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姉の横暴

「でも夏美ちゃんの解答、本当に見事ね。もしかしてこの話の種、知ってた?」

「いえ、寡聞にして知りませんでしたが……何か元ネタでも?」

「ええ、スティーブンソンの『瓶の悪魔』。でも知らなかったってことは、本当に独力で解いたのね……」


 ラムネを齧る紫苑を尻目に、夏美と白雪は何やら楽しそうに会話をする。

 どうも、この問答には元ネタがあったらしい。

 それを知っていたら私も解けたのでしょうか、と紫苑はぼんやりと考えた。


「ええと、因みに……夏美ちゃん、ウチに興味ある?ミステリー研究会という部活なのだけど」

「ミス研ですか……好きなジャンルですが、そうですね。どうしましょうか」

「……入ってみたらどうですか?入部試験になっている今の問題、夏美さんは解けたんですから」


 流れるように勧誘をされた夏美を見つつ、紫苑はそれとなく誘導をする。

 小学一年生の時に彼女と知り合って以降、紫苑は常に夏美の行動に巻き込まれて酷い目にあってきた。

 ここで夏美が別のサークルに落ち着いてくれたなら、自分としては万々歳……そんなことを考えての発言である。


 しかし、それを受けて夏美はにんまりとした笑みを浮かべた。

 そのまま唐突に、彼女はガシリと紫苑相手に肩を組んでこう言う。


「だったら、そうですね。紫苑と……この子と一緒に入部するなら、考えてみてもいいかもしれません」

「え!?ちょっ……」

「あら、そうなの?だとしたら、紫苑ちゃんにも是非入って欲しいのだけど。入部試験はもう、二人で一緒に解いて合格したということで良いから」

「いや、えっと、白雪部長!私、そこまでの興味は……!」

「ご安心ください。紫苑は父親に仕込まれた分、剣術が達者ですからね。何かと役に立ちますよ。さっきチラっと言ったヤンキー襲撃の時も、最終的に鉄パイプを持った彼女たちを全員倒したんですから」

「いや、あれは偶然が味方したからで……!」

「あらあら、頼もしいわね」


 楽し気に戦果を誇る夏美に、慌てて訂正をする紫苑、さらに本当に嬉しそうにそれを見守る白雪。

 しばらくそんなやり取りをしている内に、白雪はちゃっかり「入部届」を鞄から取り出していた。






「……はあ」

「どうした?」


 それから、幾ばくの時間が経って。

 紫苑が唐突にため息を吐くと、すかさず隣の夏美が訪ねてきた。


「いえ……流れに負けて書いちゃったなあ、と……入部届」

「ああ、アレか。乗せた私が言うのもなんだが、紫苑のその押しの弱さは中々凄いな。あの人だって、別に強制はしていなかったのに」

「だってこう、『正直なことを言えば、ウチの部員数、少ないの。入ってくれると嬉しいな』なんて言われると、断りにくくて……」

「お前、本当にいつか詐欺に引っ掛かるぞ……いやまあ、最初の一ヶ月は仮入部期間だから、いつでも辞められるという触れ込みではあるが」


 入学式と新入生歓迎会も終わった、帰り道。

 最寄駅で下りた後にトボトボと歩きながら、帰宅の途を辿っていた紫苑と夏美は、ミス研のことを思い出しながらそんなことを語り合っていた。

 自然と思い出されるのは、白雪から聞かされた内容である。


「でも、部長さんの言っていた通り、本当に緩そうな部活だったのは良かったです……入部を断るとしても、何とかなりそう」

「まあ確かに、放課後、暇な時に来るだけで良いって言ってたな」


 夏美がそんなことを呟いたところで、彼女たちはいつしか夏美の家の前にまで辿り着く。

 元々夏美の家は駅からそれなりに近い位置にあるので、会話が途中でもすぐに到着してしまったのだ。


 当然、二人はどちらともなく会話を打ち切ってしまい、微妙な沈黙が流れる。

 その雰囲気が何となく嫌だったのか、自然な動きで夏美はくいっと自分の家を指し示した。


「もう家に着いたが……特に予定がないなら、寄っていくか、紫苑?前はよく来ていたのに、ここ最近は受験勉強だの入学準備だので、碌に来てなかっただろう?」

「……ええ、そうでしたね」


 そうだったからこそ、紫苑は夏美とは会話もしないまま新入生歓迎会を過ごしていたのである。

 上手い具合に、危険な事件とは無縁な新しい部活を見つけられるかも、と期待して。

 同じ高校に受かっていたことは当然知っていたが、一応自分からは話しかけていなかったのだ。


 だがその努力も、謎に自分のことを気に入っているこの腐れ縁の友人によって、最早意味は無くなってしまった。

 ならばこれはもう、引き離そうとしたところで無駄な節がある。

 そのことを察した紫苑は、せめて代償としてお菓子などを夏美からせしめるべく、その誘いに乗ることにした。


「じゃあ、お邪魔することにします……えっと、今日、おばさんたちは?」

「父さんは相変わらず海外。母さんは入学式会場から会社に直行だな」

「あれ、それなら弟さん……玲君は?面倒見る人、居ないことになっちゃいますけど」

「今はまだ春休みだから、玲は田舎に帰ったままだ。保育園が始まる時期が、建物の改装か何かで来週にずれ込んでいるからな。祖父母の家でちょっと長めに預かって貰っているんだよ」


 それは大変ですね、と紫苑は相槌を打っておく。

 話題に出てきた「玲」というのは、夏美の十歳年下の弟の名前だ。

 夏美に誘われるままこの家で何度も遊んだ紫苑としては、彼が生まれた時から成長を見守るような形になっている年下の知り合い、ということになる。


 両親が忙しく、夏美もまた学校があるため、彼は長期休みの度に父方の実家で祖父母に面倒を見てもらうことが多いとは聞いたことがあったが、どうやら今はその時期だったようだ。

 彼に会えないと聞いて、紫苑は少し残念に思う。

 お姉ちゃんお姉ちゃんと言って懐いてくる彼の姿は、紫苑に兄弟姉妹が居ないこともあってか、随分と可愛らしく思えていたのだが。


「ま、そういう訳で家には特に誰も居ないから、適当にくつろいでいてくれ。私の部屋の位置も変わってないから、先に入っていい。私はコーヒーを出すよ」

「はーい。だったら棚の漫画、読んでて良いですか?」

「好きにしてくれ。お前が最後に来た時よりは新刊が揃っているし……ああ後、私の鞄、ベッドの上にでも放り投げて置いてくれ」


 そう言いながら、夏美は自宅の鍵を開けて紫苑を中に案内し、ついでに手に持っていた鞄を放り投げた。

 それを上手くキャッチしつつ、促されるままに敷地内に入った紫苑の目に映るのは、最後に訪れた半年ほど前から特に代わり映えの無い家の様子。

 流石に、家の様子というのは半年程度では変化しないらしい。


「お邪魔します」


 父親に躾けられた通りにお辞儀をして、紫苑は勝手知ったる夏美の部屋にまで足を進める。

 慣れもあってか十秒もかからずに部屋に辿り着き、言われた通りに鞄をベッドにまで放り投げた。


「……割と片付いていますね。前はもっと酷かったのに」


 同時に、紫苑はそんなことを呟く。

 久しぶりに訪れる夏美の部屋を見て、意外なくらいに整頓されているな、と感じたのだ。

 高校生になるということもあって、大掃除でもしたのだろうか。


 ──中学生の頃は、ゲーム機とか充電コードとかが適当に床に散らばっていたんですけどね……それを玲君が踏んで転んで、泣いて、何故か私が慰めて……。


 かつての光景が自然と思い浮かび、ふっと紫苑は遠い目をする。

 どうにもここを訪れると──たかが半年前までの思い出とは言え──自然と色んなことを思い出してしまう。


 そのことに、何とはなしに懐かしさと既視感を抱いていると。

 不意に、ベッドの上に置かれた夏美の鞄が、ピピピピ、と音を立てた。


「あれ、電話……?」


 紫苑は反射的に自分の携帯電話を開くが、すぐに音が聞こえる方向が異なっていることに気が付く。

 この電子音は、どう聞いても鞄の方角から発信されていた。

 恐らくは、夏美の携帯電話が源だ。


 それが分かって、しばし紫苑は着信音を無視してその場に留まる。

 他人の携帯電話に勝手に出るのも憚られるし、ちょっと待っていれば、その内この音が聞こえて夏美がこの部屋にまで上がってくるだろう。

 だから、自分が一々対応する必要も無い。


 ……しかし、その予想に反して。

 その電話は、鳴り続けた。

 夏美が上がってくる気配も無い。


「……聞こえてないんですかね?それか、手が離せないとか?」


 やや不思議に思いながらも、紫苑はやがて顔を上げる。

 そうなると、ちょっと厄介だ。

 このままでは、少女漫画に浸るのは難しい。


 それを察した紫苑は、軽く悩んだ末、結局鞄を漁ることにした。

 どれほど腐れ縁と呼称しようが、いかに面倒なことに巻き込まれようが、これが許される程度には二人の関係は親しい。

 夏美としても、怒りはしないはずだった。


「持って行った方が良いですかね……誰からは知りませんけど」


 言い訳のようにブツブツ言いながら、鞄横のポケットに収められていた携帯電話を回収。

 よりけたたましくなった着信音に顔をしかめながら、紫苑は部屋を出る。

 同時にぼんやりと「こうも長い間、通話を諦めない相手も凄いですね……」と感じながらキッチンの方に向かうと、すぐに夏美の姿が見つかった。


「夏美さん?……電話、来てますけど」


 複数の小洒落たカップと角砂糖、さらにコーヒーメーカー。

 そんなものが置かれたキッチンテーブルを前に、何故か両瞳を閉じていた夏美に対して、紫苑はそう問いかける。

 すると、パチリと目を開いた彼女は、開口一番「待て」と言った。


「今、コーヒー作りに凝っていてな。集中し……今だ!」


 会話の途中で何かを悟った夏美は、唐突にコーヒーメーカーの蓋を開き、そのまま近くのケトルからお湯を足していく。

 どうにも、挽いたコーヒーの豆を蒸らしていたらしい。

 迅速に次の工程を実行した彼女は、「よし、このまま百七十五秒……」と満足そうにキッチンタイマーを操作し、それから紫苑の相手をする。


「ええっと、済まないな。あー、電話か?」

「はい、さっきからずっと鳴ってて……」

「今の時間に?……ああ、何だ、あいつか」


 さらりと紫苑から携帯電話を受け取った夏美は、すぐに画面を開いて表示されている名前を確認。

 すぐに通話状態にすると、紫苑に話すそれよりもやや明るいトーンで受け答えをした。


「はい、もしもし……玲か?……うん、そうだ、おはよう。いや、こんにちは、か」


 ──あ、電話の相手、玲君だったんですね。


 電話をかけてきた相手のことが分かって、紫苑は一つその場で頷く。

 電話の相手が発信を止めないことを少し不思議に思っていたのだが、これで理由が分かった。

 幼子である彼は、まだそういう機微が分からず、ただ純真に祖父母の家から電話をかけ続けていたのだろう。


 今年で六歳になる男の子が、自分の顔よりも大きな受話器を抱えて姉の返事を待っている姿を思い浮かべ、紫苑は不覚にもちょっと可愛い、と思った。

 これなら、もっと早くに電話を取り次いであげれば良かった。


「うん。ああ、そうそう。もう入学式は終わって……違う違う、ニューマシンじゃない。入学式だ。お姉ちゃんはジカンファイヤーじゃないから、新型ロボに乗る用事は無い。というか、また玩具買ってもらったのか……ああ、そうだ、玲の知っている、紫苑お姉ちゃんも一緒に居る。そっちは?……そうか、茉奈と一緒か」


 紫苑が密かに反省している内に、夏美と玲の姉弟の会話は段々と進んでいく。

 何となく隣で聞いた限りでは、姉の入学式がこのくらいの時間に終わることを聞いていた弟が、寂しさか単純に好奇心かで田舎の家から電話をかけてきた、という事情のようだった。

 紫苑の知っている玲は元々お喋りが好きな子だったが、その性質は現在でも変わっていないのか、夏美の頷きは止まろうとしない。


「ああ、ああ。そうか、ちょっと前に釣りに……伯父さんたちに迷惑かけなかったか?そうか、うん……あ」


 だが、流暢に話していた会話に、不意にノイズが混じる。

 すぐに会話が始まったことで部屋に戻るタイミングを逃していた紫苑が何となくそちらを見ると、いつの間か夏美は携帯電話を顔から少し放して、キッチンタイマーを注視していた。

 どうやら、先程設定していた時刻が近づいているらしい。


「ええっと、そうだな、玲。じゃあ、話したいことはまだまだあるようだが、お姉ちゃんは今、コーヒーを全力で淹れているから……うん、そこから先の話し相手は紫苑お姉ちゃんに頼もう」

「……え!?」

「今、代わるから……ほれ、頼む」


 軽くそう告げると、夏美はこちらの了承も取らずに携帯電話をほいっと投げてくる。

 慌てて紫苑が宙を舞ったそれを受け取ると、即座にキッチンタイマーが鳴り響いた。


「いや、ちょっと、夏美さん!?」

「すまん、少し玲の相手を頼む。その分、旨いコーヒーは約束するから」


 早口でそう告げると、夏美は即座にコーヒーメーカーに意識を移した。

 様子からするに、まだ幾つか工程が残っているらしい。

 弟の相手を上回る程にこれに注力しているあたり、本当にこれに凝っているのか。


 ──まあ、玲君の相手をするのは苦じゃないから、良いんですけど……。


 やや苦笑いを浮かべながら、紫苑は通話状態を維持している携帯電話を耳に当てた。

 この受け入れの良さが、開いての無茶振りを加速させていることは自覚していたが、どうにもこの辺りは慣れてしまっている。

 そもそも、流石にここで相手をしてあげないと玲が可哀そうなので、紫苑の声には迷いが無かった。


「はーい、お電話代わりました。紫苑お姉ちゃんですよー」


 小さい子向けを意識して、紫苑もまたちょっと高めに声を出す。

 すると、しばらくキョトンとしたような沈黙を置いてから、やがて携帯電話の向こう側で楽し気な声がした。


『しおんお姉ちゃん……ホンモノ!?』

「本物ですよー。ええっと確か、昨日釣りに行ったのでしたか?それを話したい、とか?」

『そうそう、そう!あのね、ちょっと前にね、おじさんたちとケイリュウツリに行って……』


 あのねあのね、と話が続いていく。

 無論、保育園の年長さんが話していることなので、内容も順番も知っちゃかめっちゃかだ。


 しかし、根が優しい紫苑はうんうんとその話を聞いてあげた。

 一つ、気になる話題が出てくるまでは。

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