水の死因
「どうして、そう言えるんです?」
反射的に、まず紫苑が口を開く。
すると、何でも無いことのように葵は即答した。
「だって、このお屋敷の周囲、基本ウチの私有地だから。そのせいで公共道路みたいな監視カメラはちゃんと設置されていないし……違法な漁も、やれちゃうんじゃないかなって思って」
「へえ、シユウチ……」
一瞬、脳内で漢字をキチンと変換できず、紫苑は聞いた単語をそのままオウム返しにしてしまう。
だがすぐに、紫苑の大脳は「シユウチ」を「私有地」と認識し、彼女はその場で比喩でもなんでもなく飛び上がった。
雀を模したパジャマがパタタタ、と細かく揺れる。
「私有地!?えっとつまり……全部土地として所有しているんですか?あの山とか、川とかの辺りも?」
「川そのものは公共の物だけど……近くの河原までの土地とかは、基本全てそう」
当然のことのようにそう言ってから、葵は部屋に常備していたというお菓子を机の隅からコソコソと取り出す。
ふとした瞬間にお腹を満たすためか、この部屋にはミネラルウォーターやらお菓子やらが揃えられているのだ。
甘いものは別腹、とばかりにその中から飴を一つ取り出して口に含むと、夜食のついでのようにしてさらさらと説明をしてくれた。
「元々、雲雀の家系はこの辺りの山を収める地主だったんだって。実際に昔のご先祖様は、林業なんかにも手を出していたみたい。でも、お祖父ちゃんのお父さん、つまり私の曾祖父が啓君重工を立ち上げたから……」
「この土地からは離れて、土地も一応持っているだけ、という状態になったんですよね?父に聞いたことがあります」
事情を知っているらしい白雪が補足を入れると、葵はそうそう、と頷く。
その上で、経緯を繋げていった。
この辺りは、紫苑たちも軽く聞いていた話でもある。
「特に土地を譲る理由もないから、そのまま所有していたらしいんだけど……もしそのままだったら、その内、誰かに売るか何かしていたかもしれない。でもほら、実際は私の両親がああなっちゃったから」
「事故を切っ掛けにこちらに引っ越すことになり、図らずも所有していた土地が役立つことになった、という流れでしたね?」
「そうなの。だからこそ、亜優とも仲良くなれたんだけどね」
そう言いながら、何故か葵は白雪を見てニコリと微笑む。
返す刀で、ウサギ型の着ぐるみ風パジャマを着た白雪もニコリと笑った。
よく分からないが、彼女たちなりの愛情表現なのか、と密かに紫苑は分析する。
「そういう経緯で、この辺りの山は基本雲雀家が持っているままなの……でもね」
「でも?」
「所有していると言ったって、管理しているかどうかは別の話だから……正直なところ、お祖父ちゃんも私も、土地をちゃんと管理はしていないの。だから本当に、誰かが不法侵入していたとしてもよく分からない、というのが本当のところ」
──それはまた、大雑把な……。
ある種スケールの大きい地主サイドの事情に、紫苑は呆然としながら頷きを返した。
資産家であっても、そう言うのは面倒くさいんですかね、と思って。
だが言われてみれば、ここに来るまでの山道は、実のところそこまで綺麗な物では無かった気もする。
屋敷の豪華さなどから意識することを忘れていたが、屋敷周辺以外は手付かずなのではないだろうか。
「なら、この辺りの植物とかは、完全に生えるがままなんですか?」
「一応、最低限の管理をするために、民間の会社に委託はしているんだけど……道路付近とお屋敷付近の草を刈ってくれているだけだから。それ以外の場所は、その通りかも」
だからこそ四途川周辺の不審者の存在を、葵は特に聞いたことが無いし、また把握もしていない。
管理をしていないのだから、知りようが無いのだ。
だが同時に、これは四途川周辺には不審者が入り込む余地はあった、ということでもある。
違法な漁の道具を持ち込もうが、誰にも見咎められずに何とかなった可能性は高い。
「……何だか、夏美さんの仮説が補強されたのかされなかったのか、微妙なところですね」
「そうだな。まあ、否定は出来ない、くらいの感じか」
情報を咀嚼しながら、紫苑と夏美はボソボソとそんな話をする。
仮にこれで葵が「確かにそんな人影を見たことがある」と言ってくれれば大進展だったし、「管理が徹底しているからそんなことは有り得ない」と否定されれば、それはそれで諦めもついた。
しかし現状としては、「有り得ないとは言い切れないが、確かに存在したとも断言出来ない」という、なんともグレーのままになっている。
わざわざパーティーに参加したは良いが、あまり収穫は無かったと言ってもいいかもしれない。
だが、紫苑がそう考えたところで、不意に割り込む声があった。
「あらそう?私が見る限り、大きく前進したと思うけど。少なくとも、夏美ちゃんたちが追っている犯人の協力者候補は、今の話だけである程度の推測がつくわ」
「え、そうなんですか?」
いつもの扇子をどこからか取り出し、唇を支えながら発された白雪の発言。
意外な人物からの後押しに、紫苑は目を丸くして聞き直す。
すると彼女は、何故理解されないのか分からない、とでも言いたげに解説をした。
「だって、そうでしょう?葵さんの話はつまり、この辺りの山や川は管理されていなくて、仮に何者かが侵入していたとしても気が付かないかもしれない、ということよね?」
「はあ、そうですが……」
「すなわち、この場所は犯人たちが電気漁の練習をするに当たっては都合の良い場所だった……でも、犯人たちはどうやってそのことを知るの?」
トン、と扇子が唇から離れ、白雪の掌を叩く。
そして、改めて葵の方に問いかけた。
「ねえ、葵さん。今言ったこの辺りの土地がちゃんと管理されていないって話、葵さんや幸三さんは周囲に言い触らしたり、笑い話として語ったりしたことある?」
「……ううん、してないと思う。土地をちゃんと管理出来ていないっていう、ちょっと恥ずかしい話だし。そもそもこのお屋敷に人を招くのは、亜優やこのパーティーが例外なくらいで……」
「でしょう?つまり、犯人たちは噂話や評判からこの土地の未管理を知ることは出来ない……そのままでは、四途川が狙い目の穴場だと判断出来ない、ということになるわ」
それでも、地図さえ見ていれば四途川周辺で練習をやりたい、というのは一度は考えるはず。
なら、どうするべきか?
私有地であり、評判も聞かないような場所が監視されているかどうか──電気漁を実行できるだけの隙があるか──を知るためには、どうするべきのか。
その答えは、ふと思いついたようにして夏美が口にした。
「……もしかして、こういうことですか?犯人たちもまた、雲雀家の人間に直接話を聞いたからこそ、四途川を練習場所に選んだのかもしれない、と。雲雀家の誰かに、ウチの山は遊ばせてあるから練習場所に向いていると、話を聞いたから……」
「そうそう。夏美ちゃんたちだって、ついさっき葵さんに直に話を聞いて、詳細を把握したんだし……犯人たちが似たようなことをしていたとしても、おかしくは無いんじゃない?事情を知っている人から聞きださない限り、私有地の監視の状況なんて分からないんだから」
「え、でも……それなら、誰が話したんです?」
妙なところから急展開する話を押しとどめるように、紫苑は質問をする。
一度、立ち止まって考えてみたかった。
その困惑に呼応したように、夏美が軽く問い直す。
「葵さん……確か、普段はこのお屋敷に住んでいる人物というのは、幸三氏と葵さんだけでしたよね?」
「うん、そうだよ。私とお祖父ちゃんだけ。お手伝いさんとかは居るけど、住み込みじゃなくて通ってもらっているし、そんな土地の管理までは話していないもの」
「そして、お二人は土地の状況を特に周囲に語ったことは無い……なら、誰かまた別の身内が……」
話をまとめた夏美の言葉を境に、やや空気が緊張感を帯びる。
それはそうだろう。
この条件に当てはまる情報漏洩者というのは、もう二人しか考えられない。
「二人とも、分かった?その情報を犯人に教えることが出来たのは、雲雀家の内部の人間でありながら外部の人間に近い人物たちだけ……つまり、葵さんの二人の叔父さん、ということになるわ」
そうでしょう、と白雪は葵を振り返る。
不躾な言い方だったが、予想していた問いだったのか、葵はすんなりと頷いた。
そして、言いにくそうな様子だったが解説をしてくれる。
「叔父さんたちは、これまでも何度かここに来ているから……山の管理の状態について知ること自体は、出来たと思う。お祖父ちゃんだって、まさか叔父さんたちの帰り道を見張っていた訳じゃないだろうし」
「交流、あったんですね?」
「絶縁状態だったからこそ、かもね。二人ともお祖父ちゃんに許してもらうために、何度も謝罪に来ていた時期があったから」
なるほど、と話を聞いて紫苑は納得する。
確かに、彼らの立場からすれば一度絶縁を宣言されたからと言って、それで完全に交流をなくそうともしないだろう。
寧ろ、関係を修復しようとするのが普通だ。
故に、二人の叔父はこれまでもここを訪れており、なおかつ屋敷周辺の管理の具合なども聞いていたのだ。
そこまで細かく話をしていたのは、土地の維持費などの雲雀家の支出額も遺産分配に関係するので、自然と話題になったというところか。
「じゃあ、犯人の情報源は雲雀大吾さんか雲雀禄郎さんってことになるんですね。だったら、彼らは犯人と直に会っているんでしょうか……」
そこまで聞いた紫苑は、経緯を想像して一度目を閉じてみる。
電気漁の行うために、様々な川などを狙っていたと思われる花木甚弥たち。
彼らはまず、雲雀家本家から絶縁状態にあった雲雀大吾や雲雀禄郎に接触して……。
──あれ、でも……確か二人とも、お金に困っていたんですよね?幸三さんからの支援も打ち切られて。特に禄郎さんの方は、何か変な事業までしていたとか。
不意に、今まで聞いた二人の叔父の情報は脳内に蘇る。
そしてそれはいつしか、犯人グループの目的についての情報と融合していた。
確か、推察されている彼らの目的もまた、違法な漁による小遣い稼ぎ。
要は、金目当てだ。
ここでの接触というのはつまり、金に困っていた人間同士が手を取り合った、と言う方が近い。
そして雲雀大吾や禄郎もまた、金に困っていたというのなら────果たして。
彼らは、情報を提供するだけで満足するだろうか?
「もしかして、白雪部長。犯人の協力者候補が見つかったって言うのは……」
紫苑とほぼ同じことを考えたのか、そこで夏美が息を呑んで問いかける。
見つめられた白雪は、あっさりと頷いた。
「そうよ?情報提供どころか、叔父さんたちは犯人グループの一人だったんじゃないか、というのが私の推理。そう考えると、話がスッキリするもの」
「でも、そんな……それって」
口から出そうになった言葉を、紫苑は慌てて飲み込む。
いくら何でも、葵の前で言うことでは無い。
張本人たる葵が、呆気にとられたような表情を浮かべているのだから、猶更だった。
「いや、でも有り得るぞ……寧ろ、この場所を電気漁の練習に選んだ理由付けになるかもしれない」
だが、紫苑の隣では夏美が真剣な目でそんなことを言う。
今の言葉を切っ掛けに、彼女の脳内で何かが繋がったらしい。
「いくら監視が雑といっても、普通なら他人の私有地に勝手に入り込んで電気漁の練習をするのは、本来リスクが高い行為だ。入り込んだ時点で不法侵入だし、犯人側としては本当の地主が来ないのか確証は得られないからな。だが、地主である雲雀家の親戚がそこに同行していたとしたら……」
「少なくとも、私有地に入り込んだこと自体は言い訳がしやすいでしょう?叔父さんたちの方から『また父親に会いに来たんだ。その前に山を散歩でもしようと思って』と言えば良いんだし。何なら万が一、電気漁の最中に見つかっても、幸三さんも身内の恥に対しては一々警察を呼ばないかもしれない」
「というか、叔父たちが完全には絶縁していないのなら、不法侵入にすらならない。立場上は来客ということになる。そういう安全が保障されていたからこそ、花木甚弥のようなこの土地と無関係な人間すら練習に同意したんじゃ……」
白雪と夏美は、二人だけが何かしら理解したような流れで何やら確認し出す。
彼女たち程思考速度が速くない紫苑と葵は、それをポカン、と見守る形になった。
唯一、分かったことと言えば。
あの少々胡散臭げな叔父たちが、実は電気漁の犯人グループだったかもしれない、という事実。
そして、必然的に推理出来るもう一つの事実についてだった。
──要するに、葵さんの叔父さんたちこそが……仇川の水死体に関わり、そして仲間割れの末に花木甚弥を自殺に見せかけて殺した人たち、ということですか?犯人グループの仲間割れで、あれが起きたのなら……。
ぞくり、と紫苑は肌を泡立たせる。
そして反射的に、扉の様子を伺った。
幸三氏の他に、屋敷に宿泊している二人のことを思い浮かべて。