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と、いうわけで、街を目指して旅をするにあたって必要な条件はほぼクリアしていると言っていい現状なわけだ。
とはいえ、心配なこともあった。
街の場所がざっくりとしかわからないということと、果たしてヴェルナーを連れて街に入れるのか、という二点である。
ロルフによれば草原を出て西の方角に、カーティスという街があるらしい。
(大人の男の人の足で三日ってことは、私の足じゃその倍くらいかかってもおかしくないよねぇ…)
まぁ多く見積もって一週間としよう。食料は充分にある。飲み水も自力でなんとか出せる。MP回復の薬草もたっぷりある。何事もなければ恐らく辿り着くこと自体は不可能ではないはずだ。
ただ、道中何もないとは思えない。モンスターも出るだろうし盗賊みたいな人だっているかもしれない。きっとそれなりに戦闘にもなるだろう。危険な目に合わない保証なんてひとつもないのだ。
そう考えると、急に街へ向かうのが億劫に思えてしまう。何も無理して人里を目指さなくても…なんて甘い考えに支配されてしまいそうになる。
(だって、ここでだって充分暮らしていけそうだし)
最初のうちこそ人恋しかった。誰でもいいから話がしたかったし、ひとりぼっちが心細かった。
けれど人間というのは不思議なもので、どんな環境にもすぐに慣れてしまう。そもそもミツキは初日からひとりぼっちではなかった。隣にはヴェルナーがいてくれたのだ。おかげでこのひと月、後半は殆ど寂しさなど感じず過ごしてしまった。
(……なんて、うだうだ考えててもしょうがないよねー…)
知らず、街へ行かなくてもいい理由を考えはじめてしまっている時点でお察しである。要するに、自分は今の環境を変えてしまうのが怖いのだ。
(臆病者めー…)
はぁ、とため息を吐いて、ミツキは隣で蹲るヴェルナーに話しかける。
「ねえ、森を出てカーティスに行こうと思うんだけど、ついてきてくれる?」
ヴェルナーの返事はもちろんイエスである。
知っててわざわざ聞くなんてあざといにも程がある。ミツキはもう一度盛大なため息を吐いてから、明日森を出る決意を新たにした。
出発の日の朝は晴天だった。
「よし、とりあえず……今日は草原を出ることを目標にしよう」
ロルフ曰く、この草原自体にそう危険はないらしい。
ただ近くにある森に恐ろしい魔獣が生息している為、あまり人が寄り付かないのだそうだ。
(もしかしなくともその魔獣って、ヴェルナーのことじゃ…)
とは思わないでもなかったが、仮にそうだったとしてもミツキが草原を横断するのにそれほど問題はなさそうである。
(とりあえず街に着いたら、歩きやすい靴が欲しいな)
初期装備仕様の木靴はなかなかどうして歩き難い。一応走ったり飛んだりも出来るわけだが、やはりどうにも靴擦れしてしまう。
(とは言っても、すぐ治っちゃうわけだけど)
だが痛いものは痛いのだ。地味にちいさいストレスを感じていたミツキは、カーティスに着いたら欲しいものリストを歩きながら考える。
(まず靴でしょ、それから新しい下着と着替え用の洋服と…)
後はナイフかな、とミツキは思う。実は投げ斧をアイテム生成してからというもの、森にある物とモンスターが落とすアイテムとで色々な武器を生成することに成功していた。
が、ナイフだけは生成できなかったのだ。おかげで色々不便なことも多かった。
(縄を切るのにいちいち斧を振り上げるのも、なんだかねぇ…)
切れないことはないが、モーションが大きすぎてどうかと思う。一応か弱い女子なんだし。
(そうなんだよね、見た目はきっと、か弱そうな女子に見えてるはずなんだよね…)
確証はないが、ロルフの反応を見る限りそのはずである。だが実際、ミツキの物理攻撃力はカンスト状態だ。
この世界では、見た目とステータスは全く関係ないという認識でいいのだろうか。
(それとも私が特別おかしいの?)
そうだったら嫌だなぁとミツキは思う。特別だとか特殊なんて表現は、もうたくさんである。
(あの子は体が弱いから特別、特殊な病気だから仕方がない、……散々言われてきたことだもんね)
そう、普通がいいのだ。ミツキは何より普通に憧れていたのだ。
普通のことが当たり前に出来る、不自由なく過ごせる普遍的な毎日に、どれほど焦がれていたことか。
だから出来ればこの世界でも、ミツキは普通に過ごしたかった。誰もが口を揃えてあの子は普通の女の子だと言うような、そんな存在になりたかったのだ。
だからこそ、ミツキは自身のステータスに、一抹の不安を覚えていた。
パッと見たところ、この数値は普通じゃない。
(でも、上手く誤魔化せられれば、なんとかなるかも)
この時点では、ミツキはそう、本気で考えていたのだ。それは虚勢でもなんでもなく、本気でそう信じこもうとしていたのだ。
それほどにミツキは平和に暮らしたかった。冒険者になるのだって、その為の第一歩だと、そう心から信じてのことだった。
その選択がそもそもの間違いの始まりだったことにミツキが気づくのは、まだ当分、先の話である。