高説
「つまり、雪神様にとって、君たちの村はもう必要ないということなんです」
神父は言葉を言い切ると、ふっ、と目を背けた。後ろめたい気持ちでもあるのだろうか。
「どうしてそんな……」
神父の発言に、リオンは驚いていた。言葉が出ないというのはこのことだろう。なんとか言葉を出そうと精一杯だった。突然、リオン達の村は必要ないと宣言されたのだ。なんと返すべきなのか戸惑うのも当然だ。
「あなたの村では、流行病で人が亡くなっているそうですね」
「それとどういう関係が……」
流行病。リオンの妹の命を奪った憎むべき病。神父はそれを取り上げてきた。
「流行病、それこそがこの大地に封じている穢れそのものなのです」
穢れ。伝承では、人々をその穢れから守るために、雪神様が封印した言われている。神父はその災いを流行病と結びつけているのだ。
「その穢れがなぜ流行病に繋がるんですか」
リオンが深刻な表情で尋ねる。気分が乗っているのか、神父はその問いにすぐに答える。
「穢れは人を蝕み、生気を奪う……言ってみれば病みたいなものです。それも治療不可能の難病です。穢れに触れたものは、必ず死に至ります。リオンさんの村の流行病とよく似ているとは思いませんか?」
「つまり、私たちの村は穢れが出たから、雪神様が見放したのだと、配給を止めたのだと、そう言いたいのですか」
「残念ながら、そういうことになります」
「そんな! なんとかならないのですか。神父様!」
大人しく話を聞いていたコードが突然叫び出す。あれだけ信仰していた雪神様に裏切られたのだ。叫びたくなる気持ちも分かる。
「落ち着けよ、コード。この人の話がすべて真実だとは限らないだろう。私たちの村が雪神様から見放されたと思うにはまだ早いと思うんだ。流行病と伝承に出てくる穢れが一緒のものだと言い切るには根拠が足りないよ。それにもし見放したんだったら、配給が全くなくなるんじゃないか。現状では減りはしてるけどなくなっているわけじゃない。コードは人の話を鵜呑みにしすぎだよ」
リオンがコードを冷静に諭す。コードもこの意見に納得したのか、確かにそうだよなあ、と独り呟いている。
「神父さんもあまり私たちを困惑させるようなことは言わないで頂きたい。あなたにとっては他人事であるかもしれませんが、私たちにとっては死活問題なんです」
信じて頂けませんか、と神父が小さく溜息を吐いた。リオンを憐れむような目。まるで、物分りの悪い教え子を相手にしているような態度だ。神父は少し考えるような動作を取った後、そういえば、と前置きをし、言葉を続けた。
「村で雪の妖精に出会いませんでしたか」
神父の囁くような小さな声。
しん、と教会に静寂が訪れる。色褪せていく視界。鈍い色で照らされたはずの教会がいつの間にか白く染まっている。
さくり、と小気味の良い音。新雪を踏んだ音。鳴ってはいけない音。
自然と表情が固まる。足元には氷道。視界に映るのは一面の雪と小さな影。さくり、さくり、と音が鳴る度に、その影の輪郭がはっきりしていく。その影には見覚えがある。その人は確か……
「……出会ったようですね」
神父の声で教会に再び色が戻ってきた。目の前にあった、雪も氷も跡形もなくなっていた。
「雪の妖精がどのような役割を持っているか知っていますか」
神父が質問を投げかける。まるで人を試しているような、そんな態度だ。
「村の監視でしょう」
リオンが投げやりな声で答える。その言葉に神父はゆっくりと首を振る。
「それでは、不十分ですね。確かに監視もしていますが、それは真の役割ではありません。監視をするだけなら、姿を現す必要もありませんからね。雪の妖精の本来の役割は」
そう言うと神父はそっと人差し指を立てる。自信に満ち溢れている、といった様子だ。
「警告です」
「警告?」
リオンは訝しげな声で聞き返した。
「そう、警告です。自らが人の前に現れることで、穢れが発生したことを知らせてくれる存在なのですよ。一部では雪の妖精が穢れを生み出しているのだという説や雪の妖精自体が穢れそのものだという説もあるぐらいです。まあ、穢れが出たときだけわざわざ現れるのですから、本当に穢れそのものなのかもしれませんね」
「じゃあ、俺が見た雪の妖精というのは……」
「そう、それこそが正に、村に穢れが現れた証拠なのです」
「ちょっと待って下さい」
リオンが神父の発言に割り込む。
「雪の妖精が現れると、なぜ穢れが出たことになるのですか。警告が目的なら、もっと大勢の前に現れるはずですし、穢れが出たことを言葉で伝えてくれるのではないですか。コードが見た雪の妖精らしきものは何も喋らなかったんですよ。これっておかしくないですか」
神父はうんざりとした表情を浮かべる。なぜ理解できないのか。なぜ信じないのか。そう疑問に思っているのかもしれない。
「妖精が言葉を話せるとは限らないでしょう。それに、雪の妖精が現れるというのはあくまで現象なのです。穢れが出たから雪の妖精が現れる。たったそれだけのことなのです。その現象に意思なんてありませんよ」
話がまるで通じていない。これでは平行線だ。埒が明かない。
「あの……」
消え入りそうな小さな声に神父、リオン、コードの三人は一斉に注目した。
「誰の話が正しいかどうかは、雪神様に聞けば分かることではないですか」
「ハルさん……と言いましたね。確かにその通りですが、ここには雪神様と交信の行える呪術師がいません。雪神様の祭壇への鍵ならあるのですがね」
そう言って法衣の中から長方形の小さな薄い板を手に取り、見せつけるように振りかざす。
「それなら、問題ありません。私、呪文が唱えられますから」
その発言に神父は驚愕の表情を浮かべる。目を見張り、視線をこちらに向ける。
「呪文が唱えられる……あなたは呪術師なのですか」
「呪術師というほど大層なものではないですか」
そう言った後、さらりと呪文を唱える。すると、神父の手にしている板が微かに光りだした。規則性のある光り方。何やら文字が浮かび上がっているようだ。
その光景に、神父は震えていた。
「本当に、呪文を唱えられるのですね」
「はい。ですから、雪神様の祭壇までの道のりを教えて頂けますか。あと、できたらその鍵も欲しいのですが」
「……あなたは何者なのですか。もしかしてあなたは――」
「駄目でしょうか」
神父は眉を顰め、悩んだ仕草を取る。教えてもいいものか、渡してもいいものかと考えているのだろう。
「……そうですね。いいでしょう。祭壇までの道のりと鍵をお渡ししましょう。雪神様の信者もいるのです。大きな間違いは起きないはずですからね」
そうして、神父は手に持っていた板をコードに手渡す。
「くれぐれも、失礼のないようにお願いしますよ」
「もちろんです。神父様」
そうして、少し不安そうな表情を浮かべ、三人を見送ろうとする神父に一つ質問を投げかける。
「そういえば、神父さんは雪神様と交信したことがあるのですか」
神父は虚を突かれた顔をする。想定外のことに驚いているのだろう。
「……私は」
神父は戸惑うような表情を見せる。痛いところを突かれたのだろうか。
「お恥ずかしながら、私はまだ、雪神様と交信できたことはありません。信仰がその域まで達していないようです。呪文が唱えられない以上、自らの信仰心でカバーしないといけないのですが……」
神父の曇った表情。そんな神父にさらに言葉を重ねる。
「いつか交信できるといいですね」
気がつくと、今日一日で最高の笑顔を浮かべていた。




