セットアップタイム
「因みにそれ、何時から始まって、何時に終わるんです?」
許諾よりも先に、そんな実用的なことを聞いたのは夏美である。
彼女はこう言うところ現実的なので、最初にそこが疑問に感じたらしい。
「ええとね、パーティーは十九時から。終わるのは多分、三時間後くらいだけど……私は普段、あちらのお屋敷を訪ねる時は向こうに泊まるからなあ。もしかすると今日も、どうせだから泊っていったら、みたいな話になるかも」
「つまり、帰りは明日になるかもしれないんですか?でもその前に、始まりが十九時なら……」
「それより何時間か前には、着替えを?」
「そうそう、だから昼の内に紫苑ちゃんと夏美ちゃんに伝えたの。思いついたのが昨日だから、報告がこんなに遅くなっちゃったけど」
そう言いながら、白雪は紫苑が身に着けている腕時計をチラリと見た。
そこには勿論、十二時半過ぎという時刻が表示されている。
パーティー開始の日の午後になって唐突に参加を聞いてくるという、慌ただしい進行になったことを気にしているのかもしれなかった。
──まあその辺りは、私たちが四月末に退部する可能性もあったから、事前に誘えなかったというのも大きいのでしょうけど。
ようやく全ての経緯を把握して、紫苑はむむむ、と考える。
このパーティに、参加するかどうかを。
正直なところ、豪華な食事というのはそれなりに魅力的ではあった。
紫苑も女子高生として、一応は自分の体形などを色々と気を付けているのだが、同時に剣術を習った者として、稽古後のご飯を楽しみにするという価値観もしっかりと備えている。
無料で美食を味わえるというのなら、見知らぬ場所での食事だろうが一度くらい、という思いは確かに胸の内に秘めていた。
幸いにして明日からは土日で、特に用事がある訳ではない。
紫苑の両親はこういう外出には大して厳しくは無いので、了承が得られないということも無いだろう。
ドレスコードやら何やらも白雪が解決してくれるというのなら、紫苑としては大きな問題は無い。
──でも……夏美さんはどうなんですかね?
ふと、そこで紫苑は隣を気にする。
自分がともかく、夏美はこの誘いを断るのではないか、と思ったのだ。
というのも、前回の事件からこっち、自殺した電気漁の犯人を巡って夏美は何やら調査をしていた。
ミス研の活動についても正直なところ、紫苑の方が頻繁に部室に顔を出しているくらいである。
正直なところ夏美が自然とミス研の部員になったことだって、その調査の方に時間を割きすぎて、入部届け云々に関する手続きが二の次になっていたから、というのが大きいだろう。
だから紫苑は、夏美がこの誘いを断ることも十分に有り得るな、と考えていた。
別件の事件に関する個人的捜査が忙しいので、そういうのはちょっと、などというのは如何にも彼女が言いそうな言葉である。
そしてそうなると、紫苑と白雪だけでパーティーに向かうことになり、少々寂しい。
いくら何でも、白雪しか知り合いが居ないとなれば、会場では一人ぼっちになりかねないだろう。
白雪の方は元々の知り合いに挨拶にも行くだろうから、紫苑は取り残される可能性も高いのだ。
──だから……夏美さんが行かないのなら、私も断りましょうか。
かなり主体性の無い行為だが、最終的に紫苑はそんな結論に至る。
そして、どう返答するのだろう、と思いながら夏美の横顔を見つめた。
やがて、見つめられた彼女ははっきりと答える。
「……そういう事情なら、是非参加させていただきたいです、白雪部長。着替えとやらのためには、何時集まればいいですか?」
「わあ、そうなの?だったら、お屋敷には車で三十分も移動すれば着くから、五時くらいに私の家に来て欲しいのだけど……」
──あれ、頷くんですね。
何となく意外な気分になりながら、紫苑は夏美を再び見つめる。
別に了承することもおかしな選択ではないのだが、即答したことはやや不思議だった。
しかし何にせよ、夏美さんがこう選択したのであればまあ良いでしょう、と思い直す。
「紫苑ちゃんは、どうする?」
「あ、それなら私も参加します……白雪部長のお家となると、雪月寺ですよね?」
白雪の問いかけに、慌てて紫苑も承諾を返した。
彼女の家にあたる大きな寺については、流石にこの一ヶ月で住所を聞いている。
雪月寺は映玖市のほぼほぼ唯一と言っても良い文化遺産──名前自体は紫苑たちも知っていた。白雪がそこの娘さんだとは知らなかったが──であるため、場所自体は間違える心配は無かった。
「じゃあ、二人とも五時にお寺の前に来てね!準備物とかは、特に無いから」
心底嬉しそうに、白雪はふふふ、と笑う。
その上で、意味なく手にした扇子をパッと開いた。
それからの流れは、何ということは無い。
色々準備があるだろうから、早めに一旦帰宅しましょう、という白雪の号令の下で、各々が部室を去ることになった。
自然、帰る方向が同じな紫苑と夏美は一緒に帰宅をしており────その中で少々、紫苑は疑問をぶつけてみることになった。
「……一応聞くんですけど、パーティーに向かった理由、他に目的とかあります?」
二人してのそのそと歩きながら、紫苑はふとそんなことを聞く。
途端に、夏美が意外そうな顔をして振り返ったのが分かった。
「どうした、紫苑。私がご馳走を食べに行きたいと思うのは、そんなに変なことか?」
「いえ、別に変では無いんですけど……」
その点については、紫苑も疑問に思っては居ない。
というか寧ろ、食欲面だけで言えば納得出来る話だった。
紫苑の知る限り、夏美はかなり食べる。
普段はそれなりに自制しているのだが、以前に食べ放題の焼き肉屋に行った時など、軽く紫苑の倍は食べていた。
あの食欲でどうやってあの細い体を維持しているのか、不思議になるくらいである。
いくら食べても満たされない、魔法の胃袋の持ち主とみて間違いない。
だが────。
「それでもこう……夏美さんって昔から、謎解き以外のことだとそこまで積極的な行動をしないじゃないですか。だから今回もこう、何か謎解きに絡んでいることなのかなあ、と」
かねてからの経験を参考に、そんなことを言ってみる。
実際、虚飾の無い本心だった。
言動からして周囲からは好奇心旺盛な風に見える夏美だが、実のところ、彼女の興味の方向はかなり限定されている。
基本、事件だとか不思議な事象だとか言った、謎を感じることにしか彼女は興味を示さない。
つまり、「あの置き物は存在意義が謎だな……よし、何故あんなものが置いてあるのか調べてみよう!」みたいなことはするのだが、「野球って楽しそうだな、私もやってみよう!」みたいなことは言い出さないのである。
謎解きが絡まない未経験の事柄は、普通に放っておかれるだけだ。
だが、彼女は珍しく積極的にパーティーに参加したがっているように思えた。
その辺りに何やら微妙な心の動きがあったらしいということは、流石に腐れ縁故に分かる。
だからこそ、何か理由があるのなら聞いてみたかった。
「じー……」
「……今日の紫苑は勘が良いな。まあ、概ねその通りだよ」
声に出してまで夏美を見つめていると、やがて彼女はまあまあ失礼な発言と共に頷く。
その様子を見て、紫苑はやっぱり、となった。
「何か、前回の事件と関わりがあるんですね?あのパーティーに……いえ、或いはあの土地とかに?」
「ほお、何でそう思うんだ?」
「だって、白雪部長に雲雀家について聞かれた時に、詳しくは知らない、と言っていたじゃないですか」
言葉尻を捕らえれば、「詳しくは知らないだけで、ちょっとは知っている」ということになる。
何らかの理由で、夏美はあの辺りの土地について調べる機会があった、という推測をすることも可能だろう。
「夏美さん、別に中学時代も映玖市西部に行ったっていう話を聞いたことはありませんし……ここ最近で夏美さんが興味を抱いていたことを振り返ると、前回の事件絡みかなあ、と。調査の一環であの辺りの土地について調べていて、それで雲雀家の名前くらいは聞いた、みたいなことがあったのかなって思ったんです」
「なるほどなるほど」
パチパチパチ、と夏美は歩きながら軽く拍手をする。
そして、「お前は身近なことだと頭が冴えているな」とこれまた紫苑に対して失礼な発言をした。
「まあ、概ねその推測の通りだ。私は最近、あの辺りの調査に凝っていてね」
「それはまた……何が切っ掛けなんです?自殺した人の家、あの辺りにあったとか?」
「いや、そういう訳じゃない。花木甚弥の死体が発見された家は、もっと街中の方だ」
軽く手を振って否定してから、夏美は人差し指をピン、と伸ばす。
そして自分の行動を振り返るようにしながら、指先をふらふらと動かした。
「少し、前回の推理を思い出して欲しいんだが……前に、犯人たちは電気漁のための機材をたくさん抱えていた、という話はしたな?」
「言ってましたね。どんな機材だったかは忘れましたけど……」
「ざっと挙げるだけでも、電源装置に明かり、網に魚を引き寄せる餌、ついでに捕まえた魚を保存しておくためのクーラーボックス。電気漁一つ取ってみても、それなりの準備が必要だっただろうな」
「はあ……」
「それを推理していたからこそ、私はこんなことを考えたんだ……犯人たちは果たして、ぶっつけ本番で電気漁に向かったのかな、と」
だってほら、想像してみろ。
そんなことを言いながら、夏美は紫苑を指さす。
「犯人たちにどのくらい電気漁の経験があったかは知らないが……川に電気を流すための電圧の調整というのは、現実的にはかなり繊細な物だったはずだ。あんまりに電気の威力が弱いと効果が少ないし、逆に強すぎると魚が焦げて商品価値が下がる。なんなら、変なところで犯人たちに感電する恐れもあるだろう」
「確かに、そう考えると……ぶっつけ本番は怖いですね。現地で一々電圧を調整していたら、その手間のせいで川に留まる時間が長くなって、バレるリスクは上がっちゃう訳ですし」
「その通り。それで思ったんだ。犯人たちは、少なくとも最初の一回を行う前に、どこかで試し打ちをしたのではないか、と」
まあこの場合は、試し流しとか、試し漁とか言った方が良いかもしれないが。
妙な補足を入れつつ、夏美は意味なく足を早めた。
「つまり、事前にターゲットとなる川と条件が近そうな河川を選び、そこで実際に電流を流す練習をしてみるんだ。そこは勿論、釣りスポットでもなんでもない、人目に付かない場所……ただし、電気漁の効果が確かめられる程度には魚が居る場所だ」
「あまり魚が売れそうになく釣り人にも人気が無い、雑魚ばかりが居る川、みたいな場所ですか?」
「そういうことになる。最初に犯人たちはその場所でデモンストレーションを行い、その上で仇川で電気漁をしたんじゃないか……こう考えた私は、色々と映玖市内で良さげな場所を探していた」
ふむふむ、と紫苑は話を聞きながら頷く。
仮説に仮説を重ねている段階ではあるが、一応筋は通っているように思えた。
ただ、一つ引っかかるところがあり、紫苑はそこを尋ねる。
「その練習場所っていうのは、映玖市内で確定なんですか?もっと別の場所とかではなく?」
「ああ、映玖市内だと思う。花木甚弥の家が映玖市なのは確定しているんだし、犯人たちも土地勘がある場所で練習したいだろう。それに、練習のためだけに多額の交通費を使うのも変だしな」
なるほど、と紫苑は首肯した。
確かに、練習に時間を費やすのは良いが、そこに資金まで費やしてしまうと、最終的な漁の成果が赤字になってしまう。
いくら何でも、犯人たち全員の飛行機チケットが必要となるような場所で練習をすると、小遣い稼ぎですら無くなってしまう、ということだ。
電気漁のような違法行為に頼っているあたり、犯人たちは何かしらお金に困っていた可能性だってある。
出来れば当人たちとしても、練習はそこそこに、さっさと金稼ぎをしたいのが本音だろう。
故に、練習場所は近場で済ます、ということだ。
「じゃあ、候補に挙がるのは確かに映玖市の西部になりますね……東部にも川は細いのが何本か流れていますけど、流石に人目がありすぎる」
「そういうこと。西部なら、人目がなさそうで釣り人すら近寄らず、なおかつ映玖市民なら車さえあれば迅速に行ける場所だからな。犯人目線ではやりやすい場所なんだ。そして、ここからが私の調査結果なんだが」
一度息継ぎをするようにして言葉を切り、同時に夏美は何か想像でもするようにして視線を遠くに移す。
その上で、一息に言い切った。
「映玖市西部に流れる川は何本かあるが、そこそこの魚が生息していそうな太い川は、一本だけだ。四途川って言うんだがな。んで、その川の沿岸に、雲雀家の屋敷がある」
「おお、そこで繋がるんですね……でもそんな、都合の良い場所によくお屋敷がありましたね」
「何、不思議な話でも無い。さっきの話を聞いている限り、雲雀家の映玖市西部への引っ越しは、息子夫婦を失った傷心を癒やすための移住だったそうだからな。住人として、せいぜい綺麗な場所を選んだんだろう」
自然、川がさらさらと流れている景色が良い場所に屋敷を、ということになったらしい。
ある種、雲雀家の近くに川があったのは自然な話だったのだ。
「それを確認した上で、ネットで色々検索したんだ。そうしたら、案の定だ」
「どんなものが見つかったんですか?」
「一年近く前、大量の魚の死体が四途川の下流に浮いていたのがネットニュースになっていた。その時は大した騒ぎにはならなかったらしいが……」
「魚の大量死……」
「一応、発見された四途川下流での水質調査とか伝染病の調査とかはしたようだが、特にそんなものは見つからなかった、とのことだ……このことを考えても、大量死の原因は四途川の上流にあった可能性が高い」
なるほど、紫苑は頷く。
こうして並びたてられると、確かに紫苑にも雲雀家周辺が怪しく思えてきた。
無論、その魚の大量死は電気漁とは全く関係無い、という可能性もある。
だがそれなら、未だに網を下流に貼ることを学んでおらず、魚を死なせない程度の電圧も把握していなかった犯人たちが、文字通り「流出」させてしまった電気漁練習の副産物、と見ることも出来るだろう。
事実、夏美はそう確信している口調でこう語った。
「だからこそ、これはチャンスなんだ、紫苑。もしパーティーのどこかで雲雀家の人間に話を聞いて、そして『以前に不審な人物が屋敷の周囲をウロつき、妙な機械を抱えて川に向かっていた。そして次の日、魚の大量死に立ち会った』なんて目撃証言が出てくれば……」
「花木甚弥を自殺に見せかけて殺害した疑惑のある、容疑者たちの特徴を掴める。何なら警察相手に証言を頼める、ということですか?」
「まさしくその通り。勿論、全く見当はずれの可能性もあるが……試してみる価値はあると思う。あのお屋敷に入り込める機会は、これくらいしかなさそうだしな」
言いながら、彼女はグッと拳を握る。
そうして、どことなくワクワクした声のまま、夏美は話を締めた。