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そして、春が来た  作者: 加護景
雪神様の住処
30/33

決断


 リオンは分岐点にいる。

 先に進むか、進まないか。

 ハルかコードか。村か贖罪か。


 ハルの言うことを信じれば、ハルの言うとおり雪神様を倒すため、先に進むべきだろう。これは妹への贖罪というリオンの望みも叶う。


 しかし、間違っていれば、どうだろう。雪神様は消え、配給が消え、村は滅びる。


 リオンはどちらかを選ばなければならない。選択しなければならない。


 どちらが正しいのかリオンには判断する材料が足りない。分かるはずがないのだ。そうであっても選ばなければならないのだ。


 リオンは分岐点にいる。

 リオンは選ばなければならない。

 リオンは……



 ブウンとスイッチが切れる音。

 リオンは扉を開け、駆け寄る。


「大丈夫か」


 返事はない。

 リオンはコードの手を取り、そして、そっと降ろした。


 ポタリ、と雫が落ちる。その水滴は真っ直ぐにコードの顔にかかる。

 何も反応がない。何も答えない。あの軽口も、あの熱気も、もうない。

 もう戻らない。


「リオンさん」


 呼びかける声。リオンはその声の元へ視線を移す。


「雪神様を……倒したんですね」


 リオンは呪文を唱えたのだ。リオンは雪神様を倒すこと、妹への贖罪を選んだのだ。


「信じて……くれたんですね」


 手足の動きがぎこちない。きっと雪神様を倒した影響だろう。思うように動いていない。


「だんだんと動かなくなっているみたいです」

「ハル……」

「そんな悲しい顔をしないで下さい。リオンさんは自分のするべきことをしたのですから。リオンさんは自分の意志で、きちんと選んだのですから」

「でも……」

「いいんですよ。これで、ようやく悲願が叶うのですから」


 笑い声が廊下に響く。リオンを嘲笑う声。恍惚の表情。その様子に、リオンは困惑の表情を浮かぶ。


「ようやくです。ようやく私の望みが叶うのです。長かった。わざわざ下らない小芝居を興じた甲斐があったというものです」

「……小芝居? どういうことだ」


 ふふっ、と笑ったような音が漏れる。


「そうです。小芝居です。わざわざあなた達をここまで導いて、下らない理由をでっち上げて、ようやく雪神様を消すことができたんです。本当に……本当に長かった……」

「私を導いた……?」

「そうです。あなたは都合のいい人間でした。村の外へ出ることを厭わず、さらに、雪神様を止める強いモチベーションがありましたから。これほどすべての要素が揃っている人物はなかなかいませんよ」

「じゃあ、コードは? 邪魔だったから毒で殺したっていうのか!」


 リオンの目つきが鋭くなる。今にも拳を振り下ろさんという勢いだ。


「リオンさん、勘違いしていますよ」


 そう言ってゆっくりと首を振る。


「私がコードさんを殺したんじゃありません。私がリオンさんを救ったんです」

「救った……だって」


 リオンが驚愕の声を上げる。


「配給には毒が仕込まれている。そう言いましたよね。そうだとするとおかしくありませんか? コードさんは毒で苦しんでいるのに、どうしてリオンさんはピンピンしているんですか」

「それは……」


 言葉に詰まるリオン。


「それはですね。リオンさんには解毒薬を飲ませておいたからですよ」

「そんなタイミングなんて」


 ピタリを声が止まる。そう、あったのだそんなタイミングが。


「あなた達が行き倒れて、私の家に来た時、お粥を食べたでしょう。あの時、だからリオンさんのお粥だけに解毒薬を入れておいたんです。ほら、だから、リオンさんは今もピンピンしているじゃあないですか」

「コードにはどうして解毒薬を入れなかったんだ」

「ああ、それは、コードさんの役割とリオンさんの役割が違うからです」

「役割?」

「そう、役割です。リオンさんは雪神様を止める役割がありました。雪神様を消して、花を咲かせる――ああ、なんて素敵な光景なんでしょう」


 そう言ってリオンを嘲笑する。


「それでは、コードさんの役割は何でしょう。何のためにここまで連れてきたのでしょう。簡単です。ただ単に鍵が欲しかったからなんです。ほら、リオンさんが持っている薄っぺらい板のことです。正式名称はカードキーと言うんですけど、まあそれはいいでしょう」


 リオンはコートのポケットに入れてあったカードキーを取り出す。これがコードの存在する理由なのだ。


「ほら、この鍵を持っている神父はいわゆる信者じゃあないですか。私もリオンさんも純粋な信者じゃあありませんので入手に不安があったんですよ。そこでコードさんの登場です。コードさんの雪神様に対する並々ならぬ信仰心のおかげで、無事に神父から鍵を手に入れることができました」


 ああ、なんて素晴らしいことでしょう、と馬鹿にしたような声を上げる。


「まあ、そこからはお役御免というわけなのですが、少々予定が狂ってしまいました。まさか、ここまで着いてこられるとは思っていませんでしたからね。毒が相当回っていたはずでしょうに。これも雪神様の信仰の力なのでしょうか」


 笑い声が廊下に響く。コードの命などなんとも思わない。そんな声だ。


「ずっと騙していたのか」


 リオンの怒りの声に誂うような口調で答える。


「騙す? とんでもない。私はリオンさんを騙したつもりなんてありませんよ。雪神様がいなくなれば、雪が溶けて花が咲く。これは本当のことなんですよ。リオンさんの望んだ世界じゃあないですか」

「そんなこと……」

「あるはずですよ。これで納得がいかないというのなら、そうですね。この世界の成り立ちを説明してあげましょうか」


 特別ですよ、とあざとくウインクする。


「神父が雪神様が穢れを封印した、とか言ってましたよね。これは本当の話なんです。穢れは実は病原菌のことです。この病原菌は対処の仕様がない、致死率百%の曲者でしてね。この病原菌のせいで人類は絶滅一歩手前まで行ってしまったんです。人類に救いがあるとすれば、この病原菌は唯一、寒さに弱かったんです。この病原菌に困り果てた人類はこの世界を冷たくすること、つまり雪を降らせ続けることで、病原菌を押さえ込んだんです。雪神様というのは、いわば世界を冷たく保つための冷蔵庫なんです」


 雪神様。雪の神様。その実は単なる世界を冷たくする装置に過ぎない。神様などではなかったのだ。その事実を受け入れられず、リオンは目を白黒させていた。


「人類は、この病原菌に対抗するためにあらゆる薬を開発して、あらゆる実験を行っています。そしてあなた達もその実験の一部なんです」


「実験の一部? それはどういう――」


「この氷の世界で、人類が病気に罹らずに過ごせるかどうかという、実験ですよ。結果はご覧の通り、大失敗です。もう二人もこの恐るべき病気に罹って死んでしまいました。だからですね」


 リオンの顔が青くなる……リオンは怯えていた。


「もう必要ないから、村を処分するんですよ。これ以上病原菌が拡散しないようにね。まあ、この続きはもうある程度想像がついていると思いますが」

「そんなこと……」


 リオンは震えた声で言う。


「そんなこと許されて良い訳がない。それじゃあ、私たちは一体何のために……」


 そう言ってリオンの言葉が止まる。目が大きく見開かれる。まるで何かを思いついたように。


「リオンさん。自分が産まれてきた時のことを覚えていますか」


 突然の質問に、リオンは狼狽える。


「そんな昔のこと、覚えているわけないだろう」

「じゃあ、あなたの両親は? どこにいるんですか?」

「両親は……いない」

「いつからいないんですか?」

「それは……」


 リオンは言葉に詰まった。両親。それはリオンとって馴染みのない存在だった。


「あなた達はですね。この実験のためだけに生み出されたクローンなんですよ。外に出たがらない、管理しやすい選りすぐりのクローンを選別して、人間のような生活を送らせていたんです」

「ちが――」

「いいえ、違いません。現にあなた達は過去の記憶がないじゃないですか。あるとしてもせいぜい五年分ぐらいですかね。実験の期間もそれぐらいですし」

「そんなこと……ない」


 リオンが小さな声で否定する。そのリオンの必死な抵抗も虚しく、リオンの主張は否定されていく。


「日々の生活だってそうでしょう。何の疑問も思わなかったんですか。あなた達は定期的に来る配給を貪るだけ。やっている仕事といえば家の周りの雪かきや氷の道の整理。そんなことやっていても何の生産性もないじゃないですか。それなのに何故か生きていけている。それはですね、あなた達が実験のために保護されているからなんですよ。私ともう一人の監視役とで、あなた達に問題がないか確認しているからなんですよ」


「……」


「まあ、あなた達が何にも考えないおかげで上手く事を運ぶことができました。あなたは本当によくできた操り人形でしたよ」


 リオンを嘲笑う声。その声にリオンはポツリと呟く。


「妹のことは……どう思っていたんだ。ハルは妹に会ったんだろう」


 そう、村の監視者であるなら、リオンの妹にも会っているのは当然だ。


「ああ、あの花が大好きな可愛らしい女の子ですか。とっても良い子でしたよ。私が写真を見せて、花の魅力を語るだけで、簡単に花を好きになってくれましたからね。彼女も素直で操りやすい、ほんっとうに扱いやすい、道具でしたよ」


 嬉しそうな声。その声はまるでリオンを嘲笑うかのように廊下中に響き渡っていた。


「どうして……」


 そう言いかけてリオンは口を閉じる。


「なんですか?」

「どうしてここまで話すんだ。話す必要なんてなかったはずだろう」

「お礼のつもりですよ」

「お礼?」


 間の抜けた声でリオンが尋ねる。


「そう、私の悲願を叶えてくれたお礼です。ああ、これでようやくここにも春が訪れるのですね」

「ハル?」

「いいえ、私の名前ではありません。春夏秋冬。季節の意味としての春のことですよ」



「……春ってなんだ?」



 ああ、そうか。リオンは春を知らないのか。それなら、教えてあげなければならない。


「春というのはですね、四季の一つのことですよ。雪が溶けて、氷がなくなって、花が咲き乱れる。そんな景色のことを春と言うんです。私の名前もここから頂戴したんですよ」

「ハル……春か」

「そう、春です」


 春。なんて心地の良い響きなのだろうか。言葉に出すだけで嬉しくなる。


「雪神様がいなくなれば、雪が溶け、やがて大地が顔を出すでしょう。大地から芽が出て、草が伸び、そして花が咲くんです。病原菌が一緒に湧いて出てきますけど、そんなことは問題ありません。どうせ、その頃には私もあなたも、死んでいるのですから」


 そう、私は雪神様を壊した影響で、リオンは病気で、それぞれこの世からいなくなっているだろう。しかし、そんなことは些細なことだ。大事なのは、この大地に本物の花が咲くということだ。


 ようやく望みが叶うのだ。長かった……”最初から”リオン達を監視していた意味があったというものだ。


「想像してみてください。忌々しい雪と氷が消え去って、辺りは草が生い茂り、花が咲き乱れているんです。とても素敵な光景だと思いませんか」

「雪がそんなに嫌いなのか」

「ええ、嫌いですよ。雪も氷も大っ嫌いです。いつまで経っても代わり映えしない、下らない物体です。口にするのも忌々しいですね。それなのに私は雪の妖精と呼ばれているんですよ。まるで私が雪の権化みたいじゃないですか。笑っちゃいますよね」


 でもね、と前置きをする。


「もうそんなことに悩まされなくて済むんです。あの忌々しい雪の音にも悩まされなくて良くなるんですよ。だって、もう、雪はなくなるんですから」


 さくり、と鳴る小気味の良い音。私はずっと、その音に悩まされてきた。雪を踏む嫌な感触。嫌な音。それが延々と頭の中でリピートされる。まるで呪いだ。でも、もうその音に悩まされなくて済む。もう、怯えなくて済む。雪そのものが消え去ってしまうのだから。


 ふと、頭が重くなる。思考が制限されるような感覚。ついにこの時がやってきたのか。


「ああ……もうお別れの……時間……みたいですね。そろそろ頭が……ぼんやりしてきました。ここで……私はお終いの……ようです。私の支配者たる……雪神様を……壊したんですから……無理もない……事ですね」


 ずん、と沈むような感覚。終わりの時だ。死ぬ間際には走馬灯を見るというが、そんなことはないようだ。走馬灯を見るのは人間だけなのかもしれない。


「では……リオンさん……さようなら」


 そして、プツリと、意識をうしな……



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