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死にゆく凶器

 ……そこから起きたすったもんだは、紫苑には懐かしき疲労感を、夏美には心地よい達成感を抱かせる物だった。

 具体的には、警察への通報と証拠提出、さらに自分たちがどういった経緯で真相に気が付いたかの説明。

 ただの女子高生の証言では少し弱いということで、夏美の伯父やら紫苑の父やらも巻き込むことになり、その日の望鬼署は大騒動となった。


 正直なことを言えば、紫苑としては物凄く疲れる体験だったと言っていい。

 普通の人間の精神というのは、警察からのねちっこい取り調べを何度も受けるようには出来ていないのだ。

 途中で抜け出して普通に学校に行きたいと、何度思ったか分からない。


 だが同時に、早く警察に真相を伝える必要があったのも事実だった。

 何せ今回の場合、夏美たちは未だ、証拠品の一つを手に入れたに過ぎない。

 電気漁に勤しんでいた犯人は捕まっておらず、どこに行っているのかも分からないのだ。


 厳しい言い方をすれば、理論上は存在するはず、と仮定されただけの犯人像しか分かっていない。

 夏美たちには、犯人の顔も名前も、経歴から動機まで、詳しくは分かっていないのだから。


 唯一その犯人に迫れるかもしれない物証は、玲が確保していた網と杭のみ。

 しかしそれだって、時間経過し過ぎているので、どのくらい犯人に繋がるかは分からない。


 そもそもにしてあの網は、一度は玲たちが、普通に釣りのために使用している。

 つまり、発見時にはもしかすると付着していたかもしれない被害者の皮膚や毛髪などは、綺麗に洗い流されている可能性が高いのだ。


 勿論、網が見つからない状況よりは遥かにマシではある。

 だが、見つかったにしてもそれはそれで、単体としては証拠として弱いのだ。


 仮に警察が、「この網は殺人とは関係なく、別の誰かが仇川に網を持ち込んでいただけ」と断じてしまえば、それまでとなる。

 どれほど好意的に解釈しても、「夏美の立てた仮説を否定しない物品」以上の価値は無いと言ってもいい。


 故に、何としてでも警察に夏美たちの推理を信じてもらう必要があった。

 警察の捜査力なら、杭に残っているかもしれない指紋の採取や微物検査、さらにあの網の購入履歴など、素人探偵には出来ない範囲で調べられることがいくらでもある。

 網単体では証拠とは言えないまでも、犯人によって証拠が滅却されない内に手早く本格的に捜査をしてもらえば、新たな動かぬ証拠が見つかるかもしれない。


 そういう訳で、夏美と紫苑は警察への説明に追われ。

 大概の説明を終えて映玖市に戻った後には、死んだように眠り。


 ……自分たちの行動の結果が分かったのは、たっぷり二週間も経過してからだった。




『……授業中失礼します。一年二組の松原夏美さん、一年四組の氷川紫苑さん。お客様がお待ちです。至急、校長室に来てください。繰り返し放送します……』


 生物の授業中、そんな放送が唐突に流れてきたのは、四月も末になった頃。

 いい加減に、新入生たちから初々しさが取れてきた時期だった。

 いつかのように三限目の授業をこなしている最中、不意にその放送は、教室の雰囲気にも慣れてきた一年生たちの耳を打ったのである。


 無論、四組の真ん中で授業を受けていた紫苑も、はっきりとその放送を聞くことになった。

 音がした瞬間に、彼女ははた、と顔を上げる。

 その上で、来ましたね、と呟いた。


 彼女にやや遅れるようにして、クラスメイトたちが紫苑に視線を集中させる。

 全員が全員、「よく分からないけど、四組の氷川さんと言ったらあの子だったよな……」というようなことを考えているのが良く分かる視線だった。


「あー、氷川君。今のは……」

「ええ、呼ばれていますね」


 全員の意見を代表するようにして問いを発してきた生物教師を相手に、紫苑は淡々と返事をする。

 この場に限っては、動揺は無かった。


 あのような形で殺人事件に関わった以上、どこかで警察が再び事情を聞きに来る──警察の捜査結果と夏美たちの仮説を擦り合わせに来る──だろう、というのは既に夏美に言われていたことである。

 放送が聞こえた瞬間、見当が付いたくらいだ。


 学校での授業中に突然、というのだけ少し驚いたが、警察としても何か急ぎの用事なのだろう。

 逆に言えばそのくらい真剣に事件について警察が対応してくれている訳で、これは喜ばしいことだとすら言えた。


「すいません、先生。呼ばれた通り、ちょっと言ってきます」

「ん、ああ……」


 適当に机の上に広げていた教科書とノートを片付けると、紫苑はそさくさと立ち上がる。

 教師の方も、事情は分からないなりに止めない方が良いと思ったのか、抵抗も無く了承を示した。


 それを確認してから、一応紫苑は周囲のクラスメイトに頭を下げる。

 二週間前に続いて、再び授業を途中で止めてしまったので、迷惑を謝罪する意味でもこうしておいた方が良い、と思ったのだ。


 しかし、教師と同じく止めない方が良いと感じていたのか、周囲の生徒たちはすぐにヒラヒラと手を左右に振った。

 言語化するなら、「いいよ、全然……」という雰囲気である。

 寧ろ彼らの視線には、氷川さんは今日も大変だな、というような同情すら乗っている。


 ──何だかこう、夏美さんが私を連れ去った件があってから、私の学内での立場って「奇特な幼馴染に振り回されている苦労人」みたいになっている節がありますね……いえ、まあ、嫌われているよりはマシですけど。


 物凄く生暖かい目でこちらを見てくるクラスメイトたちを見つめ返しながら、紫苑は奇妙な気分になる。

 クラスメイトや教師、ひいては煌陵高校という空間自体が、夏美と紫苑のコンビに慣れて行っている──「またあいつらか、とりあえず見守っておこう」くらいの扱いに既になっている──のが分かるのは、嬉しくもあり、複雑でもあり。

 どちらにせよ、不思議な感覚だった。


 しかしこの場では、その雰囲気はむしろ追い風である。

 変に事情を詮索されるよりも、はるかに良いことだろう。

 そう判断した紫苑は、素早くアナウンス通りに校長室へと走った。




「……ん、来たか」

「夏美さん」


 不慣れな足取りで校長室の前にまで向かうと、その扉の前には既に夏美の姿があった。

 紫苑以上にこの状況を予想していたのか、素早く駆け付けていたらしい。

 教師の許可すら碌に取らずに全力ダッシュする夏美の姿を幻視しつつ、紫苑はまず確認をする。


「この呼び出しって、やっぱり……」

「ああ、この前の事件についてだろう。向こうの県警がわざわざこちらにまで来てくれたのか、それともこちらの刑事が来たかは分からないが、それ以外に私たちが呼ばれる理由はない」


 ですよね、と紫苑は首肯する。

 正確には、夏美に関してはまたどこかで変なことに関わっていそうな気もしたが、紫苑とセットで呼ばれたということは、あの電気漁の一件とみて間違いない。

 それだけ確認して、二人は校長室の扉に相対した。


「じゃあ、答え合わせと行こうじゃないか、紫苑。幸いにして、警察が後始末はしてくれたようだからな」

「ええ、行きましょう……これで推理が間違っていたら、私たちはただただ授業をサボってまで仇川の近くで森林伐採した人になってしまいますから、私としても成果の一つくらいは確認したいです」

「言い方に棘があるな……」


 最後にそうぼやきながら、夏美は校長室の扉を全開にする。

 途端に、室内に控えた男性刑事二名の姿が紫苑たちの目に映った。




「初めまして、学生さん。映玖署の(いわお)という者です」

「同じくー、映玖署の刑事の茶木(ちゃき)です。よろしくお願いしまあす」


 紹介だけしていそいそと退散した校長を尻目に、刑事たちは挨拶を重ねる。

 この二人は、実に対照的な容姿をしていた。


 まず、最初に名乗った巌という四十代後半と思しき刑事は、名前の通りにいかつい顔をしている。

 鍛え上げられた筋肉をスーツに包み、彫刻刀で岩からそのまま削り出したような顔を動かす様は、なるほど確かに日本の治安を任された刑事の一人だ、と納得してしまうくらいの雰囲気があった。


 一方、彼の隣に居る茶木という刑事は、もっとすらっとした人物である。

 外見は下手すると、刑事と言われても容易には信じられないくらいに垢抜けていて、言葉を選ばなければチャラそうに見える。

 巌刑事よりもたっぷり二十は若いであろう年齢がそう見せているのかもしれなかったが、それを抜きにしても、刑事っぽくない雰囲気の人物だった。


 そんな対照的な二人が、揃って警察手帳を取り出す様は、ある種現実味の無い光景と化している。

 そのせいか校長室に入ってすぐ、紫苑は何と返答すればいいか分からず、やや言葉に詰まった。

 尤も、夏美はそんなことも気にせずにスタスタと椅子まで座ったが。


「ああ、刑事さんは映玖署の人が来たんですね。毎日ご苦労様です……まあ、座ってください」


 軽やかにそう告げると、夏美はまるで自分がここの主であるかのように、刑事たちの対面に置かれたソファにドカリと座る。

 余りにも泰然自若としたその姿に一瞬、刑事たちが「え?」というような顔をしたのが分かって、慌てて紫苑は頭を下げた。


「あ、ええっと、お話に入りましょう、刑事さん!ここに座って良いですね!?」

「あ、ああ、よろしく頼む」


 紫苑から会話の導線を用意してやると、それに乗っかるようにして刑事たちも席に着いた。

 無論、紫苑も滑り込むようにして夏美の隣に座る。


 こうして、何とか場の雰囲気は保たれた。

 おほん、と巌刑事も咳払いで緊張感を取り戻し、その上で口を開いてくる。


「いや、授業中に呼び出してしまってすまないね。高校生だって、色々と忙しいだろうに……うちにも君たちと同年代の息子が居るから、その忙しさは多少分かるつもりだ」


 最初に、巌刑事はそんなことを話題に出した。

 恐らく夏美たちの心境を案じて、緊張を解そうとしてくれていたのだろう。

 すぐに本題に入るという訳では無く、世間話から話し始めようと考えたらしかった。


「まあ、うちの息子の外見は君たちとは雲泥の差があって、もっとむさい男子高生だがね。それでも私のように刑事になりたい、なんて言ってくれるとやはり親の欲目が出てしまって……」


 巌刑事の世間話はまだまだ続く。

 しかし、その配慮を思いっきり無視して、夏美はズバリと本題に入った。


「巌刑事、そんなどうでもいいことは置いておいて、事件の話をしましょう……電気漁をしていた犯人、どうなりました?警察は現状、どんなことを知っています?あの網の購入経路は追えましたか?」

「ちょっと、夏美……!」

「本当に授業中に立ち入ったことを申し訳なく思っているのなら、さっさと本題に入るのが筋です。その方が互いに早く終わりますからね。そうでしょう?」


 流石に隣から紫苑が制止するのだが、夏美は止まらない。

 どうやら夏美としても、三週間も焦らされた事件の続きを手っ取り早く聞きたいらしい、ということに気が付いたのは止めている最中である。

 夏美の視線は、いつしか酷く真剣な色を帯びていた。


 それを受けて、巌刑事も自然と真剣な顔になる。

 不快感を抱かれるかもしれないとも案じたのだが、そこは流石に刑事の器か、特に何か言われることは無かった。


 彼はすぐに夏美たちを普通の女子高生として扱うのは止め、まず「そうだったな、すまない」と軽く謝る。

 その上で、ずい、と隣に居る茶木刑事に向けて左手を伸ばした。


「茶木、写真を」

「はいはい、これっスね」


 かなり砕けた敬語で返事をしながら、茶木刑事は自身の鞄から一枚の写真を取り出す。

 そして、どうぞ、と言いながら机の上を滑らせた。

 夏美と紫苑は、肩を寄せ合うようにしてその写真を────知らない人物の顔写真を観察する。


「この人は……?」

「君たちが言うところの、電気漁をしていた『犯人』」の顔だよ。名前は花木甚弥(はなきじんや)。映玖市在住の無職の男で、年齢は三十八だな。かつては電気工として働いていたが、工場の倒産に伴い失職。それ以降は慢性的に金に困っていたらしく、怪しいビジネスに手を出していたらしい」


 疑問を呈した紫苑のためにか、すらすらと巌刑事がプロフィールを説明してくれる。

 そのお陰で、ふんふんと頷きながら紫苑は写真を見ることになった。


 この説明が無ければ、紫苑は「無精ひげを生やした痩せ気味の男性ですね」としか感想を抱かなかったことだろう。

 だが説明の追加により、「言われてみれば怪しいビジネスに手を出していそうな顔かもしれません」という印象がくっついてきた。

 これに関しては、情報バイアスというか、とどのつまり偏見だろうが。


「いや、素晴らしい。警察も独自に犯人を突き止めたんですね……現場に目撃証言でもあったんですか?」

「目撃情報は無かったっスね。ただ、こいつは先に尻尾を出したっスから」

「尻尾?」

「ああ、仇川河口近くに、レジャー用品をレンタルしている店があるんだ。そこに、本人が電話を掛けていたんだよ。『この店で預かっている落とし物に、網はありませんか?自分がこの間の休みに使っていたんですけど』という風にな。尤も、その店は網の貸し出しをしていなかったんだが……その電話番号から、身元は分かった」


 夏美の疑問に刑事たちが答えていき、やがて自然と犯人追跡の手法が分かる。

 紫苑としても、納得出来る経緯だった。


 確かに、そんな電話をしてくるのは犯人しか有り得ない。

 恐らく、網を現場に置き忘れたことに気が付いた後、もしかすると網は誰かに拾われ、落とし物とてしどこかに届けられているのかもしれない、と推測したのだろう。

 結果として、網の貸し出しをしていないレンタルショップに網の忘れ物を聞く、妙な客になってしまい、電話番号を控えられてしまったのだ。


「それなら、犯人はこの人物とみて間違いないでしょうね。少なくとも、関係者の可能性は高い……で、どうしたんです?もう逮捕したんですか?」

「……いや、逮捕は無理だ」

「何でです?まだ証拠が足りませんか?」

「どれだけ証拠を集めても無理っスよ。だってこの人……」




 ──()()()()()()()()()()




 さらり、と茶木刑事が告げた言葉に。

 さしもの夏美も、ピタリと口を閉じた。

 一秒前までまくし立てていたのが嘘のように、黙り込んでしまう。


 そしてそれは、紫苑も同様だった。

 予想外の言葉に、フリーズしてしまう。

 今この人は────犯人は既に死んでいる、と言ったのか。


 校長室に、しばしの沈黙が走る。

 その沈黙を利用するようにして、巌刑事はパシン、と軽く茶木刑事の頭をはたいた。


 女子高生相手に、刺激の強い情報をさらっと言うな、という叱責だろう。

 だが内容を訂正する訳にもいかなかったらしく、やがて巌刑事はそれに続く言葉を口にする。


「……この馬鹿が変な言い方をしてすまない。だが、内容は事実だ」

「この人はもう、死んでいるんですね?警察が居場所を突き止めた時点で、死体だったと?」

「ああ。自宅の部屋で一人で死んでいた」

「……じゃあ、もしかして自殺を?罪の意識に耐え兼ねて……」

「いや、それはまだ断定は出来ない。現状、自殺とも他殺とも言えない状態なんだ」


 はあ、と巌刑事は一つため息を吐く。

 そして、じっと夏美たちを見つめてこう告げた。


「先程君たちは、警察はどんなことを知っているか、と聞いたな?」


 まるで、何かを確かめるような問い。

 しかし事実だったので、夏美と紫苑は揃って頷く。


「警察としては情けない話だが、正直な話、それはこちらが聞きたい疑問だ。君たちは……何か、知っていないか?」


 そう言われて、夏美と紫苑は思わず互いの顔を見合わせて。

 それから二人同時に、ふるふると首を横に振ることになった。

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