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始点より

「おねえちゃん……?しおんおねえちゃんも!」


 しばらく不思議そうにしていた玲は、やがて細かいことはどうでもいいと思ったのか、トテトテと水中を歩いて近寄ってくる。

 そして驚いたままの紫苑たちの前まで来ると、わあ、と言って抱き着いてきた。


 とりあえず彼の体は、枝刈りの都合上前に居た紫苑が受け止める。

 勿論、鎌は素早く鞘に納めて近くに置いた。


「玲君……どうしてここに?」

「えー、だってー、おねえちゃんからでんわがないから」


 興奮を宥めるようにして玲を胸に抱きかかえながら、紫苑はまず理由を聞いてみる。

 すると、彼の口からはよく分からない言葉が返ってきた。

 はてな、と不思議に思っていると、その場に新たなる人影が出現する。


「玲、あまり先に行くのは……あれ、どうしたんだ、君たち」

「……伯父さん!」

「夏美か?それにそちらは……いや待て、君たち、何で仇川沿いから?」

「ええっと、それはまあ、諸事情ありまして」


 岸から姿を見せたのは、四十代と思しき男性の姿だった。

 足元には、彼にしがみつくようにして歩く女児の姿もある。

 夏美が「伯父さん」と呼び掛けたことから、その正体は紫苑にもすぐに分かった。


 ──ここに住んでるっていう、夏美さんの伯父さんと従姉妹さんですね?祖父母の家がここにあって、長男夫婦も同居しているという話を聞きましたし……。


 親戚ということもあってか気軽にその伯父に近づき、何やら説明を始める夏美の背を見ながら、紫苑は彼らの関係性を把握する。

 夏美からすると、こんなところで思わぬ知己と再会してしまった、という状況なのだろうか。


 これは説明が面倒なことになりますね……などと、玲を抱きかかえながら、紫苑は少しだけ心配に思う。

 彼女を尻目に、夏美とその伯父は何やら訳知り顔でブツブツと話し始めた。


「そういえば夏美、昨日電話をしていたな?ウチの家に泊まるかもしれないとか何とか」

「ええ、まさにその用事ですよ、これ。この川でちょっと、いつ終わるか分からない調査をしていまして……」

「その様子だと、まだ探偵活動しているのか、夏美……」


 ──あれ、事情を知っているんですね、あの伯父さん。


 どうして、とまず思って、すぐに夏美が既に手を回していたことに思い当たる。

 先程の山の管理人への連絡の折に、近くにある祖父母の家にも連絡を取っていたらしい。

 仮に夜中までこの望鬼市に留まってしまった場合の保険として、彼の家を滞在場所とするべく許可を得ていた、ということか。


 ──相変わらず、私の意向以外は手回しが早いんですよね、夏美さん……将来、イベントを企画するプロデューサーとかになったら大活躍するんじゃないでしょうか、彼女。


 ぼんやりと、紫苑は夏美の背中を見ながらそんなことを思う。

 皮肉でもなんでもなく、そういう根回しが重要な仕事は彼女の天職となる気がしたのだ。

 何にせよ、伯父さんの対処は任せて良い、と察した紫苑は、そこで改めて胸元の玲を見た。


「ええっと、玲君」

「なにー?」

「その、さっき言ってた、私から電話が無いからというのは、どういうことです?というか、何の電話です?」


 改めて問い直すと、玲は不思議そうに瞬きをした。

 そして、ビシッと紫苑を指さす。


「だってしおんおねえちゃん、いってたでしょ?ヤキザカナ、わかったらでんわしてくれるって」

「え?……あー……」

「でも、きのうでんわなかったから……じぶんでつらないとダメかなって。それで、またここきたの」


 ──そういえば、そういう約束してましたね。ごめんなさい玲君、色々あって忘れてました……。


 最初の電話を、紫苑は確かにそういう風にして切っていた。

 真相が分かったら、また電話すると。

 どうやら玲としては、それを律儀に待っていたらしい。


 しかし当然ながら昨日はそんな電話は無く──昨日はミス研で相談した後、流れで解散してしまっていた──玲としては気になったままの『ヤキザカナ』の回答を得られないまま終わっていた。

 結果、自分でまた釣るしかない、という結論になり、伯父に頼んで再び釣りに出向いたらしい。

 そう言われて岸の様子を見れば、確かにクーラーボックスやら釣り竿やらと、釣りと言えば、という荷物が置いてあった。


「あれ、でも玲君が前に釣りをしていた場所って、裏形橋の近くだったはずじゃ……ここはまだ、裏形橋よりはかなり下流ですけど」

「かりゅー?」

「あー、ええと……玲君、どうして釣りの場所を変えたんですか?前はもっとこう、大きな橋みたいなのがある場所でやったんじゃないですか?」

「うーんと……おじさんが、ほんとにその『ヤキザカナ』がいたなら、もっとしたのほうにおよいでいったかもって。だから……」

「ああ、なるほど。それでより下流の方で釣りに来たんですね」


 妥当な理由に、紫苑は思わずうんうんと頷いた。

 紫苑は今しがたその「ヤキザカナ」の正体を聞いたが、推理を聞いていない玲やその伯父たちは、当然そんなことは知らない。


 つまり、「ヤキザカナ」はこの世に一匹しかいない珍種くらいに思っており、先日よりも下流を泳いでいるかも、と考えたのだろう。

 結果として夏美たちと玲たちは、裏形橋と海との中間地点付近でバッタリ出くわしたのだ。


「しおんおねえちゃん、しつもんばっかり……おねえちゃんは、なんでここきたの?」

「ええっとですね……」


 そこで不意に、逆の立場から質問が発せられる。

 紫苑があまりにも立て続けに物事を問うてくるものだから、自分も聞きたくなったらしい。


 しかし、まさか保育園の年長さんを相手に「殺人事件の証拠品を探しているんです」と言う訳にもいかないので、紫苑ははた、と困った。

 こうして振り返ると、今の自分たちは幼児に対して納得出来る説明がしにくい立場にある。

 自然、口から出てくるのは要領を得ないものばかりだった。


「まあ、分かりやすく言えば……ある人の忘れ物を探しているんです」

「わすれもの?」

「はい。ある人が、この川の近くで網を失くしてしまったかもしれなくて……網というのは、お魚さんを捕まえらために使う、大きくてスカスカの紐の集まりみたいな物なんですけど。それを見つけたくて、ここに来ていたんです」


 虚実織り交ぜて、紫苑はそんな説明をしておく。

 完全なる嘘は言っていないし、幼児を納得させるものとしてはこれくらいで良いだろう。

 一応、網が何なのか分からない場合に備えて詳しい説明も付け加え、紫苑は玲に微笑みかけた。


 すると、その瞬間。

 あっ、と何か思いついたような顔をして、玲が顔を上げた。


「あみって……もしかして、アレかも」

「アレ?」

「んとねー……ちょっと、おとしてー」


 そう言いながら、玲は抱きかかえられた体勢のまま、ジタバタと足を動かす。

 どうも、自分の足で歩きたいらしい。


 彼の意思を汲み取った紫苑ら、ゆっくりと彼の体を陸に戻しつつ、ついでに自分も岸にまで移動する。

 玲の方は、未だに話を続ける夏美と伯父さんの隣を瞬く間に走り抜け、そこに置いてあった釣り道具に手を伸ばした。

 そして、その中からビニール袋に収めた何かを掴んでくると、そのままタタタタ、と紫苑の元に戻ってくる。


「……どうしたんだ、玲?それは一体?」


 彼の動きは流石に目についたのか、夏美は伯父との会話を打ち切って、横から話に参加してくる。

 自然、玲は夏美と紫苑の双方に説明をするようにして、自らが手に持った物の正体について述べていった。


「あのね、このまえ『ヤキザカナ』をつったときにね、さいしょにわすれものしちゃってね」

「忘れ物?玲君たちが、ですか?」

「うん、そう。ちっちゃなおさかなばかりかなっておもってたから、あみ、わすれたの」


 二度目に答えたのは玲ではなく、伯父の足にしがみついたままの娘──夏美と玲の従姉妹にあたる少女で、名前は茉奈という──だった。

 彼女は当時を思い出すようにそんなことを言うと、その勢いで自らの父の顔をじっと見つめる。

 すると「何を話しているのかさっぱり分からない」という顔をしていた伯父は、恥ずかしそうに首の後ろを掻いた。


「いや、あくまでこの子たちが満足出来ればいいのだから釣果は関係無いだろうと、ちょっと甘い予測をしていてね。その日は、魚を取るためのタモや網などを忘れてきてしまったんだ。それで実際に釣りを始めてから、困ってしまった。あれ、意外と魚が太っているな、と」

「それで、どうしたのですか?」

「最初はまあ、無くても何とかなるか、と思ったんだが。ちょっと目を離している内に玲が便()()()()()()()()()()()()……いやまあ、本当は駄目なんだろうが」


 そう言いながら、伯父は玲の持つ袋に視線を移す。

 ほぼ同時に、玲はその中身を取り出していた。


「これ、はしのおくのほうで、ひっかかってた。だから、かわりにつかえるかなって」

「誰かが放棄した物かもしれない、というのは察しがついたんだが……上手い具合に重しもついていたから、水面近くに居る魚を追い込むくらいには使えるかな、と思って再利用したんだ。それで、今日も持ってきた」


 伯父の説明をBGMに、玲は袋の中身をずい、と差し出す。

 それを前にして、紫苑たちは絶句することになった。


 当然の反応だろう。

 話の流れからして少し予測出来ていたが、それでも。

 自分たちが源流探しをしてまで探していた物を、玲が当然のように手にしていたのだから。


「それが、お前の見つけた物なのか、玲……その、()が」

「そうだよー?」


 何でもないことのように、玲は手に持った網を振る。

 テントなどの固定に使うペグと、それを芯棒にしてグルグル巻きにして保存されている網。

 それこそが、玲が手にしていた物の正体だった。


 彼が言うには、これは裏形橋の奥に引っ掛かっていた物だという。

 ならばつまり────。


 ──そう言えば前に玲君、以前にこの話を……『当日に魚を捕まえるタモを忘れたけれど、近くで代用品を探して何とかした』とか言っていたような。


 実物を見た途端、紫苑は玲との電話の内容を思い出す。

 思い返せば、あの日の時点で確かに口にしていた。


 彼は釣りに向かった際、代用品を「探した」とのことだった。

 用意したでも、貰ったでも無く、探した、と。

 要は、彼が現場付近で自発的に何かを見つけていることは、既に語られていたのだ。


 恐らく、本当に偶然だったのだろう。

 伯父が魚を水面近くに引き上げるたびに苦労しているのを見た彼は、ふとした隙を見計らって、周囲で役に立ちそうなものを捜索していた。

 幼児特有の、好奇心で。


 彼らが釣りをしていた時刻は、被害者の水死体発見前。

 時系列的には、彼が電気に追われて川に飛び込んでから、半日も経過していない時のことである。


 詰まるところ、事件が発生してからさほど間を置かずに、彼らは裏形橋周辺を来訪していたのだ。

 まだ被害者の行方不明届が提出されておらず、警察が捜索もしていないという絶妙な時間帯に。


 結果として、玲は事件後に最初に現場を捜査した人物になった。

 だからこそ、橋からやや下流で発見をしたのだ。

 片方の杭が抜け、岸に引っ掛かっていた網を。


 何たる偶然、と一瞬思ったが、すぐに紫苑は全てが偶然では無いことに気が付く。

 少なくとも、裏形橋周囲に全ての要素が集まったことには、明確な理由がある。


 まず、電気漁をしていた犯人は、夏美の推理によれば人目に付かない場所で漁を実行する必要があった。

 見つかるわけにはいかないからだ。


 だが同時に、電気を使う以上、犯人はそれなりの量の機材を持ち歩く必要がある。

 網を張ること一つをとっても、杭を打ち込むには金槌が居るだろうし、網そのものだって重石を含めればそれなりの重量になるだろう。


 ならば、徒歩での移動距離は短いに越したことは無い。

 その方が疲れないし、逃げやすい。

 いざという時のことも考えると、殆ど人は居ないが、交通の利便はそこまで悪くない、という場所で電気漁を実行しなくてはいけないのだ。


 一方、純粋に釣りに励んでいた夏美の伯父はどうか。

 彼もまた、結果的には似たようなことを考えていたはずだ。


 何せ彼は二人も幼児を連れて釣りに出向くのである。

 まさか幼児に山道を延々歩かせる訳にはいかないので、ギリギリまで車で行けて、幼児たちがぐずったり眠ったりしてもすぐに帰れるような場所で釣りをする必要がある。

 周囲の釣り客に子どもたちが迷惑を掛けるかもしれないことを考えると、人目もあまりないことが望ましい。


 結果的に、二人の釣り人の意向は図らずも一致していたのだ。

 両者とも、裏形橋付近が一番目的に合う──橋のお陰でギリギリまで車で近づける上、橋の真下に網を固定すれば上からは見つかり辛い──と考えたのである。

 だからこそ、電気漁を目論んだ犯人が逃げ去った直後に、玲たちはほぼ同じ場所を訪れたのだ。


 そこまで考えて、紫苑は何となく呆ける。

 奇縁という物は中々どうして、馬鹿にならない、と考えて。

 そうこうしているうちに、玲がまた口を開いた。


「おねえちゃんたち、あみのわすれものをさがしてるんでしょ?」

「ええ、まあ……そうですね」

「だから、これじゃないかなって。どうせおとしものだからって、もってかえっちゃったし」


 ちょっと申し訳なさそうな顔で、玲は網を差し出す。

 なまじ忘れ物と表現したことで、自分たちがこれを持ち帰ったことで落とし主が困っているのでは、と考えたのかもしれない。


 無論、それは杞憂だ。

 ここで夏美がそれを怒るようなことは無く────寧ろ。


「凄いぞ、玲……!」

「みぎゃ!?」

「恐らく、これが証拠品で間違いない……今回のMVPは間違いなくお前だ!うりうりうりー!」


 ────奇声を上げながら、夏美は唐突に玲を抱き上げる。

 そして弟が愛おしくてたまらない、という風に物凄い勢いで頬ずりを重ねた。

 何故そんなに褒められているか分からない玲は、目を白黒とさせながら振り回されるのだった。

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