第十三話 善行と愚行
「貴君のあの行動はハッキリ言って愚策だ」
路地裏にカナタを批判する言葉が反響する。
その声の主はフードに邪魔され表情は伺えないが、あきらかにカナタへの〝咎〟を含んだ軽蔑の眼差しを向けているに違いない。
たしかに今までのカナタは揉め事を避け、出来る限り注目を浴びる様な行動を謹んで生きてきた。
しかしこの世界に飛ばされて以来、今回自分がやった行為については、初めて人に感謝される様な行いをしたのではないかと自己評価したいくらいであり、ましてやそれを否定され、軽蔑される事など到底ありえないと思っていた。
そう、ほんのさっきまでは。
カナタの心に、言い知れぬモヤりとした感情が湧き出たのはその時だった。
これまでに何度嫌がらせを受けてきても自身にそのような感情は芽生える事はなかったのだ。
それは諦めにも似た境地だったのかもしれない。何を言っても変わらない、反発してもその数倍の戒めが返ってくる。いつしかカナタは抗う事を忘れた。
いや、元々そんな性格では無かったのだ。
すでに幼少から人生を諦めていた。
争う事を拒否した。
人と関わる事を避けた。
そうでなければ、あの結来はるかに守られる事はなかったのだ。
だとしたら今溢れるこの感情は何なのか。
目の前に居るこの小さな少年に、初めて自ら考え、動き、成功させた唯一の行いを批判されたのだ。その瞬間に沸々と湧き上がったこれは何なのだと。
カナタは自分の中心で爆発しかけの塊をなんとか抑えようとしていた。
この感情はいつも抱いている嘆きとは違う。
これはいつもの自分ではないのだ。
これはいつもの何かを諦めた自分である筈がないのだ。
「どうしたんですか?図星だったんで何も言い返せないんでしょう。なんせ貴君は……愚策を働いたんですから」
その時カナタの抑えていた感情が歯止めを超えた。
「……うるさい」
「?」
「僕にはこれが精一杯だったんだ!! き、君やボニータさんを助けたいって思って……でも僕じゃあ助けられなくて! ……それでもなんとかしたくて! ……よくある助けるシーンなんか真似しちゃってさ! ……なんとか上手くいって! ……でも怖い奴に睨まれて! ……後悔して……そ、それを君に怒られて! ……だ、だからって! そ、そんな言い方しなくても……いいじゃないかあっっ!!」
それは初めての怒りだった。
拙い言葉の羅列であった。
感情が先走るあまり、相手にはただ怒鳴っているとしか捉えられないそれは、カナタが初めて自らの意思で生み出した激しい怒りの猛であった。
異世界に来たという恐怖と緊張とストレスが重なった原因も確かにあったかもしれない。ただ言えるのはカナタの中心でナニかが変わってきたのだという事実だけだ。
元世界で、もしこんな風に小さな子供に高校生が怒鳴っていれば確実に〝こいつヤベー奴〟とレッテルを貼られ、周りからは敬遠されてしまうだろう。いや、異世界でも同じかもしれない。
ガクガクと震え、涙目になりながらもカナタは初めて相手に怒ったのだ。それは傍目から見ても恥ずかしくなるくらいに精一杯だった。自尊心という心の奥底に封印した筈の感情を刺激されて、彼は叫んだのだ。
「……」
カナタが怒りの孟をぶつけた少年は黙ったままだった。
さすがにこのカナタの様子を見てドン引きしたのだろうか、先程の高圧な態度はなりを潜め、ただ黙ってそのフード越しから彼方を見つめている。
「ま、まあまあ……二人とも落ち着いて」
その二人の空気を割いたのはボニータだった。
二人を知る彼女しか、今の現状を抑える適任者は居ない。
ただ、今落ち着くのはカナタだけであって二人ではないのだが。
「カナタくん、気にしないで良いよ。それにアンタも言い過ぎだよ?」
「……」
「……」
「え、えっと、カナタくん。一応紹介しとくね。この子はベルタ。アタシ達と同じ騎士団の仲間だよ」
「ベルタ。カナタくんは訳あってウチで預かる事になったの。な、仲良く……」
「……」
「……」
「あ、あはは……あ、あれ?」
適任者ではあったが、その場を収めようとするには幾分役者不足であったボニータの努力も空しく、更に二人の間に微妙な空気が生まれてしまうが、それを最初に壊したのは少年の方だった。
「隊長はこうおっしゃるが、貴君が愚策をしでかしたのは紛れもないな事実だ」
「――っ!」
「ベルタっ!」
またも話を振り返そうとするベルタは、それを戒めようと声を荒げるボニータを手で制止し自論を続ける。
「貴君はあの連中を逃した事で次に起こり得る犯罪の可能性を考えた事はあるのか?今も何処で奴らが別の被害者を作り出しているとは思わないのか?」
「――!!」
それは頭を鈍器で殴られた様な衝撃だった。
自ら良かれと思った行動には続きがあったのだ。
この場で済んだかもしれなかった事が、自分のやった行動で派生し継続されるという、善行が愚行になる可能性が。
「あ……」
思わず後退りするカナタにベルタが更に追い討ちをかける。
「自分ならそれを阻止出来た。更に言えば、ボニータ騎士隊長がいらっしゃる今なら、確実に犯罪の芽は摘めたでしょう。だが、それらを貴君の短慮たる愚策が全て台無しにしたんだ」
「……」
カナタは何も言い返せなかった。
それどころか、さっきまでの自分の怒りの原因がなんだったのかさえ分からなくなっていた。
ただ、唯一理解出来た事があった。
やらかしたのだ。
盛大に。
初めての怒りは打ち上げ花火のようにドンと咲いて散っていった。それも自己満足を否定されてただ逆ギレしたと言う惨憺たる結果と共に。
穴があったら入りたい。正にそれだった。
羞恥と言う感情が怒りと言う激情の肩を叩き、その醜態を嘲笑うかのように役を入れ替えると、カナタの精神は限界を迎える。
「ぅわぁぁあああああああああああああ」
カナタは叫びと共に袋小路から走りだし、
逃げた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
記憶はない。どこを走ったのかも。
覚えているのはずっと下を向いて走っていた時に見た石畳の継ぎ目だけ。
何人かぶつかった相手の罵声を聞いたのは確かだ。
痛みを訴える自分の肩がそれを証明している。
カナタは大通りの人混みの中、その痛む肩を落として彷徨っていた。
周囲からは王国の街では見かけない服を着た珍しい黒髪の少年が歩いていると好奇の目で見られていたが、当の本人は今それを気にする処ではない。
陽はすでに落ち、冬服仕様のジャケットを羽織っていても少し肌寒い。
今、この世界の季節は何なのだろうか。周りには薄着の人も居るが、そもそも自分とは体温調節の仕組みが違うのか。
そんなどうでも良い事が頭を過ったのは、あれから時間が経ち少し冷静になれたからだろう。
カナタはようやく頭を上げ、周りを見渡す。
知らない場所だ。
ただでさえ見知らぬ世界、見知らぬ土地に居るのに、あの場に居る事が居た堪れなくなったせいで迷子になってしまった。
カナタはギュッと拳を握りしめる。
爪の食い込む痛みがあの羞恥を、
自分を、
暗に戒めてくれる。
そんな気がした。
「はあ」
ため息が出る。
「もう戻れないのかな」
やらかした後だけに、気不味さや恥ずかしさがカナタを包む。その後に酷い孤独感が襲ったが、これはいつも感じている感情であり言わば戦友の様な物だった。
「初めて人に怒った……」
孤独な自分はいつもヘラヘラしていた。誰に絡まれても、罵声を浴びせられも、笑っていればやがて不気味に思われて相手が去っていくのだ。
小さい頃からその術を学び、いじめっ子にも対応して来た。相手が去った後にはいつも孤独感が残り、いつしかそれが普通となった。
「まあ、いつもの僕に戻っただけだよな」
そう思えば、戦友の孤独感が肩を叩いて慰めてくれるはず。カナタはいつも通りにそれに向かって〝ははは〟と愛想笑いをするだけだ。
それが佐々木彼方だった。
初めての怒りを知ろうとも、カナタはいつも通りに孤独を出迎えるだけだ。
異世界に来て騎士団と出会い、自分は変わろうとした。
慣れない人付き合いも経験し、少しずつ何かが変わっていく気がしていた。
だがそれも無駄な努力に終わろうとしている。
「結局、異世界でも僕は僕……か」
そうカナタが達観したように呟いた時、
「おい」
異世界に来てから何度目かの衝撃がカナタを襲った。
※ ※ ※ ※ ※ ※
― 少し前の袋小路にて ー
「カナタくんっ!」
叫び声をあげながら逃げていくカナタをボニータは慌てて呼び止めた。
思わず手がカナタを掴もうと前に出たが、空を切った事で失敗に終わる。
行き場を失ったままの手を別の小さな手が抑える。それに気付いたボニータは自身の手に添えられた小さな手の主に視線を落とす。
「ベルタ……」
今回の揉め事の原因を作った張本人だ。
フードを目深に被ったその少年は同じ騎士団の仲間であり、それなりの付き合いだ。
そのベルタが自分の知り合いと言ってもまだ会って二日目だが、それでも意思疎通し、それなりに仲良くなれたと思える相手だった一人の気弱な少年を愚弄してしまった。
危険なグラナダ平原を一人で彷徨い、あげく〝黄昏れびと〟になる。
名前をカナタと言い、それ以外は思い出せないというこの街では珍しい黒髪の少年だ。
そんなカナタを辛辣な言葉で否定した。
最初はそれがベルタと分からなかったとは言え、同じ騎士団員である彼が、そこまで一般市民であるカナタをこき下ろすとは思いもせず、彼の独断を許してしまった自分にも非がある事を認めるボニータだが、カナタを罵倒したベルタの意見を全面的に非難する事が出来ないのも事実であった。
事実、騎士隊長のボニータにはそれなりの力がある。
悪党達の一人が洩らした、騎士団員50人分の実力と言うのは単なる噂ではない。
目の前に居るベルタでさえ、あのままボニータが加勢しなくとも悪党数人を拘束するくらい造作もない事だった。
それ程にこの世界の騎士達は規格外の強さを持っている。したがって、あの場を逃走という結果に導いたカナタの行動はベルタの愚策は言い過ぎだとしても、自分達の実力を推し量ればあまり良い行動ではなかったかのかも知れない。
それでも、せっかく出来た友人――と呼ぶには不確定な部分があるのは否めない相手を一方的に責めた同僚に思う所が無いわけでもない。
「もう……なんであんな言い方したの」
フードからは見えないかも知れないが、一応鋭い視線をベルタに飛ばした。
「……何故でしょう。何故か彼を見ていると感情がザワリとしてしまいました」
自分がした行為の真意を問われたが、元々感情の起伏に乏しい部分があったのかボニータの問いに何の抑揚もなく答えたベルタの言葉には自分の行動を不思議に思う節があった。
「彼は普通の人よ。アタシ達騎士団とは違って荒事には慣れてないの。それをあんな風に責めるなんて……」
「申し訳ありません。ただ……」
「ただ何?」
同僚とはいえ、騎士隊長である自分に謝罪の言葉を述べた上に何か反論がある様な素振りを見せるベルタを見て、この少年に関係する別の人物が頭に浮かび、思わず内心ため息をついたボニータは、ベルタの言葉を待つ。
「はい。あの束の間のやり取りで感じたのですが、あの黒髪の少年……見た目よりも随分と精神が幼いなと……」
しれっとこの場に居ない相手を反省の弁を述べながらも批評する容赦ない性格の同僚に対し、ボニータは呆れながらも忠告する。
「……今の話、絶対にカナタくんに言っちゃダメよ」
「?」
何故?とその言葉の意味を理解しかねる様な仕草で自分を見上げるベルタに、ボニータは再び深いため息をつくのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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作者のモチベが爆上がりし明日も頑張ろうって気になります。