即席捜査会議
「いや、本当にすまない。前回のことがあったから、君たちに対しては私たちで取り調べをしたいと上に言っていてね。結果的に、君たちへの拘束時間が長くなってしまった」
流れるように説明しながら、大人らしく巌刑事は先に謝った。
彼の様子を見て、紫苑は警察が自分たちに配慮してくれていることを察する。
恐らくだが、陰惨な事件に立ち会った当事者として、せめて顔見知りに取り調べをさせようという心遣いがあったのだろう。
故に、まだ朝にすらなっていないというのにこの刑事たちは叩き起こされたのか。
そう考えると、少し申し訳ないことをしたかもしれません、などと紫苑は考える。
「いえ、私たちは大丈夫です……今から取り調べですか?」
「そうなるな。火事はあと一頑張りで消えそうだが、ここで長話もなんだろう。署まで来てもらうことにはなるが、良いかな?」
紫苑が受け答えをすると、巌刑事がそんなことを言ってくる。
どうやら本当に、彼らは目撃者たる紫苑たちを迎えに来るためだけに映玖署からここまで来たようだった。
ある意味、警察がこの事件を重視している証左と言えた。
「私は大丈夫ですが……紫苑と白雪部長は?」
「お寺の方には、元々泊まってくると言っているもの。大丈夫よ」
「あ、私も……徹夜にはなっちゃいそうですけど」
代表して答えた夏美からの確認に、紫苑と白雪はめいめいそう答える。
すると、ほっとしたように茶木刑事が安堵の表情を浮かべたのが分かった。
彼らとしても、ここでゴネられて後日迎えに行く、ということになるのは嫌だったのか。
「じゃあ、俺が運転しますんで、署に着くまで後部座席で休んでくださいっス……ああそれと、氷川紫苑さん」
「はい?」
「警視庁の氷川刑事には、もう連絡しているんで。お疲れって言ってましたよ」
──あ、そうですか……。
深夜のこの時刻でも普通に起きている父の忙しさと、信頼されているんだか放任されているんだかよく分からない声掛けを前に、紫苑は何とも言えない顔になる。
強いて出てくるものと言えば、あの人はいつもこうだなあ、というため息一つ。
夏美と白雪に興味深そうな顔で見られながら、紫苑たちは映玖署に向かうのだった。
そこから起きたことは、まあドラマなどでよく見る流れだった。
要は、全員で映玖署の一室に籠り、そのまま事件の経過を放していく作業である。
何せ起きたことが起きたことなので、随分と時間がかかる作業だった。
尤も、警察としても負担を強いていることへの配慮がしてあったらしい。
話をする部屋は所謂取調室ではなく、柔らかなソファなどがある休憩スペース的な場所だったし、体力を考慮してか適宜休憩が挟み込まれた。
茶木刑事など、夏美の「ケーキの一つでも出たらテンション上がりますね」などという戯言を信じて、この夜中に本当にケーキを買いに走っていたくらいである。
何にせよ、取り調べというのは続けていればいつか終わる。
時に摸造刀の所持を暗にツッコまれ、時に犯人との攻防を軽く再現しながらも、紫苑たちの取り調べは夜明け前には終わることが出来た。
全てを聞き終わった巌刑事が呻き声を漏らしたのは、その後のことである。
「しかし、前回の事件に関わった君たちだからこそ言うが……不可思議な話だなあ、これは。放火だけでも大事件だというのに、真夜中に屋敷に突如として現れた犯人。しかも行方は分からず、か」
恐らく、殆ど無意識の発言だったのだろう。
捜査にご協力ありがとうございました、と刑事として礼を述べた後、巌刑事はぼやくようにそんなことを言った。
本心から、訳が分からない、とでも言いたげに。
「……警察も、大変ですね。前回の花木甚弥の事件だってまだ解決していないでしょうに。それが終わる前に、これですか」
彼の言葉を受けて、どことなく同情的なことを述べたのは夏美である。
お前は巌刑事の上司か、とツッコみたくなるほど悠然とした態度で、彼女は淹れてもらったコーヒーをゴクゴク飲んでいた。
口調的には警察を心配しているようだが、どうにも態度が偉そうではある。
それでも刑事たちはやはり大人で、特に咎めることなく話が続いた。
「ほんとっスよ。いくらここが東京の端くれと言ったって、殺人なんてそんなポンポン起きることじゃないのに……しかも犯人が山に逃げたままとか、また世間に叩かれる気しかしないっス」
「あらあら。大変ですね……」
うんうん、と頷いたのは茶木刑事だ。
さらに同情染みた反応を示したのが、白雪となる。
長時間の取り調べが終わったことによる疲労感とある種の達成感のせいか、場の雰囲気は弛緩しており、めいめいが思ったことを適当に口走っているような状況になっていた。
恐らく本来なら、警察がこんな愚痴を事件関係者に言うのは言語道断なのだろうが、それすらも許容されてしまうような雰囲気がこの場にはある。
普段は茶木刑事を指導するような振る舞いを見せる巌刑事すら、止めようとはしなかった。
「……犯人、まだ山の方から見つかってはいないんですか?あと、雲雀大吾さんも」
その雰囲気を利用して、紫苑は気になっていたことを問いかける。
今なら、教えてくれるかもしれないと思ったのだ。
「ええっと、犯人の方は続報はナシっスね。今のところ、痕跡は無いって。まあ、夜ってこともあるし、あの辺りの山は碌に整備されてないし……捜索班としても、朝になってからが本番って感じなんじゃないっスか。朝になったら山狩りも出来るし、ヘリもガンガン飛ばせる」
案の定、茶木刑事が捜査情報の一部を零してくれた。
続いて、補足のつもりなのか巌刑事もそれに乗る。
「雲雀大吾の方は、既に警察に保護されているな。時間的には、君たちが映玖署に移った頃だ」
「あれ、そうなんですか!?」
「ああ。警察が現場に向かって少し経った頃、火災現場近くで保護された。犯人を恐れて逃げ回るあまり、犯人が来なさそうな燃える屋敷の近くを離れられなかったらしい」
そう言いながら、巌刑事が苦笑いを浮かべた。
彼の表情は明らかに、「彼も災難だったな」と言っている。
「今のところは、逃げようと走り回った際に出来た怪我の治療のため、警察病院に送られたところだ。その治療や検査が終わってから、彼の話も聞く形になるな」
「そっか、ライトも無しに山の中走っていたから……怪我をしているんですね」
「と言っても、軽いらしいっスよ。目立つのは転んで出来た擦り傷と、打ち身くらいだって」
なるほど、と紫苑は頷く。
とりあえずのところ、逃げ回った末に犯人と遭遇したということも無いし、大怪我をしたということでも無いらしい。
一応は、安心と言えた。
「ああ、それと火事の方も、少し前に無事鎮火したようだ。大規模な山火事一歩手前にまで行っていたそうだが、もう安心して良い」
「ああ、消火出来たんですね」
「尤も、被害は大きかったがな。出火場所の近く……屋敷の東館だったか。そちらはほぼ全焼だ。中から雲雀禄郎の遺体も回収されたが、こちらもほぼ焼失していた。骨と皮しか残っていないと言っても過言じゃない」
──そんなに……。
最初にお屋敷の威容を見た物として、紫苑は表情を曇らせる。
確かに、二階で戦っている最中に床が崩れるくらいだから、生半可な規模の火事では無かったのは分かっていたが、それでもあれだけ広かった東館が丸ごと焼けてしまったと聞かされると、改めてその被害が分かる気がした。
犯人は何を考えて、そこまでのガソリンを撒いたのだろうか。
「あの……葵さんは、どうしていますか?救急車で運ばれて以来、会えていないのですが」
続けて心配そうに口にしたのは、白雪だった。
どうやら、ずっと気にしていたらしい。
言われて巌刑事も思い出したのか、慌てて報告をしてくれる。
「彼女も大丈夫だ。基本、ただの貧血だからな。まだ若い彼女としては、今回の事件はショックだったんだろう」
「でしょうね。叔父が死亡し、屋敷は燃やされ……もう知らされたかは知りませんが、育ててくれた祖父も死んだんですから」
痛まし気に受け答えをした夏美の話を聞いて、紫苑は釣られるように沈痛な表情を浮かべてしまった。
こうして振り返ってみると、葵にとって大切な物が、今回の事件で一辺に消えたことになる。
勿論、もう一人の叔父である大吾は生きているが、彼の場合は雲雀家から元々絶縁状態で、恐らくは葵とも大して親しくはない。
そう言う意味では、彼女は殆ど天涯孤独になったようなものだった。
生き残った者たちの中で一番被害を受けた者は、間違いなく彼女だろう。
「……刑事さん」
「何だい、白雪君?」
「可能であれば……葵さんへの事情聴取は、少しでも彼女にとって負荷がかからない形にしてください。状況的には、私たちと同じことしか知らないんですから」
たまらなくなったのか、白雪はそこでペコリと頭を下げる。
聞き入れられるとは思っていないだろうが──警察としては、相手がどれだけ傷ついていようがどこかで取り調べはしないといけないのだと、白雪とて理解している──それでも言わざるを得なかったのだろう。
巌刑事もその心境には察しがついていたらしく、「努力しよう」と重々しく頷いていた。
そう言った会話を追えると、何となく場の雰囲気が湿っぽくなる。
各自が、生き残った者たちの心境を想像してしまったのだろうか。
しかしそのままではいられなかったらしく、やがてその空気をぶった切るようにして夏美が声を挙げた。
「……そう言う意味でも、今回の事件の疑問点をざっと洗い出してみよう。早いこと私たちが真相を掴めば、葵さんだってその分負担が減るんだからな」
何かを振り切ったように唐突にそんなことを言うと、彼女は茶木刑事に買わせた紅茶をゴクリと飲み干し、さらにおもむろに立ち上がる。。
そして彼女は部屋の片隅までスタスタと進むと、元からそこに置いてあったホワイトボードをガラガラと引きずってきた。
「紫苑、お前とやっていた車の中での推理、途中になっていただろう?せっかく刑事が居るんだから、ここで続き、やってしまおう」
「え、続けるんですか?」
「ああ、こう言うのは時間を置かない方が良いアイデアが出ることがある。昔から、『鉄は熱いうちに食え』って言うだろ?」
「……『鉄は熱いうちに打て』、じゃないか?いやまあ、この部屋の使用許可は長めにとってあるから、君たちが勝手に話し合う分には別に構わないが」
妙なことを口走る夏美を前に、巌刑事がツッコミを入れる。
それをさらりとスルーしながら、夏美はホワイトボードに備え付けられたマジックを取り出し、天辺に大きく「雲雀邸放火殺人事件・捜査会議」と書いた。
その文字が提示された瞬間、部屋の雰囲気は一変した。
夏美に引きずられたようにして、室内に居る者たちがめいめい真剣な顔に変わっていく。
この辺りは、松原夏美の天賦の才と言えるだろう。
彼女は基本、本来なら彼女に協力する義務の無い他人相手であっても、無理矢理にでも巻き込んでやる気にさせるのが異様に上手い。。
それを自覚しているのかいないのか、彼女はハキハキと喋り出した。
「さっき巌刑事が言っていたが、現状事件のことは分からないことばかりだ。何というか、犯人が次々と繰り出すことに対処している内に事件が終わってしまった感じすらある」
「まあ、そうですね……」
「だから、ここで一旦立ち止まろう。そもそもにして、私たちが今分かっていないのは何か……?」
言いながら、夏美はぐるりと室内を見渡した。
見つめられたメンバーは、どうやら疑問点を言って欲しいということらしいな、とそれぞれで察する。
結果として、刑事も交えたメンバー四名は、ポツポツと分かっていない点を列挙していった。
「ええっと、まず……当然ながら、犯人の正体が分かっていないわ。果たして雲雀家に関係ある人間なのか、それとも完全な外部犯なのか。今回のパーティーに参加していた客が帰宅せずに屋敷内に潜んでいた、なんて可能性もあるけど」
「それに、普通に動機も不明っス。話を聞く限りでは、犯人はせっかくお金持ちの屋敷に忍び込んだのに、特に金や宝石を盗むようなことなく逃げ去っている……つまり、放火殺人だけが目的ってことになる。どうして、そこまでのことがしたかったのか」
「そもそも、放火する理由も良く分からなくありません?ただ人を殺したいだけなら、屋敷に忍び込んで眠っている人たちを順々に殺していけばいいはず……どうして、ガソリンを撒いてまで火を放つ必要があったんでしょうか」
「さらに言うなら、その殺人だって経緯が不可解だ。雲雀禄郎のことは最初にあっさりと殺しているのに、雲雀幸三はすぐには殺さず、わざわざ抱えて逃げている。かと思えば、山に入った瞬間に思い出したように殺しているし……生かしたいのか殺したいのか、どちらなんだ?雲雀家の人間ばかり殺されて、同じく屋敷に居た君たちが特に狙われていないのも気になる」
白雪、茶木刑事、紫苑、巌刑事の順に疑問を挙げていくと、夏美はそれらをさらさらとホワイトボードに埋めていく。
それを終えてから、彼女は自分の意見を述べた。
「皆さんの意見、実に御尤も。ただ、実を言えば私は、また別の点に疑問を抱いているんです」
「へえ、どんなのっスか?」
「いえ、シンプルな話ですよ……そこの紫苑が、犯人と戦ってくれたから抱けた疑問点です」
ピシッと夏美は紫苑を指さす。
無論、「え、私ですか?」と紫苑の頭は疑問に包まれた。
しかしそれを無視して、夏美は彼女が一番気にしているという疑問点を挙げた。
「犯人は、紫苑と戦った時……何故、幸三氏を人質に取らなかったんでしょうか?わざわざ彼を確保していながら、犯人は『一歩でも動けばこの人を殺す』というようなことを一言も口にしていない。この点を突き詰めれば、今回の事件の犯人は分かると思うんです」