第九話 パーソナル・カード
「えっと、これ……ですか?」
ミランの案内で別室に入ったカナタは、目の前にある装置を見て困惑する。
先程の執務室と比べ、幾分かは狭さを感じる部屋の中央にその物体はあった。
異世界的に言えば、魔道具の類に入るのだろうが、それの第一印象はまさしくアレだ。
鉄なのか、木なのか、それとも異世界に存在する未知の素材で構成されているのかは定かではないが、細い枠で四角く囲まれたそれは、偶然にもカナタが元世界で見た事がある装置であり、空港などに設置され、持ち物検査時にそこを通過し金属などを探知するあの〝セキュリティゲート〟その物だった。
唯一、異世界感を彷彿とさせる点があるとすれば、その枠の内側、通常は何もないはずの空間に、まるでシャボン玉が膜を張った時、その油分がユラユラとしているような異次元のひずみ的な揺らぎが枠一杯に拡がっているところだろう。
「はい。この魔導器の中を通り抜けていただきますと、カナタさまの基本能力値や取得済みの魔法、お持ちのスキル等があればそれらも全て読み取られ、パーソナル・カードに記載されます」
「だ、大丈夫なんですかこれ。入ったら別の土地に飛んじゃったりとかは……」
「ああ。そう言う転移装置は過去には存在したと聞いておりますが」
「あ、あったんですね。あはは」
某国民的RPGなどで有名な、〇の扉的な装置はこの世界にも存在したらしい。
「ウフフッ。カナタさまは面白い方なのですね」
「えっ! な、なんでですか? ……初めて言われたんですけど!?」
何かしらカナタの言動が自身のツボにはまったのか、ミランが上品に笑う。人とあまり会話する機会のなかったカナタは他人に初めて面白い人認定された事に戸惑ってしまう。
「ご安心ください。これにはゲートを通り抜けるのと同時に魂とパーソナル・カードを繋げるだけの能力しかございません」
「能力しか……な、なるほど」
無機物と魂が繋がると言うだけでも、元世界では未だ実現不可能な非科学的テクノロジーなのだが、
それを当たり前の様に語るところが異世界の常識なのだとカナタは漠然と受け止めるしかなかった。
「わあ。この魔導器久しぶりに見たあ。大体みんな12歳でカード作った時以外に用事ないからねー普通は」
同席したボニータが魔導器を見てそんな事を話すと、それを不思議に思ったカナタがその意味を訪ねる。
「12歳?」
「あ、パーソナル・カードは12歳の誕生月に作るのが普通なんだよ」
「あ~じゃあそれって12歳までは作れない理由とかがあるんですか?」
「一応大人への仲間入りする歳だからね。それまでは父親のカードに、居なければ母親に。自分が生まれた時に自然に刻まれるの。あ、ちなみに養子だったりする場合は騎士団で今回みたいに登録してるよ」
12歳という年齢が俗に言う成人としてこの世界で認められる区切りであり、それまでは両親の保護下にあると言う意味なのだろう。赤子の時に両親いずれかのパーソナル・カードに記載されるというのは、元世界で言う母子手帳の代わりとも言える。
「よく出来てるなあ……」
「えーなんかカナタくんの感心するトコ変だよー」
「あ、いやーたぶん記憶がないからですかねー。ははは」
システムの仕組みを知り感心するカナタは、それが世界の常識として認識しているボニータ達には異質に映るのだろう。些細な事でボロが出やすいカナタは改めて反省する。
「基本能力等の情報抽出自体は今日で完了します。ただしカードに定着するまでに早くて五日程お日にちを頂きますが」
「くっ……だ、大丈夫です」
ミランの説明がまるでクリーニングを出した時に言われるマニュアル通りの台詞みたく聞こえ、笑いを堪えるカナタだが残念ながらその感覚を共有してもらえる相手がこの世界には居ない。
「じゃあ早速ですがこちらへ」
「あっ」
了承を得たミランが迷いもなくカナタの手を取る。とっさに感じた暖かい温もりに驚いたカナタに、ニコリと微笑みかけながら魔導器の近くまで誘導して行く。
魔導器は高さ2メートル程あり、背の高い大人でも十分に通り抜ける事が可能なサイズで、それ以上のサイズの種族となると、部屋の片隅に置いてある更に大きなゲートと取り換えるのだろう。いくつかの予備ゲートも用意されているようだ。
ミランはカナタをゲート前に誘導した後、隣の台座へと移動する。
その隣に併設されている台座にはまた別の魔道具が置かれており、そこからゲート型魔導器へと何か血管を連想させるような不気味な無数の管が脈打ちながら繋がっていた。ゲートと接続されているのは、ゲートにより繋がった魂をカードにリンクさせる為なのだろう。
予想通り魔道具には昨日アーヴェインが屋台での支払いに使っていた物と同じカナタの手のひらと同じくらいのカードが刺さっていた。
魔道具はおよそ直径30センチくらいの半円の意匠で、そのてっぺんには先程のカードが刺さっており、特にボタンらしき物は付いておらず、その横には同じく血管の様な管で繋がった50センチ四方の薄いタブレットのような板が付随するシンプルな装置だった。
「ではカナタさま。まずはこちらの魔導具に手を置いてくださいませ」
「は、えっ!?」
大きなサイズの物を魔導器と言い、比較的小さな物を魔道具と呼んでいるのだろう。ミランが台座にある装置をそう呼び、そしてなすがままというべきか、ミランに握られているカナタの手は、手形を押すような状態のまま、返事を返す隙も与えられる事なくタブレットサイズの板の上に置かれてしまう。
赤く明滅するその板は繋がった不気味な管の造形も相まって、一瞬そこから手を離したくなるような危険を感じさせる光景だったが、ミランが半ば強引とも言える流れでカナタの手をそこに置いたため、それに躊躇する暇もなく作業は進んでいく。
「……うう」
板の上に置かれた自分の手に、上から優しく包み込む様に置かれた彼女の手の温もりを感じながら、間近に寄り添うミランに女性を意識してしまうウブなカナタの気持ちを察してか、妖しげな微笑を浮かべるミランがその暖かい手に少し力を込めると、明滅していた板がさらに強い光を放ち出した。
「今からカナタさまの血液を少々お取りしますね」
「えっ、ち、血を取るんですか!?」
「はい。痛みもなくこちらの板へと吸い込まれますのでご安心下さい」
急に採血されると聞いて焦るカナタに、仕組みは不明だが元世界にはない技術により危険は無いとミランが説明を重ねる。
だが注射器でなにかされた訳でもない臆病なカナタは、採血と聞いただけで反射的にギュッと目をつむってしまう。
強い赤光を放つその板は少しの間眩しく光っていたが、徐々にその輝きを元へと戻していく。
一向に手のひらからチクリとする痛みを感じなかったカナタが恐る恐る目を開けると、
「はい。これでカナタさまの基本情報は抽出を完了致しました」
完全に光を失った板を見て、ミランが無事採血が完了した事をカナタに伝える。
ミランから押さえつけられていた手を開放され、慌てて板から離したカナタが血を抜かれたらしい手のひらを急いで確認するが、ミランの説明通り外見にはいっさい傷もなく痛みも全く感じられなかった。
「ではカナタさま。次にこちらのゲートをゆっくりと抜けてくださいませ」
ミランにそう声をかけられて、カナタは息を呑みゲートを見た。
ゲート型の魔導器は、先程と変わらず怪しげな揺らぎをその枠内に張り巡らせたままでそこに鎮座し、まるでカナタが通り抜けるのを待っているかのようだ。音もないシャボンの膜のような空間は見るだけで不気味な雰囲気を醸し出している。
無意識にゴクリと唾を飲む音に自分が緊張していると気付いたカナタは、恐る恐るそのゲートへと近づくが、なかなかその枠に飛び込めない。
「あれえ? カナタくん。もしかして怖い?」
いつの間にか肩越しにまで近づいていたボニータが後ろからカナタを揶揄う。
「こ、こわくなんか、な、ないですっ!」
「じゃあ、思い切って抜けちゃおっか!」
「えっ、いや……わっ!」
ボニータはそう言うと、カナタの背中に自分の体を押し付け始めカナタをゲートへと押して行く。
ほんの微かな膨らみを背中に感じ動揺するカナタ。しかし目の前に迫る空間が気になってそれどころではない。
「ち、ちょっ! そんな押さないで……!」
ボニータに押され思わず抵抗してしまうカナタ。
「だいじょーぶ。痛いのは最初だけだから」
「えっ!?」
「う・そ」
如何様にも取れそうなそのセリフに驚いたカナタが、抵抗していた力を思わず緩めたのを好機と見たボニータが一気に押し切った。
「そ~れっ!」
不意な衝撃を受け、フラフラとヨロつきながらカナタは目の前の亜空間にトプンと突っ込んでしまう。
「うひぃ!」
ゼリーの海に飛び込むような、水に浸かるのと明らかに違う何とも言えない感覚を全身に感じながら奇妙な呻き声をあげるカナタは、空間を抜ける瞬間に体の中心から何かが引っ張られるのを感じた。
ミランが説明にあった魂が何かと繋がったのか、一瞬それが頭を過るがそれもゲートを抜けたと同時に掻き消えてしまう。
初めての感覚に全身汗びっしょりの状態でゲートの先に倒れ込むカナタ。心なしか息も荒い。
「お疲れ様でしたカナタさま。以上で終了となります」
「もお。初めての経験てか二回目なんだからそこまで大げさにしなくてもいいのに~」
その場で座り込み、深い息をするカナタをミランが登録の完了と労いの言葉をかける。それに反して、ほんの悪戯心でちょっかいをかけたボニータは情けない姿のカナタを揶揄する。
「み、耳元でボニータさんが変な事言うからですよ! い、痛いって聞いたから……」
そこでようやく息の整ったカナタがボニータの言葉に反論した。
「あはは。ゴメンゴメン。まさかそんなにビビっちゃうなんて思わなかったんだもん」
「び、ビビってません! た、ただちょっと驚いただけで……」
「ムフ。じゃあそういう事にしときますかあ」
ムキになって強がるカナタにボニータが含み笑いをする。
「むう……ありがとうございます」
この先どう反論しても床に倒れ込んでいる時点で勝ち目は無い為、譲歩してくれる相手の好意を腑に落ちないながらも受けるカナタ。その譲った側のボニータはご満悦な表情で仁王立ちだ。
「カードが出来上がり次第カナタさまにご連絡さしあげたいのですが、滞在先はボニータさまのお屋敷でよろしいのでしょうか?」
「うん。当分アタシの部隊でカナタくんを預かる事になったから」
「かしこまりました。ではこのまま控え室にご案内します」
そう言ってミランは扉を開けて先に部屋を出ると、そのまま向かいにある別の部屋の扉を開けた。
「カナタくん行こ」
「あ、は、はい」
その手を再びボニータのひんやりした手で握られ、出入口へと引っ張られるカナタ。今日一日で二人の女性に手を握られたという大事件に戸惑いと気恥ずかしさを感じながら部屋を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
控室に通されたカナタ達はそこで小一時間ほど待機させられた。
幸いその部屋にも二人掛けソファーがあった為、立ちっぱなしとはならなかったが、カナタはいささか退屈な時間を過ごす。
隣に座るボニータは待たされる事を分かっていたのであろうか、控え室に入ると同時に居眠りを始め、今はカナタの肩にその鮮やかな赤い髪の頭を寄せて満足げな表情で寝ている。
別に向かいの同じタイプのソファーでも寝る事が出来たはずなのだが、なぜかカナタの隣で寝始めた為、今更起こすわけにもいかなかった。
肩に幾分かの重みを感じながら、未だ呼び出しも無いこの状況にいい加減疲れたカナタがそろそろ先程世話になったミランにでも様子を聞きに行こうかと考えていると、控え室の扉がノックも無しにガチャリと開け放たれた。
「おう、待たせたな」
荒々しく扉を開けて入ってきたのはガンツである。
言葉とは違い態度は全く申し訳なさを感じさせず、バタンと扉を閉め部屋に入るなりカナタの座る席の向いにあるソファーにドカッと座り込んだ。
「待ちましたよ結構。ボニータさんなんて寝ちゃってますから」
隣で眠るボニータを気遣ってか、小声で少し抗議を含んだ物言いをするカナタには目もくれず、ガンツは低い姿勢でコソコソと未だ眠り続けるボニータに忍び寄る。
「起きろ嬢ちゃん。カレルが見てるぞ」
ボニータの耳元でガンツがそう囁くと、さっきまで気持ち良さそうに眠っていたボニータがパッと目を見開いて勢いよく飛び起きた。
「だっ、だっ、団長!? すすすす、すみませんっ! ね、眠ってしまいましたああああっ!!」
まだ寝ぼけているのだろうか、意識が混濁したままのボニータが慌ててソファーの上で身だしなみを整えながらカレルへの平謝りを始めるが当然ながらカレルはここに居ない。隣ではガンツが声を出さずに腹を抱えて笑っていた。
ハッとしたボニータが状況を理解し目下で笑いを抑えているガンツを赤い顔をしながら睨む。
「おっさああああああん!!」
怒りを堪えて普段通りにガンツを呼ぶボニータの拳は既に握られている。
「ガキの横でスヤスヤ寝てるからだろ。カレルがすぐ傍に居るのに緊張感が抜けてないかあ?嬢ちゃん」
「――っ!」
ニヤついたガンツはさも当然といった風にボニータに向かって正論を唱え、ボニータはぐうの音も出ない。
「ほんっと! おっさんは意地悪なんだからっ!」
捨て台詞を吐きながらボニータがソファーに座り直すと扉からノック音が聞こえる。
次こそカレルが来たと思ったボニータは慌てて乱れていた髪を直し始める。
「あいよ」
ガンツが気の抜けた返事を返すと、先程のミランが再び現れた。
「失礼します。団長からのお伝言です。今日はこれでお引き取り頂いて結構ですと。それとカナタさまの引き受けの準備もあるでしょうから、お二人にはそのための休暇を取るようにとも。ではお疲れ様でした」
ニコリと笑みを浮かべたミランがカレルからの言伝を述べると、深々と頭を下げて部屋を後にする。
「よっしゃあ! 久々の休みだぜ」
引き受けの準備と言う部分を聞き忘れているのか、休暇の許可を得たガンツが小躍りで喜ぶ。
「さあ。カナタくん」
「あ、はい」
ニコっとしたボニータがカナタの腕を取って立ち上がり、それに引かれる様にしてカナタも立ち上がった。
これまで何かとスキンシップの多いボニータに戸惑いながらもそれに慣れ始めている自分にも驚いているカナタ。
「ん~ん……んじゃ、一旦詰所に寄ってから屋敷に戻っか」
ガンツもカレルとの長話に疲れたのか、ぐっと背伸びをしながら立ち上がる。
「うん帰ろ。アタシ達の場所に」
ボニータがガンツの呼びかけに呼応しながら、腕を掴まれたまま自分を見ているカナタをじっと見つめて囁く。
「さあ行こうカナタくん。キミの新しい居場所に」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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作者のモチベが爆上がりします。