53)尊きものの行方
この手の詩は、なにか書きたいことがあって、かいているのだろうか?
こういう詩って、読まれている人達に、どういう受け止め方をされるのだろう、という疑問は常に残る。
一見して、読みにくそうだし、仮に本当はそうではないにしても、小難しいことが書かれている文章と、思ってしまうのだ。
ふー。
目が疲れるぜ。
本日の、小難しい本文を、お読みくださいませ。
お嫌でなければ、ぜひ。
でわ。
その、生命の原初たる海よりに出て海に帰るもの。
その、生命の尊厳という言葉をあざ笑うかのように、この地に蔓延るものどもを余さず喰らい殺すかのような終末の雷。
その、馬鹿らしくも遣る瀬無い悲しみを胸に這い蹲ってでも生きて行かなければならない裏切りの暴風雨を此の身で堪え続け乍ら。
その、人の身であり乍ら人を超えようと望みし蟷螂の斧とさえ呼べぬ無意味な無謀な無自覚な実現不可能と思われる挑戦。
その、呼べど届かぬ想いを胸に早々と諦念抱く己を恥じ決して結果出る前の心の脆弱に流されず命の限りを叫びいつもいつまでも己を信じ続ける勁き心を持つ者。
其れ等を尊きものと呼べど此の身に吹く風余りに冷たく、彷徨う心は美しき花咲き乱れる楽園を望みて行くべき道行く夢無き者となり果てようと、己の心に残りし蟷螂の斧振るい、道無き道切り開き、声無き声聴く心の耳を持ち、闇無き闇歩き続ける真白き純真をただ一つの灯火とし、生き行く。
尊き光を其の身に浴びる為にか。
お読みくださりありがとうございます。
またお会いできる日を楽しみにしています。
でわ。




