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帰る場所は

「あー、寒い……どうにも、朝は冷えるな」

「そうね、まだ五月だから……二人とも、大丈夫?」


 事情聴取も捜査会議も終わり、警察署から出てきた瞬間、んんーっと夏美が大きく伸びをする。

 同時に心配をしてくれる白雪に向かって手を振りながら、紫苑はブルリと体を震わせた。


 それは、朝の寒さによるものではない。

 単純に、いい加減疲れが限界近くに達してきたからだった。


 今の時刻は、午前六時半と言ったところ。

 昨日の夜更けから今朝に掛けて、パーティーに参加し、寝ずの番をして、連続殺人鬼と戦い、火事の中を逃げまどい、そして警察の事情聴取をこなした。


 このせいで感覚がおかしくなっているが、この時刻は本来なら、一日が始まろうとする時刻である。

 だというのに、こうも疲労感に貯まった体を抱えて早朝の街をさ迷うというのは中々に新鮮な体験だったが、これは自分の体が悲鳴を上げている証拠でもあるのだから、笑っても居られない。


「警察は、また聞きたいことがあったら電話するって言ってましたし……とりあえず、家に帰って寝ますね、私」

「そうね、紫苑ちゃんは特にそうした方が良いと思う……夏美ちゃんは?」

「私は事件の最中は眠らなくても大丈夫な性質です。もうちょっと調べますよ……まあそれでも、一度着替えようと思いますが」


 言いながら、夏美は自分の服装──宿泊用に持参していたジャージである。流石にパジャマ姿もアレなので、警察署で着替えたのだ──を見つめる。

 その様子を見て、紫苑は自分たちが随分長い間、着替えどころかシャワーの一つも浴びていなかったことに思い至った。

 これは少々、年頃の女子高生としては悲しい事態である。


「じゃあ、皆さん一旦ここで解散、ということで……?」

「そうね、そうしましょう。ただ紫苑ちゃんも夏美ちゃんも、ご家庭への説明の方は大丈夫?娘が殺人事件に巻き込まれたとなったら、ご両親、心配しているんじゃ……」


 今思い出した、というようにして、白雪が再び申し訳なさそうな顔をした。

 それを見て、紫苑は内心「……ああ、そうですね。普通そうですよね」と思う。


 紫苑は昔から夏美のやらかすことに巻き込まれ慣れているので、家族への説明という行為への優先順位が下がってしまって久しいのだが、確かに常識的に考えればそこを最初に心配するべきだった。

 白雪としては、紫苑と夏美がこれから家族への説明に追われるのではないか、と心配になったのだろう。


 ただ、紫苑と夏美に限ってはその懸念は杞憂に近い。

 実際、夏美は即座にヒラヒラと手を振った。


「いやあ、そこは大丈夫ですよ、白雪部長」

「本当に?もし何か、ご両親に叱られるようなことがあったら、私が説明に向かうから……貴女たちをお屋敷に呼んだの、私だし。もし謝りにいかないといけないのなら、いつでも……」

「いやいや、だから大丈夫ですって。そもそも私の父親、海外を拠点にしているカメラマンなのでほぼ顔を合わせませんし……母親の方も、こういうのには慣れていますから。まあ、多少は小言を言われるかもしれませんが」


 普通に考えれば異常というか、家庭崩壊を心配した方が良いような返答だったが、実際にそうであることを知っていた紫苑は、特に訂正することなく沈黙を保つ。

 今までの例から言っても、特に夏美の家族への対応については心配しなくても良い、というのは分かっていた。


 この松原夏美という奇人を輩出した家なだけあって、松原家の血を引く人間は総じて変わっている。

 少なくとも、殺人事件に巻き込まれた経緯の説明を省略出来る程度には。

 だからこそ、白雪に弁明してもらう必要も謝ってもらう必要も無いのだ。


「私の方も、そういう説明は大丈夫です……まず間違いなく」

「本当に?紫苑ちゃんも?」

「はい。最初の方に刑事さんたちも言ってましたけど、警察の連絡で父にはもう話が通っているでしょうし……母にも、父から話が行くのが常ですから」


 結果として、紫苑の主観としては特に両親に説明が無いまま話が付くのが日常だった。

 向こうは向こうでこちらに気を遣っているのか、特に触れることは無いので、如何に変な事件に巻き込まれようと、話題にすら上がらないのが常である。

 そう言う意味では、寧ろ────。


「どちらかと言うと、白雪部長が心配ですよ。お寺の方、心配されているんじゃないですか?」

「そうですよ。お寺からすれば、昔からの付き合いがある名家で謎の殺人事件が起きたって話なんですし……大慌てなのでは?」


 紫苑と夏美は、二人してそんな心配をする。

 先程白雪が言っていたように、今の自分たちの状況というのは、一般的な価値観で言えば酷く心配されるはずの出来事だ。

 色々とこういうことに既に慣れている松原家や氷川家と違って、白雪の家では大騒動になってもおかしくはない。


「ああ、確かにそうね……でも多分、しばらくは大丈夫だと思う。私が両親への説明に追われるとか、そういうことはしばらく無いわ」

「そうなんですか?」

「ええ、だってウチ、お寺だもの……亡くなった方の葬儀、取り仕切らないといけないでしょう?行きの時にも言ったけど、雲雀家の菩提寺はウチだから。今頃、父はもう会場の準備をしているかも」


 ──あー……そういう……。


 意外と現実的というか、この上なく納得出来る理由が登場して、紫苑は何とも言えない顔で頷いた。

 お寺というのも、中々どうして大変らしい。


「じゃあ、とりあえずは三人とも当座は大丈夫だってことね……ならさっきの提案通り、今日は一旦休みましょう。各自休息、ついでに考えをまとめておくこと、なんてどう?」


 自然と場を仕切った白雪が、歩きながらそんなことを言う。

 すると、それを聞いた夏美が一つ提案をした。


「ただ、白雪部長。さっき良いところまで行った推理についても、早いうちにもうちょっと深掘りしたいんです。ですから、日曜にでも集まれませんか?」

「……そうね、細かいことを忘れない内に推理するのも、大切かもしれない」


 夏美の真剣な顔を前にして、白雪はふむ、と頷く。

 そして、軽くこう言って場を収めた。


「場所については当日にでも決めるとして、とりあえず日曜日にまた全員で集まりましょう。そこで、さっき刑事さんたちとした捜査会議の続きをすることにするわ。二人とも、良い?」

「勿論」

「大丈夫です」


 反論することも無かったので、紫苑は夏美に負けないくらいの速さで了承した。

 元より、この事件の謎を解いて欲しいと二人に頼んだのは紫苑の方だ。

 断れるはずも無い。


「それでは、明後日……じゃない、明日ですね。皆さん、また明日」


 ペコリ、と紫苑からお辞儀をする。

 それを持って、長い金曜日の夜が終わったのだった。




 そこから起きたことは、特筆すべきことでもない。

 ヘドロのように重くなった体を抱えて、何とか紫苑は家にまで帰って。

 何となく事情を察した感じの家族に出向かわれ、とりあえずシャワーで身を清めた。


 元から疲れていたが、シャワーというのは疲れた時に浴びると眠気を増す力がある。

 当然の理屈として、紫苑はそこから泥のように眠ることとなった。

 せっかくの土曜日が、まるまる睡眠時間と化してしまう。


 何とかして起きたのは、もう夕方になった頃だった。

 予想通り父に事情を聴いたらしい母親はそこはかとなく優しく、起きた時にはかなりの量の料理を用意してくれていた。


 勿論、昨晩のパーティーのそれに比べれば庶民的だが、料理の内容としては寧ろ親しみやすいメニューである。

 分かりやすく美味しく、ボリュームもあるというのが嬉しい。


 結果として紫苑は、飢えた犬か、とツッコまれそうなレベルでガッツガッツとそれらを腹に収めて。

 ついでに、既に夕方のニュースになっていた「雲雀邸殺人事件」をぼんやりと眺めて。


 ややもすれば全ては、土曜日に寝過ごした自分の悪い夢だったのではないか、なんてことも考えて。

 それでもやはり、現実だと認識しながら────もう一度深く深く眠った。


 そうこうしてから再び目覚めたのは、量ったように正確な、日曜日の朝。

 携帯電話に掛かってきた、夏美からのコール音が目覚ましとなった。




「……改めて見ると、無残な光景ですね」

「ああ、あんなに大きな屋敷だったのにな」


 夏美からの電話を受け、服を整えて向かった場所。

 すなわち、一日振りに訪れた雲雀邸────いや、「元」雲雀邸を見て、紫苑と夏美はめいめいでそんな言葉を言い合った。

 言っても詮無いことではあったのだが、それでも口にしたくなってしまう。


 何せ、見えている光景が光景だ。

 つい二日前まで堂々とした威容を構えていたその屋敷は、まず東館が完全に崩壊。

 いくらかの壁と柱を残して、他が焼失してしまっており、随分と痛々しい姿になっている。


 また、山火事になりかけたという周囲の自然も、炭化した樹木がまばらに立ち並ぶような禿山へと変わり果ててしまっており、なおの事痛々しさが増していた。

 かつての幸三氏が、自然豊かな場所で静養するためにここに居を構えたことを考えると、随分と皮肉な景色である。

 大金持ちが家に選ぶほどにまで美しかったという景色が、たったの一日で様変わりしてしまったのだから。


 一応、西館と本館の方はかなり原形を保っている。

 犯人がこちらにはガソリンを撒かなかったために、多少の飛び火を除けば被害は抑えられたのだ。

 それでも、本館やメインホールは外から見ても分かるくらいに煤だらけとなっていて、とても人が住む場所とは言えなくなっていたが。


「テレビのニュースでもやってましたよ。これが現場の風景ですって感じで……ヘリ、飛んでたんですね、気が付かなかったですけど」

「やってたな。消火中の雲雀邸の様子……今も、マスコミの数は多そうだ」


 言いながら、夏美はチラリと斜め後方を見やる。

 そこには、「keep out」のテープギリギリまで体を押し込んで、写真やらカメラやらを回しているマスコミ関係者の姿があった。


 言うまでも無く、この場所に起こった事件を取材しに来た人たちである。

 静かな森の屋敷で起きた連続殺人というのは、世間の耳目を集めるには十分だったらしく、昨日からずっとこの様子のようだった。


「でもちょっと不思議な光景ですね、こういうの……『関係者以外立ち入り禁止』の区間の内側から、外を見るなんて」


 マスコミ関係者の顔を見ながら、紫苑はボソリとそんなことを言う。

 すると、同意するようにして夏美は頷いてくれた。


 今、紫苑たちが立っている場所────昨日約束した捜査会議の集合場所というのは、まさに外野の人間とは一線を画した場所にある。

 はっきり言えば、封鎖された雲雀邸の中、捜査現場こそが集合場所だった。

 朝に呼び出された時点で、紫苑は夏美にここに来るように言われたのである。


 無論、許可なく立ち入っている訳では無い。

 これも立派な、市民の義務という奴である。

 より正確に言えば、警察に一緒に現場を確認して欲しいと頼まれたから、ついでにそこで捜査会議もやろう、と言われたのだ。


「まだ来ないんですかね、茶木刑事と巌刑事?」


 ふと気になって、紫苑は彼女たちの担当刑事、すなわちここへ彼女たちを呼んだ二人の名を上げてみる。

 すると、夏美が「忙しいんだろ」と素っ気なく返した。


「元々あの二人、仇川の事件の捜査本部に居た人間だからな。この事件には無理矢理巻き込まれたというか、私たちの知り合いということでいつの間にか組み込まれたようなものだ。何かと忙しくなっているんじゃないか?」

「そうかもしれませんね……」


 苦労掛けるなあ、と改めて紫苑は同情する。

 紫苑たちは土曜日にたっぷり寝ることが出来たが、恐らく彼らはそれすら出来ておらず、あの金曜日の夜からぶっ続けで捜査をしているのではないだろうか。


 ──将来、何の職業を選ぶにしても、絶対に刑事にはなりたくないですね……忙しすぎます。


 つい、紫苑はそんなことを考える。

 今も頑張っている警察の人々には、何となく申し訳ないが。


「因みに、白雪部長もまだなんですかね?あの人も呼ばれているんじゃ……」

「そっちは先に連絡があった。何でも、警察病院に寄ってくるらしい」

「あー、それは……葵さんの?」

「だろうな。見舞いに行くんだろう。今の葵さんには、見舞いに来てくれる家族すら居ないんだから」


 ──そうですね……本当に、救いの無い。


 どうしたって入院中の葵の心情を想像し、紫苑は痛まし気な顔をしてしまう。

 だが、すぐに首を振ってそれを振り払った。


 悲しみも、苦しみも、一番の被害者である葵が感じているはずの感情だ。

 ここで自分が一人、彼女を憐れんでいても仕方が無い。

 以前言っていたように、彼女のためを思うなら、早く事件を解決するしかないのだ。


 そう考えて、紫苑は密かによし、と気合を入れる。

 すると、紫苑の想いに呼応したように、背後から声がかかった。


「おーい……待たせてすまない、二人とも」

「ちょっと、一緒に現場検証して欲しいっス……調書作んないといけないんでー」


 顔を見ずとも、声だけで分かる。

 これまた一日振りの、いつもの二人のようだった。


「さて、捜査会議の続きに参るとするか……」


 刑事たちの声を聞きながら、夏美はそれだけ言って歩きだす。

 無論、紫苑もついていった。

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