迅速でいて緩慢で
「つまり今回のパーティーは、純粋に孫娘の成長を祝う場じゃなくて、ある種のお見合いも兼ねているんですね?孫娘を任せるに足る相手が、招待客の中に居るかどうかを確かめる、そのための場所だと」
「言葉を選ばなければ、まあそんな感じ。その目的が無かったら、そもそも誕生日パーティーなんて開かなった、かも」
あけすけともとれる夏美の言葉に、白雪は軽く頷く。
その上で、軽く忠告した。
「そういう事情があるから、パーティー中は私でも葵さんとあまり話せないかもしれないの。それこそ、かなり終盤にならないと……」
「なるほど、承知しました」
「まあ、時間がかなり遅くなったら、いつものように泊まっていかないか、みたいな話になるかもしれないけど……」
くるり、とまた白雪は後部座席を振り返る。
「一応、泊まっても大丈夫な準備、二人ともしてきた?」
「あ、はい、私は親に置手紙もしてきました」
「私も、ちゃんと持ってきています。今日は母親も早く帰ってきていまして、玲の世話もそちらに預けましたから……ああ、それと」
それぞれが返答してから、不意に夏美は何かを思い出したようにして、紫苑の方を見やる。
そして、さっきから聞きたかったんだが、という言葉と共にとある疑問を発した。
「紫苑、お前……泊まる時の準備は必要にしても、何でアレまで持ってきたんだ?」
「アレ?」
「あー……それはまあ」
不思議そうに聞き返す白雪を前に、紫苑はやや気まずい顔をする。
それに関しては少々、説明がしにくかった。
自然、意味を把握している紫苑と夏美だけでゴニョゴニョと会話をする。
「ええっとその、私、パーティーなんてものに参加するのが初めてでして……何を持って行けば良いのか分からなかったというか、とにかく高そうなものを持参していこうか悩んだというか……」
「いやー、だからってアレは無いだろ」
「だって、私の家で一番高そうな装飾品って、アレしか無かったんです」
「でもなあ。確かにお前にとっては常備品かもしれないが、流石に非常識というか」
「夏美さんに常識を教えられるの、何となくイヤです!」
少しムキになって、紫苑は弁明した。
自分でも初めてのパーティーということで舞い上がっていたというか、訳の分からないことをしてしまったと自覚していたのだが、なまじ自覚している分、逆に認めたくなかったのだ。
結果、夏美の言葉に対してもかなり暴論で返答することになる。
そんな会話をしている間、白雪は意味が分からないなりにちょっと楽しそうに話を聞いていた。
よく分からないけどまた仲良くしているな、とでも思っていたのかもしれない。
だが不意に、彼女は視線を車の窓の外にずらすと、あっ、と声を出す。
「紫苑ちゃん、夏美ちゃん、仲良く喧嘩しているところ悪いんだけど、前を見て」
「は、はい?」
「そろそろ見えてくるから……ほら、あそこ」
つい、と白雪が袖の袂から指を出し、外を指さす。
釣られて紫苑たちは外を見て、すぐにおおう、と二人して声を上げた。
「ありますね、大きな家……森の中に、浮かび上がるみたいに」
「あれが、お屋敷ですか。屋敷というかもう、西洋風の城みたいですが」
紫苑は窓に貼り付くようにして景色を見やり、夏美はその紫苑の背中に乗っかるようにして頭越しに外を見つめる。
二人の視線は重なり、一つの屋敷に向かっていた。
映玖市西部を埋める山々の中央、小さな盆地のような場所────そこを埋める、雲雀家の屋敷に。
「荷物は寺男さんが運んでくれるって。だからとりあえず、主賓に挨拶をしておく?」
屋敷に到着してすぐ、しずしずと車から降りた白雪はそんなことを言う。
良いんですか、という意味を込めて紫苑が運転手を務めた人に視線をやると、勿論、とでも言いたげに彼が頷いた。
間髪入れずに荷物を運び始める彼の姿は手慣れていて、こういうことが今まで何度もあったことが察せられる。
白雪の言う通り、これまでも雲雀家のような資産家と関わることは珍しくなかったのだろう。
「……ええとこれ、まずどこに行けば良いんですか?最初は外で待たなければならないとか、そんなルールがあったりします?」
しかし、白雪程には紫苑たちはこういった場に慣れていない。
場の雰囲気に気負ってしまい、紫苑は最初に妙なことを口にしてしまった。
豪奢に着飾っていない人物が周囲に一人も存在しないという、この空間が発するある種の圧が、そうさせるのである。
「大丈夫、大丈夫。まだ料理の用意が出来ていないから会場そのものには入れないけど、受付や待機場所には自由に入れるから」
緊張を解きほぐすように手を軽く振りながら、白雪は迷うことなく前進した。
慌てて、紫苑は彼女の背中を追う。
そのさらに後ろを、元々の性格のせいか一切気負っていない夏美が付いてくる形になった。
まず、それなりの人混みを潜り抜けるようにしながら三人で歩いて行き、正門を超えた先の玄関──建物と正門の間に、だだっ広い庭があるのだ──を超える。
入った途端に、ホールのような空間にドン、と目に映ることとなった。
この屋敷は、玄関に足を踏み入れた瞬間に、こういう場所が用意されている設計らしい。
無論、ホール内には既に多数の人が出入りしている。
手前には招待状を確認するための受付らしきものがあり、その付近にはソファやら水飲み場やらが設置され、休憩スペースのようになっていた。
さらに奥に視線をやれば、半開きの大きな扉がある。
どうやらあの扉の先が、お目当てのパーティー会場らしい。
「大体分かると思うけど、奥の扉がメインホールの入口なの。だからここは、パーティーが始まる前の待機場所みたいなところね」
歩きながら、白雪がそう説明をしてくれる。
そして、私は招待状を見せてくるね、と素早く受付の方へ向かって行った。
当然の帰結として、紫苑と夏美はその場に取り残される形となる。
──こういう時、何となく凄い不安に感じちゃいますね……。
古今東西、初見の場所で頼りになる人と別行動になること程、心細いこともそうは無い。
どこで待っていいかすら分からず、紫苑はその場でじっと立ち止まった。
雑談すら、少しだけやりにくい。
だが、こういう時に強いのが松原夏美という人間である。
白雪が立ち去った瞬間から、彼女はスタスタと流れるように受付から離れていった。
彼女の足取りには一切のよどみがない。
「え、ちょ、夏美さん」
「……おー、凄いな、会場。もうケータリングが入っているぞ」
制止する間もなく、夏美はパーティー会場と待機所の境目に立ち、奥の扉に首を突っ込んで中の様子を確認する。
初めて見る場所ということもあってか、どんな準備をされているかを見てみたかったらしい。
料理を手配される様子すらも、興味深そうに見ていた。
「立食形式だから、料理が会場内の色んなところに点在するような形になっているんだな……何かこう、普通のバイキング店をレベルマックスにしたみたいな光景だ」
俗っぽいようで分かりやすい説明をしながら、夏美は周囲の視線も気にせずに奥の様子を見やる。
釣られて紫苑もその視線に乗っかるようにして会場内の様子を伺うと、なるほど確かに、夏美が言う通りの光景が広がっていた。
大雑把に居れば、広いホールの各所に浮島の如くテーブルと椅子が配置され、その上に正式名称が良く分からない料理積まれている形である。
設計としては、夏美の言葉通り、バイキング店のそれだった。
ただ、積まれている料理がどう見ても何十人分もの分量なので、中々どうして見ごたえがある。
「でも、割と軽めの料理が多いですね。サラダっぽいやつとか、ゼリーっぽいやつとか……」
「そうね。普通は時間経過でメニューが入れ替えられるから……とりあえずは、軽食メインで並べているんじゃない?」
ふと疑問を呟いた瞬間に、背後から白雪の声がかかる。
振り返ってみれば、小さめの手持ち鞄に招待状をしまいながら、紫苑たちに歩み寄る白雪の姿があった。
とりあえず、受付での手続きは終わったらしい。
「見た感じ、メインが並べられるのは一時間近く経ってからだと思う。だから夏美ちゃんも紫苑ちゃんも、食べるペースは考えてね」
「そうですね。最初に本気を出すと、前菜だけでお腹一杯になっちゃいます」
「メインが出てくるまでは、敢えて食べずにセーブしておく必要があるってことですね」
こう言った場になれているが故に、かなり実用的なアドバイスをしてくれる白雪を相手に、紫苑と夏美は頭を下げる。
なまじバイキング形式である以上、最初から食べまくろうと思えばそれも可能だ。
だからこその忠告、ということだろう。
もしかすると白雪部長の実体験なんですかね、と思って紫苑が白雪を見上げると、彼女は相変わらず持参している扇子を広げて口元を覆った。
察しろ、ということか、或いは察するな、ということか。
「何にせよ、料理をこれだけ並べている以上、そろそろ中には入れると思う。もう、開場まで五分も無いんじゃないかな」
「ああ、確かにそうですね。放っておくと料理が乾燥してしまうから……」
話題を変えるようにして白雪が口にした予測に対して、紫苑が返答した瞬間。
会場内から出てきたスタッフらしき人が、すうっと息を吸ったのが分かった。
「……大変お待たせ致しました。これより開演です。受付を済ませた招待客の皆々様は、どうぞお入りください……」
タイミングのいい告知に、紫苑、夏美、白雪の三人は目を見合わせる。
やがて、白雪が行きましょうか、と軽く告げた。
残る二人もそれに頷き────ようやく、三人はパーティー会場に入っていった。
どことなく周囲から伝わってくる、パーティー特有の熱気や空気の盛り上がりを肌で感じながら。
……だが、会場に入ってから三十分。
もっと言えば、パーティー開催より二十分経過した時。
そのメインホールは────これでもか、という程盛り下がっていた。
『えー……雲雀幸三氏は、言うまでも無く世界的大企業たる啓君重工において多大なる貢献をいたしまして……十五年前に社長職を、十年前に会長職を退かれました後も、私どもに有意義なアドバイスを何度もしてくださいまして……』
静かな会場内に、間延びした音が反響する。
途端に、くあぁ、と紫苑の左隣に居る白雪が小さな欠伸をした。
無論、すぐに分かるほどの大きな音がするものではない。
扇子で上手く隠していたが、それでも隣だと分かってしまう、くらいの欠伸だ。
一方、白雪よりもあからさまに、ポケーッと天井を見つめてつまらなそうにしているのが、紫苑の右隣に居る夏美である。
こちらは基本的に取り繕うとか誤魔化すとかいうことを一切しない人間なので、実に分かりやすい。
嗜めようかとも思ったが、この手のマナーに慣れているはずの白雪が夏美を特に制止していないことから、まあ大丈夫でしょう、と考えておく。
加えて言うならば、今の状況を考えれば仕方ないか、という思いもあった。
念願のパーティーが始まって、それなりの時間が経過している。
開始自体はごく普通だったのだが────食べ始める前に偉い人が乾杯の挨拶をする、という段階になったところで雲行きがおかしくなった。
何というか、とかく時間がかかっているのである。
最初は、啓君重工の現社長という人が軽く挨拶をした。
その次が、現社長のさらに前の社長という男性。
彼らは基本、二、三分さらっと話すだけで終わったので、問題は無かった。
だが挨拶のトリとして現れた、啓君重工の社外取締役とか言う老人。
この人をトリにしたのが不味かった。
ハッキリ言ってしまえば、話が長い。
スピーチの内容は雲雀幸三氏との幼少期からの思い出話に始まり──その時期からの知り合いらしい──雲雀葵への賛辞さらに自分が現役だった頃の思い出話もついてくる。
乾杯ということで参加者全員がグラスを手にしているのだが、手首の関節が痛んでくるくらいの長話だった。
話しているうちに、段々ヒートアップしたらしい。
──これ、いつになったら食べても良くなるんですかね……。
きゅう、と小さくお腹が鳴ったことを紫苑は自覚した。
このパーティーに賭けてきたので、昼食以降碌におやつも食べていない。
いい加減、空腹も限界と化していた。
──でも、まだかかりそうですね……誰も止めませんし。
やや恨めしい思いで、紫苑はその社外取締役とやらの顔を見つめる。
恐らく、かなりのお偉いさんだとは思うのだが、今この場に限っては紫苑の空腹を加速させる憎い敵である。
何とか終わってくれないか、と流石に腹立たしく思って────。
『えー……このように、幸三氏の貢献は数限りなく……お?』
その瞬間、さながら紫苑の願いが届いたかのように、長々と続いていた乾杯の挨拶にノイズが混じる。
反射的に紫苑が顔を上げてみれば、舞台の様子はやや変化していた。
マイクを手放すことが無かった社外取締役の前に、一人の人物が立ちふさがっている。
誰ですかね、と疑問に思った瞬間、その人物はさらりと社外取締役からマイクを取り上げた。
え、と会場の全員の目が点になる。
だが次の瞬間には、その目も納得したそれに変わっていた。
『あー……彼が言うところによると、私の貢献は数限りないそうです』
くるり、とマイクを取り上げた人物が振り返る。
お陰で、紫苑はその人物が社外取締役と変わらない年齢の男性であることを確認した。
背筋がピシッと伸びているために若く見えるが、七十代くらいでは無いだろうか。
『ですので、ここでまた一つ貢献してみようと思います……皆様のお楽しみを、これ以上お預けしない、という形で』
滑らかな動きで、その男性がグラスを天に掲げる。
途端に、会場中の人間が一度だけドッと笑い、速やかにその動きに従った。
紫苑と夏美も、見様見真似で追従する。
『それでは皆様、私の孫娘が二十の歳を積み重ねたことを祝って……乾杯!』
会場中の総意を、代表するようにしながら。
マイクを掴んだ男性────雲雀幸三は、高らかにそう詠うのだった。