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第14話 最後の試合

「せぇちゃん、もうマーキュリーやめよう。金も貯まったしさ、尋人と三人でのんびり暮らそうよ」 


 尋人の待つオーロラ座に戻るタクシーの中、疲れきったように寄りかかる晴哉にナオは言った。晴哉がナオにそんなふうに頼るなど、今までなかったことだ。

 こんな晴哉は初めてだ。こんな晴哉を見るのはつらい。ナオは晴哉の手をそっと握り、なだめるように撫でつづけた。



「お帰り。遅かったね、今日はナオの好きな揚げ出し豆腐とふろふき大根と、クジラの生姜焼きだよ」 


 尋人がにこやかに二人を迎える。晴哉はタクシーを降りる直前、今日のことは尋人に言うなとナオに口止めし、無理して元気なふうを装った。


「ただいま、すげえいい匂いだな」 


 晴哉は嬉しそうに言って胃のあたりを押さえ、空腹だということを尋人に示した。


「手、洗ってくる」 


 晴哉が先に洗面所に向かうと、尋人はナオを呼び止めた。


「ナオ、夕方いちど帰ってきたの? なんか、ここにたい焼きが置いてあったんだけどさ、誰もいないから一応冷蔵庫にしまっといたよ」

「ああ、俺おれ。尋人と食おうと思ったんだけどいなかったからさ、急いでたしそのまま出ちゃったんだ」

「そっか……。じゃああとで温めて三人で分けようか」 


 そう言って尋人はキッチンに入って行った。 


 尋人の病気、晴哉の怪我、みんな隠していることがある。

 尋人はきっと、自分からは二人に病気のことを言わないだろう。容態や病気の深刻さ、今後の治療など、ナオは何も知らないままでいなければならないのだろうか。


 そして晴哉も、怪我のことは尋人には黙っていろと言う。

 同じ夢を見ようと約束した三人なのに、何故お互いに秘密を持たなければならないのか、苦しみを共有して助け合ってゆく方がいいのではないか。ナオは悩んだ。 



 ロシアンルーレットの医師は、晴哉の頭蓋骨のひびを補修する手術を行うと言った。ただし報酬は一億。

 今までの貯金、三井の店でのギャラと、それからマーキュリーに移ってからの賞金、ギャラを合わせればそれ以上はある。

 だがもし失敗したら? それに、晴哉がそんな手術を受けることをOKするだろうか? 

 放っておけばくっつくかも知れないと、あの医者は言っていた。

 マーキュリーをやめて、安静にしていれば晴哉は元通りになるかも知れない。そうだ、それしかない。明日の試合はキャンセルだ。朝いちばんに日向のところへ行って、やめることを伝えよう……。そう決意して、ナオは笑顔を作ってからテーブルに付いた。




「試合の当日にキャンセルなんてできんよ。なにを勝手なこと言ってるんだね」 


 日向さんは椅子に座ったまま、向かいに立った俺をじろっと見上げた。吐き出された葉巻の煙をモロに吸い込んで、俺は激しくむせた。


「あの、本当にすみません。でも晴哉の身体がもうもたないっていうか、具合が悪いんです」

「だったら正式な医者の診断書を持ってくるんだね。それ以外のキャンセルは認められない。そういう約束だ。少しぐらいの怪我、病気なら他の選手だって試合に出てるだろう」 


 そうだ、確かに三井さんからあんたを紹介された時はそう言われた。だけど少しの怪我なんて、そんな程度じゃねえんだよ。せぇちゃんは、あと一発でも頭にパンチをくらったら死ぬんだ。 


 俺は何も言えないままうつむいてた。ちくしょう、どうすればいいんだよ。


「そういうことだ。今日は第一試合から出番になっているだろう。早く準備をした方がいいんじゃないのか? もう行きなさい」 


 日向さんはそう言って、野良犬を追い払うように俺を部屋から追い出した。俺はどうしたらいいか必死に考えた。

 せぇちゃんはもうそろそろジムに向かうだろう。そこで山口さんに軽く調整してもらって、そのまま地下のマーキュリーに降りて、控え室でじっと出番を待つんだ。

 黒いローブを着て、椅子に座ってフードを深くかぶって、バンデージを巻いた手を少し開いた膝に乗せて、目をつぶってイメージするんだ。敵の顔にパンチをぶち込むのを。そして自分の右手が上がるのを。 


 俺は目をつぶってせぇちゃんの心を想像した。

 たった一人でリングに上がり、たった一人で相手を倒す。

 それは自分の心が、気持ちが強くなけりゃできないことだ。

 せぇちゃんは逃げないだろう。ぶっ倒れても、リングの上で血を吐いても、せぇちゃんは引かない。せぇちゃんは逃げない。何故なら、せぇちゃんは俺の夢で、俺の夢を守ることがせぇちゃんの夢だからだ。

 そして、今はもう一つ守りたい夢が増えた。尋人だ。尋人の笑顔を守りたいとせぇちゃんは思ってる。それがあいつの一番大切な夢だ。だから俺は、それを見守るしかねえ。それしか俺にできることはないんだ……。 


 俺は携帯を取り出して尋人に電話をかけた。尋人は出なかった。今日は通院の日だったのかもしれない。留守電になったから、俺はせぇちゃんの試合を見に来るよう、マーキュリーの控え室に来てほしいと言って電話を切った。

 

 そしてもう一人、この人にも見に来てもらいたい。晴哉の最後の試合になるかもしれないんだ。俺はアドレス帳から名前を探して通話ボタンを押した。


「……もしもし、ナオです」

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