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そして、春が来た  作者: 加護景
教会
24/33

神父


 目の前には、先端の尖った建物。まるで、背景に溶け込むかのように白い。トレードマークなのだろうか。その屋根の先端には十字架がちょこんと立っている。その様子から、ここは教会であることが分かる。


 教会。宗教の信者が集まり、祈りを捧げる場所。ここで祈りを捧げる対象など決まりきっている。雪神様だ。ここは雪神様を信仰するものたちが集まる場所なのだ。しかし……信者たちは雪神様に何を祈るというのだろうか。この灰色の世界を創り出している神に、何を願うというのだろうか。平穏も、繁栄も、希望も、すべて、似つかわしくないように思える。


 そんなことを考えながら、ゆっくりと教会の入り口まで歩いて行く。入り口には茶コケた古い木製の扉。手を触れると、少しささくれ立っているのが分かる。あまり手入れをしていないのだろうか。扉を軽く押し、教会の中へと入る。


 真っ先に、正面のステンドグラスが目に入る。赤、青、黄色と色とりどりのガラスが嵌め込まれ、綺麗に見える……はずなのだが、周りの灯りが足りず、周囲に鈍い色を撒き散らしているだけである。鈍い光に照らされているせいか、正面に向かってずらりと並ぶ、長細い椅子も陰鬱な表情を浮かべている。


「誰かいるのですか」


 思わず声の発生源に目を向けた。ステンドグラスの下、祭壇からだ。祭壇には、いつの間にか、白い祭服を着た神父が立っていた。


「神父様……なんですか」


 やや興奮した面持ちでコードが見つめる。


「俺はコード。隣町からやってきた――来ました。そして、こっちにいるのはリオンとハルと言います。……ここは、雪神様の村なのでしょうか」


 コードがたどたどしい口調で神父に問いかける。


「ああ、その通りですが……コートにリオン、そして、ハルですか」


 神父はコードの問いに答えながら、ゆっくりと三人に近づいてきた。一歩ずつ、着実に足を進める様子は、どこか威厳を感じさせるような歩き方だった。


「申し遅れましたね。私はセツ。ここで神父をしているものです。この教会の何かご用ですか」


 セツと名乗る神父は、落ち着いた口調で三人に質問を投げかける。神父の怪訝な表情。突然、見慣れぬ異邦人が現れたのだ。怪しむのも無理はない。


「ここは雪神様を祀る教会なんですか」

「如何にも、その通りですが」


 コードの問いかけにさも当たり前のように答える神父。その返答にコードは喜びの声を上げる。


「やった。本当に――本当に雪神様を信仰する教会にやってこれたんだ。ああ、ここが教会かあ、なんて素晴らしいところなんだろう」


 教会に来れたことがよほど嬉しかったのだろう。コードが興奮した面持ちで、一通り喜びを表現する。


「あなたは、コードさんと言いましたね。見たところ、あなたは熱狂的な雪神様の信者であるように見受けられますが」

「はい! そうなんです! 俺は、雪神様を一目見たくて、雪神様と会ってみたくて、ここまでやってきたんです」


 村の配給、という本来の目的を忘れ、コードが無邪気にはしゃぐ。


「そうでしたか。それなら、この教会に訪れるは正しい選択です。何しろここは、雪神様を祀る場所なのですから」

「じゃあ、ここに雪神様がいるのですか」


 リオンが口を挟む。


「とんでもない。ここは単なる教会ですよ。雪神様がいるわけないじゃないですか」

「それじゃあ、何を祀っているのですか。ここには何も祀っているように見えないんですけど」


 教会の中には雪神様を想起させるものは何もない。偶像すらないのだ。そんな様子で雪神様を祀っているなどと言われても違和感しか覚えない。


「分かっていませんね」


 神父が諭すように話しかける。


「いいですか。信仰に一番必要なのは信じる気持ちなのです。雪神様を信じる心さえあれば、他には何も必要ないのです。必要なのはイメージなのです。自分の頭の中で雪神様の姿を想像すること。これが大切なのです。雪神様は神様です。物理的なものではありません。人の持つ五感などで測れる存在ではないのです。何も祀っているように見えない? 偶像も絵画もない? そんなものは雪神様の間違った姿形を広めてしまう目眩ましなのです。目や耳や鼻や手で感じられるものなど、人の錯覚に過ぎません。ほら、イメージしてご覧なさい。自分の中の雪神様を。雪神様がこの地に降り立ち、私達を見守る姿を」


 そうして、神父はゆっくりと顔を上げ、天井を見渡す。


「あなた達にも見えるでしょう。雪神様の姿が」


 試しに顔を上げてみるも、雪神様の姿など見えてこない。隣でコードが確かに薄っすらと見える、などと言っている。恐らく幻覚でも見ているのだろう。プラシーボ効果というやつだろうか。それとも洗脳か。どちらにしても、この神父の言っていることが狂言であることには間違いない。


「ここで雪神様と話をすることはできるのですか」


 興が削がれたからだろうか、リオンの言葉に神父は少し眉を顰める。


「いえ、ここではできません。交信をなさるのであれば、雪神様の御わす祭壇へ行かなければなりません」

「その祭壇へはどのように行けばよいのですか」


 神父は視線を上に向け、顎に手を当てる。それから、うーん、と唸り声を上げる。何か考えることでもあるのだろうか。そう、疑問に思っていると、突然、神父と視線が合う。顔を上げたまま視線だけが下に向いている。神父が三人を見下している格好だ。ところで、と前置きをし、神父が話しかける。


「どうして、雪神様と交信したいのですか。雪神様への信仰心というのなら理解できますが、あなたはそうにも見えません。隣町からわざわざやってきたのです。それほど差し迫った用事があるのだとお見受けしますが」


 神父が交信の目的を尋ねる。見下されているせいか、高圧的に感じられる。俺はもちろん、とコードが言おうとするのを制止し、リオンが答える。


「配給が……私の村の配給が滞っているのです。この状態が続けば、私の村が立ち行かなくなってしまいます。配給は雪神様が管理していると聞いています。私は、村のために雪神様にお願いして配給を元通りにしてもらわなければならないのです」

「配給が、滞っているのですか」


 神父の深刻な声。予想外の返答だったのだろうか。神父の目は大きく開かれていた。驚きの表情。いつの間にか、正面を向き、リオンの顔をきちんと見据えていた。神父の態度の変化に、困惑するリオン。嫌な予感。不吉な予兆。リオンの表情は曇っていった。


「いつから、滞っているのですか」

「いつから……」


 配給が滞ってきた時期。減ってきた時期。いつからだったか。確か、チヒロが亡くなった後からだったはずだ。


「チヒロさんが……いえ、村の人が一人、流行病で亡くなった後からです」

「流行病?」


 神父が不思議そうに尋ねる。まるで、自分が聞き間違えたかのような尋ね方だ。


「はい。村で流行している病気です。今のところどんな薬も効かなくて……」

「他に誰が罹っているのですか」

「私の妹が……」


 リオンの表情が暗くなる。だれよりも、花を愛し、憧れていた少女。春の訪れを待ち焦がれていた少女。白いベットの上で独り、冷たくなっていた少女。……もう、彼女には会えない。彼女のためにできること。しなければならないこと。それだけは、忘れてはいけない。


「二人だけですか」


 神父の声に、ふと、我に返る。


「今のところは」

「二人だけなのに流行病なのですか」


 神父が当然の疑問を挙げる。確かに、二人だけしか罹っていない病気を流行病だと言うのは、違和感があるかもしれない。しかし、村の人数は、二十人程度だ。一割が罹っている、と考えると流行っているといえるのかもしれない。それに……


「村長が、そう言っていましたから」


 村長が宣言しているのだ。他の村人がそれに習うのはごく自然なことだ。


「そう……なのですか……」


 神父が独り言のように答える。考え事をしているのか、何やら深刻そうな面持ちで、地面を見つめている。神父との会話が途切れたことにより、教会に沈黙が訪れる。重苦しい空間。ちらちらと視界に映るステンドグラスの鈍い光がより一層沈鬱な空気を演出している。そんな空気を打ち破るため、リオンが再び神父に声をかける。


「あの……神父さん。神父さんは配給が滞っている原因を知っているのですか」


 リオンの言葉に、神父はふっ、と顔を上げた。滲み出る躊躇いの表情。リオンの言葉に、神父はどう答えるべきかどうか迷っている様子だった。


「思い当たる節がないわけではないのですが……」

「知っていることがあれば教えてください」


 神父の煮え切らない返答に、発破をかける。神父は諦めたように、ふう、と溜息を吐くと、リオンを見

据え、言葉を繋ぐ。


「そうですね。いずれ分かることですからね。リオンとコード、それにハル……といいましたね。三人はなぜ配給が滞っているのか、理由を考えたことはありますか」

「配給が滞る理由……配給する品物が足りていないからですか?」

「もちろんそれもあるでしょう。しかし、それでは足りません。もっと違う理由があります」

「違う理由……それはなんでしょうか」

「あなたのの村の配給が滞っている理由、それは……」


 神父は勿体つけるように、間を開ける。


「必要がなくなったからです」


 神父は三人に残酷な真実を告げた。



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