彼女の権限
「……私としては、そちらでも構いません。というより、ありがたいくらいです。可能ならここらの近くなども、実際にしばらく観察する形で調べてみたかったので」
突然の提案に一瞬場が沈黙に沈む中、真っ先に口を開いたのは夏美だった。
即座に損得を計算したらしく、肯定的な意見をすぐに返す。
そして、お前はどうする、とでも言いたげに紫苑の方を見た。
「あっ、えっと、私も親に一応、帰りは遅くなって泊まるかもしれないとは伝えていたので」
「なら、大丈夫ってこと?」
「まあ、そうですね……はい、お世話になって大丈夫なら、可能ではあります」
流されるまま、紫苑はそう告げてお辞儀をする。
正直、本当に泊めてもらえるとは思っていなかったので、突然の申し出にも思えてしまう話だったが、向こうから提案された以上断るのも忍びない。
いくら何でも、白雪はともかく紫苑の口から「いえ、そんなことは正直どうでもよくて、パーティーの豪華な料理のためだけにここに来たんです」とは言い難い、という事情もあった。
「そっか、ありがとう!なら、亜優も大丈夫?」
「私はまあ、いつもの事だから」
「だよね。やった、今夜は夜更かしちゃおっと」
ニコリ、と葵は心底楽しそうな顔をする。
だが不意に、その空間に割り込む声があった。
「……それはどうだろう、葵ちゃん。流石にパーティー直後だし、遠慮してもらった方が良いじゃないかな」
その場に居た四人が、一斉に声の源を見る。
そしてすぐに、その声が傍に居た中年男性から発せられたものであると全員が察した。
「大吾叔父さん……?」
「割り込んですまないね。でも、会話なら電話でも出来るし、どういうことを調べたいかは知らないが、それだって写真でも可能だろう。わざわざ、こんな日にやらなくても良いんじゃないかい?」
ツカツカと歩み寄りながら、傍に控えていた人物────雲雀大吾はそんな提案をする。
彼の目線は葵に一身に注がれていて、紫苑たちには向けられていなかった。
「でも、亜優のお友達ですし……」
「そこはほら、君ももう二十歳なんだから。あんまり軽々と屋敷に友達を泊めるのもどうかってことだ。兄貴が言いたいのは、そういうことだろう?」
今度の言葉は、雲雀大吾のそれでは無かった。
彼の背後から一緒に近寄ってきた、雲雀禄郎によるものである。
相変わらず無理をして礼儀正しそうにしている彼は、その粗野な態度のまま紫苑たちの宿泊に反対する。
「一度止めたら、戻るために車を呼ぶのも大変なんだから……あまり待たせるのもアレだろう?」
「そうそう、ただでさえ、相手は高校生なんだからな」
何故か一緒になって、二人の叔父は紫苑たちの宿泊に反対する。
彼らに囲まれる形になった葵は、眉をすっかり下げていた。
──何だか、変に強固に反対しますね、この人たち。自分のお屋敷でもないのに……。
その様子を見ながら、紫苑は内心、かなり不思議に思う。
ここの当主である幸三氏が宿泊に反対するのであればまだ話は分かるのだが、元々ここに住んでいる訳でも無い彼らが意見するというのは、ちょっとよく分からない。
自分たちの滞在の何が、彼らをそこまで駆り立てているのだろうか。
疑問符が増えすぎた紫苑は、周囲の反応も伺ってみる。
すると、白雪や夏美も、紫苑と同じようなきょとんとした顔をしていた。
どうしてこうまで言われるのか、と考えているのだろう。
そしてその考えは、ここの三人のみならず、雲雀家の人間としても同じだったらしい。
いよいよ葵が眉を八の字どころか垂直にし始めた頃、その場にさらに割って入る声があった。
「……そこまでにしろ、二人とも。お前たちがゴチャゴチャ言うようなことでも無いだろう」
決して大きな声量ではないのに、耳の奥にまでしっかりと届く声。
声を張り慣れている人だというのが、すぐに分かる声色。
今度は顔を見ることなく、その場に居る全員が、声の主が幸三氏であることを察した。
「……父さん」
「そもそもにして、お前たちに我が家への客人のことをどうこう言える権利はない。この場に居るのだって、葵が流石に呼ばないのは可哀想だと言ったお陰なんだからな。何を考えているか知らんが黙らんか、騒々しい」
厄介な人が来た、という風に顔をしかめながら振り返る大吾を前にして、コツコツと幸三氏は歩み寄る。
そして孫娘を助けるように二人の息子を退けると、そのまま彼らのことは無視して、紫苑たちにニカッとした笑みを向けた。
「君たち三人が、今日泊まるという話だったね?勿論、大丈夫だ。時間が許すなら、一泊どころか、二拍でも三泊でもしていきなさい……そうだろう、葵?」
「あ、はい。そういう申し出をしていたところで……」
「なら、今日から早速そうしてもらおう。さっきのゴタゴタは忘れてくれ」
二人の息子を無視して、幸三氏はその場で断言する。
流石に当主の金言には誰も逆らえないのか、大吾、禄郎の二人はそこで沈黙。
何気に未だに泊まるとは明言していなかった紫苑や夏美たちも、自然と頷くのだった。
そんなこんなで、一時微妙な雰囲気になりながらもパーティーは終わり。
幸三氏の言葉に従うようにして、紫苑たちは雲雀家の客室に向かうことになった。
無論、ドレス姿でここに来た以上、私服もパジャマも持っていないので、葵に全て借りる形となる。
一応、白雪が出発前に言っていた「もしかしたら泊まりかも」という言葉に従って下着やジャージなどは持ってきていたのが、それ以外はほぼほぼお任せになった。
この家に泊まり慣れているらしい白雪や、常に自信満々な夏美は平然としていたが、紫苑としては恐縮するしかない。
ただ、この服の貸し出しはそう悪いことだけでも無かった。
というのは、私服の持ち出しも兼ねて、紫苑たちはすぐに葵の私室に向かうことになったからである。
葵としては、単に服をさっさと選んで欲しかっただけだろうが────これは夏美たちにとって、最大の事情聴取のチャンスだった。
「望鬼市で見つかった、水死体の事件……?」
クローゼットの前で服を手にしながら、葵がコテン、と可愛らしく首を捻る。
彼女を前にして、夏美はそうです、と力強く返答した。
「噂だけでも、ご存じないですか?」
「ううん、知らない。望鬼市っていう市のことだって、今初めて聞いたくらい」
「そうですか……では、四月に映玖市内のアパートで見つかった、首吊り死体は?」
「えっと、知らない、かな……もしかすると新聞記事くらいは見たかもしれないけど、覚えてない」
矢継ぎ早に質問を繰り出す夏美を前に、葵はううん、という優しい否定を繰り返す。
よほど気が優しいのか、否定するたびに申し訳なさそうな顔をするのが、傍からやり取りを見ている紫苑にとっては印象的だった。
服を選んでいたら突然死体について質問されるという異様な状況であるのに、解答出来ないことを悪いと感じているのか。
無論、これは葵が悪い話では無い。
普通、田舎の川で見つかった死体や、地元とは言え遠くのアパートで見つかった自殺らしき死体のニュースなど、覚えている方が妙だろう。
実際、夏美や白雪も「だろうな」という顔をしていた。
「夏美ちゃん、とりあえず葵さんには、前回の事件の概要を教えてあげたら?」
「そうですね……葵さん、今から時間あります?今、もう午後十時を回っていますけど、どのくらいまでなら起きられますか?」
「夜更かしは、まあ大丈夫だけど。今日はパーティーのために、昼から寝だめしていたから」
だから眠気に関してはバッチリ、と葵は明るくピースサイン。
それを見て、夏美は下着姿──寝間着を貸してもらおうとしている最中なので、どうしてもこうなる──のままピン、と人差し指を立てる。
彼女はもう片方の手で熊を象った着ぐるみ風の可愛らしいパジャマを受け取りながら、すらすらと前回の事件の概要を説明していった。
最初は、自分の弟が帰省先で見つけた小さな証拠。
次に、芋蔓式に見つかったブログ記事と水死体のエピソード。
最終的に辿り着いた推理と、警察が見つけ出した新たなる死体。
四途川での魚の大量死と、立地的に犯人がここで電気漁の練習をしたかもしれない、という仮説。
そんな、文字にしてしまえば非現実的ともとれるあらましを、夏美は流れるように語っていく。
紫苑は適宜細かいところを補足しながら、密かに「これ、信じてくれるでしょうか……」などと考えていた。
無論、紫苑は前回の事件に最初から最後まで関わっていたために、これが事実だと分かる。
だが、葵からすれば、パーティーから戻った直後に訳の分からない話をされているような物だ。
葵にとっても知己である白雪が内容を保証しているとは言え、イタイ高校生の妄言と思われてしまっても文句は言えなかった。
だが、実際の反応は────。
「凄い……!ミス研って、そんなことするんだ。危険なこともいっぱいあるんだろうけど、大活躍だね、夏美ちゃん!」
話が終わり次第、キラキラとした目でこちらを見てくる葵に、紫苑は一瞬のけ反る。
妄言と切って捨てられるどころか、普通に楽しまれてしまった。
彼女の反応に呆気にとられる紫苑の隣で、白雪が苦笑をしながら囁く。
「葵さん、前からこういう人なの。ピュアというか、初心というか……人からされた話は、すぐに信じちゃう。まあ、元々不思議な話とか、冒険譚とかが好きっていうのもあると思うけど」
「はあ……だから、白雪部長とも仲良くなったんですか?」
「そうそう、そんな感じ……私が遺産について、叔父さんたちに騙されたらおしまいって言ったの、分かるでしょう?」
──確かに、早いところ身を固めておかないと悪い人に騙されてしまいそうな危うさはちょっとありますね……私より、四つも年上なのに。
流石に本人の前で口にすることでは無いが、それでもこう思ってしまう。
今の反応を見る限り、雲雀葵という女性の性格は、テレビや映画に出てくるような「世間知らずのお嬢様」のそれに近い。
幸三氏や白雪の不安が決して杞憂とは言い切れないということは、この短いやり取りだけでおおよそ理解出来た。
「それでそれで?夏美ちゃん、私に何が聞きたいの?」
「平たく言えば、このお屋敷の近くにある川……四途川の最近の様子についてですね。事前に調べたんですが、あの川の近くにある民家というのは、このお屋敷だけ。そうでしょう?」
着ぐるみ風のパジャマを着込み、全体的にモコモコした雰囲気になった夏美は、そんな確認をする。
すると彼女の対面で、象の着ぐるみ風パジャマに身を包んだ葵はしっかりと頷いた。
「昔は他にももう少し家があったらしいけど……私たちがここに住み始めた時からは、そうね。映玖市西部自体が、人が少ないし」
「ですよね。つまり、この川の様子を伺える人というのは、葵さんと幸三氏くらいしかいないんです。だからこそ、お伺いしたいんですが」
ずい、と夏美は身を乗り出す。
「ここ数年間、何かしら四途川で違法な漁が行われる、もしくは不審者が頻繁に目撃される、というようなことは有りませんでしたか?どんなに小さなことでも良いのですが」
数分、記憶を振り返るような沈黙が下りる。
ただ黙っているのではなく、真摯に過去の思い出を回想しているからこその沈黙なのだな、とよく分かる時間だった。
ミス研の三人に見つめられるまま、葵はじっと目をつむって考えて────やがて、力なく首を左右に振った。
「ごめんなさい、分からない……多分、お祖父ちゃんに聞いても同じだと思う」
「そうですか……まあ、当たり前と言えば当たり前ですが」
「私、ここに暮らしていると言ってもそんな川の管理までしている訳じゃないし……もし屋敷に泥棒が入ったとかだったら、流石に覚えているけど。そのお魚の大量死だって、今初めて聞いたもの」
それでも心当たりがないということは、特にこの地域で問題が起きたことは無く、記憶にとどめるような出来事も発生していない、ということだった。
故に、不審者がどうとか、違法な漁がどうとか言われても分からない。
それが、葵の正直な証言らしかった。
──まあ、これが普通ですよね……夏美さんも最初、記憶されていない可能性が高い、と言っていましたし。
彼女の言葉を咀嚼しながら、紫苑は頷く。
葵はやはり申し訳なさそうな顔をしていたが、これもまた彼女が悪い訳ではない話だった。
基本的に駄目で元々、という調査だったのだから。
そう理解した紫苑と白雪は、互いに目配せをして、話題を変えようとする。
いくら何でも、この雰囲気にまま夜更かしも出来ないだろう。
だがそこで、葵は気になることを口にした。
「でも……夏美ちゃんの言っていること、そこまでおかしな話でもないと思う。やろうと思ったら、そういうデンキリョウ?もこの川で出来たんじゃないかな、犯人さんたち」
「え、そうなんですか?」
今までとは論調の違う話に、思わず紫苑が反応してしまう。
すると、葵はしっかりと頷いて、さらに気になる証言をした。