第七話 決意
「この世界の……常識」
ボニータの鉄兜を取り返したガンツは、勢いに任せた行動に出たカナタを頭から否定した。
そして何も知らないカナタへと忠告する。
この世界は差別と悪意に満ちていると。
その中で生き残るには世界を知り、すべてを理解しろと。
この世界でどれだけの人間がそれを理解し行動に移しているかは知らないが、
少なくとも今のカナタに反論出来る程の知識も力も無い。
たった一つ与えられた能力は他種族との会話能力のみ。
それをどう生き残る術として活用できるのかさえ思いつかない今、
情けなくもガンツに言われるがままの自分を認めるしかなかった。
「ふん。お前みたいなヒョロっちぃガキなんざ、それを知る前に死んじまうだろうけどな」
「じゃあどうしろって……」
「お前が生き残る為に残された道は一つ……」
「……!」
「早く家に帰って母ちゃんのおっぱいでも吸って家に閉じこもってろギャハハハ!」
「なっ!」
「バーカ。俺の話なんか真面目に聞くなって! お前の事なんか知らねえっつーの」
「うっく……」
真面目に聞き入った自分を嘲笑うかのように茶化すガンツに赤面するカナタ。
この中年男の話に少しでも真剣に耳を傾けようとした自分を馬鹿らしく感じてしまった。
そしてその傍でガンツに渡された鉄兜を持って俯いているボニータに気付いたカナタがその傍へと寄っていく。
「ごめんなさいアーヴェインさん。僕、なんかとんでもない事を……」
「ボニータ」
「えっ」
「アタシはボニータって呼んでって言った」
「あ……」
カナタは漆黒の空間に落ちる前、結来はるかに同じような事を言われた事を思い出す。
自分の事を結来ではなく、はるかと呼ばない事に不満を持った少女。
人との距離感が掴めず、ましてや人に親近感を抱くことが少なかった自分が、
相手を下の名前で呼ぶことにいつも躊躇してしまっていたことを。
最も信頼のおける少女にでさえ、はるかと呼びかけることが出来ずにいたことを。
自分だけの問題と思っていたことが、実は相手に不満を持たれてしまっていたことを。
「あ、ぼ……ボニータさん」
「うん。アタシもごめんね」
「いや、僕も何も知らなくて」
「アタシも会ったばかりのカナタくんに変なとこ見せちゃって、あはは。おかしいなあ、なんでだろ……」
ほぼ初対面の相手に自分の過去と心の葛藤を曝け出してしまったボニータが、今頃になって恥かしさのせいか赤面しつつカナタに背を向けた。
「なになに。なーんかお前ら良い感じになってんじゃん!ニヒヒヒ」
「「なってません!!」」
二人の雰囲気を見て揶揄うガンツに、カナタとボニータは声をそろえて否定した。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「「お嬢様行ってらっしゃいませ」」
朝食を取り、ひと悶着も終えた後、カナタは昨日説明を受けた〝パーソナル・カード〟の再発行と、グラナダ平原でミスリル帝と遭遇した件の報告をする為、再び西門へと引き返すことになった。
すでに他の騎士達は朝食を終えてすぐ西門のちかくにある詰所へと出立しており、ボニータの自室に居た3名だけがリチャード並びに屋敷のメイド衆に見送られる。
「お嬢様って、このお屋敷ボニータさんのお家だったんですね」
アーヴェインの時はそこまで詳しく屋敷の説明を受けていなかったせいか、従業員達の見送りの挨拶を聞いて初めてここがボニータの屋敷だと知ったカナタは、二人の前では気恥ずかしいのか、従業員達に小さく手をふり返すボニータの後ろで眠そうに頭を掻いているガンツに耳打ちした。
「言っただろ。立派な貴族の令嬢だって」
「じゃあ自分のお屋敷に騎士団のみなさんを泊めてるんですか」
「あーそれな。うちの隊だけなんだが、団の宿舎より気兼ねしなくていいから皆で世話になってるよ」
「へえ」
「あっちはうるさい連中も多いからな」
「あ、そっか……」
ボニータの自室での一件は、まだ気心が知れない二人の間に亀裂を作ったかに見えたが、最後にガンツが話を茶化した事でうやむやに終わり、普段のカナタであれば、気まずさのあまり相手に話しかけることなど到底出来ないはずだったのだが、部屋を出た後にそれがなんとなくガンツの気遣いだったのではと思い、特にギクシャクする事もなくその後は普通に、いやそれ以上の気安さで会話する事が出来た。
「二人して何コソコソ話してるの?」
カナタ達が自分の後ろで何やら密談をしているのに気付いたボニータが振り返った。
「ああ、ガキが嬢ちゃんの尻が最高ってコソコソ俺に話しかけてくんだよ」
「言ってません! 言ってませんからねっ!」
「……カナタくんのエッチ」
「だあああ!! ガンツさんっ!!」
ガンツの冗談を真に受けたのか頬を赤らめたボニータが自分のお尻を手で覆いながらポツリとカナタに呟くと、発狂したカナタがガンツに詰め寄る。
「冗談だよカナタくん」
「し、心臓に悪いですって~ボニータさあん……」
あらぬ容疑をかけられた様な悲痛な叫びをあげるカナタに、ボニータが揶揄っただけだと明かすと、涙目のカナタが苦言を呈する。
「お前、最初に鉄兜の人格で騙されたのに、嬢ちゃんの本性まーだ分かってねーのかよ……」
「あ、そ、そう言えば」
アーヴェインが自分である事を早々に打ち明けず、カナタが鉄兜の人格を信頼し始めた頃に種明かしをしたボニータの、食堂での嬉々とした表情がカナタの脳裏に浮かんだ。
「ニヒヒ~。ごめんね。カナタくん」
あの自室での一件が嘘のように思える程の笑顔をみせるボニータが、カナタの頭をポンポンと叩きながら誠意のない謝罪をする。
「今後ボニータさんには最大限警戒しますんでもういいです……」
「え~なんでよお~」
「まあ、あれは後から入った騎士団の連中も毎回引っかかってるかんな」
「えっ! み、みんな騙されてるんですか?」
「嬢ちゃんのイタズラ好きにも困ったもんだわ。今朝みたいなのを新顔が来る度に毎っ回やんだよ」
「ええぇ……」
鉄兜のアーヴェインが実はボニータだったという下りの悪戯はカナタ限定ではなかった。
ガンツの口ぶりを見れば、うんざりする程の回数を繰り返しているらしい。それを聞いたカナタはますます自室で悲観に暮れたボニータとそれをネタに毎回悪戯を遂行する目の前のボニータが同じ人物なのか分からなくなってくる。
「だって毎日毎日アーヴェインでいるんだもん、少しくらいストレス発散したって良いじゃん」
「ええぇ……」
それなら被らなければ良いのではと言いそうになったカナタだが、ボニータの苦悩を思えばそれを口にするのは憚られた。そして食堂でボニータが現れた時、他の騎士達が途端によそよそしくなったのは、この悪戯の犠牲者が増えるのを黙認していたからだと今更ながら気付いた。
満足げな表情のボニータ。そこに昨日の隊長騎士としての礼節を重んじた姿は見受けられず、
悪戯っぽく笑うと、時々八重歯が見える天真爛漫な美少女がこちらを見つめているだけだ。
それに昨日の甲冑姿ではなく、呪いの兜も今は被っていない。代わりに騎士団の制服をきちんと身に着け、頭からフードを被っている為か、一見女性には見えない装いにも見えた。その出で立ちの理由はあえて述べる事でも無く、カナタには分かっていた。
「そういえば俺も去年こっちに転属になった時に嬢ちゃんのイタズラの洗礼は受けたな」
「ガンツさんも? やっぱり引っかかったんですか」
「いーんや。俺様には特技があるんでな。一発で見抜いてやったぜ。ふふん」
何かのスキルでも身に着けているのであろうか、ドヤ顔でカナタの方に歩み寄るガンツ。その理由を聞いてほしいのか目線がそれを要求している。
「えっと。ど、どんな方法なのかなあ~」
仕方なく大人げない中年男の望みを叶えるカナタにガンツは待ってましたと話を続ける。
「チッチッチ。これだから経験値の少ないガキは……」
言動が人をイラっとさせるスペシャリストに違いないガンツはカナタの肩にガッと腕を回して小声になる。
「いいか?いくら姿形が変わってもだな、俺様の鼻は誤魔化せないのだよ。呪いの兜を着けてても嬢ちゃんからは汚れを知らねぇ生娘のにおゲフッ!!」
そう言いかけたまま、背中から衝撃を受けたガンツが、逆九の字になって吹っ飛ばされていく。
「んもースケベなおっさん嫌ーいっ!」
そう叫びながら真っ赤な顔のボニータがガンツを思いっきり蹴飛ばした足を下ろす。
「行こっ! カナタくん。あんまこのヘンタイオヤジを構ったらダメだよ?スケベが感染るからね!」
などと早口で捲し立てながら、髪や顔だけでなく耳まで赤くなったボニータは、ガシッと掴んだカナタの手を引っぱってズンズンと先を歩き出す。
「は、はい。でも、ガンツさんは……」
暑そうな火照り顔と違い、意外にヒンヤリとしていたボニータの小さな手に引っ張られながら、少し照れているカナタは吹っ飛んだ先の茂みに頭を突っ込んだまま動かないガンツを気遣う。
「いいの! 衛生班なんだからケガしても自分でなんとかするでしょ!」
今の顔を見られたくないのか、ボニータはこちらを振り返る事無くどんどん前に進む。そんな彼女に苦笑しながらもカナタは、自分の場合はエッチで、ガンツの時はスケベと使い分けられた事に妙な優越感を感じていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
― 第二十二陣西方守護騎士団 ―
大陸の東に位置するリーンベルジュ王国が治める領土の中で最も西に広がる、グラナダ平原への玄関口として栄えるリンドベリーを守護する騎士団であり、およそ二万の警備兵および騎士が配備されている。
リンドベリーの人口は約五十万人とされ、街の中心を十字に渡る中央通り付近が主に栄えており、そこから離れて行く程に閑静な居住地が建ち並ぶ造りとなっている。
街を囲む外壁にある4つの門の傍にそれぞれ詰所が設けられ、各所に六百人程が常駐し、街壁の外を複数の部隊に分けて巡回している。昨日カナタ達が潜った西門にはその一つである西詰所があり、ガンツやボニータ達が所属するグラナダ平原方面を管轄とする警ら隊を含んだ騎士団が常駐している。
そして中央通りの中心地から少し東にある駐屯地と呼ばれる大きな広場には、それらをまとめる機関として、第二十二陣西方守護騎士団本部がある。
今回、グラナダ平原に蒼きドラゴン。通称〝ミスリル帝〟がおよそ100年ぶりに姿を確認された事の報告と、カナタの〝パーソナル・カード〟再発行手続きの為に本部への出頭が命じられており、同行者にボニータとガンツの二人が付き、ガルシュではなく普通の馬が引く騎士団専用馬車を利用し、中央東側に位置する駐屯地へと向かっていた。
「なんで俺も付き添わなきゃなんねーんだよぉ」
いつも通りに勤務先である西詰所に入ろうとしたガンツは、報告の為にカナタに付き添い本部に行くボニータに詰所に入る間際に呼び止められ、今はボニータとカナタの二人と共に馬車に揺られている。直前での業務変更に不満なのか、先程から何度も愚痴を吐いている。
「何度も言わせないでよねー。おっさんはカレル団長から別件で呼び出されてんの!」
「なにも詰所の前で隊長権限を行使するこたあないでしょーが。先に聞いてればバックれたのによぉ……」
「だから直前に言ったの! おっさんはカレル団長の呼び出しとなると、いつも逃げるからでしょ?後、その足うるさいっ!」
「ケッ!」
いい加減何度も説明した為か、ボニータの口調も若干荒い。嗜められる度にため息をつくガンツは何度も足を組み替えてはつま先を向かいのカナタが座る席の足元辺りに打ちつけて音をたてる。それを見ているボニータがだんだんとイライラしだすというサイクルが車内で延々と繰り返されていた。
人通りが多い街中では安全上、馬車には速度制限が義務付けられ、比較的ゆっくりと走っているが、いくら揺れの少ない車内とはいえ、初めて乗った馬車の断続的に続く揺れに、軽く車酔いしてしまったカナタは、二人の会話に加わることもなく、車窓からの景色を眺めて気を紛らわしていた。
街の中央に近づくにつれ、賑わいは大きくなり、そこにはさまざまな人種が生活をしている。比率からすれば人族が多いのだが、耳の長いエルフやずんぐりとしたドワーフ。ウサギの耳が頭から生えた者や全身毛むくじゃらの狼っぽい大男など、元世界には到底存在しない人種もちらほら見られ、改めてカナタは異世界に飛ばされてしまったのだと実感する。
中央通りの中心地を通り過ぎ、東に少し行った駐屯地が見え出した頃にようやく黙っていたカナタが口を開く。
「あの、なんか天幕が見えて来たんですけど……」
「うん。もう少しで着くよーお疲れさま、カナタくん」
かれこれ一時間ほど、同じ距離を揺られて来たボニータが道中ずっと黙っていたカナタを労う。この世界に車酔いと言う症状があるのかは知らないが、明らかに具合の悪そうなカナタを気遣い、ガンツには見せない笑顔を向けた。
「ボニータさんもお疲れ様です。でもこれが終わったらお別れなんですね……」
ほんのわずか一日程度の付き合いであったが、密度の濃い出会いだった事もあり、カナタ自身二人に対して連帯感のようなものを感じていた。名残惜しい気持ちも芽生えたのか、それとも知らない異世界でまた独りになる事をカナタ自身が臆したのか。
その想いが、つい言葉に出てしまう。
「なに感傷的になってんだよガキ。まだ着いたばっかじゃねーかよ」
ガンツがすかさず突っ込むと、隣に座っているボニータも笑みを見せる。
「そーだよ。まだ着いたばかりだし、カナタくんには、もうちょっとお付き合いしてもらわないとね」
「そ、そうですよね。アハハ。僕、何言ってるんでしょうねー」
そう取り繕い、少々バツが悪くなったカナタは、ほんのり顔を赤らめながら、また窓の外へ顔を向ける。そんなカナタが見ていないところで、ボニータとガンツは目線を合わせ沈黙する。
簡易的な木の柵にレンガで積まれた門が見え、馬車は特に検問で停車する事もなく、そこを通り過ぎる。騎士団専用馬車ということもあり乗客の身元は保証されてる上、無駄なやり取りを省いているのか、中を確認する素振りも見せない門番兵は眠そうな顔で挨拶だけ交わす。
等間隔で立ち並ぶ生成りの天幕は元世界にもあるようなパオやユルトに似た形状をしており、初見のカナタにはどれも同じに見え全く区別がつかない。この無防備なセキュリティーの天幕や、雑魚寝同然の詰所での寝泊まりが苦手なボニータは、毎日の手間と引き換えに、自身の家が所有する、あの湖畔にある屋敷に希望者を募って一緒に寝泊まりしていると馬車で語っていた。
たしかに若い女性には、そういった不便な生活は辛いだろうなと話を聞いた時にカナタは思ったが、実際にこの広大な敷地にこれほど多くの天幕が建ち並ぶ景色を見ると、以前風邪で寝込んで参加出来なかった中学時代の林間キャンプ行事を思い出してしまい、あの時実現出来なかったこういうテント生活を一度くらいは体験してみるのも悪く無いなと考えを改める。
ボニータの説明によれば、この本部を含めた天幕の陣営はリンドベリーがまだ他国として健在した頃からあった場所で、その国の騎士団が設立当初、陣営を城内に作る予定だったのだが、城外の敷地が広い上、騎士団が城の場内を歩く物々しさを嫌う当時の支配者の要望もあった事により、この巨大な広場に陣を張る事になったらしい。
しかし、当時のリンドベリーがまだまだ発展途中だった事もあり、今後増える国民に与える住居の事も考慮してか、早急に撤去可能な天幕のまま本部を設営したのだという。
そして時代が流れ、王国に併合された今も、その広場を立ち退く事はなく、更に増えた住人が騎士団の駐屯地を中心に、広がり続ける外壁と共に周囲に居住地を構えてしまった為、この本部も天幕から従来の建造物に変わるタイミングを逃したまま継承されたらしい。現在ではこの一風変わった騎士団の駐屯地はリンドベリー名所となり、そのせいもあってか余計に建て変える理由が無くなったのだという。
石や木材を使った建物でない理由はそういった歴史があるが故であった。
馬車は真っ直ぐ目的地へと進み、やがて数名の騎士が警備を預かる、一際大きな天幕が見えて来た。
その天幕の頂にはこの王国旗と思われる巨大な旗が風に靡いており、天幕の傘の部分には騎士団の紋章が大きく描かれている。ここが重要な施設の一つと思わせる雰囲気を醸し出しているのを感じた、車酔いで疲れたカナタの気を強引に引き締めさせる。
「カナタくん。あれがアタシ達、西方守護騎士団の本部だよ」
三人を乗せた馬車が本部の前に停車すると、間をおかずに強面の近衛騎士達がこちらにやって来た。
騎士達がいつも通り到着した馬車の扉を開けようと一人の騎士が外から取手を掴む前に、真っ先に馬車のドアを開けたボニータが、急に開いたドアにぶつかりそうになり思わずのけぞった騎士に謝りもせずに事務的に声をかける。後ろのガンツが呆れているのはいつもの事だからだろう。
「西門詰所のボニータよ。昨日グラナダ平原で起きた件についてカレル団長に報告に来たの」
せっかちな隊長騎士に臆する事なく、冷静な態度を崩さない強面の騎士達の一人がそれを受ける。
「昨日夕刻に早馬にて先触れされた件か。団長が中でお待ちだ」
事前に通知してあった為か、警備の騎士からもつつがなく対応され、ここで待たされる事もなくカナタ達は本部内に入幕する事が出来た。
ボニータ、ガンツ、カナタの順に馬車を降り、用の済んだ馬車は御者と共に敷地内の何処かへと走り去っていく。
去りゆく馬車をぼうっと見ていたカナタがふと我にかえり本部の入り口へと振り返ると、先に降りた二人の姿は既に無く、強面の騎士達の間を抜け慌てて二人の後を追った。
騎士団の紋章の描かれた垂幕を上げて中へと足を踏み入れると、そこが天幕のような生成の仕切りではなく木の板によって壁や天井が作られた普通の建物と変わらない光景だった為、カナタは少し驚く。
そしてこの天幕自体に何か特別な効果が付与されているのだろうか、垂れ幕を手から離すと外からの喧騒が一切聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれた。
目線を下げれば当然の様に板張りの床が奥まで伸びており、左右の壁には複数の扉があった。そして正面突当りに見える重厚な趣のある扉の前で立っていたボニータ達がこちらを振り返り、垂れ幕から顔を出したカナタに向かって早く来いと手招きをする。
「すみません」
足早に二人に追いついたカナタは小声で遅れた事を謝罪すると、ガンツがニヤニヤしながら音も立てずにカナタの肩をわざと殴り悲鳴をあげさせようと悪戯を始める。無言で痛がり抗議するカナタと大人気ないガンツに向かって、ボニータが口元に指を当てて静かにしろと二人を睨んだ。そして一息吸った後、
「西門詰所警ら隊長、ボニータ以下二名、出頭致しました!」
気を引き締めた様子のボニータが扉の前で姿勢を正すと、隊長騎士らしい口調で声を発した。
「どうぞ~」
畏まったボニータに対して、やけに優しく間延びした返事が室内から聞こえた。
カナタは二人が声を押し殺して扉の前に居たせいか、今から謁見する団長が礼儀やしきたりに厳しい威厳のある人物なのだろうと勝手に想像していたのだが、その相手が期待を裏切る様な声色だった為に思わず拍子抜けしてしまった。
「失礼致します!」
扉の開けて入ったその部屋は幕内に入った時と同じく木の壁で囲われ、入る時に見た生成の天幕を思わせる部分は一切見受けられない。
壁には棚が設けられ、調度品や絵画などが嫌味にならない程度に飾られており、部屋の主の趣味の良さが伺われる。
ドアから真っ直ぐ進み、途中に来客向けのソファーやテーブルを挟んだその奥には頑丈そうな事務机が置いてあり、高級な革張りの椅子もある。
キョロキョロと物珍しく辺りを見渡すカナタに、部屋の主が声をかけてきた。
「驚いたかい? 私はこういった部屋の方が落ち着くもんでね。中を勝手に改装したんだよ」
「あ……」
思慮に欠けた行動を見られていた気恥ずかしさもあり、カナタは少し赤面する。
そう気安く声をかけてきた人物は、やりかけの書類を机に置き、その手を目線の位置にまで上げていた。
目に少しかかるくらいに伸びた髪は綺麗な緑。
細面の顔の中心にある高い鼻には、少しズレてはいるが丸い眼鏡が乗っている。その眼鏡の奥にある憂いた眼差しが品の良さを表し、扉越しに聞こえた声が、確かにこの男から発せられたのだなと誰もが納得するであろう人物がニコリとした表情を浮かべてこちらを見ていた。
「やあやあ、ご苦労様」
その人物、西方守護騎士団最高責任者カレル団長が、入室した三人に手を上げて労いの言葉をかける。
「いえ。任務ですので!」
先程の警備騎士への不遜な態度と違い、なぜか少し顔の赤いボニータがそう謙遜するのを不思議に思いながらも、カナタは改めてカレル団長を視界に捉える。
すっと席を立ちこちらに歩いてくるカレルの身長はガンツ程あるが、肉体派なガンツと違い、カレルの方は華奢でスラッとしていて、団長と呼ばれるキャラとしては少し頼りなさを感じる。いわゆる秘書や参謀役が似合いそうな雰囲気だ。
ゲームやアニメなどに出てくる定番キャラを思い浮かべながら、カナタは目の前のカレル団長の第一印象をそう捉えた。
「キミかい? 単独でグラナダ平原を歩いてた〝黄昏れびと〟くんは」
「あ、はい。カナタと言います」
「私はこの駐屯地で団長をやらせてもらっているカレルだ」
「よ、よろしくお願いします」
「あのミスリル帝に会ったそうだね」
笑顔は崩さないが、質問の度に瞳の奥に自分を見定めている様な意思を感じ、カナタは息が詰まる様な感覚に包まれる。
「彼がミスリル帝に遭遇したと思われる証拠がこちらの蒼い鱗です」
カレルの斜め向かいに立っていたボニータが白い布の上に乗せた蒼い鱗をそっとカレルに差し出した為、視線を外されたカナタの緊張も一旦解かれた。
カレルは差し出された鱗を手に取ると、中指で丸眼鏡の位置を調整して慎重に見つめる。そしてチラとガンツの方へと視線を向けた。
「ガンツ。キミも見たのかい? ミスリル帝を」
「いんや。俺たちは、こいつがクソ漏らしながら平原を街に向かって歩いてるとこを保護しただけだ」
「な! そ、それ今言う事じゃないでしょ!? ガンツさんっ!」
つい昨日起きたばかりの黒歴史をさらっとバラすガンツに顔を真っ赤にしたカナタが激しく抗議するが、ガンツはニヤニヤしながら部屋に設置しているソファーにドンと腰を降ろすだけだった。
「ふむ。えー、カナタくんだったね。キミが記憶喪失になったのはミスリル帝と遭遇したのが原因かな?」
ガンツの発言を華麗にスルーしながら、カレルが話を先に進める。
その大人の対応に感謝しながらも、護身のために記憶喪失を偽っているカナタは、後ろめたい気持ちを隠しつつ答えた。
「い、いいえ。ドラゴンに会った時はすでに記憶がありませんでした……」
少し含んだ物言いになったカナタを、丸眼鏡の奥からジッと見ていたカレルだったが、ふうっと一息つくと、自分の席へと戻って行った。
「まあ、この鱗も見たところ本物だし、裏を見たら体表から落ちて間もないようだ。カナタくんの証言は事実なんだろうね」
ペシペシと鱗を机に当てながら、カレルは、そう判断を下した。ニュアンス的にはカナタを少し疑っていた様だったが、鱗と言う決定的な証拠品がある以上、深く追求する気は無いようだとカナタは安堵した。
だが、そんなカナタの心情を見透かしたかの様に、カレルが唐突に机をポンと叩いた。
「しかし残念ながら、伝説の竜の鱗を持った正体不明のキミをこのままハイそうですか、ご協力ありがとうございまーすって開放しちゃうのはちょーっと不可能な話でねえ」
「――っ!」
「キミの身柄は騎士団で――」
ホッとしたばかりのカナタに手の平を返す様に言い放つカレル。寝首をかかれるとはこの事だろう。カナタの心臓がドクンと跳ね、足がガクガクと震える。
騙された。
気付くのが遅いんだよ。
ここに来たのは間違いだったのか。
今更何を言っている。平和ボケしすぎだよ。
最初から自分を不審者、もしかしたらどこかの時点で〝世渡りびと〟だと気付いたのかもしれない。
そんな事に気付く前にさっさと逃げれば良かったのに。
ここで自分の物語は終了したのか。
ああ終わるだろうね。
カナタは蒼白の表情で俯いたまま、時が止まったように一点を見つめたまま頭の中の自分と自問自答を繰り返していく。
そんなカナタの顔色見ながら、眼鏡の奥の瞳に何かを宿したカレルが先程と同じ優しい声色で語り掛ける。
「ああごめんごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだ。ただほんの短期間、キミの身柄をこのままこちらで預からせてもらうだけなんだよ。なんならボニータくんの所だって構わない」
「……えっ……ボニータさん……にですか……?」
処刑台に乗せられた後に無罪を言い渡されたかのごとく放心状態なカナタがボニータの方をチラと見ると、すでに内々で決めていたかの様に黙って頷くボニータ。
「騎士団に居れば、衣食住はもちろん、パーソナル・カードが出来上がるまでのキミの身元だって保証する。おまけに所持品も持ち合わせて居なければ、今から我々の手を離れて下手に街中をうろついても不便なだけだよ? で、どうだろうカナタくん。私の提案を受け入れてくれないだろうか」
「……」
カナタは安堵した瞬間、カレルによって足元をすくわれた事に未だ深い衝撃を受けていた。何の警戒心も持たずに騎士団に保護され、逃げる隙があったにも関わらず、あろうことかその本拠地の一つである宿舎にまで泊まり、呑気に朝食まで平らげたあげく、騎士達に囲まれて本部にのこのこと顔を出すという、平和慣れした日本人としての自分の甘さ、軽率さを恥じ、深く反省する。
カレルは疑う事を知らぬカナタの情弱な部分を気付かせてくれたのだろうか。
最初から身柄を拘束する気などなく、自分の言葉に容易く安堵している少年を戒める為のブラフだったのか。
その真意は今のカナタには知りえぬ事だった。
だがカナタは知ることが出来た。
全てに約束された安心などない事を。
自分をイジメて来た相手には抱かなかった感情を。
人を疑うという気持ちを。
人として生きながら、人として欠けていた部分を。
― 全てを理解しろ それが世界の常識だ ―
ガンツの言葉が頭をよぎる。
今、その一部とも言える事をカナタは知った。
この差別と悪意に満ちた世界で、
自分は甘すぎたのだ、優しすぎたのだ
いつか元の世界へと帰るため、
今の自分ではダメなのだ。
変わる事を恐れず、変わる事を受け入れなければ。
― 呑気に生きてても、すぐに死んじまうぜ ー
死にたくはない。死ぬわけには行かない。
その為には貪欲にならなければいけない。
生に対しても、死に対しても。
目の前に提示された騎士団への残留は全てを知る為の一歩となるのだろうか。
カナタは深い思案の中、ようやくその決意をした。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
続きが気になった方は、良かったらブクマ・お気に・評価・感想などよろしくお願いします。
作者のモチベが爆上がりします。