無口な犯人の即答
「犯人が、分かる……?」
流石に驚いたように、巌刑事が目を見張った。
一方、紫苑や白雪はそこまで動揺せずに話を聞き続ける。
何というか、夏美なら確かにそのくらい分かっていそうだな、と思ったのだ。
「……誰なんです、犯人?」
「そこを言う前に、今言った疑問を振り返ろうか。何故、犯人は幸三氏を人質に取らなかったのか……そうした方が、逃げるにせよ後で殺すにせよ、楽になるのは分かり切っていただろうに」
言われて、紫苑はまあ確かに、と思う。
あの時の犯人は、せっかく幸三氏を抱えるような体勢になっていたにも関わらず、そのことでこちらを脅してくるようなことは無かった。
何なら、速攻で幸三氏の体を放り出して、戦いを挑んできたくらいである。
仮にあの場で幸三氏を人質に取られていたのであれば、紫苑もその剣技も十分には発揮出来なかったはずだ。
いや、そもそも────。
「というか私、事件を通して犯人の声を一言も聞いていないような……せいぜい、戦っている時の息遣いくらいで」
夏美の指摘に引きずられるように自覚した疑問点を、紫苑はふっと口に出す。
途端、夏美が「それだ!」と紫苑を指さした。
「紫苑の話を聞く限り、この犯人は異様に無口……というより、声を出さないように努力している節がある。だからこそ、幸三氏を人質に取るための『動くな』というような声すら出せなかったんじゃないか……私はそう思う」
「でもそれ、意味あるんスか?そりゃあまあ、犯人としては声質だけでも目撃者には知られたくなかったのかもしれませんけど、人質のメリットを捨てる程のことじゃ……」
「その通り。逆に言えば、そうまでしなければならないくらい、犯人にとって発声という行為は論外だった、ということだ」
茶木刑事からの疑問に、夏美は深々と頷く。
段々テンションが上がってきたのか、刑事相手にすらタメ口だった。
その口調のまま、夏美は自身の疑問に答えを与えた。
「ならば、そうせざるを得ない理由とは何か?考えられるパターンは、二つ。一つは、病気や外傷によってそもそも発声が出来ない人物が犯人である場合。そして、もう一つが……」
「……紫苑ちゃんから見て、知っている人が犯人の正体だった場合。少なくとも、犯人は紫苑ちゃんに声を覚えられているかもしれない立場だった。だからこそ、正体発覚を恐れて口を開けなかった」
推理の後半を引き取ったのは、白雪だった。
事情聴取中も手放さなかった愛用の扇子をパチン、と閉じた彼女は、真剣な顔で自説を述べる。
夏美はそのことに何も言わなかったが、代わりにコクン、と一つ頷いた。
「え、つまり……あの犯人、私の知り合いってことですか!?私はどこかで、声は聴いていると!?」
「そういうことだ。犯人が声を出さなかった以上、必然的にそういうことになる」
「でも、あんなことを起こす知り合いなんて……」
一気に混乱することになった紫苑は、そこで呆然と頭を抱えた。
そんないきなり知り合いだの何だの言われても、脳が受け止めきれない。
だが一切止まることなく、夏美は推理を続ける。
「さて、ではその知り合いとは誰か?これは事件の概要を掴めば分かる。要するに、紫苑が出会ったことがあって、なおかつ雲雀幸三と雲雀禄郎が死ぬことで最も得をする人物ってことなんだからな」
「その二人が死ぬことで、最も得をする人物……」
「ここまで言えば、何となく分かるだろう?」
そう告げて、夏美はこの空間に居るメンバーをじっと見つめた。
瞬間、恐らくは全員が同時に、同じ存在を脳裏に浮かべる。
先程、この事件での一番の被害者は葵だと述べたが、その逆を考えれば良いのだから、想起するのは簡単だったのだ。
「……犯人は、雲雀大吾か」
「その通り。流石に巌刑事は分かっていますね」
「フン、雲雀家における事件の生き残りが二人しかおらず、なおかつ雲雀葵の方はずっと屋敷の外に居たというのなら、消去法で彼が犯人になるのは自明の理だ。そもそも、東館で寝ていながらあそこまで火が広がるまで火事に気が付いていない時点で、警察としても怪しんでいた」
「……ちょ、ちょっと待ってください」
何やら通じ合った様子で話し合う夏美と巌刑事の会話に立ち入るようにして、紫苑は待ったをかける。
何だ、と振り返った夏美を前に、紫苑はつっかえつっかえ反論を述べた。
「いや、あの、本当に……本当に、あの人が犯人なんですか!?」
「何だ、雲雀幸三と雲雀禄郎が死ねば、あの人物が一番得をするというのが疑問か?」
「いえ、それは何となく分かります……遺産の問題があるから、ということでしょう?」
パーティーの中で、白雪から既に聞いていたことだった。
雲雀家にとって二人の叔父は厄介な存在で、遺産相続において揉めているのだ、と。
本来、叔父たちはそれぞれの過失からほぼ絶縁状態にあった。
遺言状には一円も遺産はやらないと書かれ、白雪たちの言っていた遺留分を根拠とした訴訟を起こしても、貰えるのは法律で保障された最低限の額だけだろう。
その訴訟だって、正当な相続人である葵が腕の良い弁護士などを雇えばどうなるかは分からない、というのが実情だったはずだ。
しかし今、雲雀家はもう葵と彼しか残っていない。
弟が居なくなったことで彼が貰える遺産の割合は増えている上、相続人の葵自身、とても無事とは言えない状態である。
どこかで白雪が言っていたが、この状況に付け込んで彼が葵の後見人のような立場になってしまえば────遺産の全てを自由にすることだって、夢ではない。
葵の受け継いだ遺産すら、後見人の立場を利用して使用できるのだから。
「だからと言って殺人までするか、という気もしますけど……動機自体は、まあ分かります。でも、彼が犯人だと考えると……」
「幸三さんが亡くなった時の状況が変になってしまう。そういうことね、紫苑ちゃん」
これまた、白雪が紫苑の言葉を引き取った。
言いたいことを代弁された気持ちで、紫苑はブンブンと頷く。
「犯人に幸三さんが殺された時、彼は私のすぐ背後に居ました。すぐに、犯人の姿が見て怯えて逃げましたけど……ああいった状況になっていた以上、彼が犯人であることは有り得ません。だって、雲雀大吾が犯人だったなら、あのナイフを持った人物は誰だってことになるじゃないですか」
「実は共犯が居た、というのはどうっスかね。王道と言えば王道なやり方っスけど。莫大な遺産が手に入るのなら、報酬も弾むでしょうし」
図らずも大吾のアリバイを証明するような形になった紫苑の言葉を受けて、茶木刑事は有り得そうな仮説を挙げた。
すると今度は、巌刑事が難しそうな顔をする。
「いや、それはどうだろうな……話によれば、現在の雲雀大吾は大して裕福な暮らしはしていないんだろう?無論、ここからはかなりの報酬が見込める訳だが……後払いで雇った協力者が、あそこまでしてくれるだろうか?本当に支払われるかも分からないだろうに」
「前払い出来るだけの資金力が無いなら、殺人までこなしてくれるような共犯者の存在は考えにくい、ということっスか?」
「無いとは言わんが……」
どうもしっくりこない、と言いたげに巌刑事が首を捻った。
そうして段々と混迷してきた議論を前に、夏美がホワイトボードをコンコン、と叩く。
「……私も別に、雲雀大吾で犯人であれば全ての謎を説明出来る、と言いたい訳じゃない。幸三氏が死んだ時の状況は、私もまだ謎だ……だがとりあえず、彼が犯人だと仮定して考えてみたい」
そう言いながら、夏美はホワイトボードの横の方に大きく「IF」と書いた。
ここでの議論は、もしも彼が犯人だったらという仮定に基づく記述だ、という意味らしい。
「先程皆さんが挙げた疑問点は、大きく四つ。これらのそれぞれを一旦、雲雀大吾が犯人だとして推敲してみよう」
「さっきの疑問を?」
「ああ。彼が犯人なら、この謎はすぐに解ける、というのが幾つかあるからな」
言われた途端、全員の視線が先程の会話を残したままのホワイトボードに集中する。
自然と、言った当人がそれぞれを検証する形となった。
「正体、は大吾さんとして考えるからまあ良いとして……これに関しては、失礼だけど納得がいく話ね。仮に外部犯やパーティーの参加者が犯人なら、そもそもお屋敷に侵入したり、ガソリンを撒いたりするのが大変だもの。内部の者の犯行だとした方が、頷ける点が多いわ」
「動機については、さっき言った遺産の件で確定っスね。コソ泥みたいなことをしなかったのも、いずれそう言った財産は自分の物になると分かっていたから……まあ屋敷は燃えているんで、真の狙いは銀行の預金だとか、貸金庫にでも保管してある株券だとかになるんでしょうけど」
「放火を手段として選んだ理由は、彼を犯人と考えてもまだ不明ですね……何故、ただ殺すだけでは駄目だったのか。何か、そうでもしないとうまくいかない事情があったのか……」
三人がめいめいでそう言うと、経緯を考えていたらしい巌刑事が、「あっ」と声を漏らした。
そして、何かを閃いたような顔をする。
「……そうか、分かったぞ。確かに雲雀大吾を犯人だとすると、スッキリする点がある」
「何か思いつきましたか、巌刑事」
「ああ。君たちが狙われなかった理由と、雲雀幸三をわざわざ連れ去った理由についてだ。これについては、彼が犯人だからこそ起きたことなんだ、恐らくな」
オホン、と彼は咳払いをし、グビグビと置いてあった紅茶を飲む。
そして、すらすらと自身の推理を述べた。
「まず、雲雀家の人間ばかりが襲われて、君たちから殺されなかった理由は簡単だ。単純に、君たちを殺しても遺産の量が増える訳ではないからだろう」
「ああ、そっか。そう言えばそうですね。犯人としては、別に死のうが生きようが……」
「君が途中で床の崩落に巻き込まれ、大きな隙を晒しても、犯人からの追撃が来なかったのもそれが理由だろう。強いて殺す気は無かったんだ」
なるほど、と紫苑はまた頷く。
確かに、紫苑に対する犯人の態度は振り返ってみれば中途半端だった。
最初にナイフで強襲した割に、あっさりと見逃してどこかに逃げるなど、妙な行動を繰り返している。
その辺りの理由は、この動機故らしい。
「そして、逆に幸三氏は何が何でも殺さなければならない存在だった。彼が死なないと、遺産どころじゃないからな……そう考えてみると、彼が殺された瞬間に偶々雲雀大吾が立ち会ったというのは、どうにも出来すぎな気がする」
「……どういうことっスか?」
「つまりだ、ナイフを持ったそのレインコートの男は、雲雀大吾の到着を待っていたんだよ。雲雀大吾と他の誰かが一緒に居る状況で、目の前で幸三氏を殺せば、雲雀大吾には完璧なアリバイが出来るからな」
そういうことだろう、と言いながら巌刑事は夏美の方を見る。
すると、彼女はその場でパチパチと拍手をした。
「流石は警察。私もそう思います。実際に幸三氏を殺した『レインコートの男』の正体が何であれ、あの場面はトリックの一環であったのではないかと」
「ええっと、つまり……私は今回、その犯人のトリックに巻き込まれたってことですか?雲雀大吾のアリバイを証明するための目撃者役として、あそこまで連れてこられたと?」
「そうなるな。身内ではない、第三者に証言をしてもらいたかったんだろう。廊下で犯人がお前を殺さなかったのも、そう言った目撃者役になってもらうことを期待していたのかもしれない」
「でもそれって……有り得るんですか?」
今一つ納得がいくようないかないような、という心境で紫苑は問い直す。
仮にあの場で、紫苑と雲雀大吾の目の前で幸三氏を殺すことが計画の内だったというのなら、少々その過程が杜撰な気がしたのだ。
例えば、犯人との攻防の中で、一時は紫苑は犯人を倒す寸前までいった。
しかし、床が崩落したせいで取り逃がしたのである。
犯人は綿密な計画を練っていたというのであれば、あの場で負けかけていたのは何なのだろう、という気がする。
あそこで犯人が負けていたら、トリックも何も無かったと思うのだが。
もっと言うなら、東館二階に紫苑が行ったのだってかなりの部分を偶然に支配されていたのが実情だ。
例えば紫苑が二階に行かずに夏美が向かうことも有り得たし、そもそもにして火事の勢いに恐れをなして二人とも逃げ出してしまう、という判断だって有り得ただろう。
犯人は、一体紫苑たちの何を信じて、目の前で殺せるように待っていたというのか。
「まあ、細かいところは私もまだ分かっていない。そもそもにして、全てが犯人の計画通りに行ったかどうかすら分からないしな。もしかすると今私たちが目にしているこの結果すら、いくつかは犯人たちとしても想定外だったのかもしれない……」
ブツブツ言いながら、夏美は不意に時計を見やる。
そして何かを見つけたかのように、ポツリと「長い夜だったな」と呟いた。
釣られて、その場に居る全員が時計を見る。
気が付けば、そこの時計は午前六時を示していた。
いつの間にか、長すぎた夜は明けていたようである。