第二十八話 ダッヂ亭の女たち
「また今日も来てくれてありがとうございます。カナタさん」
広場を後にし、カウンターのある場所まで戻り、受付に居る女性たちに挨拶を済ませる六人――と言っても、正確に言えば、カナタはルシータと共に広場から裏の馬屋へと経由して、ニシツメの玄関口へと先回りしているため、一時的に五人となっているのだが、そんな五人は道中、特に話す話題も無かったのか、誰もが無言のままカナタたちの待つ玄関口へと歩いて行った。
そこで立ち話もなんだという事になり、結局、昨日行ったばかりのダッヂ亭へのご案内というあまり変わり映えのしないコースとなってしまう。実際、他の酒場や食堂といった案も出たが、ここに来たばかりの新入りたちに地理もおすすめの場所も分かるわけもなく、三人の顔をじっと見つめる新人騎士達のプレッシャーもあり、それじゃあと、一番勝手の利く行きつけの店が選ばれたというわけだ。
細かいことを言えば、大通りでも有数の店であるダッヂ亭には当然馬屋も併設されており、他の店だとそのあたりの有無が分かりにくく、行ったは良いが、馬屋がなくてまた移動するという、みっともない姿を新人たちの前で晒すわけにいかない見栄もあって、というのが本音ではあるが。
ここへ来るまでに、ベルベッティーナの言いつけ通りルシータの馬上に乗ったまま移動訓練を続けていたカナタは、昨日知り合った新米女給のリリーの案内で裏手にある馬屋にルシータを預けた後、仲良く二人で戻る途中、そのやり取りの中で、彼女に手を握られたまま来店を感謝され、まだまだ仕事のあるリリーが名残惜しそうに厨房へと戻って行くのを手を振って見送り、まんざらでもないニヤけ面で、皆の待つテーブルへと向かい、空いている席へと腰をおろした。
「なんかカナタくんの顔、いやらしい……」
席に着くなりボニータから心外な言葉を投げかけられ、慌てて自分の顔を触り、嬉しさのあまり緩んでいた顔に気付く。ベルタも同じように小声でいやらしいと呟いてるのを耳にしたカナタは周りに味方が居ないのを知り愕然とする。
「はい。カナタさんの好きなお水です」
ちょうどその時タイミング良くリリーが後ろから水の入ったコップをカナタの前に置いたので、これ幸いにとばかりに、リリーに助けを求めるが、すぐに他の客から声がかかり、元気よく返事を返した彼女はすぐに立ち去ってしまう。あたふたとするカナタを揶揄うのも潮時と見たのか、ボニータが全員が集まったところで乾杯の合図をする。すでにカナタ以外の飲み物は全員分そろっていたこともあり、スムーズにグラスを傾ける六人。お互いの飲み物に口をつけたあと、さてこれから何を。という空気が漂う中、ボニータが手をあげた。
「とりあえず、自己紹介から始めよっか」
中央にテーブルを挟み、片側にカナタ、ボニータ、ベルタと並んで、向かいには三人の新人騎士たちが座っている。三対三という、さながら合コンを思わせる組み合わせでの人数だが、肝心の自己紹介は、まずはカナタからという順番になった。ボニータからの提案で、席を立った状態でのあいさつと言う事になり、しぶしぶ席を立つカナタに全員の注目が集まる。
生まれてこの方、こんな状況での自己紹介など、まるで経験のないカナタは周囲の注目と沈黙に頭は真っ白になる上に眩暈すら覚える状態だ。その後、なかなか挨拶を始めないカナタに焦れたボニータやベルタの苦情により、恨むような眼差しを彼女たちに送りながらもようやく決心のついたカナタが大きく深呼吸をする。
「あ、えっと、カナタと言います。じ、十六歳です……さ、最近ここの騎士団の皆さんと出会って、縁あってこちらで働くことになりました。あ、あのよろしくお願いし、しまシュ!」
緊張の余り、惜しくも最期を噛んでしまったカナタは、恥ずかしさと情けなさで死にそうになるが、空気を読んだボニータと新人騎士側の一人からの温かい拍手でどうにか踏みとどまれた。
なぜかカナタの自己紹介のあと、若干名、新人騎士の中に面白くなさそうにしている者もいるが、場の雰囲気を重視するメンバーたちはそこには触れず、先に進めることにした。
「ベルタと申します。従者をしております。以後お見知りおきを……」
予想通り淡々とあっさりとした内容の挨拶をし終えると、さっさと席に座るベルタ。それでもボニータや新人騎士、カナタは少し苦笑いしながらも拍手で応える。
そして、いよいよ部隊の長、ボニータの挨拶となった。おもむろに席を立ち、周囲をゆっくりと見渡す彼女。少し深呼吸をして笑顔を作る。
「初めまして、新人の皆さん。そしてようこそ我がボニータ隊へ! 私がこの部隊の隊長を務めてるボニータよ。これからが大変だと思うけど、しっかりみんなで力を合わせて頑張っていこうね!」
無事に挨拶を終え、カナタや新人騎士、ベルタの拍手の中、ボニータがゆっくりと席につこうとした時――
「ふざけるなっ!」
それは向かいの席に座る新人騎士が発した声だった。
怒りに満ちた表情の少年は力任せにテーブルを叩きつけたまま立ち上がってボニータたちを睨んでいる。
そのあまりにも急な態度の変化――いや、さきほどからカナタの挨拶が終わると同時に不機嫌になったのがこの少年だった。まだ年若い少年はおそらくカナタよりも年下だろう。綺麗に整ったその顔は貴族たる品を持ち、翠色に輝く瞳は残念なことに怒りを宿し、少し猫っ毛の細く柔らかい金色の髪は短く、すらりとした体形はまだまだ少年ぽさを残し、全体的に王子と呼ぶにふさわしい風格を持っていた。そんな彼がボニータの自己紹介が終わると共に、耐えきれぬ怒りを爆発させたのだ。
そして、まだ声変わりの始まったばかりの少しかすれた声で怒鳴る新人騎士は、続けざまに目の前の三人に対して暴言を吐く。
「私の騎士就任に際し、下々の者が宴を催すと言うのでついて来てみたが、なんだこれは? 私を愚弄するのか? 小間使いの挨拶に、底辺従者の生意気な態度、それにお前だ、お前! そこの女!」
その形よい唇から発する暴言はカナタたち三人をことごとく馬鹿にし、あろうことか目の前に座る自分の上司たるボニータに向かって指を差し、お前、それに女、と呼びつける始末。
「ち、ちょっと君!」
流石に看過出来なかったカナタは思わず立ち上がり、好き勝手に振る舞う少年の暴言を止めようとするが、
「なんだ貴様! 小間使いのくせに私に意見する気か?」
「ひっ!」
腰の短剣を素早く抜いた少年はカナタに向かってその刃先を突き付ける。昨日の恐怖が蘇ったのか、剣先を見た瞬間に腰が引け、自分の席に尻もちをつくカナタ。その情けない姿を鼻で笑う少年は、すっと短剣を戻し、再びボニータを睨みつける。
「貴様がこの部隊の隊長だと? ふざけるのも大概にしろ。私の上に立つ者が女だと知って冷静でいられるわけがなかろう。女が騎士など言語道断だ!」
少年が激昂の想いを全てぶちまけると、乱暴に席に座るなりふんぞり返る。その態度はボニータを、彼女を女として見下し、自分の方が優位だと見せつけたいのだろう。勝ち誇った顔からはそう言った感情がにじみ出ていた。
その言葉の全てを黙ってじっと聞いていたボニータは少年が座ったと同時に、ゆっくりと立ち上がると、少年の方を哀れみの目で見つめる。
「残念ね。一昨日までのアタシなら、キミの言葉に動揺して泣いてたかもしれない……」
何を言っているんだこの女は。といった顔でボニータを見つめる少年。だが、この彼女の言葉はカナタだけではなく、彼女を挟んで隣に座るベルタ、そして昨日この場にいた客たちなら知っている。
彼女は昨日、自分の殻をひとつ破ったのだ。
それは成長と言うべきか、それとも進化と言うべきなのか。少年をじっと見つめるその目にはすでに迷いはなく、毅然とした態度で臨む彼女を、カナタは誇らしい目で見上げていた。
「でも今は違うの。ごめんね。アタシしぶとく生きてくことにしたんだ」
その目だけでなく、言葉までもが迷いなく彼女の気持ちを表していた。もう呪われた鉄兜に頼っていた彼女はいなくなった。そうカナタは確信した。
「なにをわけの分からない事をほざいているんだ! 女! お前の戯言などどうでもいいのだっ。今すぐ騎士の座から……隊長の座から退け! 私は認めん……女などぜった――」
「えらく元気な新人さんだねえ。そんなあんたに店からのお祝いさ」
ボニータへの怒りが頂点に達した少年が、再び腰の短剣を引き抜き、その切っ先をボニータへと向け声高に叫ぶ。しかしすべてを言い切る前に後ろから声が聞こえ、それと同時に少年の目の前にどんと大量の料理が盛られた器が置かれる。不意の驚きに言葉に詰まる少年だったが、後ろから自分にいきなり話しかけた不敬な女の声に振り返り、またもその罵声を浴びせようと怒りに歪んだ顔を向ける。
「なっ……お前も女のくせに私に――ぐぶほっ!!」
その声はまたしても別の襲撃によって途切れてしまう。
少年の口は酒の入った大きなジョッキで塞がれ、一気に流し込まれる液体によってその喉を埋め尽くされていく。
「はーい。これも当店の大サービス! たーんと呑んでくださいねー」
陽気な声と共にシルビアがにこやかな笑みを浮かべながら少年の胃袋へとその手に持った大ジョッキの中身を注ぎこんでいくと、たちまちにして酒慣れしていない若き少年の顔は紅く染まってしまう。
少年の恫喝と武器による脅迫という行為を見ていた周囲の客たちは、ダッヂ亭の女たちの華麗なる連携プレーに歓喜し、手に持ったジョッキを掲げ、その賞賛を称える。
だが、これくらいのことでは根を上げない気丈な少年は、真っ赤な顔でフラフラになりながらも、座った目でダッヂ亭の女将シータとシルビアを睨む。
「げふっ……き、貴様らあ……よ、よくも私にこんなま――」
まだ幼き少年には警戒心、もしくは二度ある事は三度あるという言葉を知らなかったのか、またしても別の人物によってその言葉を中断させられてしまう。
「もー! しぶとい子供だなあ。かなチンやボニたんをイジメるな!」
テーブルの上に立つ人物に気付いた時点で少年の運命は決まっていた。
少年が見上げるとそこにはダッヂ亭女給、人獣の少女ケイトが仁王立ちで立っており、その手に持ったジョッキを一気に口に含むと少年のそばに近付き、いきなりその唇を奪った。
「――!」
いきなり少女に接吻をされた少年は目を見開きその少女を自分から突き放そうとするが、がっちりと顔面を両手で押さえられたまま、逃げることも出来ず、口元から彼女の口に含んだ酒をすべて飲まされていくうちにだんだんと目が閉じていき、最後には気を失ってしまった。
「へへへ。ケイトの勝ちだよーだ」
少年がダウンしたことを確認したケイトが腕を突きあげると共に大歓声が起き、大活躍したダッヂ亭の女たちに拍手が送られる。シータとシルビアは黙って肩をすくめているが、まんざらでもないケイトはその歓声に調子に乗ってテーブルの上ではしゃいでいるのを女将に怒られていた。
その喧噪のなか、自分のたちの騒動に手助けをしてくれたシータたちの下へ近づくボニータたち。そんなボニータを前日と同じように胸に抱きかかえるシータ。
「えらいよボニータちゃん。よく耐えたさね」
「うん……でもちょっと苦しいよ、シータママ」
優しい抱擁はすぐに終わり、ボニータを解放したシータは依然として騒ぎ続ける客たちに向かって声をあげる。
「お客さんたちにはちょっと迷惑かけたさね! お詫びにみんなに一杯おごらせてくれっさ!」
その太っ腹な発言に更に歓声をあげる客たち。そんな客を見て安心したのかシータが再びボニータたちの方へ振り返る。
「みんな! 元はと言えばアタシたちの隊が迷惑かけちゃったから、アタシからもみんなに一杯おごらせて!」
その発言に一瞬客たちの声が鎮まるが、再び街を揺るがすかのような大歓声が沸き上がり、シータとボニータの名前を呼ぶコールが響き渡る。
「いいのかいボニータちゃん。こいつら飲みたいだけだよ?」
ボニータの計らいに心配するシータ。だが、その問いかけにはすぐには応えず黙って彼女に抱き着くボニータ。
「うん。いいの。なんか嬉しいの今日は」
ボニータの囁きに、そっと目を細めるシータ。彼女はそんなボニータを優しく包みこむ。
「ちょちょちょ! あたしも褒めて! 悪い人族の子供最後にやっつけたのあたしだよ!」
やんわりとした二人の時間を元気な声で邪魔立てするケイトが抱き合う二人に覆いかぶさる。
「ケイト! あっ、そーいえばあんたあの子とキスしてなかった!?」
突然水を差すケイトに呆れながらも、ボニータはさきほどの少年とケイトの接吻を思い出し、顔を赤らめさせながらも彼女に問い詰める。しかし、当の本人はケロっとした顔だ。
「ち……す? あー! 人族はあれをちすって言うんだよね? あたしたち人獣族は毎日やってるよ!」
「「えっ! ま、毎日!?」」
ケイトの爆弾発言にボニータだけではなく、隣で空気のような存在だったカナタも思わず声を揃えてしまい、それに気付いたボニータと顔を合わせてお互いに赤くなって俯く。
「あーボニータちゃんたち。驚いてるとこ悪いけど、人獣族はスキンシップのひとつで口先で触れ合う習慣があるんさ」
「「しゅ……習慣……」」
思わず身を乗り出す二人。声を揃えるのも上手くなってきたようだ。そんな食いつきの良い二人を猫耳をピクピクさせながら不思議そうな顔で見つめるケイト。人獣の彼女にとってキスはスキンシップのひとつでもあり、お互いの体調や気持ちを窺う重要な伝達手段でもあった。人族のそれとは違うことを知らない彼女には何故二人がそんなにも驚くのかを、まるで理解出来ていなかった。
「で、でもやっぱりキスはまずかったんじゃ……あの子は知らない相手でしょう? ケイト」
やはりキスが習慣ということに抵抗のあるボニータが、ケイトの操を心配する。そこでようやくボニータの言っている意味が分かったのか、彼女はニコリと笑顔を作りカナタたちに飛びついた。
「なーんだ! ボニたんがいろいろ言うから、全然分かんなかったけど、さっきのでやっと分かったよ! 知り合いなら人族でもちすして良いんだね! じゃあカナちん、あたしとちすしよ!」
そう言ってカナタとボニータの二人を抱きしめたケイトが、右側にいるカナタの方へと顔を向け唇を突き出す。細身とは言え、人獣の腕力の強さに驚くカナタはまるで身動きが取れないままケイトの唇を迎える形となっていく。
「だめええええっっっ!!!!」
「ぎゃっひん!!」
ボニータの叫び声と共にカナタが吹っ飛んでいく。
そしてそのままテーブルを越えると自分が座っていた席を巻き込んで転がり落ちていった。
「はあ。貴君はいったい何をやっているのですか」
「ねえ、それちゃんと僕のこと見てた上で言ってる? ねえ!」
飛んだとばっちりを受けたカナタをベルタが回復魔法で治療する。そんなベルタがため息をつきながら彼を非難するが、全く自分に非がないことを盾に強く反発するカナタだった。
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作者のモチベが爆上がりし明日も頑張ろうって気になります。