生まれる凶器(一章 終)
「……その状況なら、自殺では無いわ。殺されたのね、その犯人。恐らくは共犯者の手によって」
警察との事情聴取を終え、普通に授業をこなしてからの放課後。
相も変わらず雅な雰囲気を湛えたミステリー研究会の部室に立ち寄った紫苑は、白雪に警察との会話を説明していた。
その上で、死体で発見されたという花木甚弥の名前を出してみたところ、返ってきた反応がこれである。
「……分かるんですか?白雪部長。確かに警察はそんなことを言ってましたけど、私まだ、そこまで話していませんよね?」
畳の上で足を崩しながら、紫苑はちょっと驚いてそう問いかける。
一瞬、夏美辺りに先んじて話を聞いていたのかとも思ったが、それはないか、と即座に否定する。
夏美は現在、お茶請けとなるクッキーを買いに走っており、白雪相手に話をする暇は無かった。
「三週間前に事件の真相を紫苑ちゃんたちから教えてもらった時から、そのことはちょっと思っていたの。推理とも言えない、想像みたいな物だけど」
「どんな想像ですか?」
「今回の犯人は、単独犯ではないかもしれないって」
的確な推理に、紫苑は一瞬息を呑む。
その上で、問いを重ねた。
「それはまた、どうして?実を言うと夏美さんや警察からも、まだその推理の根拠を聞けていないんです。だから出来れば、教えて欲しいのですが……」
「あらそうなの?てっきり分かっている物だと思っていたけれど……」
やや意外そうに、白雪は持参している扇子を自分の下唇に当てる。
どうやら、既に紫苑は仔細を理解していると思っていたために、今まで説明してくれていなかったらしい。
その反動なのか、かなり丁寧に白雪は語り始めた。
「と言っても、簡単な話なのよ?ほら、夏美ちゃんが自分の推理を話してくれた時、言っていたでしょう?犯人は電気漁のための機材を川に持ち込んでいたはず、そして魚を取り逃がさないように網を下流にしかけたはずって」
「言ってましたね」
その網を探しに仇川まで行ったので、いくら時間が経ったとは言え、紫苑もその下りは覚えていた。
この辺りの犯人の準備物こそ、今回の事件の物証となる、という話だったのである。
「そして、これはまあ想像というか、ある種の仮定になるのだけど……仮に犯人は一人だったら、この機材の持ち込みや網の設置って、物凄く大変な作業よね?」
「はあ……そうなるんですかね?」
そう問いかけられても、幼いころから剣術の方に熱心だった紫苑としては、中々にイメージしにくい。
思い返してみれば、そもそも釣りや漁の類を経験したことが、紫苑のこれまでの人生において一切無かった。
この辺りが、紫苑に今回の事件の真相を分かりにくくしていた理由だろうか。
「私も実際に試したわけじゃないけれど、かなり大変だと思う。特に網を仕掛けることは、大変云々以前に、犯人としては危険ですらあるわ」
「それはまた、何故?」
「単純に、バレるリスクが上がるからよ。網は犯人の目的上、結構下流の方に仕掛けるから……それを仕掛けている間、他の機材や車が無防備になるでしょう?」
──あっ、そっか。言われてみれば、確かに。
言われてみれば御尤も、ということを指摘されて、紫苑は一人膝を打つ。
そのくらい、白雪の言うことは正論だった。
電気漁を密かに実行する、というのは、言葉にすればたった一行だが、現実的には非常に大変だ。
機材一つ見つかるだけでも発覚するリスクがある都合上、理想を言えば常に機材を誰かが見張ってくれるくらいの方が望ましい。
それなのに犯人が一人だとすると、いくら何でも迂闊というか、隙が大きくなってしまう。
「だから、共犯者がいる、という結論に至るんですね?最初から、複数人が電気漁のために仇川を訪れていたと考える方が自然だ、と」
「というより、私がもし犯人だったら、絶対に仲間を集めるわ。その方が、浮かんできた魚を回収する時にも早く終わるでしょう?」
なるほど、と紫苑はまた頷く。
だがすぐに、あれ、となった。
「じゃあ、被害者が死んだ時のことは、どうなるんですか?橋の上から目撃されたの、被害者一人ですし……地面に流れた電流に巻き込まれたのも、被害者だけみたいでしたけど」
「それはまあ普通に、犯人たちはまとまって被害者よりもかなり遠くの方でたむろしていて、電流の被害を受けなかった、と考えるしかないわ。或いは被害者に注意を受けていた一人を見捨てて、他の仲間は早々に車にでも逃げ込んだのかも」
「あー……有り得そうですね、それ」
当時の情景を想像しながら、紫苑は何とも言えない気分になる。
恐らくだが、その時の犯人たちは、見張り役やドライバー役は車や機材に貼り付き、実際に電流を流す役は一人か二人だったのではないだろうか。
役割分担をする都合上、どうしたってそう言う配置になるのだ。
つまり、被害者に見つかって注意を受けていたのは、表に出ていたメンバーだけだった可能性がある。
結果、被害者と見つかったメンバーが揉めていた間、他のメンバーは仲間を見捨てて逃げようとしていたか、或いは単に見つからないように息を潜めていたのだろう。
無論、明かりのような居場所がバレる物はすぐに消して、だ。
その上で、揉め事が適当に過ぎ去るのを待つか、隙を見て逃げるかを思案していた、というところだろうか。
最終的に、事故のような形ではあるがその注意されていたメンバーは被害者を殺害。
その場では死んだかどうかの確認までは出来なかったが──それが出来ていたら、網の回収だってしているだろう──泡を喰って他のメンバーともども逃げ出すことになった。
今思えば、現場に網以外の痕跡が見つかっていないこと自体、そのような経緯でメンバーが早々に逃げる準備をしていたから、と考えれば辻褄が合う。
勿論、全ては想像で、証拠は無い。
だが、電気漁という大規模な違法行為に挑もうとしていた以上、仲間の一人や二人くらいは居た方がしっくりくる、ということだ。
そして、全ての事件が終わった現在。
警察が身元を突き止めて花木甚弥の家に行けば、そこには彼の死体だけがあった。
言ってみれば、唯一身元が割れていたメンバーだけが、先んじて死んでいたのだ。
「……確かにこう話を繋げると、他のメンバーが口封じに殺したように見えますね。意図せぬ殺人に動揺している内に、メンバーの一人だった花木甚弥がレンタルショップに直に電話を掛けるなんていう、迂闊なことをした。だから、もう彼は捕まってしまうと踏んで……」
「芋蔓式に他のメンバーの存在まで警察にバレないよう、先に殺しておいた……殺人を切っ掛けに崩壊する密漁者の末路としては、有り得なくもない話じゃない?」
「そうですね……実際、巌刑事や茶木刑事も、そういう可能性があるとか何とか言ってましたし」
校長室での彼らの様子を思い出しながら、紫苑はそう説明する。
すると、興味が湧いたのか、白雪は扇子でトン、と畳を叩いた。
「……因みに、その死体はどんな状態だったの?自殺とも他殺も言い切れないという話だったけれど」
「死体は確か……ロープを首に巻いて縊死、という感じだったそうです。ドラマとかに出てくる、ドアノブに紐を引っかけるタイプのやり方だったそうで」
「ああ、アレね?その状況だけ聞くと、自殺で決定のように聞こえるけど」
「ですよね。ただ、死体に動かされた跡があったとか何とか……はっきりした物ではないそうなんですけど」
つまり、誰かが花木甚弥を絞め殺した後、ドアノブに紐を引っかけて自殺に見せかけた、という可能性も無くはないのだ。
この辺りが、警察が悩んでいる理由でもある。
「索状痕はどう?自殺と他殺だと、首に残る紐の角度が大きく変わるから、見分けがつくと聞いたことがあるのだけど」
「それが、丁度微妙な角度だったそうで……ドアノブが古くて少しだけ動く幅があったこともあって、『他殺でも矛盾しないけど、自殺でもこのくらいの浅い角度にはなるかもしれない』くらいの痕跡だったそうです」
「なら、首に掻きむしった痕とかは無かったの?他殺なら苦しくて抵抗するから、その痕が残るんじゃない?」
次々と、白雪が鋭い疑問を投げかけてくる。
こういった部活をやっているだけあって、やはり詳しいらしい。
尤もそれも、今回に限っては灰色の解答をするしかないのだが。
「警察が言うには、花木甚弥は元々不眠症で、睡眠薬を処方してもらっていたようなんです。無論、自殺出来る程の量はありませんが……犯人たちがそれを内服させてから殺したなら、抵抗の痕跡は無いかもしれない、と」
「なら逆に言えば、司法解剖で睡眠薬の成分が見つかれば、他殺と断定出来るということ?」
「いえ、その場合は本人が自分の意志で飲んだ可能性がありますから……」
紫苑も巌刑事たちに聞いて初めて知った話だったのだが、自殺することに中々踏ん切りがつかず、酒や薬で意識を不確かにしてから自殺する人間は、世の中にそこそこ居るらしい。
自殺することを決めていても、どうしても直前に躊躇う、という人がそう言う手段を使うそうだ。
故に、司法解剖で睡眠薬の成分が見つかったところで、被害者が踏ん切りをつけるために自発的に飲んだ可能性が存在する以上、他殺とは断定出来ないのだ。
「それはまた……紛らわしい痕跡だけ残して死んだのね、その人」
少し呆れたように、白雪が扇子を振る。
その意見はかなり理不尽な物ではあったが、同時に分かる感覚でもあったので、紫苑は苦笑した。
殺されておいてこの言い草というのもアレだが、最初から最後まで、この花木甚弥という人物は警察を振り回してしまっている。
決して狙った結果でも無いだろうが、これに間違いない、と言えるほどのしっかりした証拠を残して行かないのだ。
たとえそれが、自分の死体に残った痕跡であろうとも。
「まあそういう訳で、警察もグレーゾーンの死体を前にして正直困ったそうなんです。今、花木甚弥の交友関係とかを調べているそうですが……」
「すぐには分からないでしょうね。電気漁自体が違法行為だから、まさかその人も周囲に共犯者の名前を触れ回っては居ないでしょうし。魚の買い手も、関わり合いになることを恐れて口をつぐむかもしれない」
「ええ。だからこそ、警察が私たちに事情を聞きに来たくらいですからね」
だがそうやって事情聴取をされたところで、夏美や紫苑に知っていることがあるはずも無い。
そもそもにして、物証を見つけた後は警察に全てを任せようとしていたくらいなのである。
事情聴取も結局、刑事たちの質問に分かりませんと答えるだけの時間となってしまった。
「まあ、そんな訳で……割とこう、モヤッとするところで終わっちゃったんですよね、この事件。仮に花木甚弥の件が他殺だとしても、犯人は既にどこかに逃げているでしょうから、見つけようがない。これ以上はもう、警察の人海戦術に頼るしかない、とのことです」
「そうね……何にせよ、部室で話していた時から、随分と大きなところに着地した感じはあるけれど」
全てを言い終えてから、紫苑と白雪はめいめい感想を言い合い、どちらともなく息を吐く。
意味も無く、疲れた感覚があった。
やはり、高校生活の初っ端から殺人なんてものに関わってしまったからだろうか。
──でも、やっぱりスッキリしませんね……最後の最後まで、犯人像に迫れないまま終わる、というのは。
白雪が淹れてくれた抹茶を飲みながら、紫苑はぼんやりとそう考える。
中学時代に関わった今までの事件は、こうでは無かった。
それが廃ビルをたむろにするヤンキーであろうが、カンニングに励む学生であろうが、最後には犯人の顔が白日の下にさらされていた。
だからこそ、紫苑はこの決着に不完全燃焼を感じる。
全容解明とはいかなかったな、と思って。
……だが、そんなことを考えたからだろうか。
不意に紫苑は、ここに来る前の夏美に姿を思い出した。
彼女がクッキーを買いに走る直前、二人で交わした会話を。
ミステリー研究会で今日の事情聴取のことを白雪に一応報告しておく、と告げた紫苑。
彼女の前で、夏美は不敵な笑みを浮かべて、こう言っていた。
──警察はまだ、花木甚弥を殺した犯人グループの居所を掴めていない。だが、私としては推理出来るものがある。いいか……。
曰く、花木甚弥の自宅は、映玖市内にあった。
だからこそ、映玖署の刑事たちが煌陵高校に事情聴取に来たのである。
ならば、漁の場所自体は全国各地の狙い目の場所を選んでいたにしても、犯人たちの拠点自体は映玖市にあったのではないか。
自宅の近くなどの、通いやすいところに機材などを保管する場所を構えていたのではない────それが、夏美の推理だった。
そして花木甚弥以外の犯人たちは、未だに映玖市に居るのではないか、ということもまた、夏美は述べていた。
こう考える理由は単純。
犯人としては、花木甚弥殺害の件がどう捜査されているか、知りたいはずだからである。
現状、花木甚弥の死体発見は正直なところ大きなニュースとは見られておらず、この情報化社会の現代においても大して報道はされていない。
自殺とも考えられる遺体発見、と小さく新聞に載った程度だ。
つまり犯人たちとしては、警察が花木甚弥の一件をどう判断しているか、見当もつかないのである。
自殺として処理されたのであれば万々歳だが、他殺として捜査本部を立てられたのであれば、まだ逃げなければならない。
その辺りの見極めをするためにも、どうするべきか?
この答えもシンプルだ。
犯人たちが映玖市に敢えてとどまり、警察の様子などを窺うというのが、最も簡単な方法となる。
犯人たち本人でなくとも、その協力者のような人物が映玖市内に残って、情報を伝達する。
そうすれば、花木甚弥の死がどう扱われているか、多少は把握出来る。
すなわち、今に至っても残る犯人グループ、ないしその協力者は、映玖市内に留まっているのではないか────?
──この街に犯人たちが居るのなら、まだ望みはある。
そこまで語ってから、夏美はグッと拳を握った。
そして、かねてより変わることの無い無限の自信を源に、こう宣言した。
──見ていろよ、紫苑。私は絶対、この事件をここで終わらせはしないからな……!
高らかにこう言い終えてから、彼女はクッキーを買いに走ったのだった。
言葉と行動の間に大きくギャップがあるが、何にせよやる気になったのは確かである。
──そう考えると、また近い内に大騒動が起こるかもしれませんね。
白雪が淹れてくれた抹茶を飲みながら、紫苑はポツンとそんなことを考える。
そして同時に、この映玖市に思いを馳せた。
茶室についた小さな窓から、外の様子を伺いながら。
この街は、東京の中でも比較的小さな市だ。
これと言った観光遺産も無く、せいぜいが大きな神社仏閣がある程度である。
都会過ぎず田舎過ぎない、そこそこ普通の場所、と言ってもいいだろう。
だが今、この街には確かに連続殺人犯が潜んでいる。
仇川で電気漁を行い、それを注意してきた人物を殺し、さらに足を引っ張った仲間も殺した。
これ程のことをしながら、未だに法の裁きも受けず、彼らはのうのうと街のどこかに居るのだろう。
これだけなら、善良な市民としては、恐怖に震えるのが正しい対応なのかもしれない。
だが紫苑は、もう一人、この街に潜んでいる者を知っている。
それが、夏美だ。
紫苑にとっては、傍迷惑な幼馴染で、同じ高校に通う女子高生同士で。
同時に、名探偵と認めている存在。
彼女が今、この事件の完全なる解決に興味を示した。
標的の一つとして、確かに見定めた。
そして紫苑は、かねてからの経験により知っている。
ああいう状態になった夏美は、もう止まりはしない、ということを。
松原夏美という少女は、追われる側からすれば、正直そこらの連続殺人犯よりよっぽど性質が悪い。
だったら────紫苑がすべきことは、犯人たちに怯えることでは無い。
寧ろ、やるべきことは。
「巻き込まれる覚悟、また決めておくべきですね……」
つい、紫苑は心の内から言葉を零す。
それを聞いた白雪は、一瞬目を丸くして。
それから何かを察したように、あらあら、と口癖を続けた。