第三話 ④
もう、嫌だ。もう、疲れた。もう、本当に真剣に何もしたくない。
今の俺は、服から出ている部分も隠れている部分も包帯やガーゼまみれという哀れな姿で、居間に大の字で倒れている。先程の拷問で俺はすっかり戦意を喪失してしまった。しかし、あいつを追い出さないことにはこの悲惨な状況は改善されない。だけど、もうこれ以上は怖すぎて何もする気が起きない。なんでこんな暗い気持なのに外晴れてんだよ。今って梅雨だろ。天候空気読め。
あぁ……それにしても痛い。あちこち痛い。叫び過ぎて喉も痛い。本当に痛い。特に下半身が重点的に。よりにもよって一番デリケートなところを。なんてことをやってくれたんだ、あのバカは。しかも雑に貼って引き剥がしてたからか、所々生えている部分もあって変な模様になってたし。これからしばらくの間、風呂とトイレの度みじめな思いをしなければいけないのか。そう思うと、ますます気持ちが暗くなった。あぁ、だれか傷心で傷身の俺をやわらかい膝枕で慰めてくれ。
「裕一ぃーーーーーー!」
どんよりネガティブの渦で些細な希望の光を求める中、俺が求めているものとは明らかに程遠い野太い声が玄関の方から聞こえてきた。死ぬほど動きたくなかったが、近所迷惑になるのでしょうがなく玄関から出ると、門の前でこれまた俺が求めている女子とかけ離れた姿のブサイクな肉だるまがいた。肉だるまは俺に気づくと「やあ~ん、裕一ぃっ!」と重い声を轟かせながら、どしんっどしんっと低く飛び跳ねた。心なしか、俺も反動で少し体が上下した。
やっぱりあいつか……。俺はげんなりした。実は二ヵ月前から、デブな上にブサイクなこのストーカーに付き纏わされているのだ。これもモテる男の宿命としてとはいえ参るが、容姿最重要視派の俺にとっては別の意味でも大変参っている。
「もうっ、全然連絡がないから心配して来ちゃったぁ〜」
肉だるまはまんまるの巨体をゆっさゆっさ揺らしながら、かわいくもないのにかわいこぶりっこして、しまいにはウィンクを飛ばした。吐きそうになった。ウィンクは条件反射で避けたが、もう効果音の全部に濁点が付いているんじゃないかってくらい汚いウィンクだった。心配してわざわざやって来てくれたところ悪いが、俺はおまえにアドレスも電話番号も教えた覚えはない。そもそも、どうやって住所を突き止めたのか。後ろから隠れて後を追うにも、いつも体の半分以上が出てしまっているし、本人は静かに歩いているつもりなのかもしれないが、実は結構地響きがすごい。ある日、前からはしゃぎながらやってきた小学生共が「なぁ、今地震来なかっ、うわっ! すっげーデブ!」と、シンプルな感想を述べたぐらいだ。自分のことだと思わなかったのか、奴はなぜか後ろを振り向いていたが。
こんな奴にかまっていられるほど、今の俺には余裕がないというのに。なんでこうも面倒なことは立て続けに起こるのだろうか? 今すぐに追い返したいところだが、前にあまりにもしつこかったので我慢ならず、ぞんざいにあしらい罵ったら余計付き纏われ今に至る。どうやら奴は、超のつく程のマゾらしい。どこまでもうっとおしい奴だ。うっとおしいのはせめて体だけにしてほしい。
さて、どうしたものか。俺が困り果てていると、さっきまで俺を困らせていた張本人が横からすっと現れた。
「ちょっと、裕一! その女誰よ!?」
太く短い前足、じゃなかった、腕を伸ばし指差したデブが言い終わらないうちに、正彦はそいつめがけてねずみ花火を次々に投げつけ出した。もちろん、発火済み。
「ぎゃーーーーーー‼」
デブに当たって跳ね返ったものも、届かず足元に落ちたものも、地面でバチバチと火花を散らしえらい速さで回転している。デブはじたばた地響きを立てながら「熱い! 痛い!」と叫んで、堪らずその場を逃げ出した。地響きが鳴りやみデブの姿がやっと見えなくなったあと、あっけにとられていた俺は正彦の肩をがくがくゆすった。
「――あっぶねえだろ! 何をやってんだおまえ! いや、助かったけども!」
身の毛もよだつ光景だった。あまりのことに顎が外れんばかりに口を開けて固まってしまったし。おまえはつくづく容赦ないな! いっそ清々しいわ! そして、よくあんな最近ではますますマイナーな花火、火傷もせずに何個も投げられたな。そもそも、なんでそんなもの持っていたんだ? 肩に置いた俺の手を払いのけ、正彦は何事もなかったかのようにスタスタと家の中へ戻って行った。その右手にはコマ花火が握られていた。あの肉だるま、あの時点で逃げて良かったな。あれ、ねずみよりよく回るヤツだよね、確か。ぞーっと背筋を凍らせたその数時間後、謎の地響きと咆哮というネットニュースが出た。もちろん、俺の住んでいる地域での出来事だ。
そして正彦のおかげか、その日を境に、奴は二度と俺の目の前に現れることはなくなった。追い出すことに躍起になっていたが、俺は初めて正彦がこの家に来た事に感謝した。