被害と加害の順番
「睡眠薬……どこで、それを?」
「その反応からするに、正解ですか?」
「ああ、だが……それも推理か?」
流石に驚いたような顔をする巌刑事と、何かを確信した顔で会話する夏美。
二人して何かしらの真実を共有したようだったが、紫苑にはそれが何を意味するのか分からない。
結果、ちょいちょい、と夏美の袖を引くこととなった。
「夏美さん、説明……」
「ん?ああ、何、簡単なことだ。前に、花木甚弥は睡眠薬を常用していて、それが死体からも検出されるかもしれない、という話は前にも聞いただろう?仮に何者かが彼を自殺に見せかけて殺したのであれば、彼の意識を飛ばすためにそういった薬物を使ったかもしれない、と」
──ああ、そう言えば……。
何分前回の事件からやや間が開いてしまっていたので、細かいところは忘れていたのだが、確かにそんな話があった。
睡眠薬を飲まされていたとすれば他殺の可能性は捨て切れず、しかし自殺の前に薬を飲む人間も居るためにそれだけでは他殺とは言い切れない、とかいう事情だったはずである。
他殺とも自殺とも断定出来なかった、花木甚弥の不明瞭な死に様を構成していた情報の一部だ。
「白雪部長が事件前夜に言っていたように、雲雀大吾たちには仲間割れによって花木甚弥を手に掛けた可能性がある。そして花木甚弥の事件と同じく、今回の事件でも幸三氏が何らかの薬物で意識不明になっていたんだ。なら同じ手口じゃないか、と考えるのは自然だろう?」
「えーと、要するに……彼らは花木甚弥を自殺に見せかけて殺した。そしてその時に使った睡眠薬の余りをまだ持っていたので、それを幸三氏に飲ませてたってことですか?」
「そういうことだ。恐らく、かなりの量を盛ったんだろうな。故に幸三氏は、床に放り投げられたり抱きかかえられたりしても、意識がはっきりしていなかった」
そうなりますね、とようやく納得がいった紫苑は深く頷く。
一連の流れを考えれば、当然の予測と言えた。
「いやはや、やっぱり君たちの推理力は侮れんな……その通りだよ、松原君。花木甚弥の胃からも、そして雲雀幸三の胃からも、同じ睡眠薬の成分が検出されている。成分分析をした奴から直に聞いた話だ、間違いない」
賞賛するようにして、巌刑事はそんなことを教えてくれる。
それを聞いて、紫苑は内心おおー、と思った。
これで一つ、確かな糸で二つの事件が繋がった。
今までの「雲雀大吾たちは電気漁の犯人グループなのでは」という考えは、厳しい言い方をすれば仮説に仮説を重ねた理屈っぽい妄想のようなものでしかなかったが、今回は睡眠薬の成分という確かな物証がある。
やはりこれは、連続殺人だったのだ。
「ならもしかして、この情報だけでも雲雀大吾さんを追い詰めることが出来ませんか?幸三氏に飲み物とかに睡眠薬を混ぜられるのって、身内くらいでしょうし。それで電気漁の事件と関わりがありそうな人と言ったら、もう……」
「いや、流石にそれは急ぎすぎだな……検出された睡眠薬はごく普通に売られている物で、不眠症で医者にかかったら真っ先に処方されるような薬だ。確率的に低いとしても、偶然の一致と言われればそれまでだろう」
やや興奮して紫苑はそんなことを言うが、即座に巌刑事に否定される。
あ、そうなんですね、と途端に紫苑はしゅんとなった。
流石にこれだけでは、犯人逮捕とはいかないらしい。
「尤も、意味が無い訳では無いがな。この証拠のお陰で、映玖署では花木甚弥の事件を他殺と断定して捜査出来るようになった……今までよりは、より色々と調べられるはずだ」
「だからこそ、俺たちがここに居るんスから」
「ああ、そっか。本当は花木甚弥の事件の捜査員ですからね、二人とも……」
そう言って肩をすくめる茶木刑事を前に、紫苑は一つ納得がいく。
あくまで紫苑たちの事情聴取を顔見知りに行わせるためだけに呼び出された二人が、未だに雲雀邸の事件を捜査している理由の一つは、どうやらここにあるらしい。
警察としてもこの二つの事件を一つの事件として捉えてくれている、ということか。
少なくとも、捜査員を共有する程度には。
それを確認し合ったところで、更に夏美が問いを発する。
「……刑事さん、もう二つ、質問良いですか?」
「ああ、どんと来い」
「まず一つですが……焼け跡の調査で、何か気になる物証などはありませんでしたか?明らかに犯人が持ち込んだ物、とでもいうような」
何かを期待するようにして、夏美がそう問いかける。
それを横目で聞きながら、紫苑は密かに残っていますかね、と案じた。
今の状況を見てわかる通り、東館の燃え方は尋常な物では無かった。
仮に犯人が何かを残していたとしても、既に燃えてしまっていると考えるのが妥当だ。
万一燃え残っていたとしても、燃え滓だけでは元々ここにあった物なのか、他者が持ち込んだ物なのか判別が付かないだろう。
最初から東館に置かれていた家具や衣類なども、一緒に燃え滓となって残留してしまっているのだから。
「……ああ、あるっスよ。一つだけ、それっぽいのが」
「え、あるんですか!?」
しかし予想に反して茶木刑事がさらっと頷いたので、紫苑は驚いて声を上げた。
彼は普通にスッと携帯電話を取り出し、やがて一枚の写真を見せてくる。
「写真だけ送って貰ったんスけど……このザイルがそうっス。かなり焼けてしまっているんスけど……」
そう言いながら渋い顔をする二人の刑事を前に、夏美と紫苑は画面をのぞき込む。
そして同時に、「焼けたザイルだな」という感想を共有した。
事実、写真に写っている物はそうとしか表現出来ない代物だった。
両端が焼け落ち、かなり短くなっている黒いザイル。
そうとしか言えない物が、ブルーシートに力無く乗っかっている。
「これ、どうして他所から持ち込まれた物だって断定出来るんですか?普通にこれだけ大きいお屋敷なら、一本ぐらいこう言うのもあったんじゃ……」
「いや、それは無いな。何せこれは、発見された場所が場所だ」
「ええ。これは消防の人間が、東館二階の窓から垂れ下がっているのを見つけたんス。そのお陰で、まだ消火も終わっていない段階で回収されたんス」
──窓から、垂れ下がって……?
一瞬、紫苑は有名な童話になぞらえて、屋敷の窓から垂れ下がる少女の長い髪を夢想する。
だがすぐに、これはそんなファンタジックなものではないことに気が付いた。
「東館からわざわざ垂れ下がってたってことは、もしかして……!」
「普通に考えれば、犯人が逃走用、ないし侵入用に用意していた上り下りの手段、ということになるな」
ふむ、と夏美が紫苑の隣で頷く。
そして、すぐに妥当な仮説を思いついたのか、ポン、と手を打った。
さらに答え合わせでもするように、刑事たちに自分の考えを述べていく。
「可能性としては、逃走用である方が有力ですね。屋敷に入る時はともかく、その後犯人は屋敷に火を放っている。だからうかうかしていると一階が火の海になって、自分の放火のせいで逃げられなくなる可能性がある訳だ。だからこそ、一階を通らずに逃げる時のために、ザイルを用意した」
「ああ、そっか。だから予めザイルを結び付けて、階段を使わずに外に逃げようと……」
妥当な考えに、隣で思わず紫苑は膝を打つ。
前を向いてみれば、刑事たちもやはり感心したように夏美を見ていた。
「我々の考えも、概ねその通りだ……火に追われないうちに逃げるための、逃走手段だろう、とな」
「なるほど……でも結局、使ってませんでしたけどね」
何故だろうか、と思いながら紫苑は犯人と攻防を繰り広げた際のことを思い返す。
あの時、幸三氏を抱えた犯人は一目散に階段で逃げていった。
少なくとも、道を迷うような素振りは見せなかったが────。
──あれ、でも……。
そこでふと、紫苑は新たに疑問を湧かせる。
単純な疑問だ。
──ザイルで逃げるつもりがあったのは良いとして、どうやって幸三さんを運ぶつもりだったんでしょう?普通、人を抱えたままザイルで降りるのは難しい気が……。
未だに理由は不明だが、犯人は幸三氏をすぐには殺さず、睡眠薬を飲ませてまで一時確保していた。
つまり、しばらくは生かしたままにしておきたかったし、彼を抱えて逃げる気もあったと考えるのが自然だろう。
しかしそうなると、ザイルで逃げようとしていたのは不自然である。
どう頑張ろうと、人を抱えたままザイルで降りるのは難しい。
人を連れたまま逃げる時には、ザイルという手段はそもそもにして選ばないだろう。
──まあでも、そこは何とかする気だったんですかね?別のロープで体に幸三さんを巻き付けるとか、懐中電灯やナイフみたいにどこかに括りつけるとか……。
一応、紫苑はそうやって自分の疑問にけりをつける。
しかし同時に、そのせいでまた疑問が湧いた。
──でも、ザイルをわざわざ使うくらいなら……どうして、最後に火を放たなかったんでしょう?なまじ最初に火を付けるから、ザイルに頼らざるを得なかった訳で……。
ここが致命的におかしいな、と思った紫苑はその場で考え込んでしまう。
この事件の犯人は状況的に、最初から屋敷に火を付けて回っている。
だがそのせいで、犯人自身も動きにくくなってしまっているように思える。
最初に二階の幸三氏を連れ出してから一階に降り、その後で禄郎を殺してからゆっくり火を付ける、という順番では駄目だったのだろうか。
これなら、自分が火に追われるリスクはかなり減るのだが。
最初に火を付けて、幸三氏の殺害を後回しにした理由は、どこにあるのだろうか?
こちらは中々解決策が見当たらず、紫苑はうーん、と唸る。
どうも、全体的に犯人の行動がチグハグというか、よく分からない順番で実行している節があった。
犯人が誰にせよ、どうしてこういう順番になったのか。
それを悩んで紫苑が押し黙っている間に、刑事たちと夏美の会話はさらに進む。
どうやらこれが、最後の質問になるようだった。
「最後に、もう一人の犠牲者……雲雀禄郎について聞かせてください。火事のせいでかなり焼けていたとは言え、もう司法解剖は終わっていますよね?そちらはどんな結果でしたか?」
──ああ、そう言えば、何気に彼の死因を知りませんね、
言われてみれば気になる話題だったので、紫苑はハッと意識を現実に戻して会話に集中する。
思い返してみると、紫苑たちは部屋のベッドで倒れていた彼の姿を見たのを最後、彼の様子を確認していないのだ。
目の前で殺された幸三氏以上に、よく分かっていないと言っていい。
「ああ、そちらか。だが正直な話、君たちの証言以上の発見は無いぞ?東館の部屋で焼死体として倒れこんでいるのを発見されて……死体は崩落してきた天井に押しつぶされ、特に下半身はしっちゃかめっちゃかになっていた。上半身は原形を残していがこちらもかなり焼けていて、本人確認にはDNA鑑定を使ったよ」
「因みに、死因は?」
「右頸部の皮膚に引き裂かれたような跡があったから、そこをナイフか何かで切られたんじゃないか、という話だ。犯人はナイフ遣いとのことだしな……まあ損壊で言えば、ぐちゃぐちゃになった下半身はかなり骨が折れていたが」
そう言いながら、巌刑事は肩をすくめる。
同時に、茶木刑事が補足を入れた。
「まあこの骨折は、火災と崩落した天井のせいで砕けた物だろうってことっス。勿論、被害者が犯人と格闘して骨を折られた可能性もあるっスけど。実際、崩落に巻き込まれていない上半身にもちょっと骨折の跡がありましたし」
「なるほど……まあ確かに、新情報は無し、ですね」
ぶっちゃけた話、概ね予想出来た範囲内の話だった。
これに関しては質問の意味があまり無かったかもしれないと思って、紫苑は隣の夏美を見る。
最後の質問も終わったので、これからの予定を聞こうと思ったのだ。
そして、チラリと横を向いた瞬間────紫苑は、固まってしまった。
何故固まったか、と言えば理由は単純。
隣に居たはずの夏美が、大きく雰囲気を変えていたためである。
端的に言えば、そこに居たのは夏美であって夏美では無かった。
雰囲気が、オーラが、風格が、目つきが。
何もかもが、違う。
夏美はいつの間にか瞑目し、ブツブツと何かを反芻していた。
さながら、脳内で何らかのシミュレーションでもしているかのように。
いつそれを始めていたのかは分からなかったが、随分と集中していたのは明らかだった。
「……夏美さん?」
恐る恐る、紫苑は隣から問いかける。
気が付けば、刑事たちすらその雰囲気に呑まれたように押し黙っていた。
それを知ってか知らずが、夏美は紫苑の声に僅かに反応をして────程なく、カッと目を見開く。
「……紫苑」
「は、はい。何でしょう?」
「お前には悪いことをしたが……今回の事件、お前を連れてきて良かったよ。お陰で一つ、確実に良いことがあった」
「え、は?ええっと……はあ」
唐突な賛辞に、紫苑はキョトンとしてしまう。
どう反応して良いのか分からない。
それでも適当に声を発しておくと、今度は彼女は刑事たちに向き直った。
「巌刑事、茶木刑事」
「な、なんだい?」
「どうかしたんっスか?」
「いえ、質問を一つだけ付け加えたんです。何、簡単な問いかけです」
トン、とそこで彼女は自分の左胸元を指で叩く。
そして、静かにこう聞いた。
「雲雀禄郎の遺体は骨折が多いとのことでしたが……彼の××骨は、折れてはいませんでしたか?」
最後に聞かれた骨の名称については。
丁度外が騒がしかったので、紫苑は聞き逃してしまった。