半潜水航路
ダニエルは江原の海岸に立っていた。冷たい風が吹き荒れ、ダニエルの装備も風に激しく揺すられている。文川市から元川市に移動する途中に拾ってから風雨に晒し続けながらもずっと使い続けている95式小銃は未だに射撃が可能だ。中国の銃にしては立派な物だな、とダニエルは心の中で感嘆する。
とりあえず岩場に隠れて地図を開き、北朝鮮のドッグを探すことにした。下手をすればここに泊まり込む必要すら出てくるかも知れない。
「(ドックは一体どこにあるんだ?衛星に見つからないように作られているなら森に隠れているか、あるいは洞窟なのか・・・)」
ダニエルはフナムシが岩場を登っていくのを見て瞬間的に体を飛び退かせると、金属が足に当たる感触を感じる。すぐさま足元を見ると、なんとナチスドイツのボーチャード・ピストルが砂に埋もれていた。
「(なんだこりゃ。ピストルみたいだが、鉄十字が刻まれている珍しいやつだな・・・よくわからんが、ナチスの拳銃か?)」
ボーチャードを手に取ってみる。ずっしりと重く、機関部が後ろまでつき出ている特異な形状をしており、錆びが落とされて銀色に光る銃身には鉄十字と鷹の紋章が刻まれていた。弾倉にはロシア製弾薬である七.六二ミリ×二五トカレフ弾が込められている。
「(おいおい、こりゃトカレフの弾薬じゃないか・・・機関部改造してまで使いたかった好き者がいたのかよ)」
ダニエルは若干苦笑してしまった。別の弾薬を使えるようにするには、銃の弾倉や挿入部、機関部を改造しなければならない。ボーチャードはトグルアクションなので、極めて改造は難しいだろう。
「(折角落ちていたんだ。貰っていくか)」
ダニエルはボーチャードを本国まで持ち帰ることにした。これをアメリカなどのコレクターに売却したら、もしかするとC96やCz75ファーストモデル以上の値段で売れるかもしれないだろう。それに中国の95式小銃やそれの弾薬も中国やカンボジア以外では希少なものだ。
「(でもなあ・・・記念にとっとくのがいいかもな)」
ダニエルはそんなことを考えながら岩場を歩く。岩に吸着しているタニシのような貝を蹴りおとして水中に落ちた貝を見ていると、うっかり半長靴を滑らせて転倒してしまった。
尻餅をついてしまい、装備しているマチェットが大きな音を立てた。ずぶ濡れになって立ち上がり、独りでに顔を赤くしてしまう。幼少時の思い出が脳裏に甦った。
「(やれやれ、ガキのころもよく滑って転んでいたな・・・三十一歳の今でも対して変わらねえんだな)」
自分の年齢を自答してみて初めて、人間の体のピークが三十歳程であることを自覚した。
「(あーあ・・・俺も三十一か。あと十年でもう力一杯運動することは難しくなってくるんだろうな)」
ダニエルは中高生の時、よく野球をやっていた父の背中や肩の骨を鳴らしたり、マッサージをしてやっていた。父が四十を越えて二、三年立つと、肉体の負担が酷くなり老化が進みはじめ、もう父は若い頃のように全力で野球をすることが難しくなっていたのだ。ダニエルも当時の父の年齢になるまで十年ほどしかなくなっていた。
そうして歩いているとふと、巨大な崖の麓に海水が流れ込んでいる洞穴を見つけた。近づいて耳をすますと人の話し声まで聞こえる。
「(ここが隠しドックか・・・?くそ、人がいる)」
見つからないよう注意しながら洞穴の中をのぞきこむと、二千トンほどの細長い貨物船が二隻と、小型の民間船や機関銃をつけたヨットが数隻ほど押し込められていた。
「(なんだ、民間人までいるとは・・・あれは民間人を逃がすための船と言うわけかな)」
洞穴の奥の方には多数の民間人がひしめいている。彼らは、架けられた橋を渡っていき、次々と貨物船の船倉へと入り込んでいく。民間人たちの周りにはM16やM2無反動砲で武装した兵士が立っていた。
ふと、二人の兵士がダニエルの方に歩いてくる。いざというとき隠れられる草むらを探して頭に位置を叩き込んだあと、そのまま聞き耳をたてた。
『今回は雲の色と風がやばそうだ。しけるだろうな』
『最早船酔いで気持ち悪いーとかそういう問題じゃないぞ。民間人は奴隷船状態の中でバーのカクテルみてえにめちゃくちゃに揺すられるんだろうよ。あーあ、可哀想だなあ』
彼らはだらけた様子で風雨に晒されるかもしれない船を見ながら哀れんでいる。海風が草を横倒しにするくらい激しく吹き、濃い潮の匂いが鼻をついた。
『まさかロシアが難民亡命の手助けしてくれるとはな。金の力はやはりすごいぜ』
『北の将軍様の遺産が四百億ドルもある、なんてロシアや中国が知れば、きっとたちどころに襲ってくるぞ。まさに遺産相続の争いになるな』
M16のマガジンを抜いて中身を確認していた兵士が岩の片隅にある半潜水艇を指差す。
『あの潜水艇はどうする?使い道なんてないぞ』
『燃料も入ってるんだろ。あとで抜いておくか』
『いや、いいだろう。ほっとけ』
兵士たちはハングルで適当な話をしながら去っていった。ダニエルには彼らの話の内容は分からなかったが、半潜水艇の位置がわかった上に彼らが洞穴の中に戻っていってくれていた。
「(モーターボートみたいだな。とてもこいつが潜水できるとは思えないな・・・)」
波に洗われている半潜水艇の上に飛び乗ってみる。アメリカ製と思われる半潜水艇は意外と大きく、完全密閉された艇橋には窓がいくつかあり、艇体は二本のロープで繋がれていた。
「でかい」
艇橋の入り口を開いて中に入ってみると中にはたくさんの計器やレバーがあり、一瞬ダニエルは驚いてしまった。だが、これを操作してロシア領までいかなくてはならない。英数字でかかれた速度計と船の形からして約四十ノットは出せそうだ。
「(民宿人を鮨詰めにした貨物船は間もなく出航するに違いない。それを追うようにエンジンを始動しねえと!)」
貨物船に民間人が乗り込んだのが二分前であることを改めて思いだし、ダニエルは焦り始めた。注水計と燃料計に目をやった瞬間、三隻の貨物船が洞穴から現れ、北東を目指して航行しているのが視界の片隅に入った。
「(まずい!もう出るのか!)」
すぐさま外に出てロープを半潜水艇から外し、陸側から半潜水艇を蹴って飛び乗り中に入って鍵穴に刺さったままのイグニションキーを一気に回した。
エンジンが音を立てて稼動しはじめ、その音を聞いた人民連邦兵が飛び出してくる。ダニエルはかまわず防水窓を閉めた。
『誰だ半潜水艇を動かしてるのは!それに緒登の姿が見えないぞ!?』
『緒登はトイレに行ってます!!あの半潜水艇は確か北朝鮮の連中が・・・』
『貨物船は無線封鎖状態に入っているぞ!敵だったらどうする!?』
てんやわんやする人民連邦兵には撃たれていない。半潜水艇が海の方向を向いた瞬間、ダニエルは中立状態のスロットルレバーを限界まで押し込んだ。
「(うおっ!!速いな!!)」
だんだんと半潜水艇が加速していき、モーターボートのような高速で海上を走り始める。速度計は四十七ノットを記録しており、白波を巻き上げて高速で海上を突っ走るということに快感を覚えたダニエルは良い気持ちになってきていたが、荒波にあおられて艇体が大きく揺れると逆に気持ちが悪くなりそうだったためスロットルを少し下げた。
「(ふう、なんとか出港できたが・・・貨物船はどこだ?)」
燃料計をみる限り燃料はほぼ満タンになっており、注水レバーのとなりには赤く塗られた蓋付きのボタンが設置されていた。ダニエルは、何年も前に日本に侵入した北朝鮮の工作船が自爆したというニュースを何回か聞いたのを思い出した。
「(自爆ボタンか!!押したらやばいことになるな・・・昔の日本軍の爆弾ボートと瓜二つじゃねえか)」
そして艇内の側面には、テレビなどでよくみる右側を向いて笑顔を浮かべるキム将軍一族の顔写真が埋め込まれている。だが韓国側の人間による仕業なのか、三人のキム将軍一族の顔はマジックペンで塗りつぶされていた。
ふと、窓につく水滴の量が急に多くなる。とうとう雨が降り始めたようだ。二時方向と十時方向に幽かに見える二隻の貨物船を見据えながら計器に目を落とす。もう一隻は五時方向に展開しているようだ。
「(注水計がこれでレバーはこれか・・・適当にやってみるしかないな)」
タンクに海水を注水するためのレバーを倒してみる。するとタンクに海水が流れ込むような音が僅かに聞こえ、半潜水艇が潜水を開始した。
窓が海面に半分没する。下半分のほうが水中なのでよく見える。サンマの群れが泳いでおり、更にどういうつもりかサメまで付近を遊弋していた。
「(サメの奴がいるのかよ・・・こりゃ怖くて漂流なんて出来んなあ)」
ダニエルは冷や汗をかく。速度計は六ノットを指し示していた。貨物船とほぼ同速度になっているのでちょうどいい。
艇首を北東に向けておき、ダニエルは艇内を探索してみることにした。
まず座席の後ろにある金属製の扉を開けてみる。がらんとした何もない後部はパイプの中のように細長く、一番奥にはロシア製のカニ缶と二本のストレラ2携帯ミサイルのみが転がっていた。
「(ストレラ2か・・・古くて使えすらしないだろうな)
ダニエルは僅かに苦笑する。長く使われなかったのだろうか、錆まみれとなっている。最早作動すらしないかもしれない。
窓から外を見回す。ダニエルは前方にいる貨物船の数百メートル後ろにまで接近していた。
「(ちょっと近づきすぎたか・・・?)」
スロットルを下げようと手をやった瞬間、後方の貨物船の右弦から二本の水柱が吹き上がった。
直後に腹に響く爆発音が轟く。ものすごい爆発がおこり、貨物船が二つに裂けた。
「(魚雷か・・・漫画みたいな水柱だな)」
ダニエルは無線機のスイッチをいれ、敵の無線を聞いてみることにした。雑音が混じるなか、周波数を中国兵の持っていた無線機の周波帯になるようにし、そのまま漁ってみる。潜水艦ならば無線は聞こえず、飛行機や警備艦艇ならば特有の無線が聞こえてくるかもしれない。まあ、ダニエルは中国語が分からないので気休め程度のものだろう。
『・・・目標を確認。貨物船が三隻だ。一隻は貴機が投下した魚雷を受けて大炎上中』
『ああ、了解。本艦は次の貨物船を砲撃して機能を失わせるから貴機はその貨物船を爆弾で吹き飛ばしてくれ』
中国語の無線が聞こえてくる。艦艇無線のようだ。ということは、近くに中国軍が展開している可能性がある。
ふと、ダニエルの半潜水艇の横から砲を大量に装備した中国軍の掃海艦が現れる。雨が降りしきるなか、掃海艦が貨物船の一隻に近づいたかと思うと、いきなり貨物船に向けて五十七ミリ砲を発砲した。
「(おいおい、連中何してんだ?)」
貨物船に穴が開き、煙を吐き始める。ダニエルも思わず驚愕した。半分海に沈んだ窓からは、船体から炎を上げる貨物船に突っかかり砲や機銃を撃ち続ける掃海艦が見えていた。
「(海の虐殺とは・・・まあ、難民の面倒なんて見切れんだろうからな・・・ん?)」
ふとダニエルは霧の向こうに翼端灯が光るのを見た。かと思うと、中国軍のSH-5飛行艇が掃海艦の横を低空飛行しながら現れ、貨物船に向けて一発の爆弾を投下した。
爆弾は艦橋の目の前で炸裂し、鮨詰めにされている民間人を巻き込みながら貨物船を紅蓮の炎に包み込んだ。爆弾を投下したSH-5はダニエルの半潜水艇には気付かずにそのまま飛び去っていく。貨物船は爆発しながら右に傾斜し始め、掃海艦がこぼれ落ちる民間人を狙って砲を撃ち続けている。
『民間人は全部殺せ。連中を収容するのは面倒だ』
ダニエルは半潜水艇の中から虐殺を見届けていた。掃海艦が文字通り海から人の命を掃き捨てている。彼には何もする術がない。ダニエルは掃海艦に見つからないように半潜水を続けていた。




