表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

第5話 怪我をした天使 

 ……天使? 


 いつものように夜明けまで劇場でぼんやり過ごして、映画が終わったあとの真っ黒なスクリーンから逃げるようにロビーに出た。

 両手にはいつもと同じ、すっかり氷が溶けてぬるくなったコーラと山盛りのポップコーン。それを売店のゴミ箱に捨ててから切符売り場のドアに鍵をかけて、ガスの元栓を閉め、入り口のガラス扉の鍵を確認してブラインドを下ろす。そして最後に館内の照明を消して回る。 


 いつもと同じ朝を迎えたはずだった。 

 俺の世界には何もなくて、誰もいなくて、同じ朝と昼と夜をずっと繰り返すはずだった。

 でもこの朝は違ってたんだ。 


 天使に見えた。 


 朝日を背中に受けて俺を真っ直ぐに見つめてる。

 ガラス扉の向こうから俺に微笑みかけて、「さあ、おいで」って両手を広げてくれる天使。

 俺も天使を見つめ返した。「待ってたよ」って言いながらその腕に吸い込まれ、そのまま抱かれて空に昇っていけそうだった。

 

 どのくらいの間そうしてたんだろう。ほんの数秒のような気もするし、永遠のように長かった気もする。

 俺たちを射るように伸びていた光が雲に遮られ、外にいるのは天使じゃなくて人間だと俺に気づかせた。その人もびっくりしたような顔で俺のことを見て、パチパチと瞬きをしてた。

 お客さんかな? こんな時間に一人でいるなんて、始発待ちの酔っ払いかな。


「すみません、もう終わりです」


 扉の前まで行って、その人に告げてからブラインドを下ろそうとした。ガラス越しだけど、近くで見たらその人は顔に少し怪我をしてるみたいで、俺は思わず訊いた。


「大丈夫ですか? 顔」 


 言いながら自分の唇の横に指を添えて、その人の血が滲んでる方の口の端を指した。


「え? あ、ああ」 


 右の口の端を押さえて、その人はちょっと顔をしかめる。痛そう。目の下あたりもちょっとアザになってるみたいだ。


「よかったら、傷薬がありますけど。まだ薬局は開いてないし」


 酔っ払い同士のケンカかも知れない。見た目だとちょっとヤバそうな雰囲気がしないでもないけど、怪我してる人を放っとけなくて、俺は入り口の鍵を開けてその人を中に入れた。ガラス扉で外から丸見えだから、何かされるってこともないよね、まだ人通りは全然ないけど。強盗だったらこんな貧乏臭い劇場なんて狙わないだろうし。


「ここで待ってて」

 

 ロビーのソファに座ってもらって、事務室の棚から薬箱を取り出した。もうずっと開けてなかったけど、未開封の消毒液と傷薬があったはず。 

 急いでソファのところに戻って、薬箱を開けた。記憶の通り、使える薬が残っててホッとした。コットンに消毒液をしみこませてその人に渡す。自分で見えるように鏡を持っててあげた。


「……痛っ」 


 やっぱり結構しみるらしい。消毒した後の傷口を手で押さえたまま目をつぶってる。


「縫うほど切れてないよね? ちょっと見せて。……ケンカ?」 


 初めて会った人なのに、俺はずっと友だちだったヤツに触れるように、自然にその人の顔をさわってた。

 近くでよく見ると傷口は深くも大きくもなくて、病院に行く必要なんてなさそうだったから安心した。安心したら自分の行動が大胆ていうか図々しいっていうか、とにかくいつもの俺じゃないみたいで急に恥ずかしくなって、気まずくてその人から目を逸らした。


「ありがとう」 


 優しい声だった。 

 その声は俺の心の中にすうーっと浸み込んで広がって、懐かしいような悲しくなるような、胸がドキドキするような不思議な感覚で俺を満たしてくれた。


「……誰?」 


 振り返って訊ねた。その人は意味がわからないという顔をして俺を見てから、思い出したように言った。


「俺? 俺は……晴哉」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ