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光芒

 当たる前から、獲れると確信していた。

 そのくらい、完璧に不意を突けた一撃だった。

 しかし次の瞬間、紫苑の耳に届いたのは犯人の苦悶の声ではなく────ギャン、という金属同士がぶつかる音だった。


 ──弾かれた!?


 一瞬の判断で、紫苑は前進し続ける自分の体に強引にブレーキをかけ、その場から飛びのく。

 危険だ、という認識は後から追いついてきた。


 先程紫苑が狙ったのは、懐中電灯が括りつけられていない犯人の左腕である。

 こちらの腕は無防備と踏み、せいぜい痛がらせて幸三氏を取り戻す目算だった。


 しかし、隠し武器でもあるというのであれば話は別だ。

 万が一拳銃でも持ち出されたら、いくら何でも勝ち目は無いだろう。

 既にこんなことまでやっている犯人だ、それくらいの武器を用意している可能性はある。


 ──いや、仮に拳銃くらい強力な武器があるなら、最初からそれを出しているはず……つまり、さっきのはまた別の武器でしょうか?


 摸造刀を正眼に構え直しながら、紫苑は密かに計算を済ませた。

 するとその推測通り、犯人が動く。


 まず、右手の肘で挟むような形で幸三氏を抱えたまま、指の先で左腕をさするような動きをした。

 丁度、先程紫苑が攻撃した場所をさするような動作だ。

 ただし、それは痛がっている訳ではなく、単純に武器を取り出すためだったようだが。


 その証拠に「ベリッ」という、テープを剥がしたような音が明かりもついていない廊下に響く。

 左腕の前腕に固定していた何かを、取り外したらしい。

 瞬く間に相手の姿勢は元に戻り、代わりに犯人の右手には、大振りのナイフが収められていた。


 ──あれが、さっきの攻撃を弾いた武器?……鞘ごと括りつけていたんでしょうか。


 奇妙な武器の運び方をする人だな、と思いながらも紫苑は警戒を強める。

 見た限り、犯人が手にしているナイフはかなりの刃渡りを持つ代物で、ナイフというよりも短刀と呼ぶ方が正しそうだった。

 理由もなく街中で持ち歩いていれば、確実に銃刀法違反でしょっ引かれるような逸品である。


 ──あのナイフが私のこれみたいに、摸造刀だったなら良いんですけど……どう見たって、そんな感じじゃないですよね。


 ここで、犯人が持っている武器が玩具であることに期待するのは愚かだろう。

 一先ず本物の刃物であると仮定して、紫苑は筋肉を緊張させていく。


 向こうの手には本物のナイフ、一方こちらの得物は、摸造の日本刀のみ。

 間合いは間違いなくこちらが有利だが、殺傷力で完敗だ。


 それでも、この不審人物を放ってはおけない、と紫苑は今一度体重を床に預ける。

 だが、それと同時に────犯人は、しっかりと抱えていた幸三氏の体を、自身の後方に向かって放り投げた。


 最初に響くのが、ダン、という幸三氏の体が床を打つ音。

 次に、「ウウ……」といううめき声。

 生きていたらしい幸三氏が放り捨てられた痛みによって声を発したのだ、ということはすぐに紫苑にも分かった。


 だが、そのことを喜んでばかりもいられない。

 何故か?

 ……人質を脇に置いたことで身軽になった犯人が、ナイフを振り回しながら襲ってきたからである。


「……フッ!」


 聞こえるのは、音でもなんでもない息遣いのみ。

 先程から、決して声を発しようとしていない犯人のスタンスが伝わってくる攻撃の仕方だった。


「……クッ!」


 結果的に起点を見届けてしまった攻撃を前に、紫苑は避けることにだけ専念する。

 向こうからの攻撃と相まっては、生憎と反撃は望めなかった。


 当然だろう。

 こちらは摸造刀で一撃を加えても、犯人にとっては致命傷にならないが、向こうの一撃を紫苑がくらえば、それだけで大量出血が確定するのだ。

 生存確率を考えれば、回避の動線はそっくりそのまま紫苑の生命線となる。


 故に紫苑は、ある種の勘で右に跳躍。

 大して広くもない廊下なので、ほぼ壁に激突するようにして横へ退避した。


 瞬間、先程まで紫苑が居た空間を、犯人のナイフが通り過ぎる。

 ビョウ、と風が吹き、紫苑の前髪がさらさらと揺れた。


 だが、それだけで攻撃は終わらない。

 取り逃がしたことを察したらしい犯人は、即座に刃先を方向転換した。

 手首を回し、今度は横薙ぎにナイフが襲ってくる。


「……ええい!」


 無論、紫苑としてもその動きは読めていた。

 犯人が顔をこちらに向ける前に、彼女は前転の要領で前方の空間に転がり込む。

 結果として、今度のナイフが生み出した風は、紫苑の頭の上空で吹きすさぶに留まった。


 ──距離をとって……向こうがすぐには当てられない程度に!


 犯人から視線をそらさず、紫苑はさらに疾走。

 丁度、犯人が先程まで佇んでいた辺りまで一息に駆け抜けた。

 その上で、もう一度正眼の構えを取る。


 この時、紫苑にとって幸いしたのは、犯人が右手に括りつけた懐中電灯を点けっぱなしにしていることだった。

 相手としても自分の視野を確保するためにそうせざるを得ないのだろうが、この暗闇の中では紫苑に位置を教えてくれているような物である。


 逆に、犯人としては紫苑を見つけるのはかなり面倒な行為だろう。

 右の前腕に懐中電灯を固定している都合上、前方を光で照らそうと思えば、どうしても右手に握ったナイフの刃先は横を向き、紫苑から逸れてしまう。


 詰まるところ、懐中電灯による索敵と攻撃を、犯人は同時には出来ないのだ。

 これでは、相手を見つけて攻撃しようとした瞬間にその相手が居る場所が正確には見えなくなり、見失ってしまう。


 ──そう言う意味では、ここで幸三さんを抱えて逃げ去る、というのもベターな選択ですね……少なくとも、初動は悟られないはず。


 サーチライトよろしくフラフラと揺れる懐中電灯を躱すように構えを取りながら、紫苑はそう思案する。

 脳裏には、丁度紫苑が背後に守るような位置取りになった幸三氏のことがあった。


 何か薬でも飲まされたのか、彼はこんな状況だというのにさっぱり起きようとしない。

 せいぜいが、先程放り出された時のように痛みを感じてうめくだけだ。

 恐らく、揺さぶったり叩いたりしても、はっきりとは目覚めないだろう。


 ──つまり私が彼を助け出そうと思うと、おぶって行かなきゃいけない……でも、それじゃあ。


 逃げ切れないだろう、という計算はすぐに働いた。

 紫苑は父親に剣術を仕込まれた都合上、そこらの高校生よりも余程体を鍛えているが、それにしたって筋力には限度という物がある。

 完全に意識を失った人間を運ぶという重労働を、ナイフを振り回す殺人鬼から逃げ回りながら行うというのは無理があった。


 第一、場所が不味い。

 先程の攻防の結果、紫苑と犯人の立ち位置は逆転し、犯人が東館のメインホール側に、紫苑は東館のより端に近い方に立っている。


 つまり、ここから逃げようにも犯人を乗り越えない限り、メインホールに繋がる階段を使えないのだ。

 東館の端にある階段からなら、犯人の横を通らずとも使えるだろうが、そちらで降りると当然絶賛炎上中の東館一階に降りてしまう。

 メインホールすらもう飛び火しているかもしれないという現状、そちらから降りて生きて出られる保証はまず無かった。


 ──なら、窓から飛び降りて……いや、流石に一人抱えての飛び降りは、たかが二階と言えども危険ですかね。私はともかく、幸三さんにとっては。


 そこまで考えたところで、一瞬だけ紫苑は目を瞑った。

 色々考えたが、要するに分かったのは、ここまで来れば犯人を打倒す以外に道はないということだけである。


 ならば、もう迷う必要すらない。

 目の前の敵を倒すことだけが、生きる道。

 それだけを胸に、紫苑は摸造刀を構え直した。


 ──ウダウダしていると、火事がここにまで来るかもしれない……幸三さんも手放してくれたことですし、ここは早急に吹っ飛ばす!


 カッ、と目を見開く。

 同時に、再び彼女の体は跳ねた。

 今度は壁ではなく、純粋に犯人の頭上を目指して。


「……ァァアッ!」


 意図的に声を発して、相手に位置を知らせる。

 反射的にか、犯人がこちらを懐中電灯で照らしたのが分かった。

 すぐに飛び掛かる紫苑の姿を見つけたのか、犯人はナイフを構えながら僅かに後退する。


 自然、紫苑は飛び掛かった勢いで放った大振りの攻撃を、盛大に外すこととなった。

 ブン、と風切り音を鳴らしながら摸造刀が宙を舞い、床へと落ちる。

 状況的には、先程の攻防を互いにやり返した形となった。


 しかしその再演は、ここからは変化する。

 まず、行動を変えたのは犯人の方だった。 

 空振りした紫苑の晒した隙を見逃さず、ナイフを突き出してきたのである。


 ──やっぱり、来た!


 だが、この程度は紫苑の予想の範疇。

 何なら望んだ対応と言っても良い。

 紫苑は差し迫るナイフのことは敢えて無視して、代わりに摸造刀を握る手に────より正確に言えば、床を埋める絨毯に突き刺さった刃先に力を伝えた。


 そして一切の防御をせずに、そのままただ前進。

 簡潔に言えば、刀を杖のようにして、それに全体重を預けた形になる。

 元々の突進してきた勢いもあり、紫苑の体は刀を支えにしてふわりと浮いた。


「……ハアッ!」


 振り子の原理で移動する肉体の姿勢を無理矢理整え、紫苑は勢いを殺さずに右足を前に繰り出す。

 状況的には、棒高跳びの要領だ。

 こちらに突進しようとしていた犯人の勢いを逆に利用し、紫苑の足先は弾丸のような勢いで犯人の顎に衝突した。


「……グッ」


 思わず、と言った態で犯人の口から言葉が漏れる。

 同時に、ナイフは中空を切り、上体がぐらりと揺れた。

 紫苑の体重を考えると蹴り自体には大した威力は無いはずだが、それでも交差法を利用した甲斐あってか、痛打にはなり得たらしい。


 ──まだまだ……!


 犯人が姿勢を崩した隙に着地した紫苑は、間髪入れずに攻撃を続行する。

 火災の様子を考えれば、時間を掛けてはいられない。

 畳みかける必要があった。


「……アアァ!」


 一秒前まで支えとしていた摸造刀を一気に床から引き抜き、もう一撃。

 上段から振りかぶって、今度は頭を狙った。


 だが、これは流石に近すぎたのか。

 犯人は咄嗟に右腕を上げ、ナイフで摸造刀を受け止められる。

 キャアン、という甲高い音がした。


 ──クッ……この人、力、強い!


 足元を踏ん張って刀を押し込みながら、紫苑はそう確信する。

 急いだ攻撃だったとは言え、それでも上段からの大振りは並大抵の人間では止められない程度には勢いがあった。

 中途半端に受け止めれば、如何に得物が摸造刀と言えど、腕が痺れてまともには耐えれない。


 だというのにナイフ一本で受け止められてしまったのは、相手の体がその程度の衝撃には耐えられる程、頑強だったとしか考えられなかった。

 最初のナイフ捌きの速度もそうだが、どうにも戦い慣れている印象を受ける。

 こういった荒事が、身に染みついているのか。


 ──背も高いし、レインコートでよく分からないけど、体格も良さそう……何でこんな戦い慣れた人が、こんな屋敷を襲うようなことを?


 内心で疑問に思いながら、紫苑はさらに刃先を押し込む。

 だが犯人も決して力負けしておらず、ギリギリとナイフを軋ませながら対抗してきた。


 図らずも、剣道で言うところの鍔迫り合いをしているような状態となる。

 互いに、下手に動けない。


 ──駄目です、力比べでは多分負ける……なら!


 即座に判断し、時間を掛けずに紫苑は実行に移した。

 すなわち、自ら敢えて鍔迫り合いをやめて、その場で唐突に低く沈み込んだのである。

 相手と密着状態のまま、しゃがみこんだと思えばいい。


 失敗すれば、そのまま普通に頭をナイフで切られかねない危険な姿勢。

 しかし、突然の動きが虚を突けたのか、犯人は戸惑ったように動きを止めた。

 その瞬間を狙って────紫苑は思いっきり、相手の右腕を刀の腹でかちあげる。


 ガン、と轟音。

 同時に犯人の右腕が、挙手でもしているかのように跳ね上がった。

 犯人が右手で握り締めるナイフは軽やかに彼の頭の後ろにまで移動し、そして……。


「……ッ!」


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 そんな物を括りつけたまま、腕を顔の近くにまで跳ね上げたのだから、当然の帰結である。

 一瞬のことであり、向こうがフードを目深に被っている都合上大きな隙ですらなかったが、それでも確かに目潰しに等しい効果があった。


 ──……今!


 光に目がくらんでいる隙を、紫苑は見逃さない。

 彼女は一秒はかからずに構えを崩すと、そのまま全体重を籠めて突きを放った。


 例え摸造刀であろうと、先端が尖ってさえいればこの攻撃には殺傷力がある。

 しゃがんだ状態から立ち上がったことによる勢いも味方し、刀の先端は確かに相手の胸部、丁度左鎖骨に命中した。


「……ガアッ!」


 今度こそ、はっきりとした悲鳴を犯人が上げる。

 さらに、二歩、三歩とよろめくようにして後退した。


 相手の左胸はしっかりと、ナイフを持ったままの右手で庇われている。

 どう見たって、痛みのあまり動けない、としか解釈の出来ない姿勢だった。


 ──よし、これなら後一撃も加えれば……。


 犯人の様子を見た紫苑は、早くもそう確信する。

 今の歩き方からして、向こうにこれ以上、ナイフで反撃する余裕はなさそうだった。

 それほどにまで追いつめられた相手であれば、いくら殺人犯であろうが確実に勝てる。


 そう考えた紫苑は、せめて行動不能にするべく、最後の一歩を踏み出そうとした。

 だが、まさにその瞬間。


 唐突に紫苑の足元が大きく揺らいだのを、彼女は自覚した。

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