第五話 リンドベリーの長い夜に
「お疲れ様です!」
リンドベリーの門番兵達が大きな声をあげて帰還した騎士団一行を労う。
「ご苦労」
西門と呼ばれる巨大な門を徒歩でくぐる騎士達が片手でガルシュの手綱を握り、空いたもう一方の手で軽く敬礼をしながら門番兵達の前を通り過ぎて行く。
その先には騎士達それぞれの、〝子飼いの従者〟と思われる小姓達が待機しており、仕える主人達から手綱を預かると順に馬屋の方へと消えていく。そうして手ぶらになった騎士達は各々連れ立って目当ての酒場にでも行くのだろうか、疲れた身体を休める暇もなく夕暮れの繁華街へと消えて行った。
陽もだいぶ落ち、高さ20メートルほどある巨大な外壁に、等間隔で掛かった松明が守衛らの手によって一つ、また一つと灯されていく。
元世界の様にスイッチひとつで明るくなる照明などは当然無く、すべて守衛たちによる手作業だ。
西門に居た数名の門番兵の内一番若い門番兵が、ちょうどガルシュを従者に預けたばかりのアーヴェインとカナタを一団の最後尾に見つけると、笑顔のまま小走りで近寄って行った。
「お疲れ様です! 小隊長殿」
「今日モご苦労。街に変わっタ様子もない様デ安心したヨ」
いつも交わしている挨拶なのかお互いにそれぞれの持ち場での状況報告を始めた二人。
カナタの方は街に入ってもどこに行けば良いのか分からない為、アーヴェインとその年若い門番兵の要件が終わるまでその場で二人の会話を見守る。
「はっ! 若干街中でゴロツキが問題を起こした以外は平常通りです」
「そウか。こちらもケガ人は居ナい。無事帰還出来たガ、ただ……」
「ただ……と申されますと?」
「いや、何でモない。今日は我々ガ最終だから、西門の閉門ヲ頼む。」
「はっ!」
アーヴェインとの会話を終えた年若い門番兵はチラとカナタを一瞥するが、すぐに他の門番兵に声掛けをすると、そのまま閉門の準備へと走って行った。
「さア。我々ノ街へようこそ。カナタ殿」
片手を広げエスコートでもする仕草でアーヴェインがカナタの入門を歓迎した。
「送ってもらってありがとうございますアーヴェインさん。それより僕、検問もされなかったんですけど……えっと、街に入っちゃっても大丈夫なんでしょうか」
「ふム。普通は先程ノ門番兵により検問が行わレた後に通過を許されるのダが、生憎と貴殿は〝黄昏れびと〟ダ。保護対象者は騎士団の、今回は私になルのだが、保証人がいれば検問ノ必要なく街への入場は可能ダ」
門番兵らの対応を見る限り、この街でのアーヴェイン達騎士団の立場は上位に位置するのか、彼らが保証人になる事で、カナタのこの街での自由はある程度保障されるようだ。
門をくぐり終えたカナタ達の後ろで巨大な鉄製の扉がガコンと音を立てて閉まっていく。その音に驚いたカナタが後ろを振り返ると、西門の外壁に登り、開閉の装置を操作していた先程の若い門番兵と目が合った。
「……あれはさっきの」
じっとこちらを睨む門番兵はカナタと目が合うとスッと視線を反らし、再び開閉装置の操作を続けた為、それ以上詮索する事もせずにカナタはまた街の方を振り返るが、一刻も早く街を見せたかったアーヴェインはすでに数歩先を進んでしまっていた。
「どウしたカナタ殿。早くこチらへ来るがいい」
アーヴェインに急かされ、慌てて速足で追いついたカナタは、改めてリンドベリーの街並みを見渡した。
外壁内ではあるが、あちこちに緑あふれる森林が見られ、自然と人工物が違和感なく調和を保っており、街の中心地からの水捌けのためか、緩やかな勾配の上り坂が石畳の道路で続いていた。その奥に進むに連れて建物も高くそびえ、街行く人々の身なりを見れば潤沢な繁栄を約束されている都市であることは一目瞭然だった。
中世の西洋風建造物が所狭しと立ち並び、それぞれの窓からは柔らかい灯りが漏れていて、それがまるでイルミネーションが煌めく夜のテーマパークにでも迷い込んだかのように、カナタを幻想的な世界へと誘う。
門から真っすぐ伸びた街の中央を走る道路の端々にはランタンに照らされた大小様々な露店が賑わい、それが遥か向こうまで続くのを見れば、それだけでもこの街がただの最西端の街ではなく、実は王都なのではないかと錯覚するくらいの規模に思えた。
「……すごい……すごく大きくて素敵な街ですね。アーヴェインさん」
語彙力に欠ける感想しか出なかったカナタだが、それでも鉄兜越しにもハッキリと分かるほどに満足気なアーヴェインが頷く。
「気に入っテもらえて嬉しいよ。陽が沈んだばかりで、夜の様相になルにはまだ時間が早いんだガ、それデもこの賑わい具合ダけは王都にハ負けていないゾ」
自分達が守るこの街に愛着があるのだろう、誇らしげにそう語ったアーヴェインの想いが素直に納得出来る程、この街の情景にカナタは魅入られていた。
「まあ、こレだけの規模の街はそウ無いんだよ。ここモ遥か昔には一つの国としテ勢を成していたが、王国に統合さレて今のような街になったラしい」
「ああ実は僕も、街じゃなくて王都みたいに広いなって思ってて」
「王都はモっと大きいぞ。こコの3倍はあるんジゃないかな」
「さ、3倍ですか」
「カナタ殿もイつか行って見レばいい」
「はは。そうですね……いつかは」
元の世界に戻る方法を探す為、いつかは王都にも足を延ばす可能性もあるだろう。
カナタはそう思いながら答えた。
「そうイえば、空腹だろう。その辺りノ露店で食事にしヨうか」
気を利かせたアーヴェインがさりげなくカナタを食事に誘う。
「あ、でも僕、お金持ってませんし……」
「サっき所持品を調べた時に分かってイるさ。それに貴殿は〝パーソナル・カード〟も持っテなかったしな」
リンドベリーに着くまでに、カナタは騎士団から所持品等のチェックを受けていた。
それは〝黄昏れびと〟として単に身分を示す物を持っていないかを知る目的なのだが、手ぶらで異世界に飛ばされたカナタは所持品はおろか、アーヴェインが言った〝パーソナル・カード〟など、当然持ち合わせてるはずがなかった。
この世界の人々はある年齢を過ぎると、各国や地域で能力判定を受ける義務があり、それによって身体能力や所持スキル等が判別される。そうして個人のデータをまとめた身分証〝パーソナル・カード〟が発行され、騎士団経由で本人に支給されるという仕組みがある。
先程の門番兵達は、新規で街に訪れた者に対し通常はこのカードの提示を求めるのだが、カナタがそれを所持していない為、今回はアーヴェインが保証人となり通過出来た。というのがここまでの経緯だった。
だが街に入れたとしても事ある毎にカードを使用する機会があるらしく、今回リンドベリーにある騎士団本部にて新たに〝パーソナル・カード〟を発行する事になった。
カードの使用頻度は多岐に渡り、各街への移動時、各ギルド入会時や、買い物、宿泊など、生活から仕事までと幅が広い。
その中でもカナタが驚いたのはカードによるマネー決済だった。
ギルドバンクという国営の銀行の様な機関があり、預けている預託金をカードから引き落とすのが、この世界の常識らしく、ほぼ元世界のキャッシュカードと同じ機能が身分証に付随しているのだ。治安が悪い場所では特にと言っていいほど、ほとんどの住人が現金など持たずにこのカードによる決済で済ませているらしい。
ここまで聞けばカードを奪えば良いのではとカナタも思ったが、このカードは本人の生態データとリンクしており、襲ったり、殺して奪い取った別の人間がカードを使う事は不可能で、カード所持者が亡くなると管理先の国に報告が入る為に偽装は出来ない。しかもその決済にはギルドバンクが貸し出している決済用魔道具が必要であり、別人が使うとギルドバンクに通報されるシステムまであるという。それ故に、この世界で商売を営む商人達は必然的にギルドバンクに加盟するしかなく、年間を通して高額な魔道具使用料をギルドバンクに納めている。
治安の悪い世の中で金持ちが襲われにくい
衣食住がすべてカード決済
国運営のギルドバンクにより市民の身分証明から生存管理までカードで統治
殆どのシーンで使われるのがこの〝パーソナル・カード〟であり、たった1枚でおおよその問題が解決される等、元世界のカードよりも依存率が高い。
これを発明した人物はもしやと思いそれとなくアーヴェインに尋ねてみたカナタだが、やはり過去に現れたという〝世渡りびと〟の発明品だった。
異世界でカードによる経済を発達させ、文明を根底から覆したというその〝世渡りびと〟は、世界を急激に発展させてしまったという罪を時の権力者によって被せられ、処刑されたと聞いたカナタは、ドラゴンの言った通りの内容だったことに背筋が震える。
「まア、そう落ち込マなくてもいい。勘定は私ガ持つんで心配いらないゾ」
「す、すみません」
人通りの増えた大通りに立ち並ぶ露店で、ひときわ食欲をそそる香りを漂わせる店を見つけ、二人は導かれるように店に立ち寄った。
「へいらっしゃい!!」
威勢の良い声をあげる店主に、カナタは小さい頃に一度だけ両親に連れて行ってもらった、夏祭りの夜店に立ち寄った時のわくわくした気持ちを思い出す。
キラキラした豆電球の光と醤油の焦げる香り。
周りがすべて楽しそうに笑って、誰一人不幸な者など居なかったあの一瞬の幻想が脳裏を過る。
「……」
「どうシた?」
一点を見つめたまま黙っているカナタに気付き、アーヴェインが声をかけた。
「あ、いえなんにも」
「そうカ、後遺症によくアる症状らしイな……気にするナ」
〝黄昏れびと〟の事を言っているのだろう、アーヴェインの気遣いを感じたカナタは、別の思い出に黄昏れていた為に心配をかけたことを反省し、頑張って陽気を装うことにした。
「だ、だいじょうぶですって!う、うわあこれ美味しそうだ……なあ♪」
「カナタ殿……」
その店の台には、バーベキューで使うようなコンロが置いてあり、中には炭火と思われる黒々とした物体が炎をあげ、上に乗せられた鉄の網を通して焼き鳥の様な串に刺さった肉を香ばしく焼いていた。
そしてこの店の秘伝であろう、キラキラと照りを返すタレのようなものが肉にかかっており、それが炭火に焦がされ何とも言えない甘い香りを辺りに漂わせていた。
「これは平原で取れるガーク鳥の串焼きだよ、にいちゃん」
カナタが声を上げて商品を褒めたのが嬉しかったのか、機嫌の良い店主がそう説明する。
「ガーク鳥?」
「騎士団ノ巡回でもたまニ遭遇する鳥の魔物だ。新人の団員1人でヨうやく倒せるくらいのナ」
「えっ!?ま、魔物?」
「そうダ。狂暴だが、うまイぞ」
「あーあはは……」
さっきまで食欲をそそる食べ物だったのが、アーヴェインの魔物と言う説明を聞いた途端にゲテモノに見えてしまい、都会暮らしっ子のカナタの食欲はなりを潜めてしまう。
「……お客さんたち、買うのかい? 買わないのかい? どっちだい?」
店先をテンションの下がった少年と不気味な鉄兜を被った騎士に占拠され、早々に退去してもらいたい店主が購入を急かす。
「うム、買おう。店主これを二串クれないか」
「あいよ!」
他の店もあまり大差がないのか、見た目はうまそうに見えるガーク鳥をアーヴェインが独断で購入する。支払いはカナタではないので、黙ってそれを見ているだけだった。
商品が売れたことで、再び威勢の良い声をあげる店主は、タレの入った壺にもう一度注文された串の数だけをくぐらせると一番火力の高い位置に置き、数回ほど串を返すと用意してあった分厚い紙にサッと包み込み、アーヴェインに差し出した。
それを受け取ったアーヴェインは、首元にかけていたチェーンを甲冑から引っ張り上げると、その先に付いているカードを手に取り店の台に設置してあった例の魔道具にかざす。すると魔道具とカードが同時に一瞬だけ光った後、魔道具に金額の様なものが浮かび上がり、数秒で消える。
「まいどあり!」
それが決済完了の合図なのか、店主が機嫌の良い声であいさつをすると、アーヴェインは再びカードを胸元に戻しながら軽く手をあげて応えた。
「さア」
そう言って店主から受け取ったガーク鳥の串焼きが入った包み紙をアーヴェインがカナタに手渡す。
「あ、ありがとう……ございます」
おそるおそる受け取るカナタにアーヴェインが言った。
「貴殿は好キ嫌いがありソうだな。それデは立派な体格にはなレないぞ」
「す、好き嫌いって……」
まるで学園に居た体育教師のような発言をするアーヴェインに対し、
元世界に魔物の肉を好きって言える人間が居たら教えてほしいとカナタは思ったが、ここは異世界。生き残る為には魔物でも食わなければダメなんだと目の前の肉を見つめる。
香ばしい香りを放つタレのテカりが美しいその肉は、脂が乗った状態で湯気をまとっている。
元がどんな狂暴でグロテスクな魔物なのかは想像がつかなかったが、元世界の焼き鳥と大差ないその見た目に、思わずゴクリと唾を飲み込むカナタをアーヴェインが静かに見守る。
「い、いただきます……」
覚悟を決め、目をつむったカナタが一思いにガーク鳥にかぶりつく。
「……美味しい」
目を見開いたカナタは、想像していた通りの元世界の焼き鳥、いや、それ以上の味にポツリと感想を呟いた。そしてその一言が引き金となったのか、平原での空腹が思い出されたかようにカナタの食欲を呼び覚ますと、そのままガツガツと貪るように食べ始めた。
「それハ良かった」
自分が予想した通りだったのだろうか、アーヴェインはカナタがそれを気に入り、旨そうに食べるのを見てその感想に応えた。
串に刺されたガーク鳥は思った以上に大きく食べ応えがあるようで、二串の内の一本を平らげるとカナタの胃袋はようやく落ち着いた。
「ふう。……あ、すみません僕一人で食べてしまって」
残った最後の一本をカナタが差し出すと、アーヴェインはそれを片手で制止した。
「貴殿ガ残りも食べるがいい。私はコの通り鉄兜の状態だカらな」
「えっ。その鉄兜を外せば――」
「いや。こレは街中では脱ぐワけにはいかないンだ」
「……そうですか」
頑なに鉄兜を脱ぐことを拒否するアーヴェイン。人それぞれに事情はあるのだとカナタはそれ以上の追及をやめた。
「じゃあお言葉に甘えて頂きます」
そう言ってカナタは最後の一本も食べた。
「ホントにそのカードで支払えるんですね」
満腹感で心に余裕が出来たのか、先程の〝パーソナル・カード〟を使って魔道具決済をした事を思い出し、カナタは自分から話題を振った。
「ん?あア。貴殿にモ明日以降再発行されるダろうから、その時に使っテ見ればいい」
「あ、はいっ!」
〝黄昏れびと〟だという事を気遣ってか、カナタにとっては初めての事に対しての質問に、怪訝な態度を見せることなく、その都度誠実な回答に務めるアーヴェイン。その姿勢に人見知りがちなカナタでも素直に好感が持てた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
「腹も落ち着いタようだし、今日は疲れたダろう。宿泊先は我々の宿舎デ申し訳ないが、夜露を凌ゲるだけマシだと思って勘弁してほしい。今かラそこへ案内するからユっくり休んでくれ」
「ホントに何から何まですみません」
「まアその代わりと言ってハ何だが、今日のミスリル帝遭遇の件とカード再発行ノ為に明日にデも我々騎士団の駐屯所に出頭してモらうことになる。ソして……」
そう言ってアーヴェインは腰に携帯していた小さな収納袋から何かを取り出す。
「こレは一応貴殿の拾得物にナるのだが、希少品の為ト報告に確証を持たセる証拠物件の為、悪いガ私が預からせてモらう」
宿舎への帰路の途中、暗がりの中でアーヴェインが手にしたのは、カナタが拾ったミスリル帝の蒼い鱗だ。収納袋から取り出した時からすでに蒼い光を放ち、周囲の闇をほのかに照らしている。
「はい。お願いします」
「うム。では参ろう」
夜も更け、喧噪の響く繁華街を後にしたカナタは、露店通りから外れた森林の中を歩く。つい今しがたまで雲に隠れていた月が顔を見せると、闇に包まれていた辺りがうっすらと輪郭を現わす。
その月明りを頼りに30分程歩くと、やがて森に囲まれた静かな湖畔にたどり着いた。
森から聞こえる虫の囁きが周囲を優しく埋め尽くし、正面にある湖の水面は夜空に浮かんだ月を映し出している。その夜空を見上げれば満天の星々を抱きかかえた星空が広がり、ちょうどいくつもの流星群が光芒を放っていた。
カナタはこの光景を一番大事な人と見たかったなと少し感傷的になるが、すぐに意識を切り替えると湖の傍に建つ目の前の屋敷を見上げた。
「うわあ。良い感じのお屋敷ですね!」
覆われた蔦の生命力によるものなのか、所々欠けた煉瓦造りの外壁が朽ちた洋館をイメージさせるが、丁寧に改築を重ねてきた名残も隅々に見受けられ、年代物であるという歴史のある佇まいの屋敷がそこにあった。
「古くてスまない。騎士団が設立サれた当初からあるらしイんだが、つど改修はされていルから安心してくれ」
「いえいえ、全然大丈夫ですって! それに中々こんなアンティークなお屋敷に泊まれるなんてめったにないですし」
「あんてく……と言うのは分かラないが、気に入っテもらえたならコちらも助かる」
「いやあ~楽しみだなあ~あはははは」
「……カナタ殿」
露店での一件から何かと空元気な対応を心掛けていたカナタだったが、それが過度になり始めた頃。アーヴェインが静かに声をかける。
「はいっ! なんですかアーヴェインさん!」
「カナタ殿……そウ無理をしなくテも構わないんだ」
「え?」
「貴殿は〝黄昏れびと〟にナった事も含め今の現状はトても不安だろう。だがソれ以上に私にはカナタ殿が周りに迷惑をカけないよう気を遣いすぎテいるようにも見えるのダ」
「……」
「まだカナタ殿に出会っタばかりで深くは知ラないが……貴殿の性根はそンな心無い笑顔ヲ振りまくような人物デはないのだろう?」
「――!」
「好き放題にシろとは言わない、たダありのままで居れバいい。貴殿は世界を……人ヲ怖がりすぎていル」
「アーヴェイン……さん」
「大丈夫。ソれほど世界は貴殿に冷タく出来てはイないはずだ」
「……」
アーヴェインの言葉がカナタの心に深く沁みていった。
それは誰にもかけられた事のない言葉だった。
幼少期から独りぼっちで育ち、途中から結来はるかという少女に出会い、守られながら生きて来たカナタ。
だが、そんな女神のような少女でさえカナタにそのような言葉を投げかける程に成熟した人生を送っていたわけではなく、ましてや同年代の少年を諭すような持論を持ち合わせてはいなかった。
小柄ながらも、いぶし銀のような風格を持つアーヴェインは、いったいどのような人生を送ってきたのであろうか、仮にもし彼が自分と同じくらいの年齢だったとしても、どれほど深い経験を積み上げればそんなに相手を思いやれる人物になれるのだろうか。
そんなことが頭の中をめぐっているカナタにアーヴェインは、
「まア、今すぐに変える事は不可能ダとしても、心の片隅にデも閉まっておいテくれればいい」
と、優しくフォローするのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※
少しくすんだ真鍮の取手が付いた頑丈な両開きの扉がギイと音を立てて開いた。
不気味な鉄兜の持ち主が、その扉を開けて中に入って来る。
その後に続いてカナタも中へと足を進めた。
ドアに面した広間は薄暗く、壁に掛かった煤けたガラスのランタンの灯りが仄かに映り込む良く磨かれたダークブラウンの床板が足元に広がっている。
ロビーと思われるこの場所は吹き抜けになっていて、二階の廊下へと繋がる階段が広間の奥から左右に据え付けられた造りになっていた。正面には来客向けのカウンターが設けられており、程なくしてカウンターの奥の部屋から背の高い初老の男が現れた。
「おかえりなさいませ」
男は年齢の割に力強い声で主人の帰宅を出迎える執事のごとく振舞う。
「たダいま、リチャード。急で悪いガ騎士団預かりとなっタ客人だ。一部屋用意しテくれないか」
リチャードと呼ばれた男はこの屋敷の責任者なのだろう。アーヴェインの指示に黙って頷き、
「かしこまりました。しかしながら昨日王都からお越しになった騎士団の方々で個室が全て塞がっておりますゆえ、申し訳ありませんが相部屋……となりますが?」
「そうダった。王都からの増員が来たセいで駐屯所の部屋もなくココに泊めたのヲ失念していた……早朝すぐに駐屯所に出頭すルとは言っていたが、シまったな……」
急な予定変更のせいでもあったが、アーヴェインは自分の不備を知ると、言葉に詰まってしまう。
「あ、あの~僕なら大丈夫ですけど」
部屋が無いと言う予想外のアクシデントだが、知らない相手との相部屋に不安が無いはずもなく、かといって親切なアーヴェインを困らせるのも心外だった為、カナタは自ら相部屋を申し出た。
「そうカ。すまないカナタ殿、ウちの団員は先程帰還した時のメンバーだけなのデ、顔ぐらい見タことはあるはずダから安心してくれ」
「は……はい。ははは」
人見知りの自分に人の顔を覚える程しっかり相手を見れるはずもないんですがと、カナタは心の中で突っ込んだが、とりあえず愛想笑いで済ませることにした。
「お客さま。こちらへ」
「あ、は、はひっ!」
話がまとまったと見て、リチャードが客室へと誘導しようと声をかけると、緊張したカナタがうわずった声で返事をする。
「私の部屋は2階だカら此処で失礼すルよ。おやすみカナタ殿」
「あっ! ……お、おやすみなさいアーヴェインさん!」
唯一見知った人間が急に離れたのを不安に感じたのか、思わず縋り付きたくなったカナタだったが、アーヴェインが早々に奥の階段を上がっていくのを見ると、流石に観念したのか黙ってリチャードの案内に従うことにした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
リチャードに案内された部屋で一人残されたカナタ。
去り際にリチャードが燭台の蠟燭に火を灯してくれたお陰で、部屋の中は多少だが明るい。
相部屋だと聞いたので、部屋には当然その相手がいるものだ思い込み、ドアをノックするリチャードの後ろでガチガチに緊張していたカナタだったが、幸いにも部屋の主は帰っておらず誰も居なかった。
それでも部屋主不在のところに勝手に入るのもどうかとリチャードに尋ねたのだが、相部屋は日常的に起こるので問題はないとの返事が返ってきた為、若干の不安は残るものの、カナタは大人しく一人で部屋に入る事になる。
陽はとっくに沈んだとはいえ、夜はまだ長い、相部屋の相手はおそらくあの歓楽街にでも居るのだろうと見当をつけ、カナタは部屋主の居ないガランとした室内を見渡した。
部屋自体は何の特徴もなく至って普通の寝室だ。窓は扉を開けて入った真正面の壁にあり、その中央の窓から壁に沿って左右に木製の簡素なベッドがそれぞれ設置され、その上には最低限の寝具が用意されている。
左右のベッドの間には共用なのであろうか、引き出しの付いた机とその上に置かれた火の灯る燭台が一つ。それに頑丈そうな椅子が一脚、無造作に床にあるだけの飾り気の無い質素な部屋だった。
まさしく寝に帰るだけの部屋なのだろう。カナタは相部屋の相手が気になり、帰ってくるまでは起きていようと思ったが、今日一日の疲れと露店での食事による満腹感が重なりすぐにでも眠れる状態だった為、とりあえず空いているベッドの片方に腰を下ろす。
すぐ目の前にある机に乗った燭台の灯火がユラユラと揺れ、睡眠術にでもかけようかといった風にカナタを夢の世界へと誘おうとしているのを何とか我慢する。
「……放課後までは日本に居たのに、まさか夜は異世界で眠るなんて。はあ……未だに信じられないよ」
改めて思い出される今日一日の出来事、日本で生活していた時とは比べ物にならない程に濃密な一日だったとカナタはため息をつく。
常識的にはありえないのだが、カナタは突然異世界に飛ばされ、ドラゴンの強襲から逃れ、縁あって騎士団と迎合し、その宿舎で今まさに眠ろうとしているのだ。
「ヘタしたら牢屋に入れられてたかもしれないのに」
グラナダ平野と言う魔物が闊歩する草原から見慣れない制服を着た不審な少年が現れ、ドラゴンの鱗を差し出せば、普通の流れなら一応牢屋に入れられて取り調べがあってもおかしくはなかっただろう。
アーヴェインという世話好きな指揮官騎士、門番兵には小隊長と呼ばれていた彼がいたお陰とも言えるこの優遇された環境は、カナタのこれからの活動と生活には欠かせないものとなるはずだ。
まだ異世界一日目。
色々と分からない事だらけだが、別に明日や明後日に仕上げないといけない宿題の様に差し迫った状況でもない。
ドラゴンと会話する事が出来たスキルについても、詳しく理解出来たわけでもなく、これからの課題となるのだろう。ましてやこの世界の仕組みも世話好きなアーヴェインに教えてもらった事柄のみだ。
だが、これからいくらでも知るチャンスはある。
学生でも社会人でもなくなったカナタに時間の制約はもう無い。
それよりもカナタにとって、今日一日の回想を終えるに当り一番外せない事象は、普段消極的だった自分が、きちんと行動を起こし、初対面の相手に臆することなく接した事だろう。
自称コミュ症なカナタが日に幾度となく、結来はるか以外の他人と会話するなど元世界では皆無だったのだ。
よほど騎士団との相性が良かったのか、それとも緊張と異世界での孤独感からこそ成せた奇跡だったのかもしれない。もしかすればこのまま一夜が明けると疲れが取れ、再び元の性格に戻る可能性もあるかもしれないのだ。
まったりと物思いに更けながら、カナタは腰かけたベッドの感触が伝わる手にふと意識が向いた。
日本では当たり前だったフカフカな感触がなく、ごわついた寝床だったが、睡魔に襲われたカナタが気にする程でもなく、しばらくはその感触をぼうっとしながら堪能していたが、やがて意識は混濁し、その疲れて重くなった体はベッドに自然と横たわって行き、備え付けのブランケットに包まりながらも、かろうじて最後に呟いた言葉は、
「……次に会った時は……き、きっと……るかって……おう……」
耐えがたき睡魔により途切れた言葉はカナタの感情を一歩前進させたものだったかもしれない。
そのまま意識を手放したカナタは、異世界最初の一日を終え、泥のような眠りについた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
ガシャン。
無造作に放り投げられた鉄の装備が音を立てる。
燭台の灯火に照らされ壁に映し出された黒いシルエットからは、次々とその装いが外されていき、やがて無防備な素肌だけの影が照らし出された。
「うーん。今日も疲れたあ~」
少女の声が聞こえ、伸びをするシルエットがそれに連動する。
「まーたコイツは恥ずかしくなるようなセリフをいっぱい言ってー」
誰も居ないはずの部屋で少女は何かに話しかけるように呟く。
「でも、カナタくん……て言ったっけ。ふふっ。美味しそうにガーク鳥食べてくれたなあ。あーアタシも食べたかったあ~」
どこかで見ていたのだろうか、カナタを見知った人物が軽く愚痴をこぼす。
「せめてこれが外せたら食べられたか……」
言葉を途中で止めたのか、しばしの静寂が部屋に起きる。
「――いや。これは外せない、アタシは街のみんなの前じゃホントの自分でいられない……」
壁に映ったシルエットは微かに握っている拳だけが動きを見せた。
「ありのままなんてこの差別に満ちた世界じゃ無理なんだ……」
燭台の炎は静かに、少女の声に反応するかのように揺れていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
ギイィィィ。
静寂を汚すような錆びた蝶番の音が響き渡る。
「ヒック。うひぃぃ~帰ったぞ~」
誰かが待っていたのであろうか、声の主は上機嫌で自分の帰宅を告げた。
「――って、そだ、あいつ今夜居なかったっけ……」
誰も居ない部屋だと気付き、声の主はフラフラと消えかけた燭台の灯りを頼りにベッドのある場所へと移動する。
「ヒック……あの女め。もうちょっとで靡いたのに、クソ」
酒の席での出来事だろうか、愚痴を漏らしながら声の主がベッドに腰を下ろすとそこに先客が居ることに気付いた。
「ん。なんだあ?」
てっきり自分のベッドだと思って腰を下ろしたが、すでに誰かが毛布に包まっていて、灯りが乏しい為はっきり確認は出来ない。
その時点で空いている向かいのベッドに移ればこの男にも悲劇は起きなかっただろう。
だが、この日の男の酒量はいつもよりも遥かに多かった為、突飛もない考えが浮かんでしまう。
「なあ~んだよ~シルビアちゃんじゃないかあ~俺を待っててくれたのか~い? ヒック。いや~ベッドで待つなんてシルビアちゃんもやっと俺の良さが分かったんだねえ~」
ありえない妄想に駆られ勝手に会話を進める男は、まともな判断が出来ない程の泥酔ぶりだ。
「しおらしいねぇ。そんなとこに隠れちゃってこのぉ~」
掴んだブランケットを引っ張り上げながら、男は横たわる相手に覆いかぶさった。
「う、う……ん……」
急に上からの重圧と衝撃により眠っていた相手が目を覚ます。そしてその迫り来る存在に気付いた。
「うっ! な、なに!? ふえっ? えっ!が、ガンツさん!?」
「ん~~。ん。んんっ!?」
薄暗い部屋の中で急に起こされたカナタの目の前には、今にもキスを迫ろうとする中年男、ガンツが居た。
ガンツも自分の名前を呼ばれた事で酔った頭が少し覚醒し、相手の顔を覗き込む。
「……」
「……」
そして暗がりのベッドで見つめ合った男二人は、肩をわなわなと震わせ、この時ばかりと息の合った行動を共に示す。
「「ぎゃあああああああああ!」」
深夜の洋館に二人の悲痛な叫びが響き渡る。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
続きが気になった方は、良かったらブクマ・お気に・評価・感想などよろしくお願いします。
作者のモチベが爆上がりします。