第二十六話 クイーンの価値
「あらあ。このガルシュちゃん、ルシータちゃーんて言うのね」
ボニータとベルベッティーナは思った以上に気が合った。
お互いにガルシュをこよなく愛し、ガルシュを呼ぶときは必ずちゃんという敬称を付け、隣でルシータが動こうものなら二人して目で追いながら話し合う始末。
当然さきほどから二人の間に交わされる話題は全てガルシュであり、出て来る単語までもがそう、ガルシュ、ガルシュ、ガルシュ、ガルシュ――
「二人ともっ。わ、分かりましたから……あの、もうその辺でガルシュの話は……」
あまりのガルシュ祭りにカナタも思わず止めに入ってしまう。
そして彼女たちの会話に飽きたのか隣に居たはずのベルタは広場を散策している。
「あら、ごめーんなさいね。つい話し込んじゃって。良いおともだーち出来ちゃったわん」
本当に元は女性だったのかと思うほどオネエ言葉を巧みに使うベルベッティーナ。声が野太いだけに違和感がない。
「そーいえばベルベッティーナ。さっき言ってたルシータちゃんのことだけど……」
「あークイーンの事ね。実はあたーしガルシュ研究機関てやつの所長なーんだけど――」
「ええええっっっ!?」
「うわっ!」
ベルベッティーナの言葉に反応し、隣に居るカナタが耳を塞ぐほどの大音声で叫ぶボニータ。その声は遠くで他のガルシュを観察していたベルタにまで届き、小走りで戻ってこさせた程だった。
「な、なーによ。びっくりするじゃなーい」
「べ、ベルベッティーナがあの……所長!?」
「――ああ!」
ベルベッティーナの言葉に反応したのはボニータだけでなく、以前牧場でルシータの能力を知ったボニータがそのような研究機関に報告したいと言っていたのをカナタも思い出した。まさか本当にあるとは思っていなかったカナタは、実在する機関だと知り思わず声をあげる。
「そうよー。でね、まだ研究所内でしか広まってないーんだけど、最近ガルシュちゃんたーちの中にクイーンていう希少種がいる存在が分かって来たーのよ」
「「希少種?」」
そこで一旦話を切ったベルベッティーナが真面目な顔をしてルシータの下へ寄り、そのタテガミを優しく撫でる。少しして気が済んだのか、野太い咳払いをすると再びカナタたちの方を向く。
「ガルシュを統べる女王よ」
「「る、ルシータ(ちゃん)が女王!?」」
カナタたちの声が同時に重なり、驚いた目でルシータの方を見つめる。そんな二人の分かりやすい仕草に口元をほころばせるベルベッティーナは尚も話を続ける。
「もちろん女王がどうして存在するのかなーんてまだ分かってないんだけど、さっきあなたーたちが来る前に、初めてこの場所で会ったばかーりのガルシュちゃんたちが一斉にルシータちゃんに膝をついたーのよ!」
「「おおおおお!!」」
その時のルシータの威光を想像し、興奮した二人が自分の両手を握ったまま小刻みに震えさせ、またも声を揃えて喜ぶ。
「なあに。あんたたーち、まるで兄妹みたーいに息合ってるわね……」
ベルベッティーナがさきほどからの二人のようすを見て呆れながら揶揄すると、その言葉にハッとした二人は顔を見合わせてお互いに苦笑いをする。
「それで? このガルシュをどうするおつもりですか」
「「――!?」」
和やかな三人の雰囲気を割って入るかのようにさきほどまで沈黙していたベルタが口を挟んだ。今回は調教のために訪れたのだが、ルシータの素性が分かってしまったため、ガルシュ研究機関の所長であるベルベッティーナの見解が気になるのだろう。冷静なベルタらしく三人の会話のなか、その辺りを探っていたようだ。対してガルシュ談義に花を咲かせていたボニータなどはまったくその辺りを失念しており、当然この状況を読みきれていないカナタも同様だ。
「あらーん。フードの貴方見かけによらーず頭好さそうね。お姉さんそういう子大好きーよ」
「……茶化さないでください。貴殿は最初から交渉するつもりで我々のことをここに呼んだんでしょう?」
「……」
フードの下からチラと覗くベルタの相手を見透かすかのような眼差しを無言のまま見つめるベルベッティーナ。お互い一歩も譲らない態度のようすにハラハラするカナタとボニータ。
「ちょ、ちょっと! あたしたちは別に交渉なんてするつもりで来たんじゃ――」
語気を荒げたボニータが黙って見つめ合う二人に訴える。その言葉に気が逸れた二人は視線の応酬を中断し、元のようすへと戻って行く。一足先に気を取り直したベルベッティーナがその性転の拘束具に覆われた顔からは伺えない眼差しをカナタたちに向けると、その華奢な手のひらを上に掲げ指をめいっぱい広げた。
「5千万ウォルト出すーわ」
「ごっ……!!」
おそらくルシータの金額提示をしたのだろう。カナタは金額のすごさは分かれどその価値にいまいちピンとこなかったせいか無言のままだった。しかし隣にいるベルタやボニータはそれを聞いた途端に絶句したようだ。
今朝カナタが案内された新しい自室でボニータたちに習ったこの世界の常識の中には通貨のことについての説明もあった。それがベルベッティーナの言うウォルトであり、その通貨単位はこの世界に住む人族の文化圏の中では共通とされている。
その最大の理由はパーソナル・カードの普及に尽力したギルドバンクの存在が大きく、ほぼ全世界に君臨するギルドバンクの通貨統制により物価の違いはあれど、異なる通貨による弊害や利害といったものはすべてこの世界には無用となっていた。もちろんその最たる功績者は過去に来た世渡りびとではあるが。
「ぼ、ボニータさん……今朝教えてもらってなんですが……ご、5千万ウォルトって……」
「……お、王都の中心地で豪邸が建つわ……」
「ひぃっ……」
その価値を知ったカナタが軽く悲鳴を上げる。元世界の価値観と照らし合わせ都内一等地の豪邸がざっと50億円ほどだとすれば、5千万ウォルトはその100分の一。1ウォルトが100円くらいの世界だ。物価の違いはあれどその途方もない金額をガルシュ専門機関の所長であるベルベッティーナに言わせたルシータの価値にも改めて驚愕するカナタたち。
「……隊長、ここはひとつご一考されては……」
金額のすごさに対し、早くも魅了された一名が脱落。あまりルシータに執着のないベルタであれば無理もないだろう。その言葉に歯ぎしりするボニータ。相対してさっそく一名の攻略に成功しニヤリとするベルベッティーナ。
「ば、ばか言わないでよ! ルシータちゃんは私たちの仲間でしょ!? そんな金額なんかに目がくらんじゃって」
「しかし、現実的に考えても見てください。その金額があれば王国からの支給以外の活動資金も潤沢に……」
「……」
騎士団に対して王国からの支給は個人の年給以外に衣食住の手当、それとガルシュの食事代などが主な用途になるが各部隊に所属する騎士の装備の維持費、従者の雇用費、ガルシュの追加購入など細かな出費は全て各部隊の持ち出しとなっている。
以前はすべて王国の財政で賄われていたその予算は近年定期的に続くグラナダ平原の西向こうに存在する帝国との小競り合いや、北の大地からの進行への対応などによって徐々に疲弊する国力の低下に比例して厳しい状況となり、国防の要である騎士団の規模増加も伴ってそのような台所事情になっていると今朝の講習で聞いたばかりのカナタを始め、その費用の持ち出しの多くを負担しているングウェ家のボニータとしても心が揺らぐことはないと言えばウソになる。
「どお? あなーたたちの部隊にとっても悪くない話しだと思ーうんだけど?」
5千万ウォルトという破格の金額提示によって一名は即座に寝返り、あとの二人はもう一押しと踏んだベルベッティーナはその口元に余裕の笑みを浮かべながら大きな胸の前で腕を組む。
「る……ルシータちゃんの意見も……聞いてみようじゃないのよ」
「……はい?」
部隊の未来とルシータへの愛情のはざまに苦悩するボニータが苦心の末に出した答えなのだろうか。その突拍子もない発言にガルシュ研究機関の所長であるベルベッティーナも思わず変な声をあげる。
「あ、あのねぇボニータ。さすーがにルシータちゃんに意見を聞くのはちょーっと無理なーんじゃなーい?」
ガルシュを一番理解していると自負するベルベッティーナは、さきほど意気投合したばかりのボニータと名乗る少女の夢見がちな願望を出来るだけ壊すまいと、優しく諭すように語り掛ける。
「カナタくん良いよね? ルシータちゃんに決めてもらっても!」
「は、はいもちろんです」
急に話をふられたカナタはなぜかそれを待っていたように即座に回答した。
ルシータと出会い初めて仲間として受け入れたあの想いは無駄になるかもしれないが、元々ボニータがルシータを騎士団に招き入れ、カナタとのバディを切望していたのだ。ベルベッティーナが自分たちに交渉を持ち掛け、破格の金額を提示してきた時点からルシータの未来と部隊の未来を天秤にかける権利は当然彼女にあると心に決めていたこともあり、苦渋の末出したと思われるその決断を何も拒むことなく尊重した。
そんな純粋な目をした二人に観念したのか、ルシータの隣に立っていたベルベッティーナが諦めた風に手をひらひらとさせながらすっとルシータの傍を離れると、入れ替わるようにルシータへとゆっくりと近付くボニータ。その彼女の目はルシータの瞳を一心に見つめている。
「ルシータちゃん。さっきの話……全部聞こえてたよね? あなたはどうしたい? 教えて……ルシータ」
黙って自分を見つめるルシータの瞳を懇願するかのような眼差しで見つめ、彼女の意思を確かめたいボニータはゆっくりとルシータの顔を撫でながら囁く。
カナタたちが見守る中、じっとその答えを待つボニータ。しかしルシータはその声に反応することもなくじっとその場に立ったままだった。
「ルシータ……お願い……」
再度ルシータに想いをぶつけるボニータ。
しかし残酷にもその沈黙の時間はゆっくりと過ぎていく。
肩を落とすボニータの背中をすっと抱き、ベルベッティーナが労いの声をかける。
「ご苦労様。あなたの気持ちはよーく分かったけど、しょせんガルシュちゃんたちはタダの動物よ。あたーしたちの声なんてとど――」
「ルシータ!!」
その声をあげたのはカナタだった。
天秤にかけるボニータの心はすでに分かっていた。
彼女は誰にもルシータを渡したくなかったのだ。
その懇願する声はルシータへ想いを込めた告白だったはずだ。
それにフラれた彼女を見た時、肩を落とす彼女を見ていられなくなった時、
カナタは叫んでいた。
自分にとっても必要な、
巨大で強固な角を持った獣、
たまに自分の言う事を聞かないこともある気まぐれな仲間、
やっと自分で手に入れた最初の仲間。
ルシータの名を。
その声は届いた。
意気消沈したままのボニータ。
その気持ちを汲んで尚、ルシータを諦めないベルベッティーナ。
その間をすり抜けるようにルシータはカナタへと近付いていく。
そして――
「う……うそ……し、信じられなーいわ……」
「る、るし……たちゃ……ん?」
涙目のボニータと驚愕するベルベッティーナの目に映ったのは幻でも魔法でもない、
その巨躯をゆっくりと大地へと沈め、ひざをつき、
カナタへと頭を垂れるガルシュのクイーン、
ルシータの服従する姿だった。
「る、ルシータ……あっ」
その眼下にひれ伏すルシータを呆然と見つめるカナタが、その瞬間別の物を視野に捉えた。
「えっ!? な、なーにこれ! そ、そんな……まさか」
「……」
カナタの視線の先に気付き、周囲を見渡すボニータとベルベッティーナ。
そこにはルシータと同じくカナタへの服従を誓うべく、
一同にそのクイーンの姿勢に順ずる大勢のガルシュの姿があった。
その光景は周囲の調教師を始め、多くの騎士見習いたちの混乱と騒動を招いていく。
ガルシュ研究機関の所長として数々のガルシュの生態や行動を見てきたベルベッティーナはその信じられない光景を前に思わず呟いていた。
「……すべてのガルシュを統べる王……キング」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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作者のモチベが爆上がりし明日も頑張ろうって気になります。