番外)さすらい猫の涙。
あーあ。
やっちゃった。番外って。
ダメじゃん。
今朝、40未満の詩を載せるときに言ってたけど、自選だから、自由は自由なんだけど、一線を越えると、あと、とりとめなくなりますよ、みたいなこと。
言っておいたと思うけど。
もう、順番もめちゃくちゃやし、なぜこの詩を、今、ここに?
理由なんて、ないし。
あるとしたら、この前べつのサイトにこの、けっこう昔の詩を投稿して、頭に残っていたのと、今日久しぶりに読み返して(この前の投稿時は、読み返してさえいなかった、のかよ?なに、やってんだ、ほんとによォ!)みて、なんかとても好きだな、と思えたから。
だから、今日、投稿します。
えーっ?
だから、そんなんで、いいの?
ほんとに?
でも、まぁ、自選だし、自由だし、自選の自って私だし、それもこれも、私だし、まっ、いっか。
というわけで、この詩を投稿します。
と、あと、ほんとはあと一つだけ理由があって、少し前からやってたタイトルのマイナーチェンジ、今日、あらすじにまで及び、これにて完了。
と、なったのが、今さっき、だから。
ん?
それ、理由?
ま、ま。
私の好きな詩です。
皆様の好みに合うかどうかはわかりませぬが、なにとぞご一読賜りますよう、おん願いたてまつりまする。
でわ。
(さすらい猫は、魔女の魔法で
(可憐で冷たい、少女の姿で
(死ねないからだを引きずって、
(街から街へと、さすらう運命。
さすらい猫の涙には、
ほんとはなんの意味もない。
さすらい猫が涙するのは、
眠くてあくびをしたあとか、
悲しいアニメの最終回か、
真夜中詩を書くときくらい。
さすらい猫の涙には、
ほんとになんの意味もない。
さすらい猫は寂しさを、
誰にも告げやしないもの。
さすらい猫は悲しさを、
噛み締め飲み込み、笑うから。
さすらい猫の笑顔には、
ただ一筋の翳りもない。
さすらい猫の喜びは、
大事な人と過ごすこと。
さすらい猫の満足は、
大事な人との関係で、
さすらい猫の苦しみは、
大事なひとに嫌われること。
さすらい猫は寂しくて、
さすらい猫は惚れっぽいけど、
さすらい猫の心には、
たった1人の人がいる。
無論誰にも言わないが、
消して消えない人がいる。
それは何年立とうとも、
何十年を経ようとも、
何百年に疲れ果てても、
彼女のアレを思い続ける。
もし世の中に永遠の
愛というのがあるのなら
さすらい猫の、彼女への愛、
その愛こそが、永遠の愛。
さすらい猫の涙には、
ほんとはなんの意味もない。
さすらい猫は愛を知り、
その永遠を知ったけど、
さすらい猫を、見ていると、
なぜだか、哀しく、なってくる。
真夜中の詩を、書きたくて、
真夜中の詩を、書きつづる。
なになすことなく、夜を生き、
『生きて、花実を、絶対、咲かす』
自分じゃなくて、彼女のために、
誓った孤独が、ここにある。
逃げない孤独と、戦う寂しさ。
さすらい猫の涙には、
ほんとになんの罪もない。
さすらい猫の涙には、
ほんとになんの意味もない。
お読みくださり、誠に有難うございます。
またお会いできる日を楽しみにしています。
でわ。




