アドリブは生きた心地がしなくなる
「とりあえず、『弟相手に雲雀大吾が語った計画』。つまり初期案について話そうか。これについては、比較的シンプルな話だ」
そう言いながら、夏美は軽く目を閉じて、事件の経緯を振り返る。
これについては紫苑向けに振り返っているということもあってか、口調も砕けていた。
「最初に準備として、幸三氏の飲み物や料理などに花木甚弥宅から持ち出した睡眠薬を盛り、早いうちに寝かしておく。ついでに、誰も居ないのを良いことも東館のスプリンクラーなどを止め、ガソリンを撒く。ここまでやったら、今度は雲雀禄郎の部屋の改造だ」
「改造……あの、血が飛び散ったような風景を作るんですね?」
「その通り。あの時はじっくり見れなかったが、あれは普通に考えれば血糊だろう。ワインやケチャップで作ったんだろうな」
そうなりますね、と紫苑は頷く。
一時的とはいえ死を偽装するのであれば、そのくらいの手間は必要となる。
「ある程度部屋を荒らし終わったら、その後は雲雀禄郎に化粧を施す。血糊を腹や胸にぶっかけて、さも大量出血しているように見せかけるんだ……その上で彼らは屋敷に火を付け、同時に雲雀禄郎はベッドに寝転がる」
「そして私たちを呼びに来る……ですか?」
「いや、違うな。この初期案では、呼びに行くのはあくまで葵さんだけだったはずだ。だってほら、私たちがあの屋敷に泊まったのは、あくまで突発的な事態だっただろう?」
──そう言えばそうですね……そっか、私たちも計画外の、イレギュラーな存在になっていたんですね。
彼らの視点で考えれば、まさかパーティーの参加者の一部が屋敷に宿泊するかどうかなど知りようが無い。
そもそもにして、パーティーに呼ばれることすら絶縁状態ではほぼ無かったのだから、想定しようがないのだ。
つまり彼らは、あの日に屋敷に居るのは薬で眠らせた幸三氏を除けば、葵しかいないと踏んでいたことになる。
「葵さんの部屋は西館で場所も遠いし、時間的には普通に寝てしまっているだろう。つまり、火事の初期段階で気が付くのは難しい。それを利用して雲雀大吾は彼女の部屋を訪れ、自分も今起きたかのように振舞う訳だ」
「それで……言うんですね?他の二人の安否が分かっていないから、着いてきてくれ、という風に」
「その予定だっただろうな。実際の事件の時には私たちが向かったが、あれは部屋に複数人居たからだ。仮に葵さんしかあの場に居なかったなら、彼女だって出張っただろう」
──私たちが現場に向かったのは、あくまで私たちの方が力が強いからですしね……そうじゃなかったら、如何に非力でも手伝おうとしたはず。
その場面が容易に想像出来て、紫苑は深く頷く。
実際、葵一人しかいない場面でそう呼び掛けられたなら、普通に承諾していた可能性は高い。
元より、純真な人であるのだから。
「そこからは、私たちがした役目を彼女がやることになる。つまり、雲雀大吾と一緒に雲雀禄郎の部屋にまで出向いて、演技中の彼の死体を確認するんだ」
「演技をして、目撃者である葵さんの記憶に刻み付けるんですね?その時点で雲雀禄郎は既に死んでいた、と……」
「そういうことだ。私たちならともかく、葵さんなら恐怖の余り深く死体を確認はしないだろうと踏んで……そうでしょう?」
そこで不意に、夏美はベッド上で震えている雲雀大吾に話題を振る。
しかし彼は、一言も喋ることなく首を力なく振るだけだった。
最早話す気力も無いのか、或いは諦めているのか。
彼の様子を、夏美はフン、と鼻で笑う。
その上で、推理を続けた。
「そしてチラっとでも彼の体を見せれば、後は簡単だ。『火の手がもうそこまで来ている。父さんの方が心配だ』とでも言って、葵さんを幸三氏の元へ誘導する。一人で行かせるつもりだったのか、二人で二階に向かうつもりだったのかは知らないが、何にせよその場からは離れただろう。わざわざ放火までしたのは、こうして彼女を急かすという理由付けのためでもある」
「その後、当の雲雀禄郎さんは……」
「無論、彼にとってはここからが本番となる」
はあ、とまたため息。
それから、彼女は目を見開いた。
「二人が立ち去った後、雲雀禄郎は即座に起き上がり、まずは身支度に勤しむ。と言っても、両腕に懐中電灯とナイフを仕込み、それからレインコートを着るだけだがな。勿論、死体の演技をしていた時の服装の上から着込む形になる」
「ああ、そっか。彼がレインコートを着たのは、正体を隠すのもそうですけど……それ以上に、血糊を隠すためだったんですね?一度体にぶっかけてしまった以上、そうそう落ちませんし。だから、上から着込むしかない」
「だろうな。その上で彼は窓から脱出し、屋敷の山側からザイルで二階にまで上る。それが侵入経路だ」
「ザイル……」
そう言われて、紫苑は巌刑事の話を思い出した。
屋敷の二階から、ずっと垂れ下がっていたというザイル。
あれは確かに、犯人の侵入経路として機能していたのか。
「じゃあそのザイルは、予めぶら下げておいたんですね?」
「そうなるな。恐らく幸三氏を眠らせた段階で、彼の部屋の窓にでも括りつけたんだろう。そうすれば、直通で彼の部屋に辿り着ける……火事から逃げながら、メインホールを経由して歩いてくる葵さんより早く、な」
因みに、彼が懐中電灯やナイフを腕に括りつけたのは、ザイルで壁登りをする予定だったからだろうな、とそこで夏美は補足を入れる。
妥当な推測だったので、紫苑はああー、となった。
確かに、両手が空いていない中でザイルを伝うのは大変である。
「こうして二階に辿り着いた彼は、意識の無い幸三氏を連れて廊下に現れ、今度は謎の不審者の演技をする。そして、恐らくは怯えて立ち止まってしまうであろう葵さん、そして後ろから追いかけてくるであろう兄を待って────幸三氏を、殺害する」
「……山道じゃなくて、廊下で殺すんですか?」
「ああ、その予定だったはずだ。仮に山に逃げたとしても、葵さんの足じゃあ追いつけないしな。現実に山道で相対したのは、お前が強かったからであって」
すなわち、当初はすぐに幸三氏を殺す気だった、ということらしい。
確かに、雲雀大吾に絶対のアリバイ──幸三氏殺害の瞬間を目撃しているのだから、犯人ではないという風に思わせる──を作るという目的から考えれば、殺害場所自体は別にどこでも良いことになる。
というより、寧ろ山道のような目撃者が追い付いてくれないかもしれない場所は避けた方が無難だ。
結果として初期案では、廊下で葵と大吾が幸三氏殺害を一緒に見る、という計画だったらしい。
「これをこなせば、雲雀禄郎は幸三氏の死体を放り捨てて再びザイルで逃亡。恐らくは葵さんだって追う気力は無いだろうから、余裕で逃げられるはずだ」
「もう一人の目撃者である、この人はグルなんですしね……」
言いながら、チラリと紫苑もまた大吾をみやる。
仮にその計画が上手く行っていたのであれば、共犯である大吾が真剣にレインコートの男(に扮した雲雀禄郎)を追ったはずも無い。
追いかける振りをして、適当に逃がすことだって出来たはずだ。
そうなれば、雲雀禄郎はザイルをもう一度使って、悠々と逃げられる。
逃亡手段にザイルを選んだことを紫苑は不思議に思っていたが、あれは元々一人で逃げる気だったから、ということだ。
幸三氏を廊下で殺す都合上、荷物は問題とならない。
ザイルだって、その内燃えるだろう。
「雲雀禄郎が逃げたら、計画は九割方終了だ。雲雀禄郎はそのまま、山の中を逃亡……ああただ、レインコートや血糊の付いた服は、一階の火災現場に放り込むつもりだったはずだ」
「火災を利用して、証拠隠滅をする予定だったということですか?」
「だろうな。ついで雲雀大吾の方は火事から逃げるため、と言って葵さんを立たせ、幸三氏の死体は置いて一緒に屋敷外へと脱出。これで互いに、警察に疑われない立場を手に入れることが出来る」
そう言い切ってから、夏美はただ、と付け加えた。
「ただ、この計画のままだと当然、屋敷からは死んだはずの雲雀禄郎の死体が発見されない。ここの矛盾点に関しては……まあ弟相手だし、適当な理由で誤魔化していたんだろう。失礼な印象だが、雲雀禄郎はそういうことに気が付ける人には見えなかったしな」
「はあ……?」
「何にせよ、初期案は今言った通り。上手くやれば、雲雀禄郎は社会的に死んだ状態になるが、警察からは死者と思われているために容疑者リストから外れる。一方の貴方も、葵さんという証人が居る以上、殺人犯では有り得ないという話になる。それで警察が架空の犯人を捜している間に、弟とはこっそり合流して、遺産を山分け……そんなところでしょう?」
改めて、夏美が大吾に問いかける。
また、口調が一応の敬語に戻った。
「この計画のために、貴方たち二人はかなりの準備をした……ガソリンも、ザイルも、血糊も、服装も、パーティー前の滞在期間などを利用して密かに持ち込んだはずだ。幸三氏は部屋から碌に出ないのが普通だったそうですから、よっぽどあからさまにしない限り気が付かないでしょうしね。しかし現実には、当日になってイレギュラーが発生しました」
「それが……私たちですね?」
これについては先程も言及されていたことだったので、紫苑にもすぐに分かった。
同時に、パーティー中にやけに必死に自分たちの滞在を反対していた二人の姿も思い出す。
あの時は何故、と思ったものだが、今思えば当然の対応だったのだ。
彼らは既に、西館に居るのは葵のみ、という前提で殺人計画を立てていた。
その中に紫苑たちのような異物が紛れ込むと、ふとした拍子で計画がバレる──例えば、ガソリンを撒いている最中にうっかり目撃されるとか──可能性もあり、危険極まりない。
「本音を言えば、何としてでも帰ってもらいたかったところでしょう。しかし幸三氏の鶴の一声も相まって、宿泊には反対出来なかった」
「だから、計画とは状況が違って、でもそのまま実行を……」
「どちらにせよ今日しかない、と思っていたのでしょう。そうじゃないと、次はいつ屋敷での宿泊を認められるかすら分かりませんしね」
──確かに、もう来るなって言われる可能性だってあったんですものね……。
幸三氏がパーティー中に言っていた内容からすると、今回宿泊を許されたのは葵からの口添えがあったから、とのことだった。
逆に言えば、孫娘の誕生日パーティーで、さらに本人から口添えがあるというレベルのことが無い限り、屋敷での滞在は難しいということになる。
滞在出来ない限り、殺すことも難しくなる。
最早、チャンスはあの日しか無かったのだ。
「最終的には悩みつつも計画を決行した訳だが、一応、雲雀禄郎の死を偽装するまでは何とかなった。私たちに、彼がまだ生きているとバレることは無かったからな」
「そう言えばこの人、体を張って私たちが部屋に入るのを止めてましたね」
「そりゃあ勿論、詳しく探られる訳にはいかないからな。仮に脈でもとられたらそこでアウトだ」
そう言う意味では、あの場面こそ一番の危機だったと言える。
もう少し夏美が積極的に横たわる雲雀禄郎の体を確認していれば、そこでこの計画は破綻し、ただただ放火されただけで終わっていたかもしれなかった。
しかし、現実にはそこで紫苑たちは犯人の目論見通り、幸三氏の安否確認に走ってしまい────。
「その後、雲雀禄郎の変装やら何やらも、まあ計画通りに行った。これについても綱渡りではあっただろうがな……だが、計画から離れたのは、ここからだ」
「私が、犯人と戦ったから……」
「そうだ。これこそ、彼らにとって一番の予想外だろう……普通、葵さんの友達が宿泊したと言っても、まさかそいつが刀を持ち込んでいるとは思わないだろうしな。ましてや、そいつが強いとも思っていなかっただろう」
──それはまあ、そうでしょうけど……。
紫苑自身、冷静になってからは自分の行動にドン引きしたくらいなのである。
まさか雲雀兄弟がそれを予測していたとも思えない。
もしかするとあの廊下で一番怯えていたのは、紫苑ではなく雲雀禄郎の方かもしれなかった。
「そして、その戦いが長引いたのも計算外だったはずだ。恐らく、本来なら葵さんの代わりに、お前の目の前でサクッと幸三氏を殺す気だったんだろうが……」
「私と戦ったから、それが出来なかった。それで攻防になって……」
「結局、火事が広がって床が崩落するまで戦う羽目になった。その戦闘で悟ったんだろう。この相手の目の前で幸三氏を殺して、追及も無く逃げるのは難しい、と」
故に、彼は紫苑が床の崩落に巻き込まれたのを境に、何とか幸三氏を抱えて逃げることを優先した。
あの時点では大吾があの場に居ないので──恐らくは予想外の戦いに近寄れず、一階で待機していたのであろう──殺すことも出来なかったのだ。
彼が居ないまま殺してしまえば、アリバイの確保が出来ない。
だから、彼は必死に抱えて逃げて。
とりあえず、ザイルも使わずに階段から逃げて、一階で大吾と合流したのだ。
次の指示を仰ぐために。