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天使の世界

「まあ、探偵さん!」


 ドン引きされるか、或いは単純に笑われるかとも思われた夏美の自己紹介は、意外にも歓迎の声と共に受け入れられた。

 新入生二人を前にして、白雪は「瓶の悪魔」の役を降り、嬉しそうに夏美に向かって手を差し出す。

 そして、悠然と同様の仕草をした夏美相手に、噛み締めるように握手をした。


「私、昔から名探偵に会うのが夢だったの。だから、こんな部活の部長をやっているんだけど……」

「それなら良かったですね。夢、今叶いましたよ」

「あらあら」


 無限の自信を元に凄いことを口走る夏美を前に、再び白雪は目を細める。

 そして、本当に楽しそうに微笑んだ。


 彼女の無垢な期待を前にして、隣で紫苑は浅い頭痛を感じた。

 天使のように朗らかな彼女の純心を裏切るような形になってしまうが、このままでは誤解を招く。


「いや、その、部長さん……えっと、夏美さんの言うことは、余り本気にしないでください。話半分で良いです」

「あら、どうして?」

「探偵云々っていうのは、あくまで夏美さんの自称ですから。そりゃあ一応、ミステリー好きでそう言うのに詳しいですし、謎解きみたいなことを何度もしてきた子ではありますけど……」


 どう考えても、白雪の期待するような名探偵の立ち振る舞いでは無かった。

 寧ろ、不要な危険に勝手に首を突っ込んでいく迷探偵だったような。

 中学時代の記憶から、紫苑なそんな忠告をする。


「昔からの相棒に悲しいことを言うんだな、紫苑。前々から、一緒に色々と事件を解決してきただろうに」

「……夏美さんが巻き込んできた、の間違いじゃないですかね」


 紫苑の紹介を耳にして、握手を終えた夏美がさも心外そうに口を挟む。

 それでも紫苑がげんなりと返答すると、彼女はますます不服そうに口を尖らせた。

 そのことを境に、二人は軽く口喧嘩のようなことを始める。


「しかし、謎解きをしたのは事実だろう?例えばほら、去年の夏に解決した、廃ビルで人魂が見えるって事件。あの時は、二人で廃ビルに乗り込んだじゃないか」

「……その結果、廃ビルにたむろしていた十人くらいのヤンキー女子高生に襲撃されましたよね、私たち。人魂の正体って要するに、彼女たちが隠れて吸っていたタバコの火がそう見えていただけでしたし。現場を見られた彼女たちに追われて、必死で廃ビルから逃げて……」

「でも、最後はヤンキーたちも全員倒された上に補導されたんだから、まあ良いだろ?」

「解決したから結果オーライ、じゃないんですよ。襲撃されたのが問題なんです!」

「それならほら、夜の学校で人体模型が動き回っていた事件。あれなんかは、紫苑が大活躍だったじゃないか」

「活躍って……夜の校内に侵入して、定期試験の解答を覗き見ようとしていた学生を捕まえただけじゃないですか。怪奇現象の種も、その子が見回りの人から隠れるために人体模型の裏に潜んだせいで、揺れて動いて見えていただけでしたから」

「それにしたって、犯人に木刀で斬りかかったお前の姿は輝いていたぞ?」

「普通は、そんな状態を輝いているって言わないんです!そもそもそれ、純粋に怖がって木刀を振り回しちゃっただけですから!」


 しばし、押し問答。

 何故だか自然と、二人は過去を振り返ってしまっていた。

 その様子を見た白雪は、またニコニコとして、フフッと笑いながら呟く。


「二人とも、本当に仲が良いのね」

「はい、勿論」

「いえ、ただの腐れ縁です……」


 即答したのが夏美、ヘロヘロになって語尾を濁したのが紫苑である。

 その話し方一つをとっても、二人の性格が現れていることに気が付き、紫苑はまたげんなりとした。

 こんな性格だから、自分は夏美に頼られ続けているのかもしれない、と察してしまう。


 ──あー、止めましょう、この話題。不要なダメージが……。


 小学校時代からの腐れ縁である彼女と同じ高校に受かったと分かった時点で、薄々察していた未来ではあった。

 だが、それでもこうして他者の前で再演されると当時の苦闘を思い出してしまい、精神的な負担が大きい。


 結果、紫苑は何とか話題を逸らすべく目線をずらし、やがて白雪が机の上に戻していた瓶の存在に気が付く。

 このような流れでこれを目にするのは、二度目だった。

 だが、だからこそこれだ、と思う。


「えっと、思い出話はその辺りにして……夏美さん、良いですか?」

「ん?何だ?」

「さっきの話、途中になってましたよね。この瓶の悪魔との取引には乗ってはいけない、という答え……あれは、一体どうしてなんです?」


 問いかけを受けて、白雪と夏美は同時に「そう言えば」という顔をした。

 自己紹介と思い出話にかまけて、答えが途中になっていたことに気が付いたのである。

 彼女たちは、互いに正答を知る者としてどちらともなく目で譲り合ってから、やがて夏美の方が昔からの知り合いとして口を開いた。


「どうしても何も、簡単な話だ。こんな提案に引っ掛かるようじゃ、その内何かしらの詐欺に引っ掛かるぞ、紫苑」

「そうなんですか?」

「ああ、この人が言ってくれた条件を思い出してみろ」


 言われて、紫苑は脳裏に「瓶の悪魔」が持ちかけた話を思い出す。

 条件として提示されたのは、概ね五つ。




「この瓶を持っていると不老不死以外の願いが叶うが、持ち続けていると死んでしまう」


「自分は悪魔からこの瓶を百円で買う」


「買値よりも一円以上安い値段でのみ、この瓶は他者に売ることが出来る」


「所有者が移動した場合、新たにその買い手が『願いを叶える力』と『死の代償』を引き継ぎ、売った側は無関係となれる。その新たな買い手も、さらに安い値段であれば、第三者に売ることが可能である」


「売値がタダ(=買値が一円)になった時点で、それ以上安く売ることが不可能であるためにゲームオーバー。悪魔が強制的にその時点における持ち主の命を奪う」




 基本的な問題文はこれだけだ。

 だからこそ、最初の売値が百円でまだまだ値下げ出来るなら、買った方が良いと思ったのだが。


 一体、その考えのどこがいけなかったのか。

 そんな思いで紫苑が夏美を見やると、眼前で彼女ははあ、とため息を吐いた。


「推理するに、『今の値段は百円なんだから、次の相手に九十九円以下で売れる。そうすれば自分は願いをある程度叶えて、代償は踏み倒せる』とでも考えていないか、紫苑?」

「え、分かるんですか?」

「そう考える人間じゃないと、取引に乗るなんて言わないからな……良いか、逆方向から考えろ。最初は百円、なんて考えるんじゃなくて、最終的にタダになる瞬間を想定するんだ」


 そう言いながら、夏美は「失礼」と白雪に断って、机上の瓶を手に取る。


「想像してくれ。まず、様々な人の手を渡った末に、私がこの瓶を二円で買ったとする」

「はあ」

「そして粗方の願いを叶えた後、私がこちらの白雪部長にこれを売ろうとしたとする。私だって、死にたくないからな。この場合、売値はいくらになる?」

「いくらって、買値よりも安い値段なんですから……当然、一円でしょう?」

「そうだ、そして問題……白雪部長、この時を話を持ちかけられた貴女は、一円でこの瓶を買いますか?」


 後半は、紫苑では無く白雪に向けられた問いだった。

 唐突に悪魔役では無く、買い手の一般人を演じることになった彼女は、相変わらずニコニコとしたまま両手で大きくバッテンを作る。

 そして歌うように、「買いません」と告げた。


「一応、説明をお願いします。どうして買わないのですか?」

「だってその瓶、売値がタダになった時点で死んじゃうのよね?つまり、一円でその瓶を買ったら、売値をそれ以上下げられない私は確実に死んでしまう。そうでしょう?」

「勿論、そうです。だからこそ、貴女は買わない。いや、白雪部長だけでなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、分かるな?」


 今度の台詞の後半は、紫苑に向けられていた。

 理屈を理解した紫苑は、強く頷いておく。

 話の途中でも考えた通り、買値が一円になった時点で、その人物は確実に死んでしまう、という話だ。


「ここからがちょっと頭を捻るところだが……今告げた通り、売値が最低額の一円になってしまった以上、誰も私から瓶を買おうとしない。当然、私はこれを誰にも売れないまま持ち続ける訳だ。さて、このまま時間が経過してしまえば、私はどうなる?」

「どうなるって……死ぬんじゃないですか?元々、持ち続けていると死ぬ瓶なんですから」

「その通り。つまり、こういう言い方も出来る。売値が一円の状態の瓶が誰にも売れない以上、実質的には、この『二円で瓶を買って、一円で売ろうとしている人物』こそが確実に死ぬのだ、と」


 だったら、と夏美は話をまとめにかかる。


「それはつまり、売値が二円の瓶を買ってはいけない、ということにもなるだろう?この仮定での私は、瓶を買った段階で誰にも売れず、詰んでいるんだから」

「そうなります、ね……?」


 段々と夏美の言いたいことを理解してきた紫苑は、何となく不思議な気分になりながらその話をまとめていく。

 連鎖的に、浮かび上がってきたのだ。


 まず、一円の瓶が絶対に誰にも売れない以上、二円で瓶を買った人物は確実に死ぬ。

 そのことが最初から分かっているなら、誰も二円で瓶を買おうとはしない。

 それを買った時点で、確実に死ぬ「二円で瓶を買って、一円で売ろうとしている人物」になってしまうのだから、当然そうなるのだ。


 すなわち、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ならばその前段階の所有者は、困ることになるだろう。

 そしてこの場合、二円で瓶を売ろうとしている人の立場とは────。


「あれ……もしかしてこれ、桁が上がっていっても同じことになるんですか?二円の瓶を誰も買ってくれない以上、その前段階の所有者である『三円で瓶を買って、二円で売ろうとしている人物』も確実に死ぬ。それが分かるから、三円の瓶も誰も買わなくなって……」

「分かるか?さらに前の、『四円で瓶を買って、三円で売ろうとしている人物』も確実に死ぬんだ。だからこそ、四円でも売れなくなって……これを延々繰り返すと、最初の値段がどんな物であろうが、絶対に売れない、という結論に至る」


 詰まるところ、この瓶は手にしてしまった時点で「詰み」なのである。

 延々とこの思考を繰り返せば、全ての値段について「その次の段階の値段で売れず、確実に死ぬ」という理屈が成り立つ。

 故に、「x円で買った瓶を、(x-1)円で売ろうとする人物」は、xの値がどんなものであろうと、死んでしまうのだ。


「えー、じゃあ……この取引って、誰も買い手が居ないじゃないですか。最初の持ち主の悪魔すら、ずっと手放せないってことですし」

「だから言っただろう?取引は成立しないって。この瓶は、最初の悪魔がずっと持ち続ける以外の道はないんだよ。悪魔なら、流石に持ち続けても死なないだろうしな」

「なるほど……」


 そう頷きながらも、紫苑は自分の中にモヤモヤが残っているのを自覚する。

 何か騙されているような感じというか、腑に落ちないというか。

 自然、彼女はそれを問いとして発した。


「でもそれ、例えば瓶の持ち主が、期限前に『代償が来ないこと』を願えば、瓶の持つ願いを叶える力で何とか出来るのでは?」

「いや、それは無理だと思うぞ。代償が来ないって言うのは、つまり死なないってことだからな。だが、瓶の持つ願いを叶える力には、条件があったはずだ」

「そうね。私は『不老不死以外』と言ったわ。代償逃れのために不死になるのは、流石に悪魔が許さないんじゃない?」


 楽しそうに注釈を入れる白雪の言葉を聞いて、紫苑はああそっか、と得心した。

 確かに、そういうルールが存在している。

 わざわざ細かい注釈が入っていたのは、所有者が不死になってしまうことで、代償が機能しなくなってしまうのを避けるためだった、ということか。


「それなら本当に、取引は成立しないんですね……何だか、不思議な感じ」

「何がだ?極めて論理的な帰結だと思うが」

「でも……実際には、そういう理屈が分からない人だってこの世には居るはずですよね?だったら、そんな相手に限定して売りつければ、『百円で買った瓶を九十九円で売る』も可能になりませんか?」


 理屈では無く、現実問題として紫苑は問いかける。

 現に、問題文を提示されただけでは紫苑は分からなかった。

 逆に言えば、紫苑のような人間を相手に売りつけるのであれば、最初に考えたように願いを叶えるだけ叶えて途中で抜ける、という行為も可能なはずなのだ。


 こういった内容のことを告げると、夏美は呆れた顔になる。

 その上で、「現実的には、そうかもな」と返した。


「実際、細かい理屈が分からない人同士であればこの取引は成立する。中には利益を出して勝ち逃げする人も現れるだろう。詐欺師とは呼ばれるだろうがな」

「だったら……」

「しかしだからこそ、白雪部長はもう一つ条件を加えていたんだ。お前も最後に聞いただろう?」


 ────仮に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……貴方は、この取引に乗りますか?


 一言一句、完璧に夏美はその問いかけを再現した。

 文言の前半部に、力を籠めて。

 それを聞いて、紫苑はようやくその意図を察した。


「言われてみれば、そうですね……全員が論理的な思考をして動いているというのはつまり、さっきの思考を全員が出来るってことで……」

「だからこそ、誰も瓶を買ってくれないってことだ。要するにこの問いは、『お前以外の全員が賢い世界の中に、お前が一人だけ放り込まれたらどうなるか?』という思考実験みたいな物だよ。故に、瓶を悪魔から買った瞬間、お前は詰む」


 最初に断言してから、くるりと首を回して、夏美は白雪に「……ですよね?」と確認する。

 コロコロと笑いながら話を聞いていた白雪は、その勢いのまま正解、と告げた。

 さらに、これ見よがしに瓶を振った後、きゅぽん、とその蓋を開ける。


「夏美ちゃんの言う通り、この問いは『受けない』が正解。瓶の悪魔は、放っておくのが吉ということになるわ。だからこんな瓶の中身は……食べちゃおっか。中身、ただのラムネだもの」


 そう言って、白雪は何粒かのラムネを掌に出し、ほら、と紫苑と夏美に差し出す。

 自然、二人はご相伴にあやかることとなった。

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