旅立ち
……どれほどの時間が経っただろうか。部屋には小さな吐息の音。だらりと腕を下り、人形のように無気力な姿で、リオンは天井を眺めていた。薄汚れた、仄暗い天井。その様子は電球が切れたこと以外、何の変化もなかった。部屋の主が亡くなったにも関わらず、何も変わらない。いてもいなくても、同じなのだと、そう言っているようであった。
リオンはゆっくりと眼球を動かし、再び、ベットに視線を移した。少女はやはり動かない。目覚めることなく、静かに眠っている。リオンは、気怠げに体を起こし、動かなくなった妹の顔を覗き込んだ。
幼い少女の顔。少女の閉じた目には、ほんのりと白い結晶。その結晶は、少女のこめかみまで伝っていた。
リオンは少女の涙の痕にそっと触れた。小さな白い結晶がリオンの手に付く。撫でるように掬い上げ、じっと指を見る。リオンの目線の先には小さな、小さな結晶。
「……ごめんな」
喘ぐような声。雫の落ちる音。いつの間にか、リオンは泣いていた。
「……一人にしてごめんな」
寂しかったのだろう。苦しかったのだろう。心細かったのだろう。リオンの指についた立方体からは、亡くなった少女の気持ちが痛いほど伝わってきた。
「……側にいてやれなくて……ごめんな」
どんなに泣いても、どんなに許しを請うても、もう妹は戻ってこない。それでも、リオンは亡骸に贖罪を求め続けた。
「……どうして、一緒にいてやらなかったんだ……どうして、約束を破ってしまったんだ。ずっと、側にいるって、そう言ったのに、どうして離れてしまったんだ。どうして。どうして。どうして――」
まるで、堰が切れたかのように、リオンは言葉を繰り返していた。側にいなかった、約束を破ってしまった自分を攻め続けていた。リオンはベットの上の少女に寄り掛かり、泣き崩れた。
ぽとり、とリオンのコートから何かが落ちた。リオンは反射的に、落ちたものに視線を移した。視線の先には黄色い花。蒲公英の造花だった。
「こんなもの!」
リオンはその造花を拾い上げると、思い切り地面に叩きつけようとした――が、そうしなかった。してはいけないことに気付いたからだ。少女が大切にしていた花。欲しがっていた花。春の花。それを叩きつけることは、少女の気持ちを踏みにじることに等しいと、そう気付いたのだ。
リオンは振り上げた腕を静かに降ろした。手に持った造花をじっと見つめた後、リオンはその造花をベットの上の少女に見せるように、そっと翳した。
「クーリ……これ、造花だよ。花……見たがっていただろう」
少女が恋い焦がれていた花。例え造花であったとしても、少女は喜んでいただろう。兄に笑顔を見せていただろう。しかし、その笑顔をもう二度と見ることはできない。少女はもう戻ってこないのだ。
リオンは蒲公英の造花を少女の手に添えようとした。すると、少女の手に一枚の紙が握られていることに気がついた。リオンはその紙をそっと手に取った。端がボロボロになった一枚の紙。それは少女が大切にしていた、花の映った灰色の写真だった。
死ぬ直前まで、花のことを想い続けていたのだろうか。
「……本物の」
リオンは一人、ぼそりと呟く。小さな声。しかし、静かな部屋の中では、十分な音量であった。
「本物の花を……持ってくるよ。ずっと、ずっと見たがっていた、本物の花を、必ず見つけてくるよ」
リオンは横たわる少女に話しかける。回答は来ないことは分かりきっている。それでも、リオンは少女に話し続けた。
「見つけたら、その花を取ってきて、家の周りを花でいっぱいにしよう。お前の大好きな花でいっぱいにしてやろう」
さらに、リオンは話し続ける。傍から見れば、これは単なる独り言だ。妹が亡くなったショックで、現実逃避しているようにも映る。しかし、そうではない。これは紛れもない、リオンの決意表明であった。
「絶対に、絶対に、本物の花を見つけてやるから、それまでもう少し、待っていてくれ」
リオンの妹が亡くなった翌日、村で葬儀が行われた。
死因は流行病。十歳の少女が送る人生としては、あまりにも短かった。
リオンは葬儀が終わった後、村の外へ行くことを立候補した。もちろん、誰も反対することはなかった。
同じように外へ行くことを立候補したコードと共に、リオンは村の外へと旅立っていった。




