第11話 ハイリスクノーリターン?
「吉岡くん、晴哉くんの人気はかなり高いね、それでという訳じゃないが、今度システムを一部変えてみようと思っているんだ」
九月最初の月曜の夜、日向さんが俺に言った。システムを変えんのは経営者側の都合なんだろうから、別にせぇちゃんに関係ねえし、俺に相談することでもないんじゃねえか? と思ったけど、俺は「はい、はい」って頷きながら聞いてた。
「今月の後半から、トーナメントを組んでみたいと思っている。ワンナイト・トーナメントだ。一晩で複数の試合をこなすから当然賞金も跳ね上がる。どうかな? 選手たちは賛成すると思うかね?」
賞金が上がるなら、そりゃあ選手やマネージャーたちはもちろんOKでしょ。
「はい。それはお客さんも喜ぶと思います。自分の好きな選手が勝ちあがってくれば、一日で何試合も観られるわけですから」
俺がそう言うと日向さんは回転椅子を左右に動かして、満足そうに腕を組んで笑った。セラミックだか何だかのインプラント? の真っ白い歯がのぞいて、デコがちょっとオイリーで気持ち悪りい笑顔だったけど、俺も一緒に笑ってみせた。
「いや、ありがとう。今後も期待してるよ」
「はい、どうも、失礼します」
日向さんの部屋を出るとき、入口近くの机に座ってた菱川さんと目が合った。菱川さんは銀縁メガネの端っこが太陽の光を反射して、俺の眼球に眩しい光線攻撃をするみてえにクイっとメガネを指で上げた。いちいちやることがムカつくんだよな、この人。
それから尋人に電話をかけた。今日は確か病院に行ったはずだ。医者に何て言われたのか気になってしょうがねえ。
「あ、尋人? どうだった?」
携帯から尋人のちょっと疲れた声が聞こえてきた。前の病院で勧められたとこは一ヶ月以上先まで予約がいっぱいで、今日がやっとその日だったんだ。
尋人の話だと、予約してったにも関わらず二時間近く待たされて、しかも尋人の検査に必要な機械はさらに二週間後じゃないと予約が取れねえ。だから今日はその検査の予約を取りに行ったようなもんらしい。なんだそりゃ、って俺は腹が立ったけどまあこればっかりは仕方ねえ。尋人もあれ以来とくに気になる症状が出てる訳でもねえし、ストレスだったんじゃないかって本人は言ってるから、俺がどうこう言う問題でもねえだろ。
「わかった。じゃあとで」
せぇちゃんのギャラがいっぱい溜まってきて、アパートに現金で置いとくのがかさ張って困ってた。そしたら日向さんが偽名で口座を作ってくれて、俺たちはそこに金を貯めた。
だってそうだろ、税金も年金も払ってねえ俺らが何千万も口座に持ってるワケにいかねえじゃん。毎週、最低でも三百万の金が入った。それを窓口で入金するのもアレだし、ATMだってなんかヤバイ。だから先月からは日向さんに貸金庫を用意してもらった。試合の翌朝、日向さんがそこに金をしまう。午後になってから俺が確認しに行くと、毎回きっちり入ってるから安心だ。
それから、俺たちは先週アパートを引き払って二人で尋人の家に移り住んだ。尋人の家は劇場の裏にあって、渡り廊下みたいな通路でつながってる。じいちゃんや両親の部屋とか、今は誰も使ってない部屋がいくつかあって、俺とせぇちゃんはそれぞれ八畳くらいの部屋をもらって結構快適な暮らしが始まった。料理は尋人が出来るから、むしろ今までの外食だけの生活よりも栄養バランスが良くなって健康的だ。
せぇちゃんは試合のない日はずっとトレーニング。俺もほとんどそれについて山口さんのサポートなんかをしてる。夕方それが終わると尋人のとこに帰って、劇場の手伝いをする。俺らが手伝うようになってから、少しずつお客さんが入るようになって畳むのが勿体ないみたいだけど、やっぱ三人で南の国に行く夢は捨てられねえ。尋人はちゃんとパスポートを持ってるけど、俺とせぇちゃんは持ってない。そろそろ取りに行くかって、昨日話したところだ。
とにかく、今のところは順風満帆? 色んなことがうまくいってる。だから尋人の身体のことが気になってる。今はそれが一番大事だ。
今日の一試合目、相手は晴哉より二十キロ重量があるアフリカ人のアレックス。顔が怖い。見た目はすげえ強そうだ。
一ラウンド、晴哉がいきなり左フック。これはガードされた。アレックスが前進しながら左右のパンチを繰り出す。だが晴哉には当たらない。晴哉は周りながらローを何発かヒットさせ、続いて右フック。アレックスの前蹴りを晴哉はかわす。そして猛然とダッシュしながら右ストレート。アレックスの顔面を捉える。鼻血が噴き出し、アレックスは倒れた。鼻骨が折れたらしい。ドクターチェックが入るが、試合続行。
アレックスの鼻血は止まらない。晴哉の方が戦意喪失しそうなくらい。だけどヤツも必死だ。晴哉の顔面にフックが軽く当たった。鼻血はすげえ量になってきて、アレックスの顎から下は真っ赤に染まってる。流れる汗と混じってリングは血の海状態。
モニターに映ったその顔のアップに軽い悲鳴をあげた白人の女は、笑いながらレアのステーキ肉を連れの男の口に押し込んでる。
とうとうアレックスは倒れた。貧血かも知れない。あの出血じゃムリもねえ。でも会場は沸いた。晴哉の右手は高々とあがって、客たちの拍手と歓声はずっと続いてた。
次の試合は、黒人ボクサーとオランダのムエタイ選手だった。
俺は晴哉のダメージがほとんどないことを確認してから、控え室を出てリングサイドに行った。晴哉の出ない試合には今まであんまり興味がなかったけど、日向さんがコーディネイトした「トーナメント」は今日からで、他の選手がどんな試合をすんのか見といた方がいいと思ったんだ。勝ったら何試合かあとにまたリングに立たなきゃなんない。晴哉があとで対戦すんのがどんなヤツなのか知っときたかった。
マーキュリーでは、選手が知らされんのは自分の対戦相手のことだけだ。他にどんな選手が出るのか、何人出るのか、そんなことは一切知らされない。
今日からのシステムがどう変わったのか全部は聞いてないけど、ギャラに関してはかなりシビアになった。だから余計に、どんなヤツが出てんのかわかんないとこに大事なせぇちゃんを出すワケにはいかねえ。
だって、今までなら相手に不服があった時は事前にキャンセルできたけど、今日からは問答無用だろ? 勝ち上がってきたヤツとゼッタイ闘らなきゃならない。それってかなりリスキーなシステムだよな?
相手がものすげえデカいヤツでも闘らなきゃ負けってことだろ? 前の試合に勝ってもその賞金は没収? それじゃ最後まで残って勝たなきゃ金を手にできないってことじゃん。
一日で金をもらえるのは頂点に立った一人だけってことじゃん。他の選手はみんな、少ない「出演料」だけしかもらえないってことじゃん!
俺、いま気づいたよ。せぇちゃんはそういうことに興味を示さないから、俺がちゃんと考えてやらなきゃなんないのに、次で負けたらさっきの試合をしたのが全部ムダになるってことじゃん!
他の選手もみんなそんなシステムで納得したのかよ? 俺は騙されてるような気がしてきて、今からでもせぇちゃんに言ってやめようかどうしようか迷った。だけど、言ったってあいつはゼッタイ引かないだろう。しょうがねえ、せぇちゃんが勝ち残るように信じるだけだ。




