或いは水に叩きつけるように
「実を言うと、先程お前が言った推理はそう悪いものじゃない。魚の焦げ跡は確かに電流が流れた痕跡だろうし、水死体にも恐らく電気が関わっている。その点は、間違っていないと見て良いだろう」
紫苑に再度窘められて前を向いた夏美は、まずは紫苑の推理を評価することろから話を始めた。
彼女がこういう話し方をするのは珍しいので、紫苑はおや、と目を大きくする。
正直、自分でもイマイチだと思っていた推理だったのだが、意外と核心を言い当てていたのだろうか。
「だが、その電流の元を雷とするから話が変になる。お前自身も言っていた通り、現場に雷の影は無い」
「ですね」
「それでも、現に玲は水中に居ながら焦げ目を作った魚を見つけた……だったらこれはもう、こう考えるしかないだろう」
そう言いながら、ピン、と夏美は一本の指を伸ばす。
そして彼女は、まるで目の前に見えている何かを指し示すようにして、気負うことなく真相を告げた。
「事件現場に、雷は落ちなかった。しかし、何者かが現場で電気漁をしていた。だからこそ、それに巻き込まれた魚が焦げ跡を作った……そう考えれば、全ての話が繋がるんだ」
「え?…………電気漁?」
聞き馴染みのない言葉に、紫苑は首を大きく捻る。
生憎と紫苑は、天気に多少詳しい側面があったとしても、漁のやり方にまではそこまで詳しくない。
尤も、話の流れからして、何となく意味を類推できる単語ではあったが。
「電気漁というのはつまり……ええっと、電気を使って魚を捕まえる漁、ということですか?」
「ああ、その通り。電極なり端子なりを水中に埋め込んで、川の中に一気に電気を流し、感電して浮かんでくる魚たちを一網打尽にする漁だ。魚が集まっているところなどを狙うと、かなりの成果が見込める手法となる。気になるなら、後で動画でも検索してみればいい」
「はあ、でも……」
説明を受けても今一つ意図を把握出来ず、さらに紫苑は質問を重ねた。
「その電気漁で、水死体のことにどう説明が付くんですか?亡くなった方、別に漁師って訳じゃないはずですけど」
「ん?いや、被害者の職業は別に関連が……ああ、なるほど」
紫苑の言葉に対して不思議そうな顔をした夏美は、やがて一人で納得したように頷く。
そして、「確かに普通に生きているとあまり必要のない知識かもな……」とうんうんと頷きながら告げ、決定的な補足を入れた。
「ちょっと説明が遅れたが……紫苑、実はこの電気漁というのは、大きな問題を抱えるやり方なんだ。まともな人間なら、まず実行しない」
「え、そうなんですか?」
「当たり前だ。だってこれ、違法行為だからな。こんな乱暴な漁のやり方は、原則的に都道府県の条例やら何やらで禁止されている。外来種の駆除などに使うことはあるらしいが……それだって、許可が居るしな。仇川付近も勿論、漁協がそういうのは禁止している」
──……そうなんですか!?
そんなことは全く知らなかった紫苑は、内心でかなり驚く。
確かに言われてみれば、環境への影響が馬鹿にならない手法であることは容易に想像できるが。
それでも、この世に実行してしまえば逮捕されるかもしれない漁、なんてものがあるとは知らなかった。
「えっと、じゃあ……夏美さんの言う、電気漁をしていた何者かっていうのは、つまり……」
「釣り人にとって穴場である仇川の魚を目当てに、違法な漁を試しに来た犯罪者ということになる。証拠は殆ど無いが、そんな存在が仇川に居たと仮定すると、全てに説明が付く」
さらりと告げたその事実は、夏美の中では確信を得ていることらしい。
それ故か、証拠が無いと自ら言っている割に、そこで彼女は胸を張った。
そして、事件を最初の方から振り返っていく。
「電気漁の存在を前提にすると、これらの一連の事件も見え方が変わってくる。この場合、時系列的に何が最初の出来事になるかは……分かるか、紫苑?」
「ヤキザカナでも、踊っていた被害者でも無く……その人が、電気漁を目論んだのが最初、ということになるんですか?」
「その通りだ。どんな動機があったのかは知らないが、電気漁の機材や手法を体得していたその人物は、この春に自身の狩場を探していたのだろう……そして、仇川を見つけたんだ」
そう言われて、紫苑は記事の内容を思い出す。
曰く、この時期は雪解けも終わり、春の魚たちも出てくる時期。
そして仇川の周囲は、釣り人たちからは密かに人気だったのだと、確かにそう書いてあった。
続きには、素性を問わないような店では釣り人の魚すら買うことがあるということで、小遣い稼ぎに余所者が来たのかもしれない、という談話も掲載されていたはずである。
電気漁を企んだその何者かも、小遣い稼ぎの場所としてこの街を選んだのだろうか。
「実際、電気漁の場所として考えると、この仇川は中々に優れている。田舎だから碌に監視カメラや街灯は無いし、源流を辿って山奥に入ってしまえば、人目なんかゼロだ。地元の漁協とかは一応管理しているんだろうが、まさか長い川の全てをカバー出来ている訳でも無いだろう」
「つまり、違法な漁を実行したとしてもバレるリスクは少ない、ということですね?」
「その通り。電気漁はなまじ魚への効果が大きい分──何せ、電気を川に流した瞬間に、近くの魚が全部浮かんでくるんだからな──それに比例して周囲にもバレやすくなる。捕まらずに完遂したいのなら、人が居ない場所を上手く見つけるしかないんだが、仇川周辺はそれをクリアしていた訳だ」
なるほど、と頷きながら、紫苑は周囲を見やる。
そうして目に映るのは、まだ駅から歩いて十分程度だというのに、殆ど無人の道路と家だけが広がっている街並みである。
今もこうして紫苑と夏美が昼間から堂々と歩いているが、誰ともすれ違っていない。
望鬼市には失礼な話だが、市で最も大きいという駅の周辺でさえこれなのだから、他の地域の人通りなど大方察しが付く。
奥の地域に行けば、人っ子一人いない場所や、ここ何年か誰も立ち入っていない空間、なんてところも存在することだろう。
犯人がここなら電気漁も行ける、と考えたのも、無理はない気がした。
「そしていざ決まれば、あとは実行あるのみだ。うかうかしていると他の釣り人も増えて、自分が見つかるリスクが出てくるからな。犯人は速やかに電気漁の荷物を積み込み、この地域にやって来た。漁の実行日まで、どこで滞在したかは知らないが」
「滞在……犯人が余所の人っていうのは、確定なんですか?この付近に住んでいる人が、魔が差してやってしまった、とかではなく?」
「ああ、そこは間違いない。犯人は少なくとも、この近くの人間では無いだろう。そこは、この続きを聞けば分かる」
話を急ぐようにして、夏美はそう断言する。
詰まるところ黙って聞いていろ、という要望だったので、紫苑は言われるままに口をつぐんだ。
一度こうなった夏美はもう、全てを語り終わるまで止まらないという事実を、紫苑は経験上理解している。
「さて、そうしてここに来た犯人だが、まさか真っ昼間から電気漁をバリバリやる訳にはいかない。いくら田舎とは言え人が来る可能性もあるし、それ以前に音の問題もある」
「音?」
「ああ。電気漁っていうのはな、電流を流した瞬間に周囲の魚が暴れまわるから、結構音が鳴るんだよ。大量の魚が跳ねまわってバシャバシャバシャ、と」
その意味でも、昼間に実行することは憚られる訳だ。
仮に川の周囲に人が居なくても、例えば登山客などがその音を聞いて現場を確かめに来る、なんてこともあるかもしれない。
どうしたって、犯人は昼間は身を潜め、夜まで待たなくてはならなかった。
「やがて、犯人にとって待望の夜が来る。その人物は網やクーラーボックス、それらを運ぶための車などの用意をして、川べりに来たんだろう。そして望み通り、ビリっと電気を川に流した。だが……」
少し、躊躇うように夏美は口ごもる。
だが黙ることでも無いと思ったのか、やがて彼女は三本の指を立てた。
「この時点で、犯人には三つの誤算があった」
「三つ?」
「ああ、一つは時間。電気漁を実際に行う時刻を、午前零時過ぎくらいにしてしまったこと」
一つ、夏美が指を折る。
「漁が終わった後は、魚たちの回収と証拠隠滅、さらに逃亡の手間がある、だから犯人は、実行時刻を明け方近くには設定出来なかった。朝の散歩とかで目撃される恐れがあるからな。だからこそ午前零時近くに実行したんだろうが……結果から言えば、これが失敗となった」
もう一本の指を、夏美はもう片方の手で軽く触る。
「それが、二つ目の誤算。丁度その日にこの地域で……仇川付近で、地域振興会の名前を借りた飲み会が行われていたこと」
「飲み会……あの、ブログで触れられていた?」
「ああ、結果から逆算すると、これは全く同じ日に起こったことだろう。要は、犯人が電気漁に勤しんでいるのとほぼ同時刻、仇川近くの公民館では盛大に飲み会が行われていて、結構な人が居た、ということだ。無論、余所者である犯人は碌に知らなかっただろうがな」
そこまで言い終えてから、夏美は二本目の指をゆっくりと畳む。
その上で、最後の誤算について述べた。
「これだけならまだ、何とかなったかもしれないが……最後の誤算は、丁度その午前零時過ぎに、その飲み会が解散し、歩いて帰宅することになったメンバーが現れたことだ。さらに不運なことに、帰宅者の中には、裏形橋を通る人まで居た」
「……もしかして、その人物が」
「そう、水死体で発見された人物のことになる」
繋がった、と思う。
これで一つ、電気漁と水死体は関係ありとなった。
それを確認してから、夏美は不意に紫苑の方を振り向く。
そして、理解度を確かめるようにして問いを放った。
「ここまで言えば、紫苑にも被害者が踊っていた理由は……少なくとも、帰宅途中だったはずの被害者が川岸に居た理由は分かるんじゃないか?」
「川岸に降りた理由……つまり、わざわざ橋を下りていた理由、ということですね?」
そう問われて、紫苑の脳内で今まで聞いた話が振り返られていく。
犯人が電気漁をしていたまさにその時刻に、裏形橋を通って帰宅していた被害者。
ブログの話では被害者は書き手の旦那よりもかなり早めに帰ったそうだから、まさにその時間帯が、犯人が川に居た時間帯と被っていたということになる。
そしてブログの記事によれば、被害者は結構口うるさい人物だったという。
悪いことをしている子どもを見かけたら、他所の子どもであろうとも叱り飛ばすのだ、と。
さらに言うならば、川岸で行われている電気漁とは、夏美の指摘する通り本来違法行為だ。
ならば────。
「まさか……被害者は、犯人に直接注意をしに行ったんですか?電気漁をしている人が居たから、何をやっているんだ、と思って……」
「それしか無いと思う。普通に帰宅する分には、そんな川岸にわざわざ向かう理由なんてないしな。真夜中に寄り道してでも実行したいこととなると、『犯罪行為を止めるため』くらいの重大な理由が無いと釣り合わない」
それはまた何というか、と紫苑はかなり驚く。
正義感が強い行為ではあるが、同時に危険な行為だ。
自分で川岸まで行くというのはつまり、誰も見ていない夜中の川辺で、犯罪者と二人きりになってしまうことを自ら選んだ、ということである。
何をされるか分かったものではない。
「でも、そんなことをせずとも、その場で一一〇番通報すればよかったんじゃ……川に変な機材を持ち込んでいる不審者が居ると通報すれば、警察も動いてくれたのでは?」
「正論で考えるならそうだが……そこはまあ、酔って気が大きくなっていた側面もあると思う。或いは携帯電話を持っていなくて、その場では警察に頼れなかったとか。この辺りでは、公衆電話も少ないしな」
被害者の行動をやや庇いつつ、夏美は苦笑を浮かべる。
そして、推理の続きに戻った。
「この時、被害者も川で人影を見つけてかなり驚いていたと思うが、同時に犯人も驚いたはずだ。まさか、人に話しかけられるとは思っていなかっただろうからな。漁に夢中だったなら、橋の上の人影にも気が付いていなかっただろうし」
「つまり、互いに驚いていたんですね?何だこの人は、と」
「そういうことだ。だが同時に、結果から逆算していけば、この後に何が起きたかは大体推測出来るだろう?」
そう言われて、紫苑は確かに、と思った。
紫苑たちは、この事件の未来を知っている。
その日から数日経過している現在、仇川河口からは水死体が揚がった。
逆に、「電気漁を行っていた人物逮捕」というようなニュースは見ていない。
仮にそんなニュースがあったのなら、最初のネット検索の段階で出てきているのだろう。
ならば、ここで起こったことは。
「被害者は、犯人を注意しに行った挙句、返り討ちにあったんですね?相手を捕まえようとしたら抵抗されて、そのまま川に……」
「その通り。そして犯人は現場を撤収して、痕跡も残さずに逃亡した、ということだ。酔っていたこともあってそのまま溺れてしまった被害者を見捨てて、な」
「犯人からすれば、被害者を救助する理由がないんですね。早いところ証拠を片付けないといけないし、何なら死んでくれた方が、口封じにもなって都合が良い……」
「ああ。だから最初に言っただろう?これは『殺人事件』の話だって」
互いにとって不運が重なった、半分事故みたいな話だが。
最後に夏美は、そう付け加えた。