見舞い
リオンはコードの眠っている部屋へ向かっていた。リオンはコードには普段から良く世話になっている。コードを見舞うのは、リオンにとって至極当然な行いであった。
リオンが部屋の扉を開けると、そこにはコードの他に、村長もいた。他には誰もいない。他の村人は早々に自分の家へと戻って行ったのだ。
コードは、よく眠っているようだった。ゆっくりと、胸が上下に揺れ、静かに寝息を立てていた。まるで、会合での熱狂が嘘のように、穏やかな表情であった。
「リオンか」
村長がリオンに話しかける。会合の時の厳格な雰囲気とは異なり、優しげな語り口であった。
「はい、村長」
「コードを見舞いに来てくれたのか」
「友達ですから」
「そうか」
村長は顔をリオンに向けると、静かに笑った。会合で疲れているのか、どこか眠たげな表情であった。
「コードには無理をさせすぎたかもしれんなあ」
村長の目線がコードへ向かう。罪悪感を感じているのか、その表情はいつに増して悲しげであった。
「普段は、あんなことを言う奴じゃないんじゃが」
そんなことはない。村長の手前、言葉を選んでいるだけだ。コードと村長の間には絶対的な主従関係が存在する。さすがのコードも主である村長に宗教の勧誘など恐れ多くてできないのだ。
「ええ、それはもう、分かってますよ。きっと疲れが溜まっていたんでしょう」
「雪神様も雪の妖精も、意外に信じている人が多いでな。別に信じていることが悪いことではないんじゃが」
「村長は信じているのですか」
「どうだかなあ。いてもいなくても、生活には支障がないからのう。まあ、今回のように会合の進行が滞るのは困るんじゃが……リオンはどうだ。信じているのか」
「私は……」
さくり、と小気味の良い音がする。
新雪を踏んだ時の音。あの音だ。
ここは部屋の中だ。当然のことながら新雪などありはしない。ただ単純に、あの時の光景を思い出していただけだ。
雪で覆われた白い景色。氷の道。発してはならない音。
……確かに、雪の妖精を思わせるにはうってつけだ。
「私は、信じていません」
少しのためらいの後、リオンははっきりと宣言した。
「そうだな。お前はそういう性格だったな。昔から、目に見えるものしか信じておらんかったからなあ」
村長は少し顔をあげ、遠くを見つめていた。過去の出来事を思い出しているのだろうか。その表情にはどことなくもの悲しさが浮かんでいた。
「そういえば、君の妹の様子はどうかね。未だに寝たきりか」
村長はトロンとした目をリオンに向けると、妹の病態を尋ねた。
「はい、まだ寝たきりです。頂いたお薬もあまり効果がないようで」
「そうか……」
途端に空気が重くなる。その原因となってしまったことを恥じているのか、村長は気まずそうな顔を作っていた。それに答えるかのように、リオンも沈黙を守っていた。
部屋に静寂が満ちる。お互いに何も話さない。デリケートな話題だ。そうなるのも無理はない。かといって、話題を変えることもしない。二人の間には、ただただ重苦しいだけの沈黙――
そんな沈黙に嫌気が差したのか、リオンはぽつりと呟いた。
「チヒロさんの時は……どうだったんでしょうか。同じように薬が効かなかったのですか」
「チヒロか……あまり効果はなかったようだと聞いている。まあ、薬は人によって効き目が違うことなんてよくある話だ。あまり悲観して、諦めてはいかんぞ」
村長は軽くリオンの肩を叩いた。村長なりの励ましなのだろう。リオンは村長の気遣いに答えるように、ゆっくり頷いた。
「そうだ。妹は花を欲しがっておっただろう。配給の中にな、花が入っておったんじゃ。欲しかったらやるぞ。まあ、本物ではなくて、造花なんじゃが……」
村長はポケットからそっと造花を取り出した。それは、黄色い花だった。長細い、小さな花弁が、放射線状にびっしりと埋め尽くされ、まるで、太陽の光のように溢れかえっていた。その花は蒲公英だ。見ているだけで春の暖かみを感じさせるその花を、村長はリオンに差し出した。
「ありがとうございます。妹もきっと喜ぶと思います」
そう、例え造花であったとしても、リオンの妹は喜ぶだろう。
本物の花はこの村にはない。一年中冬のこの村には、本物の花は咲かないのだ。村人が知る花といえば、造花のような、本物を模倣して作られたイミテーションぐらいだ。
造花。朽ちることのない花。……この花は確かに偽物ではある。しかし、その造形は、本物をイメージするのに十分であった。花が咲き乱れる風景を、恋い焦がれた春を思わせるには十分であった。少女にとっては、十分すぎるほどの希望だった。
「ところで……」
リオンが受け取った造花をポケットの中へ仕舞おうとする最中、村長は何気ないような口ぶりでリオンに話しかけた。
「リオンは村の外には興味はないかの」
村の外。
どの村人にとっても未知の世界だ。誰かが行かなければならない、そう分かっていたとしても、なかなか前に踏み出すことができない。この村の住民は、ずっとここで閉鎖的な生活を送ってきたのだ。進んで出ようと思う人などいないだろう。この村で過ごせば過ごすほど、新しいものに恐怖するようになるのだ。
その点、リオンは村人の中でも若い。外に出るのに抵抗がないと思われるのも、無理はないだろう。しかし、リオンにも村の外に出られない理由があった。
「すみません。村の外には行けません。行ってしまうと、妹をひとりにしてしまうので……」
「誰かが代わりに妹の面倒を見るとしてもだめか」
「……私は、妹の側から離れることができません」
リオンは真剣は表情で村長を見つめる。視線は真っ直ぐと村長を捕らえ、離さない。本気の目だった。
「私の世界には、妹が、必要なんです。ずっと一緒に過ごしてきた、たった一人の、家族なんです」
普段出すことのないような、大きな声。その声は、喉から言葉を無理やり絞り出したかのような苦しみが滲み出ていた。必死に訴えかける、その言葉の一つ一つに、熱が篭っていた。
「……残念ですが、妹を置いて村の外には出られません」
「そうか……そうだな、無神経なことを言って済まなかった。この話は忘れてくれ」
リオンの真剣な表情に怖じ気付いたのか、村長はそう言って話を打ち切ると、戸棚から小包を取り出した。茶色い紙で包まれたその小包は、リオンには馴染みの深い代物であった。
「今月の薬じゃ。毎日きちんと飲ませることを忘れないようにな」
「もちろん、わかってますよ」
リオンは微笑を浮かべながら、村長からその小包を受け取った。その小包の中身はもちろん、流行病の治療薬である。
「それでは、失礼します」
「ああ、気をつけての」
リオンは村長に挨拶した後、村長の家を出た。扉の向こうには、果てしなく白い景色。空に舞う、白く、冷たい結晶。外は相変わらず雪が降っていた。




