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(どっ、どうしたら…!)
いいのだろう、なんて考える間もなく、目の前の獣が唸りをあげてこちらに飛びかかってきた。
当然ながら、避けることなんて出来ない。咄嗟に顔を庇う様に前へ突き出した右腕に、獣の牙がブスリと突き刺さる。
「いっ……!」
鋭い痛みが稲妻のように全身に走り、ミツキは反射的に逆の手で獣の頭をめちゃくちゃに叩いた。それはミツキにしてみれば咄嗟に出た反応で、当然ながらそんな攻撃で目の前の狂暴そうな獣が怯むはずもない。
───ない、のだが、何故か次の瞬間、獣はまるで鈍器で殴られたかのようにバタリとその場に倒れこんだ。きゃうん、なんて、まるで子犬が発するかのようなか細い悲鳴をあげて。
「………………え?」
たっぷり十秒間をあけて、ミツキは間抜けな声を漏らす。
だって、ほら、え、だってさぁ、
「えっ、ほんとに……?」
目の前の光景が信じられなくて、ミツキは半信半疑のままそろそろと獣の様子を伺う。
顔を近づけたとたん、今にも飛びかかってきそうな恐怖でなかなか確認出来なかったが、かなりの時間をかけ、ようやく目の前の獣が息をしていないことを知る。
「な、なんで?」
そりゃ確かに叩いたよ。自分的には渾身の力をこめて、何度も叩いたさ。
でもあのくらいで死ぬなんて誰が思うだろう?だって自分は見るからに非力で、生まれてこの方誰かを本気で殴ったりしたことだってないような人間なのに。
そんな自分の攻撃で、こんな凶悪そうな獣が一瞬で死んでしまったりするのだろうか。
(も、もしかして、ものすごく打ち所が悪かったりとか…?)
ない、とは言い切れない。けれど、その確率は極めて低いだろう。
(……と、とにかく、助かったってことでいいのかな)
いろいろ納得できないことは多かったけれど、これ以上この場にとどまることの方がミツキには恐怖だった。いつまたさっきのように襲いかかられるかわかったものではない。たとえここが夢の中だろうが怖いものは怖いし、痛いものは痛いのだ。
(ん?痛い?)
そこで、ハッとミツキは噛まれた方の腕を持ち上げる。
確かに噛まれた。目の前で、ハッキリとそれは見ている。
それに何より、その瞬間かなり痛かった。人生トップ3に入るくらいには充分な激痛だったはずだ。
それ、なのに、
「傷、ふさがってる…?」
そこにはポツ、ポツ、と、かろうじて牙の跡らしき穴が空いているだけだった。
あれほど深く噛まれた感触がしたのに、この程度の傷しか残らないものだろうか?というより出血も殆どしていなかった。否、血の跡は残っているのだ、だからこれは止まった、といった方が正しいのだろう。
けれどもはや痛みも感じない。先ほどまでの激痛が噓のように消えてしまっている。
こんなの、いくら夢にしても都合が良すぎやしないだろうか。
「あっ!?」
そんなことをぐちゃぐちゃと考えている間に、今度はその穴さえもふさがってしまった。もうこれでは言い逃れも出来ない。だってその傷が消える瞬間を、ミツキはバッチリ目撃してしまったのだから。
その瞬間、唐突に、本当に唐突にミツキは思い出した。
康太の姿をした得体のしれない“モノ“と交わした、会話の内容を。
「もしかして、夢じゃ、ない…?」
ミツキはすっかり元の状態に戻った白い自分の右腕を見つめながら、確かめるようにゆっくりと、その言葉を口にする。
「もしかして───異世界?」