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「紅茶が冷めてしまいましたね、お代わりをお持ちしましょうか」
突然背後から声をかけられ、ミツキはそこでハッと意識を浮上させる。気が付くと、傍らにはシグリットが立っていた。
「いえ、もう充分です」
「そうですか、ならば宿までお送りしましょう」
「えっ、いえ……ひとりで帰れますから」
咄嗟にそう断ると、シグリットは苦笑するように「そういうわけにはいかないのですよ」とミツキに向かって手を差し伸べる。
(……まぁ、それもそうか)
ここで頑なになったところで誰も得をしない。ミツキはやはりおとなしくシグリットの手を取ることにした。
(うわ、明る…)
一歩部屋の外へと出ると、途端に明るい日差しが目に飛び込んでくる。
まだ外は明るく陽が陰ってくる様子もない。陽が傾く前に一度この街の道具屋にも足を運んでみようかな、などとミツキが考えていると、唐突にシグリットが話しかけてきた。
「冒険者登録をしたのですね」
「えっ、……あぁ、はい、そうなんです」
何故わかったのだろう、と一瞬驚いたものの、すぐに右腕のバングルに思い当たる。
(便利と言えば便利だけど…)
説明不要で冒険者だとわかってしまうのも、いかがなものか。
(……でも、それが身分証代わりにもなるんだろうなぁ)
何事にも良い部分と悪い部分がある。そういうことを飲み込んでいかなければ、社会というものは成り立たないのかもしれない。
(なーんて、社会に出て働いたこともない小娘が何を言うって感じだけど)
社会どころか学校にさえろくに行ってなかったのだ。我ながら知識ばかりで頭でっかちになっているという印象はある。
病室で出来ることなど限られていた。それでいて、それらは体調が良い時にしか出来ない。
だからこそ、今自由に伸び伸びと好きな時に好きなことが出来ている幸福を噛みしめることが出来るのだろうけれど。
(こんな綺麗な格好だって、したことなかったし)
そう思い当たったところで、ようやくミツキは今身に着けている物のお礼を言っていなかったことを思い出した。
「あ、あのっ、この格好のことなんですけど───」
「ああ、よくお似合いですよ」
「(そうじゃなくて!)とても高価な物のように見えるんですが、その、どのような形で返却すれば良いですか?やっぱりクリーニング……じゃなかった、えっと、綺麗な形で返さないといけないですよね?」
食べこぼしなんかはつけていないと思うんですけど、と自らの胸元を覗き込んだりしてチェックしていると、頭上でぶふっと噴き出すような声が聞こえてきた。
ん?と思って顔を上げると、シグリットが後ろを向いて震えていた。何事かと思いじっと見つめていると、しばしの沈黙の後、咳ばらいをひとつしてからようやくこちらへと向き直る。
その顔は平素のままの、いつものシグリットのものであった。
「返却の必要はありませんよ。それらは全て貴女への贈り物ですから」
「えっ、でもこんなの、貰う理由もないし…」
「理由ならあります。先ほど主も仰っていた通りアデルとフランシスを助けて頂いたご恩もあります。それにいくら冒険者になったとはいえ、この先こういった場に顔を出す機会も多々あるでしょう。そういった際にお役立て頂ければと存じます」
「でも、こんなに沢山…」
「アイテム化すれば大した荷物にはなりませんよ」
「…………(そういうこと言ってんじゃないんだけどなー…)」
嚙み合わない会話を交わしつつ、ふたりは宿屋へと向かうのであった。