第二十一話 カナタとボニータ
「はあ……なんでこんなことに……」
明け方ボニータの部屋の窓から現れた男。
あの鉄兜少女が見知らぬ男と一夜を共にしたというニュースは、すでに屋敷の中だけではなくそこに出入りする業者たちによって各詰所へと運ばれて行った。それを止める手立てはなくそれどころか噂には尾びれ背びれが付きもの故、第二十二陣西方守護騎士団本部にいるカレルの下へと届く頃には目も当てられないような醜聞となっていた。
この噂に一番盛り上がりを見せたのは街の女たちだ。
女性不遇のこの世界ではあまり恋愛話を書物にすることもなく、ましてや女騎士の恋愛話など過去に遡って見ても話題にすら上ったことがなかったため、恋バナに飢えている街の淑女たちはこの話に食いつき、その女騎士を見事に口説き落とした謎の男という神秘性に憧れとときめきを覚えるのだった。
実際にはガンツの小細工により酔わされた少年少女が酩酊したまま部屋になだれ込み熟睡してしまったという聞けば何の面白みもないただの三文小説なのだが。
しかし事実はやがて噂に飲み込まれていく。
女性たちが噂に込めるその想いはボニータを敵対する二つの名家の間で翻弄される悲劇の女騎士に仕立て上げると共に彼女を世の女性のシンボルとして称え、対するカナタの方は立場のちがいに悩むか弱き貴族の青年へと様相を変え、これもまた女性たちの母性本能をくすぐる存在として崇められていく。お互いの立場に苦しみながらも愛をつらぬいていこうとする男女。それはまさに異世界版ロミオとジュリエットとも言え、噂はやがて作品となり女性たちの永遠の憧れとして物語は語り継がれていくことになる。
そんな異世界のロミオことカナタは屋敷の食堂で大勢の騎士達に囲まれ今朝の事情聴取と言う名の質問攻めの最中だ。周囲には男の騎士だけで構成された団員たちが野次馬の如く取り囲み中心にいるカナタを好機の目で注目している。
「やるじゃねーか坊主。あの兜姫とここに来た早々そんな仲になるなんてよ」
開口一番やはりボニータとの仲を勘違いしたバードックという大柄な男がカナタを褒め称える。目の前のバードックはこの部隊の副隊長を務めており年齢はガンツと同じくらいであろうか泥臭い雰囲気を持ち真っ白な歯を見せながらカナタをにこにこと見つめている。
「いや、その……ご、誤解と言うか……」
ほぼ初対面のバードックの気安さには感謝したいが、いきなりボニータとの仲を詮索され少々困惑するカナタはぼそぼそと弁解を述べながらチラりと別の場所に視線を移す。
カナタのいる場所の斜め向かい。入口に近い壁に面した場所には横長のテーブルが置かれており、そこに数名の女性騎士たちが時折甲高い声をあげながら一つところに固まっている。その中心にはカナタと同じく今朝の件について女性騎士たちに取り囲まれている異世界のジュリエット。ボニータがいた。
彼女は今朝のベッドで見た目のやり場にこまるような恰好とは違い、昨日食堂で会った時と同じラフな服装に着替えており、その服装にはまるで似つかわしくない物を頭からすっぽりと被ったまま俯いている。
「ボニータ。いい加減にその鉄兜を脱ぎなさいってば!」
女性騎士のひとりがその違和感のあまりボニータの鉄兜を引っ張り脱がそうとしているが、呪われた鉄兜はボニータの意思でしか脱ぐことが出来ないため、女性騎士がいくら力を込めようともびくともしなかった。さきほどバードックが言った兜姫も今のボニータのようすを揶揄したものだったのだろう。
「まあまあ先輩。でももうみんなにはバレちゃってるし、隊長も今更そんな恥ずかしがらなくても……」
ボニータの隣に座る特殊防御魔法使いのアーシェが乱暴な先輩女性騎士に気遣いながらも依然として鉄兜を被ったまま黙り込む隊長騎士にやんわりと諭す。
「そうよ!あんたがそーやって黙ってても、みーんな今朝の中庭で見たんだからね!」
「ノア先輩っ!」
「なによ! アーシェ」
ノアと呼ばれた金髪の髪を朝からきっちりと綺麗に巻き髪にしている気の強そうな少女は、さきほどから鉄兜を強引に外そうとしたり攻撃的な発言をしたりとアーシェから何度かそれを窘められているが、ボニータに対しその態度を一向に変えることはなく、更には周囲にまでも噛みついている。
「そんなに怒らなくてもいいじゃなーい? 別に男の子をぉ~部屋に呼んだくらいでぇ~」
「もうミーシャまで話を煽らないの」
気の強いノアと正反対の性格と見た目をした、小柄だがセクシーな谷間を見せつけた衣装を身に着け、紫のロングヘア―の髪を指先でいじりつつも間延びした口調で自分の意見を語るミーシャと呼ばれた少女が、アーシェの忠告など気にもせずにニコニコと鉄兜姿のボニータの頭をつついている。
「そ、そうですよお! それに大体ミーシャ先輩はふしだら過ぎますっ! も、もう少し乙女の恥じらいをですね――」
「えーシフォンちゃんひどぉーい」
カナタと同じ黒髪の先を二つ結びにし、すでにきちんと騎士団の制服に袖を通し赤縁の眼鏡をかけたシフォンと呼ばれる真面目そうな少女が相対して露出の高すぎるミーシャの素行に苦言を呈する。それに対しいつもの事で慣れてるのかシフォンの顔も見る事も無く自分の髪をいじりながらミーシャも適当に返事を返している。自分の意見が全く相手にされていないのにも関わらずミーシャに対して持論をぶつけ続けるシフォン。
そんな姦しい仲間たちが揉め合っている中、おもむろに鉄兜を脱ぐボニータ。
その顔はいつも以上に真っ赤に染まり、心なしか目も潤んだ状態だ。
それに対しやっと天の岩戸が開いたような安堵した表情のアーシェたち。
だが、少女たちはこれからが本番だと言わんばかりに一気にボニータへと詰め寄ると、矢継ぎ早に質問攻めを開始する。
「隊長! 今朝の男の子ってあの子ですよね! カナタさんて言うグラナダ平原で保護した子!」
「ボニータ! あたしより先に抜け駆けって酷くない?ねえ!」
「で~どう~でしたぁ? た~いちょ~」
「隊長! わ、私……隊長の事を信じてたのにっ!!」
全員が一斉に話しかける中、真っ赤な髪の真っ赤な顔の少女はだんだんと目に大粒の涙を浮かべていき、それを見た少女たちは思わずハッとなりその言葉に詰まる。
「もう……お嫁にイケないぃぃぃ!!」
わあと泣き叫ぶボニータがそのままテーブルに突っ伏す。先ほどまで嬉々としてボニータを質問攻めにしていた少女たちは、気まずい表情で互いの顔を見渡すと全員が一斉にカナタの方へと視線を向ける。
「……」
ボニータの鳴き声が食堂に響き渡る中、少女たちと同じ心境になってしまった騎士団の面々は気まずい表情で沈黙する。その時泣き濡れるボニータの傍で居た堪れなくなったと見られる少女が一人ずかずかとこちらへとやって来た。
「ちょっとあんた! 顔貸してちょーだい!」
まるで校舎の裏庭へ呼びつける不良少女のような、貴族の淑女としては似つかわしくない台詞をはく金髪巻き髪の女騎士ノアがイラついた表情でカナタを睨む。
「えっ……僕ですか?」
「そうよ! あんたしか居ないでしょ? この騒動の原因は」
誰に対しても攻撃的なのかノアの語気はカナタの前でも荒々しく、突然カナタの腕を掴むと副隊長の前であるにも関わらず無言でその場から連れ出していく。会話の最中だったバードックたちもその強引な態度に気圧されたのか黙ってそれを見送った。
「まあ……あっちで仲良く並んで釈明した方が手っ取り早いわな」
カナタがノアによって連れ出された先がボニータの隣だったのを納得したのかバードックはぼそりとそう呟いた。
カナタは突然現れて自分を強引に引っ張っていく女騎士ノアの目的が最初は理解できずに怯えていたのだが、すぐにそれがボニータの隣だと知ると今度は無性に恥ずかしくなり顔が赤く火照るのを感じた。当然その周りはアーシェを除いて知らない顔ばかりだったため余計に緊張感を煽られたカナタは激しいめまいを覚える。
「さあ二人とも! ちゃんと説明してもらおうかしら!」
カナタを乱暴にボニータの隣に座らせたあと向かいの席にどっかりと腰をおろしたノアが腕を組んで二人をじっと睨む。その横には心配そうな顔のアーシェと好奇の目で二人を見つめるミーシャ、そしてカナタを敵視する眼差しで睨むシフォンが立っている。
俯いたまま目を合わそうとすらしない二人。
ノアが出来るだけ近くに座らせようとしたのか二人のその肩はすでに触れ合い、それがさらにお互いを意識させ今朝の二人の記憶を今の二人へと呼び覚ませる。カナタは彼女の呼吸を意識し、ボニータも彼の鼓動を意識する。やがてお互いの呼吸と鼓動が同じテンポを刻みだしたとき――
「あ、あの……実は昨日の夜からの記憶が……全くなくて……」
振り向くボニータの驚く表情がカナタの視野に入り、「えっ」という声が耳に響く。その言葉の意味をカナタには理解できなかったが、目の前で睨んでいる少女には理解出来たようだ。
ドンとテーブルを叩く音がすると共にカナタはワイシャツの襟を掴まれ手前に引っ張り出される。
とっさの事に何の対応も出来ず突然目の前の景色が引っ張られたような感覚になりカナタは「あっ」と声をあげるだけに終わる。
「あんた……女の子の初めてを……お、覚えてないですって!?」
目の奥に怒りをにじませたノアがカナタの胸倉を掴んで睨みつける。すでにもう一方の拳は固く握られ、今にもカナタの顔面を打ち抜こうとしている。そのようすにまわりの少女たちが驚き、慌てて彼女を止めようと動く。
「ちょっと先輩っ! 彼、死んじゃうっ! 死んじゃいますってば!」
「食堂で顔がつぶれちゃったら、ちょ~っとここでご飯食べにくくなるなあ~わたし」
「ノア先輩っ! そこは顔じゃなくてボディですボディ!」
実際に止めようとしているのはアーシェだけで、あとの二人はそうでもないようだが、その三人の言葉に振り返りもせず、じっとカナタを睨んだままのノアが後ろの少女たちに言い放つ。
「止めないでっ! あたしは今無性にこいつの顔が殴りたいの!」
三人? の制止も聞かず拳に力を込めるノア。蛇に睨まれたカエルのような状態のカナタは思わず目を閉じてしまう。そして暗闇の中、自分の顔面に迫る風圧を感じた時――
「あ、アタシも覚えて……ない」
前のめりになった状態のカナタの斜め後ろから、ボニータの焦ったような囁きが聞こえ、すんでのところでカナタに迫る拳が止まった。
「「え?」」
カナタの顔面を殴りつぶす気だったノアはもちろんのこと、その場にいる全員がボニータに注目する。自分の漏れた声に気付いたボニータは慌てて顔を伏せるがその言葉にカナタも反応する。
「ぼ、僕も寝てたんで全然覚えてませんっ!」
「えっ……で、でもカナタくん下……裸だったし」
「あっ! そ、それ、ひゃあ――」
更に胸倉を引っ張られるカナタ。目を向けると間近にノアの顔が迫っており思わずそのまつ毛の長さに見惚れてしまう。
「は、裸ですってえぇぇ?」
顔を真っ赤にしたノアは恥ずかしいのか怒っているのかも分からない表情で胸倉を掴む手を震えさせながらその綺麗な瞳を歪ませてカナタを睨む。
「ボニータ!」
「えっ……な、なに? ノア」
突然名前を呼ばれたボニータが慌ててノアのいる方を見ると、そこには自分の方を見ずにカナタと間近に顔を突き合わせたままのノアの姿があった。一瞬こちらをちらっと見たような気がしたが、すぐに目線をカナタへと戻したようだ。
「見たの? それ」
「え……あ、うん……」
自分と目を合わせずに質問するノアの言葉の意味を理解したボニータは今朝のことを思い出すと再び顔を赤く染めながら頷いた。そしてそのボニータのか細い声で呟かれた返事に頬をピクりと反応させるノア。
「ボニータ!」
「えっ?」
「……後で詳しく……」
「……エ?」
自分を睨みつけながらボニータと意味深な会話を続ける多感な年頃のノアの瞳を、恥ずかしさのあまり直視することができないカナタは明後日の方角を見続けている。一方仲間の少女の場違いな会話に顔を引きつらせるボニータは、はあとため息をつき少しは落ち着いたようすを見せる。話の脱線により場の雰囲気は微妙になり、それに気付いたノアも気まずくなったのか掴んでいたカナタの襟を離す。
「は、履いてたんです……ドラゴンに会うまでは……」
「「……」」
自由になった首元を押さえながらカナタは二日前の事情を説明する。グラナダ平原でカナタを保護した時のことを思い出した騎士たちは、そこでようやく二人の一夜が未遂だったと理解した。
「じゃ、じゃあなんで覚えてないの! 普通にご飯食べて帰って来たんでしょ?」
自分の早とちりだと気付いて気まずいのかノアが声を荒げて二人に尋ねる。
「うーん。ダッヂ亭で女給さんたち二人を見送ったとこまでは覚えてるんだけど……」
「ですよね。そのあとガンツさ――」
二人が記憶を頼りに昨夜の状況を思い出している時、ボニータの説明に付け加える形でカナタがその続きを説明しようとしたとき、突然目の前に待ったをかける手が伸びた。
「ちょっと待って……今ガンツって言った?」
ノアがカナタの話に出たガンツの名に反応する。
急に話を遮られたカナタがおそるおそる頷くと、ボニータ以外全員のため息が食堂にあふれかえる。
「ほんとにあいつはロクなことしないわねっ!」
「「え?」」
カナタとボニータが驚いたように声を揃える。
「どうせあいつが原因よ! 気付かないあんたたちが悪いのよ!」
昨日の事を思い出しても二人にはノアの言葉の意味が理解できていなかったようで、お互い顔を合わせながら首をかしげていると、食堂の入り口付近で小さな叫び声が聞こえた。
「おーい。ガンツの従者がそこの入り口で潜んでたんで捕まえたんだが、どうする?」
カナタたちの下へ副隊長のバードックが首根っこを掴まれた状態で彼の腕にぶら下がっているベルタを連れてやってきた。ベルタはすでに観念したようで無言のままバードックに吊り下げられたままだ。
「さすが副隊長! 良いところに連れて来てくれたわ!」
「だろ? 俺もびっくりだぜ、はっはっは。ホレっ」
ノアがバードックのタイミングの良さを褒め称えると、気を良くしたバードックが手に持ったベルタを無造作に下へ落とす。
「さあおチビさん。洗いざらいしゃべってもらうわよ?」
拳を鳴らしながらベルタに凄むノア。すでに観念したベルタは襟元を直しながらはあとため息をつく。
「分かりました。さすがに今回の師匠の行為は看過できませんし……」
※ ※ ※ ※ ※ ※
「「さ、酒……?」」
事情を聴いたカナタたちが思わず声を揃える。
二人の飲み物に酒を入れ酔わせたあと、屋敷に帰ったガンツはリチャードの目を誤魔化し二人をうまくボニータの自室へと誘導したあとそのまま消えたというのが今回の騒動の原因だった。
「あの果実ジュースが」
「どうりで二口目から味が変わったはずだよ」
各々が昨日のガンツの怪しい行動を振り返り呆れかえる。だが、事件の発覚と種明かしがバレるのを恐れてか、ベルタの言う通り今朝からガンツの姿は誰も見かけてはいなかった。
「もう我慢ならないわ! ガンツめ! あたしを焦らせたことを後悔させてやる!」
カナタとボニータ以外にガンツの今回の所業を許すまじと熱くなる少女が一名いたが、すでに疑いの晴れた二人とは幾分かの温度差があり、そんな熱くなる金髪の美しい少女を見て二人は顔を見合わせて笑うのだった。
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作者のモチベが爆上がりし明日も頑張ろうって気になります。