した、ということになるだろう?」

「まあ、そうなりますね。かなり意味が分からない動物虐待ですけど……世の中広いんですし、そういう行為をする人だって居るんじゃないですか?」

「可能性だけで言えば、それはあるかもな」


 これについては存在を認知していたらしく、夏美はすんなりと頷く。

 実際、そういう事件なども現実に存在したはずだった。

 キャンプ場などでの動物虐待というのは、気分の悪い話ではあるが、何件も報告のある話である。


「だが、これだとすると魚の元気さが気になる……紫苑、話によれば、その魚は捕まえる時にかなり抵抗したんだろう?」

「そう言ってました。だからこそ、玲君も捕まえるのは苦労したとか……えっとつまり、余り弱ってはいなかった、ということですかね?」

「そうなるわ。夏美ちゃんが言うようなことを、もし誰かが意図的にしていたのであれば、それはちょっと有り得ないでしょう?魚の体を人間がずっと掴んでいると、魚はかなり弱っちゃうもの」


 博識な面を見せながら、白雪が話を引き取る。

 それを聞きながら、ようやく理解が追い付いた紫苑は確かに、と納得した。


 もしこの一件に明確に犯人が居て、生きたままの魚の表面を火であぶったというのなら、犯人は魚をずっと掴んで固定していたはず。

 そんなことをすれば魚は弱るし、何なら人の体温で火傷してしまう。

 いくらその後で川に戻されたにしても、釣りに抵抗出来る程の元気はないのではないか、ということだ。


「しかし、実際は魚は焦げ跡以外は元気だった……つまり、もうちょっと偶発的にそういう状態になったのではないかと思う」

「だから、人為的ではないっていう結論になったんですね……でも」


 そこでふと疑問が湧いて、紫苑は連続して問いを放つ。


「人為的でないのなら、どういう理由で焦げ跡が付くんです?自然現象って言うのは、一体どんな……」


 今一つ想像が出来ず、紫苑は首を捻る。

 焦げ跡と聞いて一瞬思い浮かべたのは山火事だったのだが、まさか山火事で川の中の魚が火傷するはずも無し。


 そもそも、そんな火事が地元で起きていれば同行していた伯父が知っていたはずだ。

 つまり、偶発的な原因というのは山火事ではなく、もっと局所的に起きた現象を意味することになる。


「口を挟むようで悪いけど……パッと思いつくのは、雷かしら。焦げ跡が付きそうで、地元の人でも予測出来なくて、水中に影響がある人為的じゃない物、となると」


 すると、そこで白雪が部長らしく推理を述べた。

 最初の目的である、自分の活動を見せるということを思い出したのか。

 夏美の言葉を引き継いで、白雪は流れるように推理を述べていく。


「まず、その川の真ん中に雷が落ちた。山の天気は変わりやすいから、有り得ない話じゃないと思う。電流は水中にも影響を及ぼし、偶々水面近くを泳いでいた魚にも到達した。勿論何匹かは即死したでしょうけど、幸いにして直撃はせず、表面を焦がすだけで終わった魚もいた。やがてまた泳ぎ出したその魚を、偶然にも弟君が釣り上げた……繋ぎ合わせると、こうなるかしら?」


 まるで最初から話す言葉を決めていたかのように、白雪は流暢に推理を述べる。

 即興で話している割に分かりやすかった話に、紫苑はおおー、と感嘆の声を上げた。

 淀みなく繰り広げられる名調子は、彼女の服装も相まって、噺家か何かのようだ。


「凄いですね、白雪部長。それ、そのまま真相なんじゃないですか?」


 本気で感心した紫苑は、軽く拍手しながらそう告げる。

 聞いてみたところ矛盾は無いし、これで決まりだと思ったのだ。

 しかし、ここでも白雪はちょっと困ったような顔をする。


「んー……自分で言って置いて何だけど、これじゃあちょっと疑問は残ると思う」

「あれ、そうなんですか?」

「何というか、そんなに都合よく進むかなあ、という気がして……」


 そう言いながら、白雪は夏美の方を見た。

 つられて紫苑も視線を動かすと、夏美が何やら、難しい顔をしているのが視界に収まる。


 何かしら、今の話に引っ掛かるところがあったらしい。

 彼女の中に眠る本能────探偵としての勘のようなものが、これは違う、と告げているのか。 


「……とりあえず、現代らしくネットで検索してみましょうか。その場所が、ここのところ雷が落ちるような気候だったのか。それを確かめたら、証拠とまでは行かないけど、確認にはなるでしょう?」


 夏美も納得していないことを察したのか、不意に白雪がそんな提案をする。

 彼女としても、すぐに答え合わせがしたかったようだ。


 白雪はするりとその場から腕を伸ばすと、本棚に改造された棚の一画から、ノートパソコンを取り出した。

 シックな色合いをしていたために一見して分からなかったが、元々部の備品として置いてあった物らしい。


「ええと……夏美ちゃん、現場となった場所って、どこかしら?」

「あ、望鬼市です。父の実家がそちらなので」

「そう、なら落雷の情報が載っていそうなのは……」


 ブツブツ言いながら、白雪はパソコンの起動を待ってキーボードを操作し始める。

 和装の少女が、茶室の真ん中で膝に乗せたノートパソコン弄る様は中々に奇妙だったが、少なくとも彼女は気にしていないらしい。

 しばし、カタカタと薄いキーボードが奏でる音だけが茶室を満たした。


 ────そして。


 何かを見つけたらしい彼女が、少し動きを止める。

 さらに、「……あらあら」と口にした。


 どうしたのでしょう、とつい紫苑は心配する。

 だがその瞬間には、白雪はノートパソコンの画面を紫苑と夏美に向けていた。


「ねえ、夏美ちゃんの弟君が向かった川って……もしかして、これ?」


 感情の読めない声で、白雪は述べる。

 その声色に疑問を抱きながら、紫苑と夏美は肩を寄せ合って小さな画面を見つめた。


 途端に目に入ってきたのは────「遺体発見」の四文字だった。




『望鬼市で遺体発見。仇川河口に水死体。行方不明だった五十代男性か』

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