輝く泥
「さて、食べましょうか。葵さんへの挨拶は、順番的にもう少し人が離れてからがいいと思うから」
乾杯が終わった途端、ふう、と息を吐いた白雪がそう口にする。
そして彼女自身も空腹だったのか、瞬く間に取り皿を持ってきた。
「順番とかもあるんですか、挨拶って?」
「まあ、明文化されている訳じゃないけど……最初は血縁者か余程親しい人、次に仕事関係の付き合いの人、最後に初対面で顔を売っておきたい人が挨拶、という感じかしら。全く知らない人が最初からずかずか会いに行くのも、何だか変な感じでしょう?今回は紫苑ちゃんと夏美ちゃんが居るから、私もそうした方がいいの」
そう言いながら、白雪は紫苑と夏美にも取り皿を渡してくれる。
感謝しながら受け取りつつ、紫苑は彼女の言う理屈になるほど、と思った。
恐らくだが本来、雲雀葵と個人的に親しいという白雪は、すぐさま挨拶に行ってもそこまでおかしくない立場だろう。
だが、今日に限っては紫苑と夏美という雲雀葵にとって初対面の人間が居るので、紹介も兼ねて挨拶に時間がかかる。
故に、会いに行くのはちょっと待つようだ。
「でもそれなら、白雪部長が先に挨拶をして、私たちはまた後で、というのは駄目なんでしょうか?もしくは、いっそ私たちは挨拶しないとか」
本来は親しい間柄である白雪の行動を制限することに申し訳なさを感じ、紫苑はそんな提案をしてみる。
だが的を外した意見だったらしく、即座に白雪は左右に首を振った。
「普通なら、紫苑ちゃんたちみたいな付き添いの人はそれでも特に問題が無いんだけど……ほら、今回は夏美ちゃんの捜査があるんでしょう?」
「あっ、そうですね。流石にパーティー中全く挨拶しなかったのに、相手が暇になった瞬間捜査をしに行くのは……」
「ちょっと、礼儀を欠きますね。それ以前に、葵さんからは誰だコイツ、となるかもしれませんし」
訳知り顔で、最後は夏美が引き取った。
彼女はどこからか既に料理を貰ってきたのか、フォークにアスパラガスを突きさしてカチャカチャやっている。
とりあえずは、空腹を満たすことを優先したらしい。
「そう、夏美ちゃんの言う通り。まあ、葵さんはそんな小さなことで怒るような人では無いけれど……一々失礼なことをする必要は無いでしょう?」
「了解です。なら、時間を見て三人で挨拶、ということにしましょう。事件関係の質問は、そこで顔を覚えてもらったさらに後に」
「ええ。しばらくは遠慮なく、料理を楽しみましょう」
そう言って、さらに白雪が渡してきたのは炭酸水の入ったグラスだった。
最初はこれで口を清めておけ、ということか。
どことなく不思議な気分になりながら、まだ何も食べていない紫苑と既にサラダを摘まんでいる夏美は、それを口に含むのだった。
そこからのパーティーの様子は、何ということも無い。
三人が三人とも、適当に料理を摘まみ、さらに適当な場所に集まって食べていただけだった。
場所と料理の内容こそ特異的だが、やっていることだけ言えば、食べ放題の店に入った女子高生の夕食とみてまず間違いない。
紫苑としても、最初は雰囲気に呑まれて不必要に怯えていたのだが、三十分もすると慣れていた。
そもそもにして、主役である雲雀家の人間や、放っておいても挨拶が来るような有名人を除けば、他のパーティー参加者というのは意外と会場内でもポツン、としている。
特に話す相手がいないのか、黙々と壁際で料理を食べている人間も、結構な数存在した。
ここに来られる立場にあるはずの参加者たちですらそれなのだから、一介の女子高生の紫苑たちなどは猶更である。
パーティー会場のど真ん中に居るからと言って、特に誰かに注目されることも話しかけられることも無く、いつしか当たり前のようにして場に馴染んでいた。
小市民的な精神性を持つ紫苑ですらそんなものだから、普段から意味なく自信満々に生きている夏美などは、一瞬でこの場に適合している。
開始して三十分経過した現在では、マナーも何も分からないだろうに勝手知ったる様子でステーキを取り皿に載せ、ホールスタッフにホースラディッシュをたっぷり付け加えてもらっていた。
──そう言えば前に、夏美さん言っていましたね。どんな場所に居ようが、堂々としていれば意外と不審には思われない。泥棒や不審者なんて存在は、周囲の視線を気にするから怪しまれるんだって。
取り皿にこんもりと料理を載せている夏美を座席から見ながら、同じように料理を取ってきた紫苑は呆れと感動を丁度半分ずつ自覚する。
同時に、よっこらせ、と内心で呟きながら椅子に腰を下ろす。
立食パーティーと言っても、足腰の負担を考えてか、会場の壁に沿うようにしていくらかの椅子と机が用意されていた。
その一つに座りながら、紫苑は黙々と正式名称が分からないパスタを口に運ぶ。
──あ、これ美味しい。
歯で一度噛んだ瞬間に自覚する美味しさに、紫苑は頬を緩ませる。
正直な話、この場に置いてる料理の全てが庶民たる紫苑の舌に合う訳ではないのだが──高級すぎるせいか、珍味なのだろうが美味ではない料理がそこそこあるのだ──それでもこのパスタは当たりだった。
語彙力の乏しさ故に具体的な味を表現出来ないのだが、海っぽい風味がして美味しい。
「どう?紫苑ちゃん。それ、お気に入り?」
隣で同じく座っていた白雪が、紫苑の顔を見てクスクスと笑う。
見られてましたか、と思って、紫苑はやや頬を赤く染めた。
白雪のようなこういった場に慣れた人にとっては、初々しい紫苑の反応は新鮮に見えるのだろう。
どうにもこの人は、紫苑たちの感想を面白がっている節があった。
「……白雪部長は、何を食べているんですか?」
「ん?これは鴨。紫苑ちゃんも食べる?」
ぷすり、と白雪は自分の食べていた鴨のローストをフォークで突き刺す。
そして、あーん、と言って紫苑の口元に伸ばしてきた。
恐らくかなりのマナー違反だと思うのだが、余りにも自然な動きだったものだから、紫苑はそれに従って鴨肉を口に含む。
途端に、これまた言語力の敗北を思い知らされる味が口の中に広がった。
「ふぉれも……これも、美味しいです。冷たいお肉って、ちょっと不思議な感じがしますけど」
「そういう料理だからね。何にせよ、美味しく思ってくれているのなら良かった」
あらあら、と口癖を言いながら白雪が微笑む。
そして、どことなく意識が逸れたように周囲へと視線を移した。
「……挨拶の方は、まだ大丈夫ですか?」
雲雀葵の方を気にしているのかと思って、紫苑は一応問いかけてみる。
するとその推測は当たっていたらしく、会場の中央に発生している人だかりを見ながら、白雪は一つ頷いた。
「うん、まだまだかかりそう……もしかすると、お見合い相手の紹介がかなり早い段階から進んでいるのかもしれないけど」
「あー……『いつもお世話になっています、ところでこちらがウチの息子のナントカです、年も近いので今後ともよろしく』みたいな感じになっているんですかね?」
「多分、そう。ここの参加者の人たちからすれば、ほんの少しでも目に留まればそれだけでもラッキーだもの」
流石に話題が話題ということもあってか、後半になるに従ってコソコソ話の音量になりながら白雪が解説してくれる。
釣られて紫苑もボリュームを大きく落としながら、気になっていたことを質問することにした。
「因みになんですけど、質問良いですか?」
「良いよ、何?」
「あの人だかりの、右の方なんですけど……四十代くらいの男の人二人が、じっと立っているじゃないですか。あの人たちって、どういう立場の人なんです?」
言いながら、紫苑は指さすことなく視線でそれとなく話題の対象を示す。
幸い意図は伝わったらしく、すぐに白雪が納得したような顔になった。
「ああ、あの人たち?葵さんたちの近くで立っている、スーツ姿の男の人の……」
「そうです、他の人は動き回っているのに、あの人たちだけ完全に止まっているので……どうしてなのかなあ、と」
「そうね、紫苑ちゃんから見れば奇妙に見えちゃうかも。でも、理由は簡単よ。あの人たちのことは、車で教えたでしょう?」
そう言われて、ああ、と思う。
なるほど確かに、パーティーの主役でもないのに主役の近くに常に居る人間となれば、その正体は限られていた。
「じゃあ、あの人たちが雲雀葵さんの二人の叔父さん……亡くなったという長男の弟さんたちですか?」
「そうね。普段は二人とも、もっと都心の方に住んでいてこちらには殆ど顔を出さないし、そもそもにして関係が悪くて立ち寄らないのだけど……流石にこの場には呼ばれたみたい」
へえ、と考えながら、紫苑は彼らの方向を注視する。
正直な話、この後挨拶に向かう雲雀葵ならいざ知らず、その親戚のことは大して興味があった訳ではないのだが、それでも話の種として多少は気になったのだ。
──でも、よく見るとこう……アレですね。何だかこう、あまりパーティーに慣れていなさそうな人たちですね、二人とも。
かなり失礼な話だが、彼らに注目した瞬間、紫苑は自分のことも棚に上げてそんなことを考えた。
勿論口には出さなかったが、間違ったイメージとも思わない。
そのくらい、場違いな姿だったのである。
まず、二人居る叔父の内、年嵩の方。
恐らくは幸三氏の次男だと思われる彼は、何だか落ち着きがない様子だった。
立ったまま貧乏ゆすりをして、苛立たし気につま先を何度も床に叩きつけている。
パッと見はパーティーの参加者と言うより、「連れ合いが遅刻したことに気分を悪くしている会社員」という具合だった。
来ている服装が地味なスーツであることも、その印象を後押ししている。
風貌自体も、これと言った特徴のない中肉中背──紫苑より少し背が高いくらいだろうか──の中年男性、としか言えなかった。
そしてその隣に居る、年下の方。
消去法で三男だと判断される彼は、もっと会場に似つかわしくなかった。
と言うのも、遠くでもうっすら聞こえるくらいに、ジャッカジャッカと大きく皿の音を立てながら食事をしているのである。
別にそれが悪いという訳でもないのだが、周囲が品のある参加者ばかりなので、悪目立ちしてしまっている。
どうも見ている限り、意図的に音を立てているとかそういう訳では無く、純粋にマナーを教わっていないのでそうなってしまっているらしい。
──もしかして、腕の力が自分でコントロール出来ないくらいに強いんでしょうか?凄く体を鍛えているとか……。
観察の果てに、紫苑はそんな妙な想像をする。
三男の体つきが、次男とは身長は同じくらいでも彼よりもがっしりしたそれであるように見えたせいか、有り得なくもないように思えたのだ。
「……どう?紫苑ちゃんの目から見ても、パーティーに慣れていないように見える?」
黙考していると、不意に白雪が紫苑の内心を見透かしたような問いかけをしてくる。
一瞬、うっかり紫苑は彼女の意見に頷きかけたが、気力で首の動きを自制した。
いくら何でも、招かれている立場でそんなことは言えないというのは、紫苑でも分かる。
「いえ、まさか……ただ単に、初対面だからちょっと見ていただけで」
「そう?何にせよ、彼らがこういう場に慣れていないことは確かだと思うけどね」
「……それはその、絶縁状態だったから、ですか?」
車中で聞かされたそれを思い出して、紫苑は小声で尋ねる。
これに関しては好気心ですらなく、純粋な野次馬根性だったが、それでもちょっと気になったのだ。
絶縁状態で、しかしパーティーには来るというのはどういう関係なのだろう、と。
「ええっとね、あの二人の内、次男の雲雀大吾さん。あの人は関連企業に就職した、というのは話したわね?」
「はい、でも横領で……」
「そう。何でも元々株取引とか、投機関連に興味があったらしくて、個人的にそれをしていたらしいの。ただ、そちらの才能は無かったみたいで……あっという間に大損を出して、横領で損失を補うようになった、とか何とか。勿論、すぐにバレたけど」
「それはまた……」
周囲に聞こえないように小声で呟く白雪に耳打ちされながら、紫苑はかなり呆れる。
そう言う行為、大の大人がしても良いのだろうか。
「それ、バレた後はどうなったんですか?幸三氏が激怒した、というのは聞きましたけど」
「一応、別の会社でまた再就職は出来たみたい。それでもまあ、社会的な信頼度はかなり下がっちゃったから、生活はちょっと苦しいらしいけど。そのせいで幸三さんに借金をしに来たって、以前に父の前で幸三さんが愚痴を言ってたから」
かなり幸三氏に同情しているような口ぶりで、白雪はそんなことを告げる。
どうやらその愚痴を聞くことで、白雪は雲雀家の事情にこうも詳しくなっているようだった。
或いは単に、彼女が耳年増なだけかもしれないが。
「じゃあ、三男の人は?」
「雲雀禄郎さんね。あちらはかなり昔に亡くなった幸三氏の奥様が、甘やかしてしまったらしくて……我儘放題に育った上に、途中で暴走族に入って家を出たの。今の職業は、無職とフリーターの中間くらい、かしら。怪しい事業に関わっていたらしいけど、どれも失敗しているらしいわ」
「ははあ……」
──それはまた、凄いご家庭ですね……というか幸三さんと亡くなった奥さん、失礼ながら子育て下手なんじゃ……。
白雪に釣られるように、紫苑は主賓の方を見る。
その上で、幸三氏に同情すべきか、幸三氏にも責任はあると考えるべきか、やや悩んだ。