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第19話 ラスボスとの対決

「あーっ、こんな大事なもん忘れちゃ話になんねえよ」


 俺は客電が半分くらいに落ちてうす暗くなったフロアを突っ切って、リング下に落っこってたせぇちゃんの黒いローブをぎゅって抱きしめた。

 もちろんモタモタしてるヒマはないんだけど、思わずその場でローブに顔をうずめた。せぇちゃんの匂いと、尋人の匂いが混じった大事なローブ。これだけは絶対に持って帰らなきゃ。

 だけど改めてこっから客席全体を見回してみると、高級なテーブルの上に並べられた豪華な料理とシャンパン、ワインの瓶、倒れたグラス、ナイフや灰皿、全てが薄汚れて見える。

 椅子の上に引っかかってる青いナプキンも、誰かが忘れてったビーズでギラギラしたブランドもののバッグも、なんか全部がウソっぽくて、さっきまでの出来事が夢だったみてえだ。


 こんなとこでゆっくりしてらんねえ。せぇちゃんのローブを丸めて胸の前で握って、俺は三番出口を目指した。控え室に直接通じてる五番出口と、客が使う店の正面入り口である一番には、まだ警察がいるはずだからだ。

 三番出口は、厨房とホールを結ぶ短い廊下の先にある。そこならもう誰もいない。蛍光灯がチリチリいう通路を、俺は背中をまるめてドブネズミみてえにコソコソ急いだ。


「吉岡さん」


 鉄の扉の冷たいノブを回して外の様子を窺ってたら、いきなり横から声を掛けられた。

 菱川だ。


「この出口で待っていて良かったです。ま、他のドアはまだ通れませんがね。私と一緒に来ていただけますね」

「イヤだ……って言っちゃってもいいんスかね」


 俺は持ってたせぇちゃんのローブを、爪が食い込むくらい力いっぱい握った。顔が引きつってんのが自分でもわかった。今、こいつが俺に用があるって言ったら金のことに決まってるし、金を渡したらそのあと俺は殺されるに決まってるからだ。


「それは困ります」


 菱川が言い終わらないうちに、俺の両腕は外タレが連れてくるSP並みにガタイのいい白人のヤツに拘束された。


「いや、菱川さん、俺が行かないと困る人がいるんスよ」

「晴哉さんはもう運び出されたはずですよ。今ごろは検死台の上なんじゃないですか」


 菱川は、初めて三井さんのクラブで会った時と同じ顔で笑った。いや、正しくは「同じような」だ。同じかどうかなんて俺が憶えてるワケがねえ。ただ、その薄い唇が左右に引っ張られて、鎌みたいに見えてゾッとしたことだけは憶えてる。悪魔だコイツって、初めて会ったときから怖かったんだ。日向なんかよりもずっと。


「さあ、私の車へどうぞ」


 菱川が歩き出す。食材の搬入用駐車場に停められてた車は、真っ黒いAMGだった。これって、日向のだろ。

 SPがドアを開ける。バックシートに乗り込んだ菱川が目で合図すると、俺は腹に重いパンチを食らってからトランクに押し込まれた。なんか、拉致られるシチュエーション的にすげえベタだ……。


 ベッタベタです、しかし、オッケーです……。


 そん時のクラフト隊長の苦笑いを思い浮かべて、俺も一瞬へらっとしたけど、すぐに気が遠くなった。




「オーナー……いえ、日向氏の部屋にあった金庫は、言うまでもなく押収されてしまいました。もちろん今日のショーの売り上げ、お客様からお預かりした掛け金、それらのキャッシュも全てです。一体どのくらいの金額だと思いますか」


 俺の正面に座った菱川が言う。赤いピカピカした革でできた、王様が座るみてえな肘掛け椅子だ。

 俺はというと、まあフカフカした絨毯の上ではあるが、スニーカーをはいたまんまで正座させられてる。

 そして俺の両側にゴツいSPの方々が二人そびえてらっしゃるという、これも極めてベタな構図。

 まあ、手錠とか縄とかで拘束されてないだけマシといえばそうだが、それって俺のことは警戒しなくてもオールオッケーっていう非常にナメられた状況ってことでもあるワケで、情けねえなと思うヒマがあったらこいつらブチ殺して脱出する方法を考えろよ、俺っ。ってツッコむとこだよな。

 あー、そりゃそうなんだけど、まあ早い話、早くも正座の足はしびれてきてるし、とにかく今はこいつの質問に答えなきゃならねえ。


「一億、くらい、です……か」

「ああ、あなたに訊いても仕方ありませんね。十倍です。十億以上です」


 じゃあ訊くなよ、ってイラっとしたけど、こいつの言いたいことはわかってる。早くしてくれねえかな。


「さあ、私にもあまり時間がありません。ここに踏み込まれたら大変ですからね。私が知りたいことは、もうお解りですよね。貸金庫のIDとパスワード、教えてくれませんか」


 椅子から上半身を乗り出して、俺に顔を近づけながら菱川は言った。俺にだって時間がありませんよ。言ったらそのまま殺されるワケだし……。


「……パスワードは、毎日変えてるからメモを見ないとわかりません」

「そのメモはどこにありますか」


 菱川のメガネの奥に、残酷な光がチカッと瞬いたように見えた。とっさに吐いたウソだったから、俺はそのあと何て言ったらいいかわかんなくなってきて、焦って言葉に詰まった。


「コロンブスが、アメリカ大陸を発見したといわれていますね」


 はぁ? 世界史の授業か? 俺は菱川が何を言いたいのか全然みえてこないんで急に怖くなった。


「白人が上陸して、先住民はどうなりました? 奴隷にされるか殺されるか、そのどちらかでした。労働力にならない老人は真っ先に殺されましたが、若者は奴隷として使えます。従わないものは殺された、その方法をご存知ですか」


 見てきたような言い方しやがって。お前だってなんかで読んで知ったんだろうがよ。先住民の殺され方なんて、俺が知ってるわけねえだろ。


「皮をね、生きたまま剥がされたんですよ。残酷ですよね、昔の人間は」


 皮を剥がされた……? 俺、見たことある、その映像。人間が着る毛皮のために皮を剥がされるキツネとかタヌキとか、ウサギとか……。


 菱川が手をあげる。右側にいたSPが俺の腕を掴んで立たせた。足はちょっとしびれてる。うぁーっ、つま先からジワジワする感じがキモチ悪りい。


「吉岡さんの皮を剥がすのは、ここにいる彼らにとっても大変な仕事です。そんなことをさせないためにも、早く教えてくれないと困るんです」


 菱川は、また唇を鎌みてえに引き上げてにぃーっと笑った。俺の背中に鳥肌が立った。ざわざわしてヤダなって思った瞬間、さっきよりクソ重いパンチが脇腹にめり込んできた。


「ぐはっ……」


 痛てえ、っていうのとは違う。息がとまって苦しくて、内臓がねじれたような感じ。思わず膝をついたら、すぐに腕を引っ張って立たされた。今度は左にいるヤツから腎臓のあたりに重すぎる一発。

 目の前が暗くなった。目を開けてんのか閉じてんのか、よくわかんなくなった。ただ息ができなくて、苦しくて気持ち悪くて、吐き気がして涙が出てきた。そんで顔面に一発、二発、三発と続けてくらって、顔が熱い。目玉がいてえ。鼻は折れたのか? 鼻血が出てるような気がするけど、よくわかんねえ。前歯は折れたな。そんで唇はぐちゃぐちゃに切れてるよ。すげえなコイツら。こんないいパンチ持ってんなら試合に出りゃいいじゃん。

 口の中が血の味でいっぱいになった。マウスピースって大事なんだなって今さら実感だよ。右目はふさがるくらい腫れてるな。だけど足のしびれは取れてきた。こんな状態で俺に勝ち目があんのかわかんねえけど、やるしかねえ。でもどうればいい?


「教えてくれませんか、もっと彼らに頑張ってもらわないとダメでしょうかね」


 菱川の声に少し焦りが現れてきた。俺はどうやってこの状況から逃げられるか必死に考えた。ここは菱川の秘密のマンションらしい。

 マーキュリーの駐車場で拉致られてからここまで、菱川の他にはこのごつい奴らが二人だけ。勝機は、俺の一瞬の判断にかかってる。

 美しき日本人としては不本意だが、ここは一発あの作戦に賭けるしかねえ。


「もう少し、吉岡さんが話しやすいようにしてあげてください」


 菱川が声をだす。今度は俺のどこを痛めつけようかと、ごつい二人が菱川のほうに視線をやった瞬間、俺はさっきの尋人みてえな素早さで一歩うしろに跳んだ。こいつらみてえなプロに通用すんのか、そんなのやってみなきゃわかんねえ。


「お前らみんな動くな!」


 いつかオーロラ座のロビーでやったのと同じように、俺は上着のポケットに突っこんだ手をとがらせて、拳銃をもってるように見せた。怖えぇーっ。心臓はもう破裂しそうにバックバクだ。だけどなんか気持ちイイ。


「いや、ちょっと待ってください」


 菱川が椅子に座ったまんまで手をあげた。いや、ウソだろ? 信じてくれちゃうんですか? 

 SPの方々はというと、そんな菱川の様子を見て「オゥ」とか言いながら椅子のとこまで下がって手をあげる。

 いえ、あの、なんで? あんたらチャカくらい持ってないんですかって、だけどこの状況、超気持ちイイ。勃っちゃいそうだぜ。イエーィ! 

 調子に乗りやすいのは俺の悪いクセだけど、今はいいよね、この際いっちゃっていいよねぇ?


 まだダメージはかなり残ってるけど、アドレナリン出まくって痛みはふっとんでる。俺はさっき食らったパンチの怒りをこめて叫んだ。


「日本男児なめんな、ゴルァ!」


 SP二人の顔面に飛び膝をめり込ませて、ついでに菱川の顔面に頭突きをくらわせた。絨毯の上に落ちたアマゲのキーを拾って、部屋の入り口んとこに雑に置かれてたせぇちゃんのローブを掴んで、エレベーターに飛び乗った。

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