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第15話 準決勝でのダウン

 第一試合、晴哉の相手は初めてマーキュリーの試合に出たという二メートル近いアメリカ人だった。

 一ラウンド、互いにローを放ち、晴哉はジャブからミドル、相手は高い位置から振り下ろすようにフックを狙ってくる。晴哉がワンツーからボディブロー。相手はパンチからキックと、大柄なわりに動きが早い。 

 二ラウンドも同じような攻防が続き、時折りガードしきれなかった晴哉がふらつく場面もあったが、大きなダメージにつながる攻撃は受けなかった。 


 三ラウンド、晴哉は左フックからロー、右のハイとキックの連続がヒットし、相手がダウン。カウント7で立ち上がったところに強烈な右ストレートでふたたびのダウンを奪う。

 立っているのがやっとという印象の敵に左のフック。三回のダウンで晴哉がKO勝利を収めた。

 場内は晴哉への歓声と拍手で沸き、退場する晴哉の姿に女性客は熱狂した。 



 控え室に戻ると、晴哉は肩で大きく息をしながら椅子に倒れこむように座り、背もたれごとそのまま後ろの壁に寄りかかった。ナオが冷たいタオルを額に当て、壁との隙間に手を入れて背中をさする。


「良かったよせぇちゃん、すげえパンチだった」 


 ナオの声が届いているのか、晴哉は微かに瞼を動かし、かすれた声で返事をした。


「次の試合まで一時間以上あるからさ、ちょっと横になった方がいいよ」 


 ナオが晴哉を抱きかかえるように立ち上がらせ、山口が反対側から肩を貸した。簡易ベッドの上に横たわった晴哉の身体は、ナオの目にはいつもより小さく映った。 


 そこへ三井が現れた。


「失礼します。晴哉さん、いい試合でした」 


 遠慮がちに入ってきた三井は、ぐったりと横たわる晴哉の姿に驚き、黙ってナオを見た。ナオは三井に目で合図すると、そっと控え室を出た。


「晴哉さん、体調が悪いんですか」 


 心配そうに尋ねる三井に、ナオはわざと明るく言った。


「晴哉は頭蓋骨にひびが入ってて、それでも試合を休めなくて、だからもしかして今日が最後になっちゃうかもって思ったんです。それで三井さんに観てもらいたかったんすよ」 


 言い終わる前に、ナオは涙を流していた。自分でも気づかないうちに泣いていたのだ。本心は、もちろんすぐに試合をやめさせたい。だが、晴哉はそれを望んでいないだろう。自分でもどうしていいのか判らなかった。だからせめて、晴哉が嫌がることはしないでおこうと決めたのだ。


「日向さんは何て?」

「医者の診断書がなければダメだって……」

「……そうですか」 


 三井はじっと考えたあとナオの肩をそっと撫で、ふたたび控え室に入るとブルーのタオルを顔に載せて簡易ベッドに横たわる晴哉の傍らに膝をついた。そしてその耳に何か囁くように唇を近づけたあと、胸の前で指を組んで祈るような仕草をしてから出て行った。



 第二、第三、第四試合と、それぞれがフルラウンド闘っても決着がつかず、判定で勝者が選ばれた。

 そしてインターバルのショータイム。白人のダンサーがリング後方に設置されたステージで音楽に合わせて踊る。これが二十分ほど。

 そしていよいよ晴哉が登場する準決勝だ。あと十分ほどで控え室を出なければならない。ナオは尋人がまだ現れないので、ビルの外まで探しに出た。


「ナオ」 


 振り向くと尋人が立っていた。


「良かった。どこから入ればいいのかわかんなくて」 


 尋人は大きなバッグを抱えていた。ナオが視線をやると、あわてて背中に隠すようにしてから尋人は微笑んだ。


「晴哉の応援グッズ」 


 とにかく急がなくてはならない。ナオは尋人の手を引いて、急いでエレベーターで地下へ降りた。 

 晴哉は椅子に座り、山口からマッサージを受けていた。ナオはわざと大きな声で尋人が来たことを告げた。


「せぇちゃん! 尋人が応援に来たよ! なんだか知らねえけど応援グッズまであるんだって。チアガールのコスプレでもすんのかな」 


 ナオの声を聞き、晴哉は顔を上げて尋人を迎えた。


「尋人」 


 ふっと、晴哉は安心したような笑顔をみせた。その顔を見てナオの不安もいくらか和らいだ。

 やっぱり俺たちは三人一緒がいい。三人でいれば敵なんかない……。




 リングへの狭い通路を、山口さんが先頭になって歩いた。その後ろにせぇちゃん、俺、尋人。 

 後ろから見たせぇちゃんは、悠然とかったるそうに背中を揺らしながら歩く、いつもの晴哉だった。

 俺と尋人の夢を背負ってるその背中は、やっぱり強くてカッコいいせぇちゃんの背中だ。

 もしかしたらその頭にひびが入ってるなんてウソなんじゃねえか、あのヤローが適当なこと抜かしたんじゃねえかって気になってきた。

 そうだ、きっとあんなのウソだったんだ。他の医者に診せたワケじゃねえ。俺にはCTだか何だかの画像なんてわかりっこねえ。だからせぇちゃんの頭にヒビが入ってるのが本当かどうかなんて俺に分かるわけがねえんだ。そう思った。

 俺は心底そう思いたかった。 


 場内はすでにすごい熱気だった。女の客は晴哉の名前を叫び、男たちも声援を送る。せぇちゃんはグローブをあげてそれに応える。

 モニターに晴哉の姿が映ってる。黒いローブを着て、微かに笑ってるいつものカッコいい晴哉。

 アップになると女の声援が悲鳴に変わる。みんながせぇちゃんを応援してる。みんながせぇちゃんに熱狂してる。

 尋人、あいつらの声が聞こえるだろ? これが俺たちのせぇちゃんだぜ!

 

 晴哉と俺がリングに上がる。尋人は下から祈るような顔して見上げてる。俺はいつものように晴哉の肩を揉みながら訊いた。


「せぇちゃん、俺たち尋人と会えてよかったよな」 


 晴哉は半分だけ振り向いた横顔を不敵にゆがめて笑った。


「……ああ」

「尋人と一緒に南の国に行ったらさ、俺ら家族みたいになれるかな」 


 晴哉はもう一度振り返って、俺をじっと見つめて言った。


「はぁ?」

「……」

「ナオはとっくに俺の家族だろ」 


 薄いグローブで俺のほっぺたをキュッと摘んでからせぇちゃんは言った。俺の全身に鳥肌が立った。嬉しくて。嬉しくてだぜ!


「セコンドアウト!」 


 ゴングが鳴る。晴哉は俺と尋人に笑いかけてから勢いよく立ち上がっていった。

 相手はオーストラリアから来たっていうマックス。強烈な重いパンチが売りらしい。

 まず晴哉が右ストレート。マックスはワンツーで応戦。晴哉はフックからロー、ミドルとつなげたがマックスは両手を広げて効いてないとアピール。

 マックスのインローが晴哉の左の太腿に入った。さらに左ストレート、右ストレートで晴哉をロープに追い詰める。そこへ右フック。俺は思わず悲鳴をあげた。でも晴哉はガード。マックスはローをしつこく繰り出す。晴哉がわずかにぐらついた。そこでゴングだ。


「晴哉、右フックは絶対ガードだぞ。とにかく頭への攻撃は絶対かわせ」 


 俺は大声で言った。せぇちゃんは頷いてたけど、聞こえてたのかはわかんねえ。

 ゴングが鳴る直前、いきなりせぇちゃんの身体から大量の汗が噴き出してその足がもつれた。俺は思わず手を伸ばしたけど、せぇちゃんはふらふらとリング中央に進んでった。 


 マックスのローがいきなり入って、晴哉の膝が崩れた。トランクスが一瞬まくれてその白い太腿が真っ赤に腫れてんのが見えた。

 ダウンを取られた。マックスはレフェリーを押しのけて、膝をついたまんまの晴哉にシャイニングウイザードみてえに蹴りかかった。俺は目の前で起こってることが信じらんなくて一瞬呆然とした。 


 これは反則だろ! レフェリー反則取れよ! 


 俺は叫んだ。

 場内は興奮の渦みてえになって誰もが大声で叫んでる。何て言ってんのかなんて何もわからねえ。誰にもわからねえ。みんなが訳もわからずただ熱狂して、リングの上の晴哉を見つめてた。 


 晴哉は膝立ちのまま、ゆっくり横向きに倒れた。マックスがマウントを取って殴りにかかる。なんだあいつは? なんなんだ? あいつは何やってんだ? 


 俺は気づいたらリングに上がってマックスを晴哉から剥がすように引っ張ってた。

 レフェリーが今さらのようにイエローカードを出してマックスに警告してる。ヤツはそれでもヘラヘラ笑ってやがる。

 俺は晴哉を抱きかかえて叫んだ。なんて言ってんのか自分でも分かってなかった。

 ただ晴哉の名前を呼んで、ただわめくことしかできなかった。その時、目の端に尋人の姿が映った。

 尋人は真っ直ぐに晴哉だけを見てた。その強い視線に静かな闘志が燃えてんのを見て、俺の全身にもう一回鳥肌がたった。それは俺が初めて見た、尋人の怒りだった。

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