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彼らの権利

「……あらあら、幸三さん、お口が過ぎますよ」

「ふん、構うものか。断言出来るよ。仮にあの馬鹿息子ども二人が力を合わせても、頭の出来は凡人以下だろうさ。昔から、碌でもないことばかりしてきた奴らだ」


 如何にも憎々し気にそう語ってから、彼はハッ、と我を取り戻したような顔をする。

 そして、詫びるように手刀を立てた。


「いや、すまない。君たちにする話では無かったな。忘れてくれ」

「はあ……」

「まあ、何だ。せいぜい楽しんで帰ってくれ。料理も足りないということは無いはずだからな」


 それだけ言って、幸三氏はやや面目なさそうに渋い顔をした。

 そのままくるりと紫苑たちに背を向けて、自らの料理が置かれた席の方へと戻っていく。

 彼としても、話題を早いところ打ち切りたかったのが良く分かる動きだった。


「初対面の人間にも漏らしてしまうレベルなんですね……息子さんたちとの関係のアレコレは」


 一瞬の沈黙を置いてから、夏美がそんなことを聞く。

 すると、問いかけられた白雪は困ったものだと言いたげに、はあ、とため息を吐いた。

 それから、内緒話でもするように小声で事情を説明してくれる。


「二人がやってしまった過去の失敗だけなら、まだ何とかなったかもしれないんだけど……長男夫婦が亡くなった時のやり取りで、色々と決壊したみたいで」

「何かあったんですか?」

「簡単に言えば、長男夫婦のお葬式──流石にこれには、既に絶縁状態だった彼らも呼ばれたの──の最中に、大吾さんと禄郎さんが『どちらが次の後継者候補か』で取っ組み合いの喧嘩し始めたのよ。まだ、読経も終わっていなかったのに」

「葬式中に喧嘩、ですか……」

「嘘じゃないわ。ウチのお寺で起こったことだから、よく知っているの、それで幸三さんもいよいよ憎しみが増したみたいで……それ以来、実の親子であっても、互いに他人以上に憎しみ合っているわ、この家は」


 ──うわあ……。


 傍から聞いているだけで胸がドロドロとした気分になる話に、紫苑は思わず眉を顰める。

 どこに感情移入すればいいか分からないというか、揉め事の種しか見えないような話で、そんな反応を返すしかなかったのだ。

 ただ一つ残ったのは、そんな家に一人残される形となっている葵さんは大丈夫なのでしょうか、という心配だけである。


 ──それに、彼らがあまり賢くないという幸三さんの話も、そのエピソードを聞く限りは単なる悪口じゃない気もしますね……お二人には失礼ですけど。


 ついでに、紫苑はそんなことも考える。

 嫌な推論だが、概ね間違っていないという確信があった。


 実際、その葬式中に喧嘩と言うのは、ほんの少しでもまともな判断力のある人間ならしないことだろう。

 どう考えても、その喧嘩に勝ったところで自分が後継者になれるはずが無いし、幸三氏の不興を買うだけなのだから。


 それでもどうしても後継者になりたいのなら、せめて葬式中はおとなしくしておき、そのまま幸三氏の印象を回復させていく方が随分と利口だろう。

 喧嘩などするよりも、よっぽど簡単に遺産相続を許される可能性が高くなる。

 上手くすれば、流石にアイツも兄の死を悼むだけの良識はあったのか、昔と違って反省したのか、という話にだって持って行けたかもしれない。


 それが現実には、ただでさえ絶縁状態だったのが、葬式中の喧嘩という良識を欠いた行為でさらに関係悪化。

 まだ女子高生の紫苑でも容易に想像のつくようなことすら、彼らには分からなかったのだろうか。


 だとすれば、確かに世界的企業の大株主という立場を後継する器ではない気もする。

 この辺りは白雪も同意見なのか、同情と言うよりも、ただただ全員を憐れむような口調で話が続いた。


「幸三さん、割と昔から遺言状を用意してあるのだけど……その中に、次男三男には一円たりとも遺産をやらない、と書いてあるそうよ。以前、父の前で言っていたわ」

「それはまた……憎んでますね」

「勿論、彼自身が息子たちを育てた結果であることも考えれば、幸三さんにも決して全く責任がない訳じゃないとは思うけど……それでもやっぱり、葵さんに残すお金は多くしておきたいのでしょうね」


 それに関しては分かる気もする、と白雪は小声のまま呟く。

 雲雀葵と実際に友人であるせいか、彼女の意見は幸三氏寄りのようだった。


「……しかし、遺留分がありますから、向こうが訴えを起こせば、彼らに渡る遺産額もゼロとはいかないでしょう。どういう形で決着をつけるんです?」


 そこで、夏美が興味を抱いたように問いを発する。

 だがその答えがなされる前に、彼女の言葉を聞いた紫苑ははて、となった。


「すいません、夏美さん。そのイリュウブンって何ですか?話の流れ的に、遺産関係の何かなんでしょうけど……」

「ん、ああ、紫苑は知らなかったか。白雪部長は……」


 知っていますか、と言いたげに夏美は白雪を見やる。

 そして白雪が頷くと同時に、夏美は紫苑に向き直った。

 とりあえず、紫苑への説明を優先してくれたらしい。


「遺留分と言うのはな、強制相続分や法定相続権とも言って……簡単に言えば、遺言などでも奪うことが出来ない遺産の取得権のことだ」

「へ?……シュトクケン?」

「要するにな……幸三氏が『息子たちには遺産は一円もやらない。孫娘に全て譲る』と遺言状に書いてあったとしても、次男三男が『いやそれはおかしい。俺たちも最低限これくらいは遺産を貰えるはずだ』と訴える権利のことだ。もしこの遺留分侵害額請求というのを起こされたら、財産を継いだ葵さんは、その『最低限貰えるはずだった遺産額』を彼らに払わなきゃいけなくなる。詰まるところ、遺言状に抗ってでも遺産を貰える権利と考えれば良い」

「へえー……そう言う制度があるんですか」


 初めて聞くことばかりの知識に、紫苑はただほうほうと呟く以外のことが出来なくなる。

 恐らくは民法の知識だと思うのだが、これはもう料理の名称以上に紫苑からすれば縁遠い話だった。

 刑事である紫苑の父ならもうちょっと詳しいかもしれないが、流石に娘と言えど剣術以外にここまでは習っていない。


「じゃあ、幸三氏がどれだけ息子さんたちのことを嫌っていたとしても、その遺留分の額だけは息子さんたちに行きわたるってことですか?」

「訴訟の流れや互いの状況などにもよるが、場合によってはそうなるな。無論、その訴えを出来る本人が遺留分を放棄したら……つまり、『いえ、俺たちは遺産なんて最初から要りません。遺言状に従って、受け取る権利は無くてもいいです』と言ってくれたら、葵さんだけに全ての遺産が行くだろうが……流石に、それは無理でしょう?」

「無理ね。意地でも遺留分だけは持って行くと思う。何なら、葵さんが受け継ぐ分の遺産だって本心では欲しいんじゃないかしら」


 夏美の説明の後半は、紫苑ではなく白雪への問いかけとなっていた。

 予想された質問だったのか、白雪もすらすらと生々しい回答をする。


「その辺りの事情もあって、幸三さんも対策を練っていたはず。例えば葵さん、既に幸三氏と養子縁組をして法的には孫から娘になっているそうだし、遺言状の内容を預かる弁護士にも、既に何度も会っているはず……」


 ぶつぶつ言いながら、白雪はかつて聞いたらしい話を思い返す。

 紫苑にはよく分からないが、それらは全て遺産相続において有利になる努力らしい。

 その上で、ただ、と彼女は心配そうな顔をした。


「それでも、葵さんが騙されてしまえばおしまいだけどね。例えば幸三さんが亡くなった後、まだ若い葵さんでは財産の管理が出来ないから、とか何とか言って、彼らが葵さんの後見人のような立場に収まってしまえば……」

「遺留分の請求なんてしなくても、事実上葵さんが引き継いだ分の遺産すら、後見人として管理出来る訳ですね。葵さんが一度うんと言ってしまえば、そこまでですか」

「そういうこと。そう言う意味でも、あのお見合いは大きな意味を持つの。車の中でも言った通りね」


 ──ああ、早く結婚しておくことで、財産の管理とかはその結婚相手の家に頼ろう、とかいう……。


 数時間前の話を思い出して、紫苑はなるほど、と頷く。

 どうやらこの策略は、叔父たちが後見人になるだけの隙間を減らすため、という目的が強いようだった。


「……ただ、葵さんがそれを望んでいるかは知らないけどね。元々幸三さん、葵さんの意志を無視してでも彼女の利益になりそうなことをさせる悪い癖があるから」


 納得している紫苑と夏美を尻目に、白雪は心配そうな声でそう告げる。

 それを境に、何とはなしに生々しい会話は終了したのだった。




 ────それから、さらに一時間弱経過して。

 待ちに待った雲雀葵への挨拶は、ようやく紫苑たちにも巡ってきた。


 そのくらいのタイミングになって初めて、彼女に顔を売りに来た子息たちの人の輪が薄くなったのである。

 これでようやく、白雪からゴーサインが出たのだ。

 三人は会場内をスムーズに移動し、やがてまばらな人の輪を乗り越えて、今日の主役へと声をかける。


「お久しぶり、葵さん。先に紹介しておきたいのだけど、こちらは私の部活の後輩たち。可愛いでしょ?」


 三つほど年の差があるはずだが、元々友人ということもあってか、特に敬語は使わずに白雪は紫苑たちを紹介した。

 彼女の作った流れに乗って、紫苑と夏美は再び頭を下げることになる。


「初めまして、煌陵高校ミステリー研究会の、松原夏美と申します。本日はこのような素敵な場に招待させていただき、大変光栄です」

「あっ、同じく、氷川紫苑と言います……ええっと、初めまして」


 未だに慣れぬ挨拶を行いながら、密かに紫苑は眼前に迫った雲雀葵のことを確認した。

 そして内心で、この人が、と思う。

 この人が、幸三氏に大事に育てられた孫娘、雲雀葵なのか、と。


 ──雰囲気的には、普通の女の人って感じですね……幸三さんみたいなオーラは無くて、気さくな感じで。


 最初に、そんなことを考えた。

 見方によっては礼を失した感想だったかもしれないが、本当に紫苑がそう思ったのだから仕方が無い。


 実際、肉眼で見た雲雀葵は、第一印象としては普通の女性だった。

 着ている衣装は恐ろしく高そうなドレスである上、頭には値段の検討もつかないブルーダイヤモンドが輝いていたが、それでも圧迫感や風格のようなものは特に無い。


 顔立ちも特徴と言える特徴は無く、大学などによく居る可愛らしい人、という印象だった。

 優しい感じの雰囲気だが、人によっては頼りなさげに見えるかもしれない。

 そんな顔がふにゃりと緩み、やがて言葉を紡ぎ出した。


「亜優が友達を連れてくるなんて、本当に珍しい……!こちらこそ初めまして、二人とも。私、雲雀葵と言います。よろしくね?」


 紫苑にそんな分析をされているとは知らないまま、葵は流暢に挨拶をする。

 彼女の様子はとても楽し気で、本当に新しく知り合いが増えることを喜んでいるように見えた。


 このある種普通の反応も、厳かなパーティー会場ではやや浮いている。

 無論、悪いことではないのだが────。


「……思ったよりも、普通の人だな」


 紫苑の耳元で、隣に居る夏美がボソリと呟く。

 完全に同意だったので、紫苑もまた葵に見えないようにしながら頷いた。


 遺産相続やら、世界的企業に関係ある家の令嬢やら、何かと本人の立場ばかり聞いてしまったために、これまでは彼女のことは別世界の人間であるかのように捉えてしまっていた。

 しかし実際のところ、本人の気質は常人のそれらしい。

 これに関しては、紫苑にも偏見があったということか。


「でもせっかく来るなら、もっと普通の日でも歓迎したのに……どうしてパーティー中に来たの、二人とも?」


 そんなことを考えているうちに、葵の方がふと思いついた、という風に問いかけてくる。

 どう答えようかと思った瞬間、白雪はフォローするように口を開いた。


「元々は私が、新入生の歓迎がてら二人を呼んだの。ご馳走してあげるって言って……」

「わあ、省エネ」

「まあまあ。それに、夏美ちゃんが葵さんに聞きたいことがあると言っていて……その意味でも、丁度良かったの」


 ざっくばらんに手の内を明かしてから、白雪はチラリ、と横目で夏美たちを見やる。

 彼女の様子を見て、夏美は白雪に感謝を示すようにして手刀を切った。

 事件捜査への誘導ありがとうございます、と言いたいのか。


「そういう訳です、葵さん。不躾ながら、少々お話の機会を得たいので……急ぎではありませんが、可能なら早い方が良い話題だったんです」


 夏美がそう言うと、葵はへえ、と興味を示したような顔をする。

 そして夏美が言葉を続ける前に、こう治安をした。


「それなら、二人とも……こんな忙しない場所じゃなくて、私の部屋で話す?」

「部屋?」

「うん、そう。どうせだったら、亜優も含めて皆でここに泊まらないかなって思って。そうしたら、じっくり話せるでしょ?」


 良いこと思いついたという表情で、葵はポン、と両手を打ち合わせる。

 すると白雪は、この流れを予想しているのかしていないのか、「あらあら」とだけ返した。

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