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生死の境界を決める音

「なっ……」


 目の前の光景が信じられず、紫苑は正しく絶句する。

 後方で燃え盛る火災の炎が、幸三氏の首より吹き出る血を淡く映し出しても、尚受け入れがたかった。


 近くの木が生やす葉に、パタタ、と血の雫が落ちる。

 うつらうつらとしていた幸三氏が、流石にこればかりは目を見開いて、パクパクと口を動かす。

 そこまで来てようやく、紫苑にも何が起こり、何が終わったのか分かった気がした。


「……とっ……父さん!?」


 最初の悲鳴は、紫苑ではなく、紫苑の背後から聞こえてくる。

 一瞬だけ振り返って、紫苑はいつの間にか大吾が近くまで来ていたことを確認した。

 どうやら、紫苑の後を追いかけてきていたらしい。


「……っ、下がって!」


 反射的に、そんなことを口に出す。

 今、目の前に居るのは人殺しを躊躇わない凶悪犯だ。

 大吾に戦闘経験があるかどうかは知らないが、近づかせないに越したことは無い。


 だが、結果から言えばそれは言わなくても良い言葉だった。

 何故かと言えば、直後に彼は悲鳴を上げながらどこぞに逃げ去ったからである。


 あっという間に彼は闇雲に走り回り、すぐに見えなくなる。

 情けないと言えば情けないが、常人の反応と言えた。


 ──でも私は、逃げられない……!


 消えた者のことは頭から消し、紫苑はバクバクと暴れる心臓を抑えながら、摸造刀を握り直す。

 さしもの紫苑も、目の前で人が喉を掻っ切られる様子を見るというのは、精神的な衝撃の大きいことではあった。


 だが、だからと言って呆けてはいられない。

 目の前の人物は、雲雀禄郎を殺し、幸三氏の首を切った。

 ここで動きを止めてしまえば、次に殺されるのは紫苑である。


 ──でも、どう動く?こっちから仕掛けるべきか、それとも……。


 ジリリ、と紫苑は足踏みをする。

 山道ということもあって、この場は足場が悪い上に斜面となっていた。


 つまりここでは、全ての剣術の起点となる足の踏み込みが難しい。

 しかも夜闇のせいで周囲は薄暗く、下手に動けばどうなるか分からなかった。


 いくら紫苑が剣の腕が立つと言っても、こうも環境が悪ければ迂闊に動けない。

 故に、どうしたって動きは鈍くなり────結果から言えば、これもまた隙となった。


 ほんの一瞬、紫苑が次の一手を迷った瞬間。

 犯人が動く。

 抱え込んだ幸三氏の体を、まるで米俵でも担ぐかのように肩に載せたのである。


「えっ……」


 予想外の行動に、紫苑は思わず言葉を漏らす。

 だがそれに続いた行動は、さらに予想外の物だった。

 犯人は未だに首から血を流す幸三氏を、()()()のである。


 ポーン、と。

 形としては、ハンマー投げの要領で。

 余程の膂力で投げられたのか、幸三氏の体はそれなりに離れた斜面に落下し、やがてゴロゴロと重力に従って転がっていく。


「……幸三さん!」


 今度は、迷わず行動出来た。

 犯人に注意しながらも、紫苑はその場で飛んで、幸三氏の方に駆けよる。

 先程の様子からして、まだ生きているのではないか、と期待したのだ。


 首をナイフで切られるというのは、勿論致命傷になり得ることではあるのだが、百パーセント死ぬ訳ではない。

 初期の段階で止血と対処が出来たのであれば、助かる可能性も無いではないだろう。

 それを知っていたが故に、紫苑としてはそちらを優先せざるを得なかった。


 無論、紫苑の行動は犯人側としては大きなチャンスである。

 程なくして、犯人がより山奥へと消えていくのが分かった。

 懐中電灯が消えていた都合上、すぐに紫苑にもどこに居るのか分からなくなる。


 それを不安に思いながらも、紫苑は首を振って躊躇いを追い出した。

 今はただ、生きているかもしれない人間の方を優先したかっったのだ。


「……幸三さん!しっかりしてください!」


 火災が照らす斜面の様子だけを頼りに、紫苑は山肌を滑り降りる。

 そのまま泥だらけになった幸三氏の体を見つけ、すぐさま抱きかかえた。

 しかし、先だっての望みに反して、紫苑は一目見た瞬間にとあることを察してしまう


 ──これは……出血が思っていたよりも酷い。傷口に砂利も入ってる。これは、もう……。


 幸三氏の状態は、遠目で見た限りのそれよりも遥かに酷かった。

 喉の傷は予想よりも深く、転がってきた斜面が血液で染まっている。

 しかも泥やら葉っぱやらのせいで体全体が傷だらけになっており、一目見ただけではどこが傷でどこが汚れなのか分からないレベルで損傷していた。


 一応、つい先ほどまでは生きていたということもあって、触った感触は冷たいというほどでは無い。

 しかし、それがただの生前の余熱に過ぎないということは紫苑にも分かっていた。

 今こうしている間も着々と冷えようとしている上に、なにより────脈がもう、感じられない。


「……間に合わなかったっ……!」


 認めたくは無かったが、ただそう呟いてしまう。

 そして、紫苑は思わず目を伏せた。

 見開かれたままの幸三氏の目が、まるで自分を責めているかのように見えたがために。






 ……結果から、言えば。

 警察が到着したのは、それからすぐのことだった。


 時間だけを参考にすると、紫苑が幸三氏の死体を抱きかかえた直後には、もうパトカーが屋敷の前にまで来ていた形になる。

 最初に庭に脱出した時点で葵と白雪が通報をしていたので、迅速に駆けつけてきていたのだ。


 そう言う意味でも、一連の事件はほんのタッチの差で起きてしまったことだった。

 仮にあと五分、通報する時間が早かったなら、また運命は変わっていたかもしれない。

 尤もこれは、後から言えることでしかないのだが。


 そうして、警察が駆け付けてすぐ。

 幸三氏の死体を抱きかかえた紫苑は、警察に保護された。


 血塗れの死体を前に、同じく血塗れ──抱きかかえた時にどうしてもそうなった──の女子高生が佇んでいるというのは、中々に衝撃的な絵面だったらしい。

 駆け付けた警官が絶句しているのを、紫苑はぼんやりと眺める羽目になった。


 雲雀幸三の死亡確認は、ほどなくして行われたと記録されている。

 それと同時に、紫苑たちの立場は「パーティー参加者」から、「事件の当事者/死体の第一発見者」に変化した。


 だから、という訳でも無いのだろうが。

 血塗れのパジャマから、警察が用意してくれたジャージに何とか着替えた紫苑が夏美たちと再会した場所は、パトカーの後部座席という何とも物騒な場所となった。






「紫苑!……無事だったか!」


 警察官の誘導で紫苑がパトカーの扉を開けると、先んじて乗り込んでた夏美がガバッ、と身を乗り出す。

 ああ、心配させていたんだな、とまるで他人事のように紫苑は彼女の様子を見ていた。

 また、彼女の奥に白雪も似たような顔をして待っていることに気が付く。


「……葵さんは、どうしたんですか?」


 純粋に疑問に思って、紫苑は最初にそれを聞いた。

 夏美の言葉への返答にはなっていなかったが、気になったのだからしょうがない。

 白雪もそれが分かっていたのか、すらすらと説明してくれる。


「葵さんは、救急車の方に居るわ。さっき、倒れちゃったから……」

「倒れたっていうのは……」

「私が合流した時、雲雀禄郎が亡くなっていたらしいことを知らせてしまったからな。しかも目の前では生まれ育った屋敷が燃えていたんだから……まあ、ショックだったんだろう」


 やや後悔しているらしい言い方で、夏美から補足が入る。

 確かに、あの優し気な令嬢には無理のないことだと思った。

 同じ状況に追い込まれて、精神的に一切の変調が無い人間の方が少ないだろう。


 ──でも葵さん、目覚めたらさらに知るんですよね……お祖父さんも殺されたんだってことを。


 連想するようにして、そんな思考が頭をよぎる。

 途端に、紫苑の喉に酸っぱいものがこみ上げてきた気がした。


 眼前で首を掻っ切られ、さらに山肌に捨てられ、血を流しながら転がり落ちていった幸三氏の姿は未だに記憶に生々しく残っている。

 何も出来なかったという無力感もあって、それは複雑すぎる感情を紫苑にもたらしていた。

 まだ、全然心の整理が出来ていない。


「ご……」


 何か、紫苑は口にしようとする。

 ごめんなさい、と口にしたかったのか。

 どこかしらに対して、謝罪をすることで楽になりたかったのかもしれない。


 しかし────それを言い終わる前に、紫苑はふわりとした感触に包まれた。

 簡単に言えば、突然抱きしめられたのだ。


 ──え……。


 吐き気も忘れて、紫苑は思わず上を見る。

 するとそこには、酷く珍しい、優しい目をした夏美の顔があった。

 彼女が抱きしめてくれたのだ、ということに気が付いたのはそれからである。


「……最初に謝っておく」


 耳元に囁くような、小さな声。

 未だに消火されぬ屋敷を背景に、彼女は豪華に負けない気迫で声を発した。


「幸三さんの様子を確かめに行く役目を、お前に振らせて悪かった。警察から大雑把な流れは聞いているんだが……辛いことをさせた」


 淡々と、可能な限り感情を入れないようにした謝罪がまず行われる。

 夏美としても何も思わないはずが無いのだが、それを極力消していたのだろう。

 変に湿っぽくしてしまえば、紫苑が引きずると分かっていたのか。


「それと……よく無事だった、紫苑。特に怪我はしてない、とも聞いている。それだけでも、私としては嬉しい」

「夏美さん……」

「こういう言葉が正しいかは分からないが……お疲れ様、紫苑」


 その言葉と共に、もう一度ギュッと抱きしめられる。

 自然、夏美の体温や、トクントクンと動いている心臓の音が、紫苑にもはっきりと感じられた。


 先程抱きかかえた死体のように、冷たい感触ではない。

 確かに、生きていると分かる感覚。


 何故だろうか。

 それを自覚した瞬間、紫苑はさっきよりも色々なものがこみあげてきて。

 目元を隠すようにして、ぎゅう、と夏美にしがみついた。


 ──そう言えば、昔からこうでした、この人……いつも、最後は優しいんです。


 しがみついた瞬間、かねてからのアレコレを紫苑は思い出す。

 それは例えば、中学時代に大量のヤンキー相手に戦った時の記憶だったり。

 或いは、夜中の学校で人体模型と追いかけっこした時の記憶だったりした。


 要するに、夏美のせいで酷い目にあった時の経験である。

 ああいうことがある度に、夏美は悪びれも無く紫苑の剣術を当てにして。

 だけれども、最後はいつも、紫苑の無事を喜んでくれるのだった。


 自分で巻き込んでおいて自分で喜ぶのだから、世話無いというか、ある種マッチポンプめいた行為ではあるのだが。

 それでもやはり、夏美が紫苑の無事を喜びながら抱きついてくるのを受け止めると、紫苑としては嬉しいものがあって。

 最後には、仕方ないか、と思うのが常だった。


 だからなのだろう。

 この時も、紫苑はただただ夏美に体を預けて、しばらくそのままにしていた。


 誘導してきた警察官に見られているとか、白雪がちょっと驚いているだとかいう細かな事象は、この際無視する。

 しばし、腐れ縁で幼馴染で、それでもやっぱり親友の女子高生二人組は、実に原始的なやり方で互いの無事を喜びあって。

 互いに心が落ち着くまで、そのままで居たのだった。




 そして、五分後。


「……あー、すいません、白雪部長。パトカーの中でずっと、待たせてしまって」

「ううん。大事なことだって分かっているから……紫苑ちゃんは、一番体を張って頑張ってくれたもの」


 どうにかして心を静めてからパトカーに戻ると──何せ屋敷が燃えているので、安全な避難場所というのがここしかなかった──白雪はそんなことを言って慰めてくれる。

 その心遣いに感謝しながら、紫苑は話を変えた。


「……すいません。聞きたいことがあるんですけど」

「別に良いが、何だ?」

「私はその、夏美さんたちが何を見たか、みたいな話を全然聞いていないので……警察が取り調べに来る前にその辺りを教えてくれないかな、と思いまして」


 最初の段階で紫苑は他のメンバーと行動を別にしたので、何気にここまで情報共有が出来ていない。

 そこを埋めるための提案だったのだが、取り立てて言うことが無かったらしく、夏美と白雪は顔を見合わせていた。


「と言っても……基本、二人に言われるまま庭に逃げて、火に巻き込まれないように遠くまで行っただけかなあ。飛び火しないようにお屋敷からも離れていたから、特に見た物は無いし」

「私が途中で合流したが、そこからはさっき言ったように倒れた葵さんを介抱していたからな。特に変なことは無かったよ。ちょっと待っていたら警察と消防が来たしな」


 なるほど、と紫苑は頷く。

 どうやら最初に退避したメンバーは、特に危険なことは無かったようだった。


「じゃあ……私の方も体験したことをもう伝えておきますね。警察の取り調べの前に、話をまとめ直しておきたいですし」

「……良いのか?」

「はい。それに多分、この話は早いところ夏美さんたちに言って置いた方が良いと思うんです……探偵としての能力がある人に」


 未だに生々しい記憶を語るということに、流石に心配そうな顔をする二人を前にして、紫苑はすう、と息を整える。

 そして、覚えている限りのことをその場で再演した。


 始まりの、夏美と雲雀大吾と見つけた、雲雀禄郎の死体。

 その後の犯人との遭遇。

 二階での攻防。


 床の崩落で取り逃がした犯人。

 山で追い詰めるも、目の前で雲雀幸三が殺されたこと。

 最終的に夜闇に消えた犯人と、酷い状態で死んでいた幸三氏の姿。


 語るだけで血の香りが蘇るような記憶を振り返り、紫苑は何とか言い切る。

 その上で────紫苑は二人を、正面から見据えた。

 一つ、依頼をするために。


「夏美さん、白雪部長」

「ああ」

「何、紫苑ちゃん?」

「……どうかこの謎、解いてください。犯人が誰で、どうしてこんな酷いことをしなければならなかったのか……私は、知りたい」


 腕の中で、ゆっくりと冷たくなっていく幸三氏の皮膚の感触が蘇る。

 だらだらと流れ続ける血の奔流も、まとわりついてくる。

 何故止められなかった、という後悔と共に。


 これらの感触を、振り切るには。

 真実を知るしかないのだろう、ということは分かっていた。

 そうでなければ、とても納得出来ない。


 そしてそれは、夏美たちとしても共通認識だったのだろう。

 まず、白雪がしっかりと頷く。

 さらにその隣で、一切の躊躇なく夏美が断言した。


「当然だ。この謎は必ず解いて見せる」

「夏美さん……」

「安心しろ。探偵が謎を解くと言った以上、謎が解かれることは絶対だ……そういうものだろう?」


 そう言って、夏美は不敵に笑って見せる。

 彼女の顔を見て、ようやく紫苑もまた笑みを浮かべるのだった。

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