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ブレイズ・レイン

「火!?……あれ、でも、燃えてはいない?」


 扉を開けた先に見た光景から、思わず紫苑はそんなことを呟く。

 後から思えば何を悠長な、と自分で自分にツッコミをいれたくなる対応だったが、この時は率直な反応としてそれしか出てこなかったのだ。


 彼女の目の前に広がるのは、常夜灯以外によってぼんやりと照らされている西館の廊下。

 パーティーの後にすぐに葵の私室に連れ込まれたので、内装をしっかりとは確認してはいないのだが、それでも高価なのだろうと分かる彫刻や絵画が壁には設置されている。


 それらの物品は、一見したところでは何の異常も無い。

 少なくとも、燃えているとか爆発しているとか、そのような様子は微塵も無かった。

 目で見る限りでは、だが。


「なら、東館の方……?」


 くるり、と紫苑は首を東館の方向──すなわち、東館と西館を繋ぐ本館のメインホールがある方向──に向ける。

 どうにもこの焦げ臭さやガソリン臭さは、そちらから来ている気がしたのだ。


 そして、彼女の嗅覚は正しかった。

 遠方に視線をやった瞬間、彼女の血の気が引く。


 紫苑の目に映ったのは、明らかに常夜灯とは違う光源によって照らされたメインホールの様子。

 そしてその奥────東館に繋がる廊下が、ゴウゴウと燃えている様子だった。

 どこからどう見たって、火災の光景そのものである。


「東館の、火事……」


 生まれて初めて体験する事態に、紫苑は思わず呆然としてしまう。

 火災自体を目撃したことはこれまでにも経験があるのだが、流石に燃える洋館の中に佇むことになったのは生まれて初めてだ。

 ある意味では連続殺人鬼の襲撃よりも予想外と言える展開に、紫苑はほんの少しの時間だが、摸造刀を抱えたままその場で呆けてしまう。


 だが流石に、紫苑の無意識が生存本能に従って警告を発したのか、ほどなくしてその硬直は解けた。

 すぐに彼女は部屋の中に取って返し、大声を張り上げる。


「夏美さん!白雪部長!葵さん!……起きてください!」


 剣道における試合始めの掛け声を意識して、可能な限り腹の底から声を出す。

 普段からの稽古の成果が出たのか、紫苑の声は葵の部屋のあらゆるものをビリビリと震わせた。

 さらに三人がそれぞれ眠っているベッドが、同時にモゾリ、と動く。


「しおん……?……ッ、事件か!?」


 一番反応が早かったのは夏美だった。

 元々眠りが浅かったのか、一瞬にして意識を覚醒させた彼女は、文字通り飛び起きるようにしてソファベッドの上を跳ねる。

 そしてパジャマ姿のまま、紫苑を凝視した。


「事件というか、ええと……火事です!」

「火事?何故?」

「いえ、私も今気が付いたばっかりで……とにかく皆さん、逃げましょう!このままだと、こちらにまで火の手が回るかもしれません!」


 あたふたしながらも、何とか紫苑はそれだけの情報を伝える。

 それが幸いしたのか、夏美の行動は早かった。


 パジャマ姿のまま、するりとソファベッドから降りると、未だに寝ぼけている二人の頭を遠慮なくパチン、とはたく。

 その上で夏美は、紫苑を軽く超える音圧で呼びかけた。


「葵さん、白雪部長…………起床!」


 相手が年上だとか、そういうことを一切気にしていない声色はやはりそれだけの効果があったのか、ハッとした様子で白雪と葵が飛び起きる。

 彼女たちはほぼ同時に目を白黒させながら夏美と紫苑を見ると、やがて寝る直前にした話を思い出したらしく、瞬時に何かを察したような顔になった。


「事件……誰か来た?」

「いえ、火事だそうです……紫苑、規模は?」

「現場に近づいていないので正確には分かりませんが、東館の方が結構な勢いで燃えています。今の内に、窓から逃げた方が良いかと……!」


 そう言いながら、紫苑は葵の部屋の一画に存在する窓を見やる。

 この屋敷は二階建てなのだが、葵の私室は幸いにして一階に存在した。

 どこまで火の手が回っているか分からないメインホールに戻って、正面の出入り口から脱出するよりも、この窓から庭に出る方が安全だろう、と判断する。


「でも、何で火事が……スプリンクラーとか、火災報知器とか、ちゃんとあったはずなのに……!」


 紫苑の声に引きずられるようにして窓に駆け寄りつつ、軽く荷物をまとめた葵は、そこでふと訝し気に呟いた。

 屋敷に住む者として、当然発生すべき事象が発生していないことに思い至ったらしい。

 だがこの緊急事態に口をすべきことではないと思ったのか、すぐに「何でもない、ごめんね」と発言を打ち消す。


「じゃあ皆、慌てずに外に出ましょう。全員、懐中電灯を持って庭の奥まで避難。最初は夏美ちゃんと紫苑ちゃんから……荷物は基本、手に持てるだけで。ゆっくりね?」


 白雪はそこで、動揺を鎮めるようにしてパン、と手を打つ。

 そして、年上としての責任感からか、最初に紫苑と夏美に脱出を促した。

 彼女の厚意に感謝した紫苑たちは、そのまま外に出ようとして────。


「……葵ちゃん、居るか!?」


 後方から投げかけられた声に、全員が動きを止めた。

 さらに、ザッとその場で振り返る。

 そして、自然と視界に入った姿────煤だらけの格好をした見覚えのある男性の姿を前にして、葵が大声を出した。


「大吾叔父さん……!無事だったんですね?」

「あ、ああ。起きたら、東館が何故か火事になってきて……何とかこっちまで逃げてきたんだ。だが、人手を借りたくて……」

「人手?」


 やや意味の通らない単語に、反射的にか白雪が疑義を呈する。

 だがすぐに、紫苑はそれが何を意味するのか察しがついた。


 簡単な引き算だ。

 東館で寝ていたはずの人物が三人で、ここに居るのが大吾だけであるのなら────。


「……そうだ、お祖父ちゃん!それも、禄郎叔父さんも!まさか、まだ東館の中に!?」

「そのまさかだ。私も必死に逃げてきたから、安否を確かめていない!禄郎はともかく、父は平時でも十分に動けないだろう、だから……」


 混乱のあまり見落としていたことに気が付いたらしい葵が悲痛な声を漏らす中、大吾は意外にも冷静な様子でそんなことを言う。

 それを聞いた紫苑は、確かに、と思った。


 ──もし煙を吸って動けないような状態にあるのなら、彼らを運ばないといけません……元々幸三さんはあまり頑強でもないでしょうし……。


 つまり、この状況でも誰も大吾のようにこちらに逃げてきていない以上、火災現場に取り残されている可能性もある訳だ。

 彼らの安否を確かめるためにも、女子高生数人と言えど手を借りたい、ということらしい。


 話を聞いて、紫苑と夏美は無言でアイコンタクトをし合う。

 こう言うところはやはり昔からの経験が物を言うのか、緊急事態にも関わらず紫苑と夏美の意思疎通は容易だった。

 一瞬にして、夏美が紫苑の意図を汲んだようにして声を張り上げる。


「なら……手伝いは紫苑と私で行きましょう。言ってはなんですが、葵さんも白雪部長も非力です。人を担ぐのなら、私たちの方が向いています」

「え、そうなのかい?」

「はい。部長と葵さんはさっき言った通りに避難を!ついでに消防車と警察、携帯で呼んでおいてください!」


 テキパキと指示を出すと、夏美は邪魔にならないように道を譲り、さらに葵の机を漁って、元から置いてあったミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。

 五本ほど置かれてあったそれを彼女は鷲掴みにすると、すぐさま大吾と紫苑に投げ渡す。

 突然の行動に大吾の方は慌てて受け取っていたが、紫苑は何も言われずとも意図を察した。


 ──ぶっかけろってことですね、これ。葵さんから借りたパジャマが酷いことになりますけど……仕方ない、か。


 しずしずと窓から脱出をする二人を尻目に、紫苑と夏美は躊躇うことなくペットボトルの水を頭から被った。

 この程度の量の水でどれくらいの効果があるかは不明だが、無いよりはマシだろう。

 それを見て、ようやく用途を把握したらしい大吾も同じ行動を取る。


「じゃあ行くぞ、紫苑。姿勢は低めで、濡らした袖越しに空気を吸え。現状、燃えているのは東館だけで、メインホールは無事なんだな?」

「はい。メインホールにはそもそも、燃えるような物が少なかったですし……」

「OK。雲雀大吾さん、二人が寝ている部屋は?」

「あ、ああ。父は二階の奥の部屋。そして弟は東館一階のメインホール寄りの部屋……メインホールから出て、すぐの部屋だ。二人とも、そちらで寝ていた」


 唐突に指揮を執り始めた夏美に面食らった様子を見せながらも、雰囲気に呑まれたのか大吾は素直に場所を教える。

 そして、紫苑たちを前に提案をした。


「まず、禄郎の部屋に向かおう。場所的にはすぐそこだ。私が逃げてきた限り、メインホール側ではなく屋敷の端っこの方がよく燃えているようだから、メインホールに近い弟の部屋はまだ無事かもしれない」

「分かりました、まずそちらとしましょう。火の勢いも見ておいた方が良いですし……紫苑、摸造刀を忘れずに」


 大吾の言葉に一理あると思ったのか、夏美はすぐに頷く。

 そして一秒でも惜しいと言いたげな様子で、一瞬にして姿勢を低くすると、這うようにして部屋から西館の廊下まで出た。

 大吾の提案の通り、メインホールを通って東館まで向かう気なのだろう。


 特に反論も無かった紫苑もまた、彼女に続く形になる。

 一方、流石にほぼ初対面の女子高生に先陣を切らせたは不味いと思ったのか、大吾は「こ、こっちだ」と慌てて言いながら、似たような姿勢で先導した。


 結果として、三人は低姿勢のまま出来る限り素早く西館の廊下を走り抜けることになる。

 西館はまだ燃えていないので障壁は一切存在しなかったが、それでも熱気と煤は十分に届いていた。

 メインホールへと一歩近づくたびに、ジワリ、と先程浴びた水が加熱されていくのを知覚する。


「この規模の建造物にしては、火の手が広がるのが早すぎる……何者かが燃料を撒いているな、これは」


 じりじりと前に進みながら、ボソリと夏美は呟く。

 それを聞いて、紫苑は密かに「だからガソリン臭いんですね……つまり、これは放火?」と考えた。

 こうなってしまっては、放火か自然発火かなんてことは最早どうでもいい気もしたが、それでも自然と考えてしまったのだ。


「メインホールは……まだ大丈夫だな」


 そんなことを言いつつ西館の廊下を渡り終えたところで、今度は大吾がそんな確認をする。

 実際に彼の言う通り、強まる熱気と流れてくる煙を無視すれば、メインホールの様子は西館と同じく変化が無かった。

 先程の夏美も発言も合わせると、放火犯はここにはガソリンは撒かなかった、ということになる。


 何故なのでしょう、とこれまた一瞬紫苑は思考に耽りそうになったが、すぐに大吾の「ここから東館に行くぞ……!」という言葉に現実に戻された。

 先導する彼の視界に映る限り、東館廊下への入口はまだ大丈夫そうな様子ではあるらしい。

 彼の判断を信じる形で、紫苑と夏美はより姿勢を低くしながら東館廊下へと足を踏み入れる。




 ──うわ、熱っ……やっぱりここだけ、熱気が違う!


 一歩踏み入れた瞬間、紫苑の全身が総毛立つ。

 同時に彼女の視界には、ボロボロの焦げ炭と化している豪奢な絨毯や炎上する壁が入り込んだ。


 燃えている場所が、大吾の言う通り東館の奥の方──屋敷全体の東端にあたる──を起点にしているため、紫苑たちが佇むメインホールとの連結部はまだマシになっているが、それでも火の粉が散発的に飛んできている。

 奥のほうなどは、もう足を踏み入れることは出来ないだろうと一目で分かった。

 一言で言ってしまえば、火の海である。


「……禄郎、居るか!?起きろ、火事だ!」


 それでも弟の生存を信じているのか、大吾はじりじりと熱気に負けずに前進する。

 やがて彼は、メインホール側から数えて二つ目にあった扉の前で立ち止まった。

 廊下を挟んで並ぶ部屋の内、北側──正面玄関側ではなく、屋敷の奥にある森に面した側──の部屋だ。


 どうやらここが、雲雀禄郎の寝室らしい。

 幸いにして、火の手はまだここまで回っていなかった。


「……入るぞ!」


 やおら立ち上がった大吾は、一言だけそう言って重そうな扉を開ける。

 そして、未だに姿勢を低くしたままの紫苑たちを尻目に一目散に室内に入り込んだ彼は。


 ────すぐに、悲鳴を上げた。


「え……う、うわ……うわああああああああああああ!?」

「どうしました!?」


 流石に驚いたらしい夏美が、自分もまた立ち上がって部屋に行こうとする。

 しかし即座に、「く、来るな!来ない方が良い!」という、絶叫に近い声が返ってきた。


「……何故!?」


 苛ついたようにして、夏美が怒鳴る。

 口には出さなかったが、紫苑も同じだった。

 わざわざ自分たちを救助のために呼んでおいて、どうして来るな、という命令がくるのか。


 だが、それも一瞬の事。

 続けての言葉に、夏美と紫苑は正しく絶句した。


「し、死体が、ある……」

「死体……?」

「あ、ああ。死体だ……ろ、禄郎が……部屋の真ん中で血塗れになって……死んでいる!」

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