330) あんなことやこんなことを経験したんだもの、だからあたしはいっていいはず
この詩の、読まれ方は、いわゆる『小説家になろう』の詩版の読まれ方ではない(なんのバックボーンもなく、なんのはたらきかけもしないなかでの話)。
なら、簡単な話で、この詩は、ほかの詩のように詩として読もうと思ってこのページへ来てもらっているわけではなく、『小説家になろう』にこの詩を読む以外の理由で、紛れ込んだ人がけっこういる、ということになる。
『たこ焼き』や『リリシズムがとまらない』のような、現象なんだろうなとは、思っている。あと、何編かある、アレな現象。嬉しくもなんともない。
そうか、別の、誰かが、ある作品に呪いをかけるように、自動的に日々の閲覧回数をあげていく設定みたいなのを施された現象。こっちは、前述以上に無意味な現象。
ある時期、ほかのかたの詩とまとめて、私の詩も、そんな目にあってしまって、それを私は被害にあった詩のタイトルから『ネクストネクスト』現象、と呼んでいる。
ま、いいや。
本文、いきます。
いや、本文は、実は個人的に大好きな内容なんですよ。
でわ。
はっきりいうけど、
何が正しく、何がまちがっているかなど、
ほとんどあってなきが如き幻想。
うつつは夢、
夜の夢こそまこと。
ていうのに、近い感覚かな。
そのなかで、ひとりの人が
他人を責めることができるとすれば、
ただ、その人が
弱者の側に立っているかどうか、
この一点のみがそれを可能ならしめている
と、いえるだろう。
てか、私は、そうである。
たとえば、
あなたが、強い立ち場の人なら、
私は味方する必要をおぼえない。
ただ、本来その立ち場でも
そのときあきらかに
弱い立ち場に立たされてるのなら、
そのときは、本来強い人のことを
助けるかもしれない。
わからないよね。
こんな気持ち。
じぶんは、少なくとも
この一件に関してだけは、
絶対に間違っていません、か?
そんなことを本気でいえるのは、
酔っ払って正義が大好きになった
ウイスキー瓶からストレートで
ラッパ飲みしてた頃の
あたいくらいのもんでしょう。
いや、甘いマスクの彼に、ただ、
甘えたかっただけだったけど、
酔うと正義が大好きになったばかだった。
天命なんて
さがしてたこともあった。
まだ、
アルコホルいぞんだったころ。
なにかをしなければならない
今、なにかをしなければ、という
もはや、強迫観念に、心を鷲掴みにされ、
バナナの皮をむくように
真っ白な、いちばんピュアなか弱い果実を
白日のもとに晒け出されて弄ばれているような
気も狂わんばかりの焦燥に
責め苛まれていた。
まだ、
アルコホルいぞんだったころ。
はっきりいうけど、
そこには、正義など存在せず、
ただ、声の大きさが、正義ごっこの
勝利者を決めていた。
ていうわけで、
あたいはアルコホルをやめちゃいました。
ほんとに、くるしかったら、
あたしなんかが、やめれるわけないから、
けっこー、楽なやめ方を選んだのかもしれない。
恥ずかしいので、やめ方は、秘密………ね?
いや、違う。
断酒自慢じゃなくて、
私は、弱い人の味方をするわ、ってはなし。
だって、経験したんだもの。
ちゃんと、経験したんだもの。
はっきりいうけど、
何が正しく、何がまちがっているかなど、
ほとんどあってなきが如き幻想。
この結論にたどり着くまでに、
それはもう、
断酒なんてお子様のお遊びといえるほどの
あんなことやこんなことを
経験したんだもの。
べつに、
いいことなんてひとつもなかったけれど。
ただ、じぶんのことを一番に
考えずに済む人間に
なりたいとおもえたのは
そのおかげかな?
寒い夜でもね、
燗もいらないわ。
長ったらしいまえがき含めまして、最後までお読みくださり、誠にありがとうございます。
またお会いできる日を楽しみにしています。
でわ。




