凌遅的戦場
2015年 12月8日
『こちら第四分隊!人民連邦兵に奇襲を受けて六名が死亡!やつら重機関銃を撃ってやがる!司令部へ、撤退許可を・・・わあああっ!!』
「・・・くそったれめ、第四分隊がやられた」
無線機から銃声とともに中国語の悲痛な断末魔が聞こえてくる。その無線機を草むらの影で握りしめながら、中国人民解放陸軍所属の軍曹である認白は思わず悪態をついた。
「伏せろ。耳を澄ませ。敵はどこかに機関銃を据え付けているようだ」
「・・・隊長、十字方向辺りから連続した銃声が聴こえる気がします」
彼らは朝鮮半島の安東市郊外の山中の森林内部で人民連邦軍残党の騒討任務に当たっている。人民連邦軍の残党は廃墟と化した市街地や山中、洞窟や地下道などに巧みに潜伏しており、度々中国軍部隊を苦しめてきた。朝鮮半島のほぼ全域でこういった残党との戦闘が発生しており、その戦闘による中国軍の死傷者の数は一万人を越えている。おかげで、朝鮮半島に進駐する任務を帯びた兵士たちはその恐怖と刃物で身体の肉を切り取られていくように倍増する死傷者のあまり、朝鮮半島を「凌遅刑場」とまで呼んでいるほどだ。
さらに、人民連邦軍は何処からか襲来してくるF-15KやKF-16などの戦闘機、小銃や機関銃、装甲車両や自走砲、対空ミサイルや対砲レーダーなどの最新鋭装備、さらに豊富な食料や弾薬を保有しているなど、中国軍側も残党であるはずの彼らの装備が非常に良いということを不審に思っているようだ。
「よし、総員着剣。連中と不意に遭遇したら直ぐ様突き殺せ」
認白がハンドガードにグリップが付いたルーマニア風の56式小銃に銃剣を装着すると、他の兵士もそれにならって折り畳み式の銃剣を展開し始めた。
剣と言うより巨大な針にも見える銃剣はしっかりと56式に接続されている。指に力を入れてその銃剣を押し上げ、辺り一面に広がる森に向けて彼らは56式を構えた。十二月の朝鮮半島南部の森は紅葉が落ち始め、色とりどりの落ち葉が地面を埋め尽くしている。枯れた草木が山のようにそびえたち、そのどこに人民連邦兵が潜んでいるか分からない。
認白は前方を凝視しながらゆっくりと進み始める。恐怖で肩が震える中、なるべく姿勢を低くして山の中に入り込んでいく。十人で構成される彼らの分隊はまだ戦闘をしておらず、一人の損害も出していない。
「なあ、さすがに寒くないか?」
「戦ったら暑くなるだろ」
小声で話す部下の声が後ろから聞こえてくる。認白はあちこちでがさがさと音を立てる枯れ草を踏みつけながら木に手を当てた。銃弾が命中して木の皮がいくつか剥がれているようだ。
「すげえ風が吹いてんな」
寒風が山の中を吹き抜け、それとは別のものすごい風の音が山の裏から轟いてくる。そして、時々銃声が響く。認白には、何か山の中には鬼のような強大な存在が隠れているかのように思えた。
ふと、二時方向の草むらががさがさと揺れる。認白はびくりと肩を震わせながらもその草むらに向けて56式の銃剣を突きつけた。
「動くな!」
「うわあ!!」
「あっ!!隊長!!」
認白たちと同じ秋期迷彩野戦服を着用した兵士が突きつけられた銃剣を見て驚きの声を上げる。驚いた兵士のそばにいた兵士が反撃せんと95式小銃に付けられた銃剣を認白に向けて突きだし、認白の左前腕に一文字の切り傷を与えた。
「うっ!!」
「こいつ!」
「お、おいやめろ!!待て待て待て!!俺らは味方だ!!第一分隊だ!!」
隊長らしき兵士が手を振りながら中国語で呼び掛けてくる。彼らは第一分隊、すなわち認白達の味方であった。
「あ、すんません」
認白の左腕を銃剣で切った兵士が認白に謝罪の言葉を述べてくる。
「いや、いいんだ。先に手を出したのは俺だからな・・・」
「このやろう、人を切っといてその謝り方は何だ!!もう少しちゃんと謝れ!!」
「おっ、お前には関係ねえよ!」
認白の部下が認白を切った兵士に文句をつけて詰め寄る。詰め寄られた兵士が身構え、彼らが睨みあうと認白は急いで二人の間に入った。
「おいやめろ!!俺たちは戦場に居るんだ!!味方内で争ってたらその隙を突かれて人民連邦の連中に襲われちまうぞ!!」
認白がなだめながら二人を引き離す。すると群生する枯れ草の影から物凄い音の銃声が轟き、曳光弾が認白達のすぐそばを通りすぎた。
「うわあっ!!」
「機関銃だ!!」
驚いて体をよじらせた第一分隊の兵士が大口径の銃弾を受けて腸を撒き散らしながら転がる。銃弾は次々と飛来し、枯れ木を砕いて土を舞い上がらせ、そして兵士の体を貫く。奇襲を受けた中国兵達はたちどころに混乱し始めた。
「あっ!!晋今ー!!」
「落ち着け!!落ち着いて物陰に隠れろ!!」
認白は部下たちに落ち着くように促す。第一分隊長も同じような事を叫んでおり、直ぐ様撃ち返したり伏せるなど、適切な対応を取れた兵士とパニック状態に陥って何も出来ないまま撃たれる兵士とがはっきりと別れた。認白の部下が二人ほど銃弾を受けて草むらに倒れる。
「うわああっ・・・ああ・・・・」
「何やってんだ!死にてえのか!!」
認白は呆然と立ち尽くしていた兵士の肩をつかんで無理矢理引き寄せ、岩影に向けてつき倒した。そして自らもその岩影に隠れる。岩影には認白の部下たちも肩を震わせながら逃げ込んでいた。
「視懐!!ああ畜生!!!」
「くそっ!!人民連邦め!!」
逃げ遅れた部下の一人が腰を撃たれて認白の側に転がり、血が混入した泡を吹きながらぴくぴくと体を震わせ始めた。岩の一部が銃弾を受けて砕け、破片が認白の頬に命中する。認白は黄土色をした枯れ草の隙間から機関銃の発砲煙が昇っている場所に向けて56式を何発か撃ち込んだ。
効果があったのかは不明だが、銃撃が停止する。試しに左手を岩場から出して振ってみても撃ってこない。認白は岩場から出ると部下に手招きをした。
「・・・おい致去」
「な、何ですか」
認白がショットガンを抱えて震えていた部下の一人に声をかける。認白が先程撃たれて倒れている部下を指差すと、彼はショットガンを一旦置き、部下の体を転がしてきた。
「うわあ・・・」
「視、視懐・・・視懐・・・」
部下たちが無惨に腰椎を砕かれて痙攣している彼の姿を見て震えている。涙をこぼし始める者も出始めた。
「・・・う・・・うっ・・・視懐・・・」
「こいつ、一時間前は呑気にテレビの話をしていたのに・・・」
「くそったれめ・・・人民連邦・・・」
恐怖と悲壮に暮れる中国兵達が岩に隠れている中、もう一度銃声が響く。再び人民連邦兵による機関銃の掃射が始まったのだ。
急いで岩場に転がりこむ。認白は知らず知らずの内に垂れた唾液を部下たちに見られないように拭き取った。彼らは銃弾が命中したときの煙に覆われ、飛び散る泥や破片を防護するため顔を腕で隠す。認白は手榴弾を取りだし、掃射地点に対して手榴弾を投げ込んだ。
大きな叫び声が木霊したと思うと、オレンジ色の小さな閃光が煌めき爆発音が轟く。枯れ草が宙を舞い、機関銃の発砲地点から白煙が上がり始めた。
爆発が起きて機関銃の射撃が停止したあとに、強く寒風が吹き抜ける。飛ばされた岩の破片が認白のヘルメットに当たった。機関銃の射撃はあっという間に止まり、風音以外何も聴こえなくなった。認白は外に出てみる。
「・・・おい、お前ら岩から出てみろ。どうやら敵は移動したようだぞ。だが油断は禁物だ。いざというときに身を隠せる所を常に見つけておけ」
「りょ・・・了解」
部下たちがぞろぞろと岩場から現れる。認白は二人の死体を残し、草を踏み越えていきながら前進を開始した。
「沱湯、寸伺は二時方向の紅葉の木陰から分隊を援護しろ。文架と嗚嵯は後方警戒、致去、お前は先鋒だ。人民連邦兵を見つけたらすぐさま撃て」
「・・・了解」
ショットガンを持った兵士の顔は曇っていた。殺されたくないし殺したくもない、何でこんなところにこなけりゃいけないんだ、という顔をしている。空の色もいつの間にか真っ白になっていたようだ。
三十五才になる認白は過去にウイグル自治区での民族弾圧に参加しており、小規模な撃ちあいも経験している。狭い建物の中で撃ち合う市街戦も相当苦しいものだが、草木が群生している森林での戦いは市街戦よりも一層の圧迫感を感じる。
「紅葉が綺麗な所だ。戦争さえなけりゃなあ・・・」
「・・・・・・」
部下たちは完全に黙りながらも慎重に半長靴を地面に着けつつ認白の後を付けてくる。誰かこっそりと逃げる奴が出るだろうと認白は踏んでいたが、案外部下たちに逃げようとする素振りが無いことに感心していた。
美しい紅葉の木が林立する斜面の草むらをかけ登り、息を荒くしながらも認白は人民連邦の機関銃兵が潜んでいたと思われる場所にたどり着いた。
『・・・うう・・・ああくそ・・・』
「?」
草むらから呻き声が聞こえる。その草むらを掻き分けた認白は突然肩を震わせた。それに気づいた部下たちは認白の後ろから認白が見つけた何かを見ようと駆け寄った。
「隊長、何かいるのですか?」
「あ、ああ・・・こいつは・・・」
「あっ!!」
認白は足元でうずくまり、破片が刺さった腹を押さえて血を吐いている人民連邦の兵士を指差した。その兵士の顔はアジア人とは似ても似つかず、虚ろな瞳は青を湛えている。まごうことなき白人だ。
「白人!?何で白人が人民連邦に!?」
「こいつ・・・どういうことなんですか!?」
部下たちが驚きの声を上げ、目を見開いて認白に疑問をぶつける。
「んなもん知らん!だがこいつは人民連邦にいるんだ。何処かの傭兵かもしれんな」
認白はそういって切り捨てる。だが、彼は自身が言った「傭兵」という言葉の重大さを今思い知った。
「傭兵!?」
「待てよ、傭兵・・・・・・美国か?」
「え、美国の・・・隊長、それって・・・」
69式対戦車ロケットを持った部下が勘づいたような素振りを見せた。他の部下たちが怯えた様子で唾を飲む。認白は周囲に目を凝らす。56式を構えて周囲を警戒しながら口を開いた。
「ああ。もしかすると美国が人民連邦を支援している可能性がある・・・」
彼はそこまで言う前に体を動かして56式を横の草むらに乱射した。部下たちが驚愕する。機関銃をこちらに向けた人民連邦軍の兵士の姿が見えた。
「逃げろ!!機関銃だ!!」
認白はそう叫ぶと部下達を押すようにしながら斜面を十メートルほどかけ降りる。後ろから機関銃の猛烈な銃声が聞こえ、部下の一人が体を撃ち抜かれて倒れ、斜面を転がり始めた。
「うわあああっ!!助けて!!」
「そこだ!そこの塹壕の中に飛び込め!!」
彼らは機関銃から逃れんと全力疾走する。落ち葉や草むらや木の根が足を妨害する中、認白が水が溜まって泥まみれになった古い塹壕を指差してそこに飛び込むように叫んだ。それを聞いた部下たちの足取りが遅くなる。
「ええっ!あの中ですか!?」
「いいから黙って飛び込め!!」
「きたねえ!!」
「やだよやだよあんなところ!!」
文句をいう部下達を尻目に認白は一番に塹壕の中に飛び込んだ。泥水が跳ね、瞬く間に全身が泥まみれになる。半長靴にも水が入り、たちまち認白は茶色に染まった。
塹壕に入るのを嫌がっていた部下たちも側に銃弾が命中するとそれに怯え、渋々と塹壕に転がりこんだ。彼らも泥水にまみれ、泥団子のような有様となる。
「いいいいっ・・・」
「き、気持ち悪い・・・」
認白以下五人の部下が塹壕に飛び込んだ。最後まで嫌がっていた兵士は機関銃に撃たれて首から下を挽き肉にされてしまった。銃弾が泥を叩き、泥が次々とヘルメットの上に落ちる。
「塹壕から顔を出すな!!あいつみたいになりたくなければな!!」
「ひいい・・・泥が・・・」
「シャワーを浴びたい、シャワーを・・・いや、泥水以外ならどんな水でもいい。身体を流してえよ・・・」
機関銃の猛射を浴びながら、認白達はひたすら泥につかって銃撃を耐えていた。下半身は完全に泥にまみれ、上半身の装備も砂と泥が混じってとてつもなく気持ち悪い感触となる。泥まみれの兵士たちが塹壕に身を隠し、銃弾をしのいでいる様はまるで第一次世界大戦の塹壕戦のようだ。
しばらくそのままにしていると、始めは気持ち悪がって愚痴を垂れていた部下達も諦めたようで、へたりと座り込んでしまった。認白も戦闘服の裏側に入り込んだ泥を何とかしようと身体を震わせたりゆすったりしてみるが、どうしようもならない。部下の一人が斜面の上の方に向けて分隊支援用の機関銃を射撃し始めるが、ほぼ焼け石に水だ。大型の無線機を背負った兵士が一生懸命周波数を探しているらしく、銃声に混じってノイズが聞こえてくる。
「隊長、このままでは我々は全滅しかねません・・・」
「航空支援は頼めないのか?」
「い、いまやってます」
ようやく無線が司令部と繋がったようだ。無線機を背負った兵士が司令部と話し始める。司令部もそれなりに慌てているようだ。
「こちら第二大隊第三小隊、こちら第二大隊第三小隊、集団司令部へ。人民連邦の機関銃に釘づけにされており前進不可。戦死三名、軽傷一名。なお第四分隊が壊滅した模様。航空支援を回してくれ」
『・・・こ、こちら司令部。森林に潜む対空ミサイルのために航空機が近寄れない。航空支援は悪いが行えない・・・』
「迫撃砲でもいい、頼む!」
『・・・を・・・し・・・』
無線が弱々しく途切れる。彼のすぐ上を銃弾が突き抜けた。無線機を背負った兵士は発信機を握りしめる。
「くそっ!非力な無線機め!」
「だめか・・・」
認白は雪隠づめとなってしまったこの状況から抜け出せるのかどうかという不安を感じ始めた。ふと左腕に切創があることを思い出す。彼の左手の切り傷は完全に泥に塗れていた。