9.近所の魔物(運++)「美味しそうな匂いがするけど、なんとなく嫌な予感するからやめよ」
「猫ちゃんは、アレは大丈夫なんだねえ」
「にゃー」
「格好良かったよ~、ありがとにゃーん」
「にゃん」
広い場所で火を起こし、我らは野営の準備を終えていた。
今日は、マホが最初の火の番をしている。
やはり猫殿は火のそばでその様子を見ているようだ。
マホの言うアレとは、先ほど片づけたラミアのことだろう。
私もあれには驚いた。
小さな蛇にあれだけ恐怖していらした猫殿が、蛇の魔物であるラミア相手に泰然と立ち向かってくださったのだから。
私はローブを体に巻き付け、布の上でリアと共に睡眠を取るため横になっていた。
しかし、明日はいよいよ魔王封印の地へ足を踏み入れる。
もう今は、そのすぐそばまで来ていた。
明日起きて進めば、すぐにでも魔王との戦闘になる可能性があるのだ。
気は逸り、うまく寝付けないまま、横になって目をつぶって少しでも疲労を散らそうとしていた。
そんな中、呑気な気質のマホと、愛らしい猫殿の会話は私の心を落ち着けるのにも一役買っていた。
もしかしたら、隣で横になり、寝息の聞こえないリアも、同じ気持ちになっているかもしれない。
やがて、マホが猫殿との潜めた声の会話をやめると、火の爆ぜる音だけがしていた。
パチ、パチ
毛づくろいをしているのであろう猫殿の、サリ、サリ、という舌で舐めとる音がしばらく続く。
ここ数日、まともに入浴もせず濡らした布で体を拭うだけの女三人より、こまめに手入れをしている猫殿のほうがよほど清潔だろう。
サアっと、木々を揺らしてぬるい風が吹くと、焚火のにおいが改めて私の鼻まで届いた。
私は、目をつぶったまま深く息を吸うと、ゆっくり息を吐いた。
香ばしい焚火の匂いの中、かすかに土と草の香りがする。
時折、焚火の薪がバランスを崩すような音がしたかと思うと、火の量を調整するように、マホが薪を足し、動かす音がしていた。
静かな夜だった。
魔物が跋扈し、間もなく魔王が封印から解かれようとしている地には思えない。
とても、静かな時間だった。
この時間を、今だけのものには決してしない。
明日の戦いは、我々の勝利だ。
不思議とそんな自信を持てた。
「くあっ」と、マホのものか、猫殿のものか分からない、あくびの音がした。
+ + +
その後、いつものように交代をしながら火の番をした我らは、いつも通り、日の出を待って野営を片付け、朝食をとった。
いつもと違ったのは、朝食にスープを作ったこと。
万が一負けることがあれば、これが、我らの最後の食事になるかもしれないからだ。
しかし、帰りの食糧はもちろん確保する。
とびきりの干し肉も、置いておく。
我ら勇者の猫殿と神託の英雄は、必ず魔王を討ち取り、その報を民へと持ち帰る。
二代目勇者以降、魔王の復活は、神託から十日を過ぎたころに起きている。
その間に、魔王の力の影響は徐々に広がり、動物を魔物へ変えていくのだ。
そして、復活した魔王は、人をも魔物に変える力を手にする。
神託から九日目。
もういつ魔王が復活してもおかしくはあるまい。
歴代の勇者乃記録において、魔王の姿は男だとも、女だとも、化け物だとも人型だとも書かれてきた。
魔王がどのような力を持ち、どのような姿であろうとも、復活したその瞬間に、我ら勇者と神託の英雄の力をもって奴を完全に討ち倒すしかない。
「まいろうか」
「うん」
「はい」
「にゃー」
私は荷物を持ち、剣を一度撫でた。
猫殿の気の抜けた声に、少しだけ緊張が緩んだ。
我らには、勇者である猫殿もついていてくださる。
魔王を倒したとき、猫殿は異世界二ホンへの帰還を望まれるだろうか。
名のない猫殿は、だれかに飼われていたわけではあるまい。
もし、もし叶うなら。
魔王を倒した暁には、我が城で、ともに暮らしてはくれないだろうか。
ごはんも、良いものを用意させよう。
猫殿が好む草も育てよう。
日当たりのよい部屋にお住みいただき、広い城の中はきっと猫殿にとってもいい遊び場所になると思うのだが。
猫殿と一緒に暮らし、公務や訓練の合間に戯れる日を夢想する。
猫殿が嫌でなければ、ブラッシングもしてさしあげたい。
たくさん撫でさせていただきたい。
猫殿には幸せでいてほしい。
そんな、少しの未来の希望を胸に、私は打倒魔王への思いを強くしていた。