等活の森林
「まずいな・・・傷口が泥まみれだ。感染症か破傷風になっちまう」
「た、隊長、大丈夫ですか!?」
認白は味方に銃剣で切られた左手の切創を見て呟く。血が少し染み出ており、傷口のふちが泥によって化膿し黄色くなっている。水筒の水で傷口を洗い流したいが、こんな山奥にいるため水はとても貴重だ。水を汲める川も見つけられていないのにこのような事に水を使っていられない。
「致去、ペニシリンって持ってないか?使い捨て注射器のケースに入っているはずだが・・・」
「いや、ありません・・・いえ、その・・・」
医療キットを開けた部下の致去ががおどおどした様子で認白を見る。致去が医療キットを開いて見せてくる。そこには、注射器一式が入っていなかった。
「すみません、忘れてきました・・・」
「馬鹿、何やってんだよ。隊長にもしものことがあったらどうすんだ」
致去は下を向いて小声でそういうと、隣にいた機関銃手がRPKに七十五発弾倉を装填して致去のヘルメットを叩いた。致去は申し訳無さそうに肩をすぼめる。
「いや、大丈夫だ。どうせすぐに後方支援部隊が来てくれるだろうからな」
「本当にすみません・・・」
認白は泥の中でひたすら反撃の方法を模索していた。機関銃を一気に潰す手段は手榴弾とロケット砲だが、ロケット砲は人民連邦が構築したと思われる地下補給施設を攻撃するために運んできたものだ。こうやって釘付けにされていては神出鬼没の人民連邦兵達には対抗できない。本当なら航空支援や砲撃で潰して欲しいところだが、この山には韓国が世界遺産への登録申請をしていた朝鮮寺社が幾つもある。もしそれを破壊でもしたら国際社会からの非難を一手に受けてしまうだろう。
ふと、認白は発砲炎が草むらから煌めくのを見た。すぐさま56式を撃とうとしたが、掃射を受けて直ぐ様顔を引っ込めた。しかし泥が顔にこびりつく。
「おい致去、手榴弾を投げろ!距離約二十メートル!」
「了解!」
認白が叫ぶと致去が手榴弾を取りだし、しゃがみながら全力で草むらの中めがけて放り投げた。
『手榴弾だ!!逃げろ!!』
『ひっ・・・・・・?』
人民連邦兵の叫び声が聞こえたが、十秒以上経っても爆発しない。不発だったのだろうか。
「くそっ、不発かよ!」
RPKを持った兵士が砂混じりの泥を握り締めて悔しがる。認白は致去が手榴弾を投げるときにピンを抜く動作をしなかったのを思いだした。
「おい致去・・・手榴弾を投げるとき、ピン抜いたか?」
「・・・あっ!しまった!!」
認白は致去にピンの事を問う。すると、致去は今思い出したかのように大きな声を上げた。
「ばか野郎!!」
「ありゃ・・・」
認白は致去を怒鳴り付けた。RPKを持った兵士は既に呆れ果て、塹壕にへたりこんだまま頭をかかえている。
『中国軍の皆さん、落とし物ですよ!!』
人民連邦兵が中国語で叫んできたあと、致去が投げた手榴弾が彼らの元に投げ返されてきた。塹壕の中にいた彼らは唖然とした顔でそれを見つめる。
「あああ・・・」
「爆発するぞ!!」
「わああっ!!」
木の切り株の向こう側で手榴弾が炸裂し、切り株が引きちぎれて破片が飛び散った。認白は歯を食いしばる。
無線でしきりに航空支援を呼び掛けるが、あまり繋がっているようには聞こえない。認白は小型無線機のスイッチを入れた。
「こちら第三分隊!くそったれ機関銃に釘付けにされている!第一分隊、救援求む!!」
『こちら第一分隊。現在お前らの二時方向、百メートル後方にいるぞ。お前らを釘付けにしている機関銃で撃たれて俺たちは四人しか残ってない。死んだやつは置き去りにしてきた。今は草むらに身を隠している』
「そうか・・・すまないが、その機関銃を撃ってる連中を後ろからまとめてぶち殺してくれないか?」
『・・・やってみるさ』
『いえ隊長、あの機関銃に撃たれて死んだ連中の仇を取らんといけません!何がなんでも排除しましょう!』
無線機から第一分隊の兵士の話し声が聞こえてくる。やはり第一分隊の兵士たちもあの機関銃に苦しめられたため、相当な恨みがある。銃声が響いているため話し声を聞かれることはないだろう。
認白は、ただこの機関銃が永久に黙ることをひたすら夢見ていた。
「くそっ、早くしてくれ」
『こちら第一分隊、今からやる』
第一分隊の兵士たちが枯れ草の中で銃剣を付けた小銃を構え、機関銃を射撃している八人ほどの人民連邦兵の後ろから忍び寄る。そして、分隊長の合図と共に彼らは人民連邦兵めがけて一気にとびかかった。
『うおわあっ!!』
『後ろから来やがった!!』
驚愕する人民連邦兵に向けて第一分隊の兵士たちが銃剣をつき出しながら襲いかかる。認白たちに機関銃を撃っていた兵士が後ろから撃たれて倒れ、それに驚いてM249機関銃を向けようとした人民連邦兵が鼻を切り裂かれ、第一分隊の隊長が56式を振り回してアメリカ系の兵士の胴体にスパイク銃剣を刺しこんだ。あまりに間合いが近くなったため、人民連邦兵たちも拳銃やナイフを抜いて応戦しようとする。それを契機にまるで現代戦とは思えないような銃剣での刺しあいが始まった。
「このやろう、死ね!」
『ぎゃああっ・・・やめてくれ・・・』
『こ、このっ、こいつめ!何しやがる!』
「死んでたまるか!!」
バディを射殺された第一分隊の兵士が
怒りを露にした表情で人民連邦兵の腹に銃剣を突き刺しており、人民連邦兵が血を吐いて悶えている。側では、あちこちを切られて血を流している兵士がうめいており、互いのナイフを押さえつけながらつかみあっている兵士たちや拳銃をつきつけようとしている人民連邦兵などが必死に森の中で争っている。
「よし、二人付いてこい!!俺達も行くぞ!!」
第一分隊に呼応して認白たちも泥まみれの塹壕から飛び出した。走りながら泥が付着したままの56式を構え、三人が襲われて負傷し混乱している人民連邦兵たちに銃剣突撃を敢行する。枯れ草を掻き分けながら坂を全力でかけ上がり、認白が叫びながら無傷で逃げようとした人民連邦兵の背中を銃剣で刺した。
『おごっ!!』
『うわあああっ!!』
「今だ!!お前らもやれ!!刺しちまえ!!」
「う、うおおおお!!」
認白の後から付いてきた部下も恐怖で顔をひきつらせながら56式のスパイク銃剣で人民連邦兵の腎臓部分を突き刺した。人民連邦兵は目を丸くしてその場にうずくまる。彼を刺した認白の部下は初めて人を刺した衝撃ですっかり萎縮してしまい、スパイク銃剣をすぐに引き抜いたまま思考を停止させてしまった。
『あああ・・・痛えよ・・・』
「・・・・・・」
「おい文架、何してる?」
認白が部下を不審に思う。人民連邦兵たちは全員戦闘不能になったようだ。部下は苦悶の表情を浮かべて倒れている人民連邦兵を見つめたまま震え始めた。
「う・・・わあ」
「(あーあ・・・こいつも駄目か・・・人殺しによる心の傷を広げてしまったな)」
認白はそう思いながら塹壕に手招きをする。すると泥まみれの部下たちが青い顔をしながらぞろぞろと塹壕から上がってきた。
「ああもうトロくせえなあ!とっととやれよ!!」
『ふぐっ!』
第一分隊の兵士が耐えかねて倒れていた人民連邦兵を何度か刺した。そして荒い息を吐きながら彼を見下ろす。
「くそっ!!くそったれが!!死ねよ!!」
『やめ、やめてくれ!!』
第一分隊のある兵士が泣き出しながら人民連邦兵を何度も刺し続け、人民連邦兵は上半身をむちゃくちゃに刺されて血をはきながら悲鳴を上げて悶えている。第一分隊の兵士は人民連邦兵に馬乗りになると、そのまま銃床で人民連邦兵を打ち始めた。
「おい、誰かあのバカを止めろよ・・・あんな大声を出されたら敵に聞かれるぞ」
「お前がやれよ。不用意にあのバカに近づいたらこっちの身が危ない」
第一分隊の他の兵士たちがざわめいている。分隊長に至っては明後日の方向を向いて首を傾けているほどだ。
「よし。第三分隊全員聞け。そこら辺の草木に隠れて伏せろ。敵の増援が来るかもしれん」
認白は人民連邦兵たちを警戒して部下たちを草木に隠れさせることにした。第一分隊の彼がいつまでも感情のままに叫んでいると敵に発見されるからだ。
「こちら第三分隊。第一分隊へ。敵がよってくるかもしれんから草木に隠れたほうがいいぞ」
「了解。おい、お前らついてこい。あいつのことはほっとけ」
第一分隊の兵士たちが三人、木の裏に隠れたり枯れ草を被るなどの偽装をして隠れる。ただ一人、人民連邦兵に対して未だに怒りをぶつける兵士は見晴らしのいい場所に残されていた。
「!!」
突然ショットガンが連発されて煙が吹き上がると、第一分隊の彼が体を裂かれ血を撒き散らしながら倒れた。
69式ロケットを持った兵士が花弁が開いたように見えるほど血を飛び散らせて倒れている第一分隊の彼の死体を見て口元を抑える。周辺には突き殺された人民連邦兵の死体が何人も転がっていた。
「くそが!」
「しかし、空軍は何してやがんだよ・・・空っぽだから空軍なのか?」
「人民連邦兵がやっぱり来やがったらしい。全員、全周警戒。突き合いに備えるため銃剣も畳むな」
認白は枯れ草を被りながら部下たちに命令する。部下たちが肩を震わせて唾を飲んだ。すると人民連邦兵達の話し声が聞こえてくる。
『おい、こっちだ。死体がある』
『どれもこれも酷いな・・・両断、手足の欠損、全身切り傷刺し傷だらけだ』
『やったのは中国兵共か』
六人程の人民連邦兵たちはK2ライフルや米軍のAA-12やHK416Dを構えて死体を見下ろす。そして人民連邦兵の死体からドッグタグを丁寧に外すと、そのまま手を合わせた。どうやら彼らにも死者を弔う心があるようだ。
「やつら、手を合わしてる」
「戦友だろうからな・・・ん?」
中国兵の面々も弔う彼らに同情し始める。だが、突然彼らは第一分隊の兵士の死体を足蹴にしながら背負っていたスコップで死体の頭を殴り付けた。
「!!」
「こ、こいつら・・・」
「まて!!早まるな!!」
認白は銃を構えようとした部下を咎める。スコップが振りかぶられ、振り下ろされる度に肉がぐちゃぐちゃになる嫌な音が響き、死体の頭から膿のような脳味噌が飛び散る。側で見ていたアメリカ人の傭兵がHK416Dを片手で持ちながら風上に向かって歩いた。
『こいつらの死体を見る限り、このチャンケが死体を執拗に傷つけたんだろう。報いは受けてもらわねば』
『おい韓国人、もういいだろ。カラスの餌にでもしておけよ。脳味噌は栄養価が高いからカラスも喜ぶ。お前らの国を侵略した豊臣秀吉がイナバのトットリ城を包囲して城に飢餓が蔓延したときも、オンダイショウやアシガルたちが死体の脳味噌を食い争ったらしいぞ』
アメリカ人の兵士が日本の歴史を交えたうんちくを話し始める。それを聞いた韓国人の人民連邦兵たちはつまらなさそうな顔をして歩き始めた。その後ろの草藪から妙な形の機関銃を分解して持ち運ぶ兵士たちが現れる。そのあとにはAA-12やM32グレネードランチャーを持った兵士が続いた。彼らは恐ろしいほど装備が充実しているようだ。
「待て・・・行かせるんだ。あんな火力をもつ連中には太刀打ちできない」
「くそっ・・・」
第一、第三分隊の彼らは歯ぎしりする。すると、無線機が鳴った。認白は急いでスイッチを入れてボリュームを下げる。人民連邦兵たちの後ろ姿を見るが、気づかれてはいないようだ。認白は小型無線機から流れる音声に耳を傾けた。
『こちら第三小隊長。第一、第三分隊は合流して共に行動せよ。あと二時間で日没時刻だ。日没後には夜営を行って夜を過ごせ』
「第一、第三分隊了解しました」
「くそっ、泥まみれの上に着替えとシャワーと暖かいベッドと食事は無しなのかよ」
認白はそのような旨の指令を受けとって了解の言葉を述べる。どうやらまだまだこの山からは抜けられないようだ。部下も不平の声を小声で漏らす。
寒風が未だに強く吹き付ける。ふと、その寒風に乗った雪が降り始めた。