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第17話 ぼろぼろのマリオネット

「お客様には大変申し訳ございませんが、晴哉選手はさきほどの試合でのダメージが大きく、ドクターストップがかかりました。ただいま病院で手当を受けています。そして、晴哉選手のピンチヒッターと致しまして、倉沢尋人選手がつぎの決勝戦に出場することになりました。倉沢選手は晴哉選手の友人でして、アマチュアとして八年間のキックボクシング経験があります。実力のほどはどうぞ皆様がご覧になってお確かめください」 


 日向がリングに上がって嘘だらけの説明をした。


 晴哉が病院に行った? ふざけんなよ。尋人だってやってたのはキックじゃねえ。脚技が使えなくたって尋人は勝つさ、せぇちゃんにそう約束してきたんだ。 


 いよいよ決勝がはじまる。客電が落ちて、場内に赤、青、緑、ピンク……何色ものスポットライトがぐるぐる交差する。その中でリングの上にはゆるくスモークが漂ってて、ぼんやりした白いライトが優しそうに四角いマットを照らしてて、まるでそこが天国なんじゃないかって勘違いしちゃうくらい神秘的な演出をしてる。



 突然、ブルーコーナーが明るくなった。敵の入場だ。曲がはじまるとともに階段を静かに上がってきた。デカい。二メートル以上ありそうだ。あんなヤツの顔面にどうやってパンチを当てろって言うんだよ。

 そいつが花道をトレーナーたちセコンド陣と一緒にゆったりと歩いてくる。山が動いてるみてえだ。

 リングの下に着くと、そいつは跪いてなにかに祈りはじめた。神なのか悪魔なのか、それともてめえの母ちゃんか……。

 そしてリングに上がってそいつが両手を大きくあげると、客席から大きな拍手が沸き起こった。デカい選手は人気がないって日向が言ってたけど、こいつは別らしい。男も女も、立ち上がって手を叩いてる客もいる。 



 そして尋人の入場。トレーナーはいない。チームもない。尋人と一緒に花道を歩くのは俺一人だけだ。

 晴哉の入場曲『Dick Dee』が鳴り響き、モニターに尋人の姿が大きく映った。足もとからナメてって、背中、胸、フードをかぶった横顔。尋人が花道を進んでく。カメラはぴったり付いてその顔を撮りつづけてる。

 客席からは拍手、歓声、ブーイング、あらゆるものが飛び交ってた。尋人は背筋を伸ばして真っ直ぐ歩いた。ただリングを目指して歩いた。


 哀れな子羊、生贄、身の程知らず。客が尋人を見る目には、好奇と嘲りしかなかった。応援してるヤツなんて誰もいねえ。

 この会場の中でただ一人、尋人を信じてんのは俺だけだった。

 リング下に辿り着いた尋人は、ステップの前で止まってカメラに振り向いた。せぇちゃんのローブを着てフードを被ったまま、控え室でモニターを見てるはずの晴哉に向けて、唇の端をキュッと上げた。

 トップロープを軽やかに飛び越えてリングイン。俺の目に、尋人はすげえ楽しそうに映った。



 Tシャツを脱ぎ捨ててリング中央に回りながら進んだのは、フランス人のアルベール。

 二百十三センチ、百三十二キロ。巨大な体に似合わねえ、数学者みてえに神経質で賢そうな顔だ。

 尋人もゆっくりと中央に進み、せぇちゃんがいる控え室の方向に頭を下げた。

 尋人の顔が巨大モニターに映ると、数十人の女から歓声が上がった。

 尋人は百七十二センチ、五十二キロ。アルベールとの身長差四十一センチ、体重差は八十キロ。

 大人と子どもなんて違いじゃねえ。それ以上だ。まさに「ライオンとウサギ」。ウサギに勝ち目があるなんて誰も思ってねえ。試合開始直前に、晴哉に賭けてたヤツらの多くは、そのピンチヒッターの尋人からアルベールに賭けなおした。 



 試合開始のゴングが、いつもより厳かにマーキュリーの会場に響き渡った。

 最初に仕掛けたのは尋人だ。アルベールのボディに右ストレート。顔面にパンチがくることはないと思ってるアルベールはガードを下げたまんまだ。そしてアルベールの前蹴りがガードの上から尋人の胸を襲う。尋人の身体はオモチャみてえに吹っ飛んだ。会場からは笑い声がおこる。でもこれはダウンじゃねえ。

 序盤から自分のペースになるのは当然と思ってるアルベールは、わざと緩めのパンチを繰り出して尋人を弄ぶように痛めつける。ローを出されればボディに当たり、ミドルなら普通のヤツのハイキックと同じ高さに飛んでくる。

 尋人はうまくかわしながら細かくジャブを出すが、アルベールのダメージにはつながらない。ゴング直前に尋人のボディにローがヒットして一ラウンドは終了した。


「尋人、大丈夫か? 頭にくらったらマズイんじゃねえのか」 


 水を飲ませながら訊くと、尋人は笑ってこたえた。


「全然! いま俺、すごく楽しいよ」 



 二ラウンド。

 尋人が左ストレートに続いて右フックを出すが、アルベールには届かない。アルベールは左右のパンチで前進。尋人は素早くその横をすり抜けて、振り向きざまのアルベールに左右のストレート。これが胸の下辺りに決まり、一瞬苦しそうな顔を見せたアルベールは怒りを露にしたように猛然とダッシュ。左ストレートが尋人の顔面を狙う。

 尋人はガードを固くするが、アルベールは構わずその上から叩き込んできた。尋人が尻餅をついたが、これもノーダウン。立ち上がったところにアルベールの膝蹴りが飛んできた。避けきれなかった尋人はダウン。カウントはシックス。

 尋人の鼻から出血がある。額も赤く腫れてる。頭は大丈夫なのか? もし今、リングの上で脳動脈瘤が破裂したら? そしたら尋人は死ぬのか? 

 ふたたびアルベールが突っ込んできたところでゴングが鳴った。



「尋人……」 

 コーナーに戻ってきた尋人に、俺はなんて声を掛ければいいのかわかんなかった。

 なんて言って励ましたらいいのか、どんなアドバイスをすれば勝ちにつながるのか、何もわかんなかった。尋人は肩で大きく息をしながら、グローブをはめた手で俺の肩を叩いて言った。


「つぎ、最後だろ、見てろ、ゼッタイ勝つよ」 


 その笑顔は晴哉にそっくりだった。

 リングサイドから見上げた尋人に晴哉の姿が重なって、俺は呆然とそれを見つめた。

 最後のラウンド。これに勝てば優勝だ。けど、いままでの流れだと判定になったら尋人が絶対的に不利だ。手数もヒット数も確実に下だ。アルベールに与えたダメージも少ないし、なによりダウンを取られてる。

 尋人が勝つには、このラウンドでヤツをKOするしか、それしかねえ。 



 アルベールが出てくる。まず、軽く尋人の顔面をかするようなパンチ。ダメージのなさそうな軽い当たりに見えたけど、尋人の様子がおかしい。グローブで目の辺りをこするように押さえてる。右目を閉じてレフェリーになんか言ってる。アルベールのグローブのワセリンが多すぎて尋人の目に入ったらしい。アルベールにワセリンを拭き取るように指示が出された。ありゃわさとだな、尋人の戦意を失くそうってつもりだろ。汚ねえことしやがって……。



 アルベールがグローブを拭く間、尋人もコーナーに戻ってきた。俺は尋人の顔をタオルで拭って、ボトルの水で右目を洗ってやった。これで大丈夫だな。

 ……いや、確か尋人の病気の症状に「視野狭窄」ってあったよな? 尋人はちゃんと見えてんのか? やべえ。俺、そんなことも確認しないで尋人をリングにあげちまった。

 尋人、尋人、大丈夫か? あいつの攻撃、ちゃんと見えてるよな? ミドルだってちゃんと避けてたよな? 

 どうしよう、次に打たれたらタオルを投げた方がいいのか? 

 だけど『ゼッタイ勝つ』って言ってた尋人を信じないワケにはいかねえし、せぇちゃん、俺どうすればいいんだろう。やっぱ山口さんにもセコンドについてもらった方がよかったよ。


「尋人……」 


 オロオロして話しかけるタイミングを見つけらんないまま、試合が再開された。尋人は俺の焦りに気付かずに勢いよく中央に進んでった。 


 アルベールは左右のフックを振り回しながら押してくる。尋人もフックを出すが、圧力をかけられてジリジリと下がってる。ロープを背にすると、アルベールの重すぎるパンチが尋人の身体にめり込むように連打された。肋骨が折れるんじゃないかっていうくらいの激しい攻撃。

 尋人は軽い人形みてえにユラユラうごいて、それをアルベールはダウンしないようにとグローブで押さえつけてボディに打ち込んでくる。


 尋人、がんばれ。尋人、がんばれ。


 今の俺にできることはたった一つしかない。俺は祈りながらリングをみつめた。

 会場はすげえ盛り上がりようだ。みんな尋人がボロボロになって倒れる瞬間を見ようと興奮してる。

 尋人の折れた肋骨が内臓に突き刺さって、尋人の口から血が噴き出すのを見てえか…? それともなんだ? お前らが見てえのは尋人の脇腹からその骨が皮膚を破って突き出る瞬間か? 

 ボロボロの操り人形みてえに、尋人の身体はアルベールによってリングの上を踊らされてた。鼻からも口からも赤い血を流しながら、哀れな人形は擦り切れてバラバラになるまで解放してもらえねえのか? 


 残り四十秒。アルベールは尋人の顔をじっと見つめて、不気味に頬を歪めて笑った。

 ヤツの狙いは尋人の顔か。あのキレイな顔を潰してやろうってか。ちくしょう。

 尋人、よけろ! 顔は打たれちゃダメだ! 

 アルベールがロープにもたれたままの尋人の顔面に、飛び膝を出そうと一旦下がった。 


 その瞬間だった。

 眼をギラギラさせた尋人は、光の速さで飛び出してアルベールの右ひざ、左ひざと階段のように登り、両腿の上に立ってバランスを取ると、猛スピードでヤツの顔面とこめかみにパンチを浴びせ続けた。すげえ。邪王炎殺煉獄焦みてえだ。アルベールはハエを追い払うような仕草をしながら呻いてる。


 効いてる、効いてるぞ! そのままいけっ! ぶっ潰せ! 


 アルベールの顔面から汗と血が飛び散る。尋人のパンチが右頬にめり込むと、ヤツの紅白のマウスピースがピンクに見えるくらい高速でクルクル回りながら飛んでった。

 アルベールが重い壁のように後ろに倒れる。口からは泡を吹いて、薄く開いた目蓋から白目が覗いてる。

 

 尋人がマットに飛び降りた。俺と目が合うと、さっきと同じ顔で笑った。ここでゴング。尋人の右手が上がる。拍手と大歓声。俺はリングに飛び出して尋人を抱きしめた。

 その瞬間、尋人の身体は俺の腕をすり抜けてマットの底に沈んだ。




 おじいちゃん、俺はいつだって夢を見てるよ。

 おじいちゃんはそれがなによりも大切だって言ってたよね。いくつもの夢を見て、一つ叶えたらまた新しい夢を見る。

 「叶う」じゃなくて「叶える」んだ。自分の手で。自分の力で。

 大切な夢は大切な人。俺は大切な人たちを見つけて、毎日が夢になった。ただその人たちがいることが俺の夢になったよ。

 ねえおじいちゃん、俺はいま、すごく幸せだよ……。

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